聖女の加護

LUKA

文字の大きさ
上 下
11 / 33

11

しおりを挟む
一体いつの間に、日中を明るく照らしていた日が暮れ、沈んだ太陽に代わって、見事な金色の月が、宵空の中、再びありありと浮かび上がったのだろうか。
 穏やかでうららかな昼間と裏腹に、迷いの深林は、どこか狂気的な静けさを含む、森が本来持つべき獰猛な夜の姿を、一変して見せていた。
 気温は驚くほど降下し、そよ風に揺らぐ梢の合間から降り注ぐ、月の光以外何の明かりもない、真っ暗闇な森の中、梟や虫が不吉に鳴く傍ら、四つ足の夜行性動物が、えさを求めてうろつきまわる音だけが、物悲しく響いていた。
 「―――きゃっ!」
 ついに、視界の満足に効かない宵闇の中、まるで罠か何かのように、地面を傲慢にも突き破り、誰かの足を引っ掛けるためだけに存在しているような、忌々しい木の根に足を取られ、派手に転倒する聖女の、悲劇的な悲鳴が、その痛々しい着地音と共に上がった。
 「ダイジョウブ?」
 すぐさま、先を行っていたノームの動きが止まり、背後の遊び相手を振り返った。
 「う、うん・・・。でも、まだ森を抜けられないの・・・?」
 ネルは、少々苦心して半身を起こしながら言ったが、哀れにも、今夜の月に瓜二つの、美しい白金の髪や、透き通るような乳白色の頬は、濃い茶色の土に汚れ、ずた袋みたいなワンピースの胸元にも、泥土がべったりと付着していた。
 「・・・アトモウチョットダヨ」
 ノームは言った。
 「ほ、本当に・・・?さっきからずっと、もう少しって言ってるけど・・・」
 縋りつつも、ネルは夜目の効かない暗闇の中、ぼんやりと発光する小人を訝しげに捉えた。
 「・・・オネエチャン、ボクガウソツキダッテイイタイノ?」
 ノームは答えると同時に訊いた。
 「そ、そんなことはないけど・・・!・・・でも・・・」
 消え入る言葉尻に疑念を濁しつつ、ネルは辺りを不安げに見回した。
 見通しの効かない闇の中、入った時と変わらず、幾本ものおびただしい大小の木が厳粛にそびえ立ち、冷えた夜と、独特の静寂に怯える聖女を取り囲んでいる。
 誰の目から見ても、出口へ向かっている気配がないのは、明らかだった。
 「・・・オネエチャン、ボクトイッショニアソンデクレルンジャナカッタノ?」
 しょげているとも、怒っているとも聞こえる、ノームの声が返ってきた。
 「う、うん・・・。でもね・・・?」
 すぐさまノームの気分に感づいたネルは、急いで損ねた機嫌を取ろうとした。
 しかし、幼気な声と言葉を苦し気に詰まらせて、ノームは言い淀んだ。
 「・・・ボク・・・、ボク・・・――」
 次の瞬間、にわかには信じがたい光景が、驚くネルの翡翠色の瞳に映った。
 瞬く間に、彼の顔ほどもある巨大な舌が躍り出て、ノームは地面にへたり込むネルに向かって、これでもかというくらい意地悪な、あっかんべえをした。
 彼はなお悪いことに、小さな指を使って、目尻を下に引っ張り下げ、何とも小生意気で挑発的な表情を作っていた。
 次に、子どものふざけた、キャハハと甲高い笑い声が響き、ぴょんぴょん飛び跳ねる彼は、手を上に叩いて、大いに喜んでいた。
 「ヤーイ、ヤーイ!キャハハ!ヒッカカッタ、ヒッカカッタ~!!」
 「―――」
 当然のことながら、ノームの余りに突然の変わりようにびっくりしたネルは、しばし呆気にとられ、口もきけなかった。
 一方、そのように驚きに我を失うネルの目前で、小悪魔的な本性を露わにしたノームは、誰もいない周りに向かって、大声で呼びかけた。
 「オイ、ミンナ!デテミロヨ!」
 すると途端に、低木の茂み以外何もなかった辺りの地表から、土が一斉に盛り上がったかと思うと、その中から、ノームと全く同じ背格好の小人たちが複数飛び出てきて、新たな驚きに苛まれたネルは、碧い目をギョッと剥いた。
 「!?」
 そして、身を隠していた他のノームたちが、彼らのいたずらに、まんまとはめられたネルと対面するや否や、キャハハと、笑いの大合唱が、静かな宵闇の中、けたたましい鈴のように鳴り響いた。
 「・・・えっ・・・?」
 凄まじい混乱が容赦なく襲い掛かり、現実の飲み込めないネルは、呆然と呟いた。
 すると、小人の一人が堪らず吹き出した。
 「オネエチャン、マダワカラナイノ?モリノデグチナンテ、ハジメカラナインダヨ!」
 言葉を皮切りに、ドッと笑い転げるノームたち。
 ・・・ない・・・?
 最初から、森の出口なんてなかった・・・!?
 衝撃かつあるまじき真実に、ネルは愕然と項垂れた。
 ・・・騙された・・・!!
 「オネエチャンタラ、ホントウニニブインダモノ!ボクタチガイレカワッテタコト、シッテタ?」
 先ほどのノームとはまた別のノームが、嬉しそうに尋ねた。
 入れ替わっていた!?
 「~~ひどい!・・・騙してたのね!?」
 ネルは黒い地面に半分伏したまま、周りのいたずらっ子たちを口惜しそうに睨んだ。
 しかしながら、とはいえども、反省の念など露ほども持ち合わせていないノームたちは、ただヘラヘラと笑い合うだけだった。
 「アー、オモシロカッタ!オイ、ミンナ!モウジュウブンタノシンダシ、カエロウゼ!」
 城の薪割り場で出会ったノームが、他の仲間に元気よく語り掛けた。
 すると彼らは揃いにそろって、小さな頭をうんうん頷き合うと、土の中へ次々と潜り込み、来た時と同じように、線を引きながら、森の中のどこかにある住処へと、帰っていった。
 「えっ、ちょっと待っ・・・」
 「ジャアネ、オネエチャン!マタアソボウネ~!」
 最後に残ったノームが去り際、小さな手をひらひら降って言うと、そのこぶし大ほどの姿は、あっという間に土の中へ消えてしまい、ネルは――、どうすることもできなかったネルは、その場にへたり込んだまま、暗い夜の迷いの深林に、ただ一人取り残されてしまった。



楽しい楽しい夕食の時間がやって来た。
 献立は、家畜小屋で搾った新鮮な牛乳と、菜園で採ってきて、皮も剝かずに大まかに切った色鮮やかな野菜、それからぶつ切りの鶏肉で煮込んだ、白茶色のクリームシチュー、窯で焼いたパン、水またはぶどう酒に蜂蜜酒と、シンプルながらも滋味深い品目で、一働き終えたゴブリンたちは、蜜蠟の黄色いろうそくに灯った火や、年季の入った、古ぼけたランプのぶら下がる調理場兼食堂に列をなし、炊事当番でもあるピケの提供を心待ちに待った。
 「・・・」
 しかしながら、そうした仲間たちの高揚にもかかわらず、当のピケは何やら上の空で、普段はお喋りの口数も少なく、時折憂いのため息を短くついては、深い鍋からすくう茶色がかったシチューを、同胞たちの皿へ機械的に移していく。
 すると、ひと悶着あった家畜番のゴブリン、ミノ・モンタらが、いつもは勝気な同僚を見かねて、しゃがれ声を親しくかけた。
 「どうしたんだよ、ピケ。腹でも壊したのか?」
 と、尋ねるミノ。
 「そうだぞ、つまみ食いのし過ぎか?」
 と、冷やかすモンタ。
 「・・・」
 ピケは虚ろな黒い瞳で二匹を見返してから、ふうーっと長いため息を吐いて、ぼそりと呟いた。
 「あんたらはいいわね、呑気で」
 「「・・・?」」
 したがって、言葉の意味がよく分からなかった二体の小鬼は、互いの顔を不思議そうに見合わせた後、列を進んで離れていった。
 だがしかし、理解されなかったとはいえども、それは、他のゴブリンたちには、計り知れないほど重大な秘密を抱えているピケにとって、嘘偽りない本心だった。
 事実、彼はこのようなところでシチューを黙々とすくって、よそっている場合ではないのだ!
 今すぐにでも、シチューをすくうためのおたまを投げ出して、誰の目も届かない世界の果てへ、さっさと逃げ出さなければならないのに!
 「ハア・・・」
 濃い黒髭に覆われた口から、またしても憂慮のため息が自然と漏れ出た。
 ボスでありながらも、老いぼれたリサイクルはともかく、あの聡明なアッシュをごまかし抜けるものだろうか?
 ああ神様!あのネルとかいうみすぼらしい女の記憶が、みんなの頭から、一瞬にして消えてなくなってしまえばいいのに!
 悶々とピケは悩み、癒しを必要としていたが、その活力の源から嫌われてしまうかもしれないという、甚大な恐怖の前で、成すすべなく、手をこまねいていた。
 そして、審判の時は確実に近づいていて、列も短くなってから、主人の指令を受けたリサイクルが、調理場兼食堂にひょこひょことやって来た。
 「ピケ、アッシュまがネルをお求めだ。ネルはどこだ?」
 しわしわのクラヴァットをきちんと締めたリサイクルが、台座の上に立つ彼を見上げた。次いで、律義に順番を待つ残りのゴブリンたちも、顔を向けた。
 「え、ええっと・・・」
 ピケは言い淀んだ。
 「?」
 「そ、そうね。さっきから姿が見えないわね。お手洗いにでも行ってるんじゃないかしら、ボス」
 努めて平静を装いながら、ピケは言った。
 「うか。あとどのくらいかかりうだ?」
 「え!?さ、さあ・・・」
 と、内心焦ったピケは濁したものの、カメレオンを彷彿とさせる、上司の薄気味悪い眼で見つめられる不気味な間が後に続き、心臓と居心地の悪いひと時を過ごした。
 「・・・分かった。もうしばらくかかると、報告してこよう」
 「そ、そう。お願いね、ボス」
 そして、ようやく責め苦から解放されると、ピケが胸をなでおろした矢先、リサイクルは言った。
 「お前も一緒に来るんだ」
 「え!?」
 と、驚き慌てふためくピケの腕を、リサイクルはがっしと掴み、台座から引きずり下ろすと、来た道を彼と共によちよちと戻り、明るい調理場兼食堂を後にした。
 他方、おなかの空いた小鬼たちは、扉の向こうに消える彼らなど、眼中にないといった様子で、ピケの作った料理を思い思いに堪能していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。 ——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない) ※完結直後のものです。

完結 貞操観念と美醜逆転世界で薬師のむちむち爆乳のフィーナは少数気鋭の騎士団員を癒すと称してセックスをしまくる

シェルビビ
恋愛
 前世の名前は忘れてしまったが日本生まれの女性でエロ知識だけは覚えていた。子供を助けて異世界に転生したと思ったら17歳で川に溺れた子供を助けてまた死んでしまう。  異世界の女神ディアナ様が最近作った異世界が人手不足なので来て欲しいとスカウトしてきたので、むちむち爆乳の美少女にして欲しいとお願いして転生することになった。  目が覚めると以前と同じ世界に見えたが、なんとこの世界ではもやしっ子がモテモテで筋肉ムキムキの精悍な美丈夫は化け物扱いの男だけ美醜逆転世界。しかも清楚な人間は生きている価値はないドスケベ超優遇の貞操観念逆転世界だったのだ。  至る所で中出しセックスをして聖女扱いさせるフィーナ。この世界の不細工たちは中出しを許されない下等生物らしい。  騎士団は不人気職で給料はいいが全くモテない。誰も不細工な彼らに近づきたくもない。騎士団の薬師の仕事を募集してもすぐにやめてしまうと言われてたまたま行ったフィーナはすぐに合格してしまう。

【R18】少年のフリした聖女は触手にアンアン喘がされ、ついでに後ろで想い人もアンアンしています

アマンダ
恋愛
女神さまからのご命令により、男のフリして聖女として召喚されたミコトは、世界を救う旅の途中、ダンジョン内のエロモンスターの餌食となる。 想い人の獣人騎士と共に。 彼の運命の番いに選ばれなかった聖女は必死で快楽を堪えようと耐えるが、その姿を見た獣人騎士が……? 連載中の『世界のピンチが救われるまで本能に従ってはいけません!!〜少年聖女と獣人騎士の攻防戦〜』のR18ver.となっています!本編を見なくてもわかるようになっています。前後編です!! ご好評につき続編『触手に犯される少年聖女を見て興奮した俺はヒトとして獣人として最低です』もUPしましたのでよかったらお読みください!!

【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました

utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。 がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

俺の彼女が黒人デカチンポ専用肉便器に堕ちるまで    (R18禁 NTR胸糞注意)

リュウガ
恋愛
俺、見立優斗には同い年の彼女高木千咲という彼女がいる。 彼女とは同じ塾で知り合い、彼女のあまりの美しさに俺が一目惚れして付き合ったのだ。 しかし、中学三年生の夏、俺の通っている塾にマイケルという外国人が入塾してきた。 俺達は受験勉強が重なってなかなか一緒にいることが出来なくなっていき、彼女は‥‥‥

処理中です...