6 / 36
6
しおりを挟む
陽が傾き、辺りをオレンジ色に染める頃、厩にいたアッシュは、愛馬クロムの艶やかな黒い毛並みを梳いていた。
機械のように、ブラシを自動的に黙々と動かしながら、アッシュはぼんやりと物思いに耽っていた。
午前中のあれは一体何だったのだろう?
あの時、急に吹いた風に視界と気を取られ、勇者ジンの攻撃をかわし切れなかった矢先、どこからともなくまばゆい光が広場を照らし、その直後、甚だ不思議なことに、勇者ジンの清剣が見るも無残のぼろぼろに壊れ、自分は危機を脱した・・・。
だがしかし、城の主で、加えて、城や自分に仕える魔物たちの長でもある自分が、正体不明の謎の力によって救われたなどということは、全くもって喜ばしいことでも何でもなく、むしろ憤慨すべき現象だろう。
誇り高き魔人族が他力によって救済されるなぞ!
考えるだけでも忌々しい!
しかしながら一方で、アッシュはもしあの奇妙な事件がなかったら、必ずや大きな損傷を受けていただろうことも自覚していた。
すると、先ほどから同じ箇所ばかりを梳いているために、愛馬クロムは鼻づらを主人の方へ動かし、自分の毛色と同じ漆黒のマントを羽織った肩へ、鼻を二、三度押し付けた。
軽い衝撃に思案が破られ、アッシュは失心の面を上げた。
澄んだガラス玉のような黒い瞳とぶつかり、アッシュはぎこちなく微笑んだ。
「すまない、クロム。少し気になることがあってな」
クロムは返事をする代わりに、鼻を軽く鳴らし、数回瞬いた。
「アッシュしゃま。こちらへおいででしたか」
全体的にずんぐりとした小鬼が、開け放たれ、茜射す戸口に立った。
扉の向こうでは、城の周りを取り囲む森からやって来たカラスが、日暮れに色づく地面にちょこんと立ち、こちらを興味深げに窺っていた。
そしてリサイクルは、極めて短い脚を精一杯に持ち上げ、敷居を難儀そうに跨ぐと、もう一本の脚も大仰に持ち上げて、厩の中に立った。
「何の用だ?リサイクル」
アッシュは目線を愛馬の躰へ戻すと、ブラシを持った手を再び動かした。
リサイクルは若干つれない主人の様子を知ってか知らずか、少しの間、焦点の定まらない黒目でアッシュをじっと見つめていたが、やがて口をゆっくりと開いた。
「・・・アッシュしゃま。しぇんのけんでございましゅ」
「そうか」
手を動かし、灰色の視線を愛馬へ留めたまま、アッシュは素っ気なく答えた。
「・・・アッシュしゃま。あれは・・・。あのちせちのちからはましゃしく――」
「『聖女の加護』、か?」
「どうやらうわしゃは本当だったようでしゅ、アッシュしゃま!」
すると、甲斐甲斐しく動いていた手がピタリと止まり、アッシュはやや眉を吊り上げつつ、しもべを見た。
「すると何か、俺はあの貧弱な聖女に助けられたというのか?」
リサイクルは答えを探しあぐねているようで、所在なさげに、長く鋭い爪を載せた指先をカチャカチャ合わせた。
「・・・一時はにしぇ者かとちもを冷やしましたが、アッシュしゃま。確かにあ奴の見かけは、一般てちなしぇい女の足元にも及びましぇんが、このしぇ界を牛耳るために必要な、特別な真のしぇい女だと分かり、この老いぼれリシャイクルめは、胸のつかえが下りました」
額に醜いコブを設けたゴブリンは、言い終わりかけに微笑んだ。
「・・・だが一つ分からない。あいつはどうして、最初から俺たちの目的とする聖女だと言わなかった?」
アッシュは不可解をたたえた灰色の眼差しを、向かいの年老いた魔物へ向けた。
リサイクルも同様に、焦点がずれた瞳を瞬かせながら一瞬間沈黙していたが、またしても口をゆったりと開いた。
「・・・お言葉でございましゅがアッシュしゃま。何はともあれ、あ奴は『しぇい女の加護』を宿しゅ真のしぇい女に間違いはありましぇんし、あの忌々しい勇者と妖しぇいどもが、あ奴を追いかけて森を突破し、果てはこの城までやってちたのでしゅから、奴らが再び戻ってくる前に、例の計画を実行すべちではないでしょうか?」
「・・・そうだな。お前の言う通りだ、リサイクル。俗に、勇者とやらは愚かしいほどしつこいらしいからな。きっと魔人に攫われた哀れな聖女を取り戻すまで、奴は何度でもやって来るだろう」
アッシュは言いながら肩をすくめ、ため息をついた。
「しょれでこしょ、我々魔物一同がお仕えしゅる主人でございましゅ、アッシュしゃま」
リサイクルはにいっと薄気味悪く笑った。喜びに、斜視の黒目が左右非対称にくるくると踊った。
★
光の十分に届かない檻の狭い通気口から、地下牢を朱く染めていた夕陽は、いつの間にか闇夜に浮かぶ月と取って代わられ、夜の帳が音もなく辺りを包み込むと、ネルは石造りの房の中、虫の音や梟のくぐもった鳴き声を遠くに聴いた。
ネルは自分を取り巻く不可解な状況、自分を連れ去った魔人アッシュと、おそらく自分を救出しに来た勇者ジンの格闘、想像だにしたことのない未知なる怪物との邂逅――それは即ち、お化け屋敷の真っただ中にいるかのような、底冷えのする恐怖だった――、それからまた、自分に関する記憶が霞のようにつかみどころがなく、ぼんやりとあやふやで確かでない不安に、かろうじて耐えていた。
もし、あのまま勇者の一撃が当たっていれば、自分は元居た場所へ帰ることができたのだろうか?
今となっては考えるも無駄に等しかったが、ネルはどうしても考えずにはいられなかった。
一体あの光はどこから始まったのだろう?
あれはまるで、隙を突かれたアッシュを護らんばかりに突然煌めき、勇者の清剣をあっという間に砕いてしまった!
何という不思議で、奇跡のような特殊な力だろう、あれは!
後になって思い返すたび、ネルはただ閉口し、ひたすら圧倒されるばかりだった。
今正に攫われ囚われた自分も、あの神秘的な力に護られていればよかったのに、ネルは嘆いた。
牢屋番の一つ目お化けは、つい先ほどまでその任に就いていたが、いつの間にか姿をふらりと消し、陰気な地下牢には、ネル一人が取り残されていた。
(・・・帰りたい)
どこへ帰りたいかはよく分からなかったが、俯いたネルは惨めな気持ちで考えた。
その時、地下牢へ続く石段を降りる靴音が重く鳴り響き、音に反応したネルが顔を上げると、彼女の碧い視線の先に、彼女を利用せんがために連れ去った魔人の男が立っていた。
「・・・!」
ネルは思わず青緑の目を見開いた。
「わたしをここから出してください!」
ネルは格子越しに語気荒く訴えた。
しかしながら、アッシュは端正な顔色を一片も変えず、冷ややかに答えた。
「断る」
「そんな!どうかお願いですから、わたしを元居た場所へ帰してください!」
ネルは格子にしがみつき、必死に訴えた。
だが、懸命な願いむなしく、アッシュはもう一度短く答えた。
「だめだ」
「~~~!」
ネルは格子に縋りついたまま、憤慨した。
すると、アッシュは威圧的な態度をやわらげ、口を切った。
「――だが、質問に正しく答えれば、出してやらないこともない」
「・・・?」
ネルは格子から手を離すと、言っている意味がよく分からないといった視線を投げた。
「どうしてお前が俺の望む特別な聖女だと、始めから言わなかった?」
アッシュはネルの訝しむ眼差しには構わず、平然と訊いた。
「?」
ネルは聞くや否や、質問の意図が分からず、困惑した。
そしてしばらく逡巡した後、ネルは恐る恐る言った。
「・・・あの、『聖女』って何なんですか?」
「いい加減とぼけるのはよせ。お前は非凡な加護の力を宿した特別な聖女、そうだろう?」
アッシュは言葉尻に尋ねるように言ったが、語調は断定的だった。
「加護の力・・・?」
理解できないネルは小首をかしげ、訊き返した。
「知らないはずないだろう。不本意だが、勇者の清剣を打ち砕いたのはお前だからな」
「わたしが!?」
ネルはびっくりして、つい大声を上げてしまった。
「そうでなければ他に説明がつかないからな・・・。全く、この俺がよりによって聖人などに護られるとはな」
アッシュは不服そうに腕を組むと、そっぽを向きつつ、ため息をついた。
「・・・」
ネルは驚きのあまり、物も言えなかった。
いや、驚愕というよりも、彼女はアッシュの途方もない作り話に半ば呆れているようだった。
これは一体どうしたことだろう!
あの奇跡のような現象を自分が引き起こしたと言うのか!
まさか!
全くもってにわかには信じがたい話だが、この男曰く、自分が彼を危険から護り、はたまた勇者の攻撃から救ったらしい!
そのような馬鹿馬鹿しい話を誰が信じられるものか!
例え信じたにせよ、何故自分が、人を攫うような悪漢を救い出さなければならないのか?
よって、ネルはきっぱりと否定した。
「そ、そんなの知りません!とにかくわたしをここから出して、元居た所へ帰してください!」
しかしながら、アッシュは問いただす姿勢を少しも崩さずに、再び冷たく訊いた。
「言っただろう、質問に正しく答えろと。何故黙っていた?」
「~~~」
徹頭徹尾無理難題を突き付けられ、ネルは言葉に窮した。
(・・・そんなの、分かるわけない・・・!)
とはいえ、ネルはやがて力なく答えた。
「・・・り、理由がどうしても必要ですか・・・?それなら、どうしてあなたはわたしを攫ったんですか・・・?」
瞬間ちょっと驚いたように、アッシュの濃灰色の瞳が微妙に見開かれた。
「・・・それはだな―――」
しかしながら、言葉の途中でアッシュは口をつぐみ、手を口元に当てて黙り込んでしまった。
そして、しばらく何かを考え込んでいる様子だったが、アッシュは再び口をゆっくりと開いた。
「・・・ふん、まあいい。・・・出してやってもいいが、条件がある」
「(条件)?」
「俺に忠誠を尽くせ。他の魔物共々、心身ともに、俺に忠実に仕えると誓え」
・・・忠誠を、尽くす・・・?
・・・心身ともに、忠実に仕える・・・?
今までの質問と違い、難しいことを言われているわけでも何でもなかったにも拘わらず、何となくその実体が掴めないネルは、阿呆のように呆然と頭の中で台詞を繰り返した。
とはいえども、ネルは迷った。
しかし、この男の言う事を飲まなければ、檻から出る機会は万に一つもない。
ネルは翡翠色の瞳をチラリと動かし、彼女を静かに見つめ返す灰色の瞳へ目配せした。
「――どうする?俺に忠誠を尽くすと誓うか?」
聖女の碧い目線を受けて、アッシュは簡潔に尋ねた。
ネルは嫌がる心を無視して、震える顎を縦にゆっくり動かすと、頷いた。
機械のように、ブラシを自動的に黙々と動かしながら、アッシュはぼんやりと物思いに耽っていた。
午前中のあれは一体何だったのだろう?
あの時、急に吹いた風に視界と気を取られ、勇者ジンの攻撃をかわし切れなかった矢先、どこからともなくまばゆい光が広場を照らし、その直後、甚だ不思議なことに、勇者ジンの清剣が見るも無残のぼろぼろに壊れ、自分は危機を脱した・・・。
だがしかし、城の主で、加えて、城や自分に仕える魔物たちの長でもある自分が、正体不明の謎の力によって救われたなどということは、全くもって喜ばしいことでも何でもなく、むしろ憤慨すべき現象だろう。
誇り高き魔人族が他力によって救済されるなぞ!
考えるだけでも忌々しい!
しかしながら一方で、アッシュはもしあの奇妙な事件がなかったら、必ずや大きな損傷を受けていただろうことも自覚していた。
すると、先ほどから同じ箇所ばかりを梳いているために、愛馬クロムは鼻づらを主人の方へ動かし、自分の毛色と同じ漆黒のマントを羽織った肩へ、鼻を二、三度押し付けた。
軽い衝撃に思案が破られ、アッシュは失心の面を上げた。
澄んだガラス玉のような黒い瞳とぶつかり、アッシュはぎこちなく微笑んだ。
「すまない、クロム。少し気になることがあってな」
クロムは返事をする代わりに、鼻を軽く鳴らし、数回瞬いた。
「アッシュしゃま。こちらへおいででしたか」
全体的にずんぐりとした小鬼が、開け放たれ、茜射す戸口に立った。
扉の向こうでは、城の周りを取り囲む森からやって来たカラスが、日暮れに色づく地面にちょこんと立ち、こちらを興味深げに窺っていた。
そしてリサイクルは、極めて短い脚を精一杯に持ち上げ、敷居を難儀そうに跨ぐと、もう一本の脚も大仰に持ち上げて、厩の中に立った。
「何の用だ?リサイクル」
アッシュは目線を愛馬の躰へ戻すと、ブラシを持った手を再び動かした。
リサイクルは若干つれない主人の様子を知ってか知らずか、少しの間、焦点の定まらない黒目でアッシュをじっと見つめていたが、やがて口をゆっくりと開いた。
「・・・アッシュしゃま。しぇんのけんでございましゅ」
「そうか」
手を動かし、灰色の視線を愛馬へ留めたまま、アッシュは素っ気なく答えた。
「・・・アッシュしゃま。あれは・・・。あのちせちのちからはましゃしく――」
「『聖女の加護』、か?」
「どうやらうわしゃは本当だったようでしゅ、アッシュしゃま!」
すると、甲斐甲斐しく動いていた手がピタリと止まり、アッシュはやや眉を吊り上げつつ、しもべを見た。
「すると何か、俺はあの貧弱な聖女に助けられたというのか?」
リサイクルは答えを探しあぐねているようで、所在なさげに、長く鋭い爪を載せた指先をカチャカチャ合わせた。
「・・・一時はにしぇ者かとちもを冷やしましたが、アッシュしゃま。確かにあ奴の見かけは、一般てちなしぇい女の足元にも及びましぇんが、このしぇ界を牛耳るために必要な、特別な真のしぇい女だと分かり、この老いぼれリシャイクルめは、胸のつかえが下りました」
額に醜いコブを設けたゴブリンは、言い終わりかけに微笑んだ。
「・・・だが一つ分からない。あいつはどうして、最初から俺たちの目的とする聖女だと言わなかった?」
アッシュは不可解をたたえた灰色の眼差しを、向かいの年老いた魔物へ向けた。
リサイクルも同様に、焦点がずれた瞳を瞬かせながら一瞬間沈黙していたが、またしても口をゆったりと開いた。
「・・・お言葉でございましゅがアッシュしゃま。何はともあれ、あ奴は『しぇい女の加護』を宿しゅ真のしぇい女に間違いはありましぇんし、あの忌々しい勇者と妖しぇいどもが、あ奴を追いかけて森を突破し、果てはこの城までやってちたのでしゅから、奴らが再び戻ってくる前に、例の計画を実行すべちではないでしょうか?」
「・・・そうだな。お前の言う通りだ、リサイクル。俗に、勇者とやらは愚かしいほどしつこいらしいからな。きっと魔人に攫われた哀れな聖女を取り戻すまで、奴は何度でもやって来るだろう」
アッシュは言いながら肩をすくめ、ため息をついた。
「しょれでこしょ、我々魔物一同がお仕えしゅる主人でございましゅ、アッシュしゃま」
リサイクルはにいっと薄気味悪く笑った。喜びに、斜視の黒目が左右非対称にくるくると踊った。
★
光の十分に届かない檻の狭い通気口から、地下牢を朱く染めていた夕陽は、いつの間にか闇夜に浮かぶ月と取って代わられ、夜の帳が音もなく辺りを包み込むと、ネルは石造りの房の中、虫の音や梟のくぐもった鳴き声を遠くに聴いた。
ネルは自分を取り巻く不可解な状況、自分を連れ去った魔人アッシュと、おそらく自分を救出しに来た勇者ジンの格闘、想像だにしたことのない未知なる怪物との邂逅――それは即ち、お化け屋敷の真っただ中にいるかのような、底冷えのする恐怖だった――、それからまた、自分に関する記憶が霞のようにつかみどころがなく、ぼんやりとあやふやで確かでない不安に、かろうじて耐えていた。
もし、あのまま勇者の一撃が当たっていれば、自分は元居た場所へ帰ることができたのだろうか?
今となっては考えるも無駄に等しかったが、ネルはどうしても考えずにはいられなかった。
一体あの光はどこから始まったのだろう?
あれはまるで、隙を突かれたアッシュを護らんばかりに突然煌めき、勇者の清剣をあっという間に砕いてしまった!
何という不思議で、奇跡のような特殊な力だろう、あれは!
後になって思い返すたび、ネルはただ閉口し、ひたすら圧倒されるばかりだった。
今正に攫われ囚われた自分も、あの神秘的な力に護られていればよかったのに、ネルは嘆いた。
牢屋番の一つ目お化けは、つい先ほどまでその任に就いていたが、いつの間にか姿をふらりと消し、陰気な地下牢には、ネル一人が取り残されていた。
(・・・帰りたい)
どこへ帰りたいかはよく分からなかったが、俯いたネルは惨めな気持ちで考えた。
その時、地下牢へ続く石段を降りる靴音が重く鳴り響き、音に反応したネルが顔を上げると、彼女の碧い視線の先に、彼女を利用せんがために連れ去った魔人の男が立っていた。
「・・・!」
ネルは思わず青緑の目を見開いた。
「わたしをここから出してください!」
ネルは格子越しに語気荒く訴えた。
しかしながら、アッシュは端正な顔色を一片も変えず、冷ややかに答えた。
「断る」
「そんな!どうかお願いですから、わたしを元居た場所へ帰してください!」
ネルは格子にしがみつき、必死に訴えた。
だが、懸命な願いむなしく、アッシュはもう一度短く答えた。
「だめだ」
「~~~!」
ネルは格子に縋りついたまま、憤慨した。
すると、アッシュは威圧的な態度をやわらげ、口を切った。
「――だが、質問に正しく答えれば、出してやらないこともない」
「・・・?」
ネルは格子から手を離すと、言っている意味がよく分からないといった視線を投げた。
「どうしてお前が俺の望む特別な聖女だと、始めから言わなかった?」
アッシュはネルの訝しむ眼差しには構わず、平然と訊いた。
「?」
ネルは聞くや否や、質問の意図が分からず、困惑した。
そしてしばらく逡巡した後、ネルは恐る恐る言った。
「・・・あの、『聖女』って何なんですか?」
「いい加減とぼけるのはよせ。お前は非凡な加護の力を宿した特別な聖女、そうだろう?」
アッシュは言葉尻に尋ねるように言ったが、語調は断定的だった。
「加護の力・・・?」
理解できないネルは小首をかしげ、訊き返した。
「知らないはずないだろう。不本意だが、勇者の清剣を打ち砕いたのはお前だからな」
「わたしが!?」
ネルはびっくりして、つい大声を上げてしまった。
「そうでなければ他に説明がつかないからな・・・。全く、この俺がよりによって聖人などに護られるとはな」
アッシュは不服そうに腕を組むと、そっぽを向きつつ、ため息をついた。
「・・・」
ネルは驚きのあまり、物も言えなかった。
いや、驚愕というよりも、彼女はアッシュの途方もない作り話に半ば呆れているようだった。
これは一体どうしたことだろう!
あの奇跡のような現象を自分が引き起こしたと言うのか!
まさか!
全くもってにわかには信じがたい話だが、この男曰く、自分が彼を危険から護り、はたまた勇者の攻撃から救ったらしい!
そのような馬鹿馬鹿しい話を誰が信じられるものか!
例え信じたにせよ、何故自分が、人を攫うような悪漢を救い出さなければならないのか?
よって、ネルはきっぱりと否定した。
「そ、そんなの知りません!とにかくわたしをここから出して、元居た所へ帰してください!」
しかしながら、アッシュは問いただす姿勢を少しも崩さずに、再び冷たく訊いた。
「言っただろう、質問に正しく答えろと。何故黙っていた?」
「~~~」
徹頭徹尾無理難題を突き付けられ、ネルは言葉に窮した。
(・・・そんなの、分かるわけない・・・!)
とはいえ、ネルはやがて力なく答えた。
「・・・り、理由がどうしても必要ですか・・・?それなら、どうしてあなたはわたしを攫ったんですか・・・?」
瞬間ちょっと驚いたように、アッシュの濃灰色の瞳が微妙に見開かれた。
「・・・それはだな―――」
しかしながら、言葉の途中でアッシュは口をつぐみ、手を口元に当てて黙り込んでしまった。
そして、しばらく何かを考え込んでいる様子だったが、アッシュは再び口をゆっくりと開いた。
「・・・ふん、まあいい。・・・出してやってもいいが、条件がある」
「(条件)?」
「俺に忠誠を尽くせ。他の魔物共々、心身ともに、俺に忠実に仕えると誓え」
・・・忠誠を、尽くす・・・?
・・・心身ともに、忠実に仕える・・・?
今までの質問と違い、難しいことを言われているわけでも何でもなかったにも拘わらず、何となくその実体が掴めないネルは、阿呆のように呆然と頭の中で台詞を繰り返した。
とはいえども、ネルは迷った。
しかし、この男の言う事を飲まなければ、檻から出る機会は万に一つもない。
ネルは翡翠色の瞳をチラリと動かし、彼女を静かに見つめ返す灰色の瞳へ目配せした。
「――どうする?俺に忠誠を尽くすと誓うか?」
聖女の碧い目線を受けて、アッシュは簡潔に尋ねた。
ネルは嫌がる心を無視して、震える顎を縦にゆっくり動かすと、頷いた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説


どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です
葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。
王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。
孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。
王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。
働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。
何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。
隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。
そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。
※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。
※小説家になろう様でも掲載予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる