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愉快なメキシコ料理店から最も近くにあったホテルは、ラブホテルだった。
タクシーの運転手が、暗闇の中、ライトアップされた施設へ横付けした時、絵莉花は目を疑い、ここが一番近いホテルなのかと、思わず彼へ二度訊きした。
しかし、残念なことに、何度確かめても、周囲にホテルはここしかないと告げられ、結局、運転手の助けもあって、絵莉花は足取りのおぼつかない夕貴を連れて、ラブホテルの中へ入った。
幾ら奥手で初心な彼女と言えども、主に大人向けの宿泊施設が存在することは知っており、利用したことがあるかどうかは、まるきり別の話だったが、絵莉花は部屋を適当に選ぶと、慈悲深い男性職員の手を借りて、エレベーターで移動した後、何とか、テキーラに酔わされてしまった紳士を、客室のベッドまで運ぶことができた。
「ふぅっ・・・!」
仕事をやり終え、一汗かいた絵莉花は手を腰に当てて、達成のため息をついた。
何せ背の低い小柄な彼女が、意識のぼんやりと定かでない、長身の憧れの君を運ぶのは、結構な重労働だった。
緊急事態とはいえ、彼女は彼をラブホテルへ連れて良かったのだろうか?
何分絶対的な紳士だった推しは、たとえ半酩酊だろうと、手に入れたい女性以外の女を、自ずからこういった場所へ連れ込んで、彼女の品位を貶めることなど確実にありえなかっただろうし、まず何よりも、彼は、精神的だろうと肉体的だろうと、大切な恋人を裏切るような行為は、何を賭しても避けただろう。
絵莉花はもう一度、ため息をついた。
奇しくも、彼女はずっと想ってきた男と密室で二人きりだというのに、胸は全くと言っていいほど、一寸もときめかなかった。
彼女は粋な伊達男の失態を初めて見て、幻滅してしまったのだろうか?
それとも、ホテルへ来るまでの経緯がさほどロマンチックでなく、彼女の中で、愛を確かめ合う期待が消沈してしまったのだろうか?
どちらにせよ、このまま、酔った夕貴と一夜を共にする胆力のなかった絵莉花は、ベッドの脇へちょこっと腰かけ、御曹司の見苦しくない、美麗な寝顔を覗き込むと、帰ろうと、腰を浮かせた。
「!?」
すると瞬間、大いに仰天したことに、絵莉花は腕をいきなり取られて、引っ張られると、夕貴が寝そべったベッドへ同じく横たわり、小柄な彼女は、彼の腕の中へすっぽりと収まる羽目になってしまった。
「・・・!!」
直ちに、身に有り余るほど甚だしい喜びが彼女を襲い、絵莉花は叫び出したい衝動を懸命に堪え、心の中で静かに絶叫した。
(きゃあああ―――ッッ!!おっ、お、明日葉さんが・・・!こっ、こんな、間近に・・・!いる・・・ッ!!って、て、ていうか、抱き、抱き、抱きしめ・・・うわああ――!!)
瞬く間に、絵莉花の心臓はドクンドクンと拍を忙しく刻み始め、血がよく回ったために、頬が見る見るうちに赤く染まった。
それから、ベッドの上で、絵莉花は推しに抱き留められたまま、頭を少しもたげて、文字通り目の前で眠る、貴公子の凛々しくも、上品で整った顔を見た。
(何て綺麗で、美しい顔をしているの・・・!?神様、わたしもう死んでもいい・・・!!)
「・・・・・・好き」
永遠に醒めることのない、至極甘美な夢を見惚れているかの如く、絵莉花は無意識に手を夕貴の横顔へ伸ばし、これまた無自覚に、心の内をぽつりと明かした。
すると、意識のない寝惚けた彼は、大きな手を、頬に当てられた小さな手へ被せ、きゅっと軽く握った。
「・・・俺も・・・」
目蓋を下ろし、瞳を閉じたまま、眠り姫ならぬ眠り王子は、快く呟いた。
たちまち、ドックン、ドックン、と、絵莉花の小ぶりな心臓が大変大きく脈打った。
しかしながら、次の瞬間、彼女の夢見た甘い期待は破られ、活気づいた心臓は、活動を停止するかと思われた。
「・・・愛しています・・・。香さん・・・」
「―――!」
残酷な真実が不意に明るみに出て、絵莉花は切ないやら悲しいやら、何とも複雑な気分を味わい、打ちのめされた。
認めたくはなかったが、始めから、彼は眠っている時でさえも、その真っ直ぐで純粋な、曇りない温かな眼差しには、志筑香ただ一人しか、映っていなかったのだ。
「・・・」
落胆を隠し切れない絵莉花は、手を横顔から引き、緩んだ抱擁から離れると、今度こそ家へ帰ろうと、決意を新たにした。
しかし、折しもちょうどその時、横目に、何か小さな黒い箱のようなものが、上等なスーツを着た夕貴の懐から転がり落ち、傍らのマットレスへ着地するのが入ると、どことなく気になった絵莉花は、手をそっと伸ばして、それを取った。
「・・・?」
人の私物を無断で調べる行いは、あまり褒められた振る舞いではないと、育ちの良い彼女には、十分すぎるほど分かってはいたが、結局逸る好奇心には勝てず、絵莉花は濃紺の小箱を、丁寧にそうっと開けた。
(わあ・・・!綺麗・・・!)
箱の中には、貴重で透明な宝石の付いた銀の指輪が、白い光を眩しく放ちながら、淑やかな淑女のように、暗い台座の上で嫋やかに立っていた。
さすがに、持ち主が強い酒で眠りこけているとはいえ、黙って自分の指へ嵌めてみる図々しさはなかった(それに、彼の話から察するに、これは恐らく婚約指輪だろう)絵莉花は、胸が侘しさにキュッと縮む現象を感じながら、蓋を無言で閉じると、スヤスヤと、安らかに眠りこけている紳士の眼前へ、黒い小箱をそっと置いた後、部屋から静かに立ち去っていったのだった。
タクシーの運転手が、暗闇の中、ライトアップされた施設へ横付けした時、絵莉花は目を疑い、ここが一番近いホテルなのかと、思わず彼へ二度訊きした。
しかし、残念なことに、何度確かめても、周囲にホテルはここしかないと告げられ、結局、運転手の助けもあって、絵莉花は足取りのおぼつかない夕貴を連れて、ラブホテルの中へ入った。
幾ら奥手で初心な彼女と言えども、主に大人向けの宿泊施設が存在することは知っており、利用したことがあるかどうかは、まるきり別の話だったが、絵莉花は部屋を適当に選ぶと、慈悲深い男性職員の手を借りて、エレベーターで移動した後、何とか、テキーラに酔わされてしまった紳士を、客室のベッドまで運ぶことができた。
「ふぅっ・・・!」
仕事をやり終え、一汗かいた絵莉花は手を腰に当てて、達成のため息をついた。
何せ背の低い小柄な彼女が、意識のぼんやりと定かでない、長身の憧れの君を運ぶのは、結構な重労働だった。
緊急事態とはいえ、彼女は彼をラブホテルへ連れて良かったのだろうか?
何分絶対的な紳士だった推しは、たとえ半酩酊だろうと、手に入れたい女性以外の女を、自ずからこういった場所へ連れ込んで、彼女の品位を貶めることなど確実にありえなかっただろうし、まず何よりも、彼は、精神的だろうと肉体的だろうと、大切な恋人を裏切るような行為は、何を賭しても避けただろう。
絵莉花はもう一度、ため息をついた。
奇しくも、彼女はずっと想ってきた男と密室で二人きりだというのに、胸は全くと言っていいほど、一寸もときめかなかった。
彼女は粋な伊達男の失態を初めて見て、幻滅してしまったのだろうか?
それとも、ホテルへ来るまでの経緯がさほどロマンチックでなく、彼女の中で、愛を確かめ合う期待が消沈してしまったのだろうか?
どちらにせよ、このまま、酔った夕貴と一夜を共にする胆力のなかった絵莉花は、ベッドの脇へちょこっと腰かけ、御曹司の見苦しくない、美麗な寝顔を覗き込むと、帰ろうと、腰を浮かせた。
「!?」
すると瞬間、大いに仰天したことに、絵莉花は腕をいきなり取られて、引っ張られると、夕貴が寝そべったベッドへ同じく横たわり、小柄な彼女は、彼の腕の中へすっぽりと収まる羽目になってしまった。
「・・・!!」
直ちに、身に有り余るほど甚だしい喜びが彼女を襲い、絵莉花は叫び出したい衝動を懸命に堪え、心の中で静かに絶叫した。
(きゃあああ―――ッッ!!おっ、お、明日葉さんが・・・!こっ、こんな、間近に・・・!いる・・・ッ!!って、て、ていうか、抱き、抱き、抱きしめ・・・うわああ――!!)
瞬く間に、絵莉花の心臓はドクンドクンと拍を忙しく刻み始め、血がよく回ったために、頬が見る見るうちに赤く染まった。
それから、ベッドの上で、絵莉花は推しに抱き留められたまま、頭を少しもたげて、文字通り目の前で眠る、貴公子の凛々しくも、上品で整った顔を見た。
(何て綺麗で、美しい顔をしているの・・・!?神様、わたしもう死んでもいい・・・!!)
「・・・・・・好き」
永遠に醒めることのない、至極甘美な夢を見惚れているかの如く、絵莉花は無意識に手を夕貴の横顔へ伸ばし、これまた無自覚に、心の内をぽつりと明かした。
すると、意識のない寝惚けた彼は、大きな手を、頬に当てられた小さな手へ被せ、きゅっと軽く握った。
「・・・俺も・・・」
目蓋を下ろし、瞳を閉じたまま、眠り姫ならぬ眠り王子は、快く呟いた。
たちまち、ドックン、ドックン、と、絵莉花の小ぶりな心臓が大変大きく脈打った。
しかしながら、次の瞬間、彼女の夢見た甘い期待は破られ、活気づいた心臓は、活動を停止するかと思われた。
「・・・愛しています・・・。香さん・・・」
「―――!」
残酷な真実が不意に明るみに出て、絵莉花は切ないやら悲しいやら、何とも複雑な気分を味わい、打ちのめされた。
認めたくはなかったが、始めから、彼は眠っている時でさえも、その真っ直ぐで純粋な、曇りない温かな眼差しには、志筑香ただ一人しか、映っていなかったのだ。
「・・・」
落胆を隠し切れない絵莉花は、手を横顔から引き、緩んだ抱擁から離れると、今度こそ家へ帰ろうと、決意を新たにした。
しかし、折しもちょうどその時、横目に、何か小さな黒い箱のようなものが、上等なスーツを着た夕貴の懐から転がり落ち、傍らのマットレスへ着地するのが入ると、どことなく気になった絵莉花は、手をそっと伸ばして、それを取った。
「・・・?」
人の私物を無断で調べる行いは、あまり褒められた振る舞いではないと、育ちの良い彼女には、十分すぎるほど分かってはいたが、結局逸る好奇心には勝てず、絵莉花は濃紺の小箱を、丁寧にそうっと開けた。
(わあ・・・!綺麗・・・!)
箱の中には、貴重で透明な宝石の付いた銀の指輪が、白い光を眩しく放ちながら、淑やかな淑女のように、暗い台座の上で嫋やかに立っていた。
さすがに、持ち主が強い酒で眠りこけているとはいえ、黙って自分の指へ嵌めてみる図々しさはなかった(それに、彼の話から察するに、これは恐らく婚約指輪だろう)絵莉花は、胸が侘しさにキュッと縮む現象を感じながら、蓋を無言で閉じると、スヤスヤと、安らかに眠りこけている紳士の眼前へ、黒い小箱をそっと置いた後、部屋から静かに立ち去っていったのだった。
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