紳士は若女将がお好き

LUKA

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 「ただいま」

一年は玄関のドアを開けて、実家の敷居を跨いだ。

靴脱ぎ場には大人の靴が二組ずつと、子供の小さな靴が一組置かれ、一年は先客の存在を知った。

「あら、お帰り」

すると、新しい来客を聞きつけ、エプロンを首から下げた一年の母親が、細い廊下を居間から歩いてきて、息子を迎えた。

「うん。明けましておめでとう」

「はい、おめでとう。お姉ちゃんたち、来てるわよ」

「うん」

上がり框へ腰かけ、一年は靴紐を解き始めた。

そして、靴を脱ぎ終えると、廊下を移動した後、一年は扉を開け、団らんの場である居間へ入ると、黒い漆塗りの重箱に詰まったおせちが載った炬燵を中心に、父親、それと姉夫婦とその子供である甥が、テレビを見ながら、まったりと典型的な正月を過ごしていた。

「あー、一年だ~!」

早速、少年は喜々と叔父を見つけ、炬燵から出ると、すかさず彼のもとへ駆け寄り、例のものを縋った。

「一年、お年玉ー!」

既に祖父母から貰ったのだろう、男の子は得意げに小さな手のひらをずいと叔父の方へ差し出した。

しかしながら、一年は表情を一片も崩さずに、黙ってマフラーを取り、壁へ掛けてあったハンガーに掛けてから、次いで、厚手の上着を脱いだ後、同じくハンガーへ掛けた。

それから、やっと口を開いた一年は、眼鏡を苛立たしそうに押し上げた。

「だから、呼び捨てにするなって言ってるだろ?それに、先に言う事があるんじゃないのか?」

「えぇ~?」

「そうよ、真以斗。『明けましておめでとうございます』でしょ?」

だしぬけに、少年の母親でもある一年の姉が窘めた。

「ちぇー。明けましておめでとうございますー」

真以斗はしぶしぶ、台詞を口にした。

「よろしい」

一年は納得すると、ジーンズのポケットから小封筒を取り出し、目前の少年へ渡した。

「やりぃ~!一年、ありがとー!」

すると、文字通り現金な甥は、年に一回の不定期収入を得た喜びのために、その場で小躍りした。

何度口を酸っぱくしても、小生意気な少年が、呼び捨てを改めない腹立たしさはあったが、せっかくの和やかな正月気分を損ないたくはなかったので、小走りに炬燵へ戻る甥の後に続いて、一年はやれやれと炬燵へ向かい、腰を下ろした。

「おう、カズ。景気はどうだ」

父親が向かいでビール瓶を持って、酌の素振りを見せた。

「うん。まあ、ぼちぼちってとこかな」

空いたコップを机から掴み上げ、一年は父親の杯を受けた。

「そうか。まあ、身体にだけは気を付けろな」

「うん。ありがと」

「聞いたわよ、カズ。あんたお見合いしたんだって?」

すかさず、言葉数の少ない寡黙な父と弟に代わって、一年の隣で姉がしゃしゃり出た。

「へえ、そうだったんだ、一年くん。で、どうだったの?」

姉の夫も連動して、興味を示した。

「・・・」

「?」

無言を決め込む弟に対して、姉夫婦はきょとんと顔を見合わせた。

すると、見かねた母親が、助け舟として横から口を挟んだ。

「なんかねぇ、最初からお付き合いされている方がいたみたいで」

「は!?何それ、マジ?」

衝撃的かつ醜聞的な事実に驚いた姉は、正面で座る母親へ素早く顔を移した。

「老舗旅館の娘さんだったから、ちゃんとしてると思ったんだけどねぇ」

母親は机の上で蜜柑をのんびりと剥き始めた。

「へぇーっ!そんなこと、本当にあるんだ・・・!でもまぁ、良かったじゃん。そのまま進めなくて」

大なり小なり、姉は無口な弟を気遣った。

「そうそう!一年くんなら、俺と違ってイケメンだし、きっと良い人すぐに見つかるよ!」

能天気な義兄も妻につられて同調し、無責任にも明るい未来を義弟に約束した。

「・・・別に気にしてないから」

眼鏡の奥の仏頂面を保ったまま、一年は箸で摘まんだおせち料理を口へ運び、もぐもぐと咀嚼した。


 一家はおせちを一通り食べ終わると、流し台で食器類を洗ったり、炬燵の中でゴロゴロと腹這いになって新聞を読んだり、テレビをボーッと無気力に鑑賞したり、スマホゲームへ興じたりと、銘々昼下がりをのんびりと過ごした。

しかしながら、怠惰とは無縁、いや、できることなら回避したい子供は、いつでも刺激的で好奇心を満たす何かを求めており、現状一人っ子の甥が、随分年の離れた兄のように懐く叔父へ外出をせがんだため、一年らは男の子の母も伴って、近所の神社まで散歩ついでに初詣することとなった。

風邪をひかないよう、羽毛入りのダウンジャケットを着込み、子供らしい房飾りの付いた毛糸の帽子を被った少年は、人気がない、ひっそりと静まり返った道路を弾む足取りで、保護者らの先頭を行った。

「姉ちゃん。真以斗に俺を呼び捨てにするのやめさせてよ。みっともないじゃん」

神経の細やかな一年は例の如く、眼鏡を指で持ち上げつつ、隣で共に歩く姉へ、至極むっつりと無表情で語り掛けた。

「あぁ、うん。注意してはいるんだけどねー。でもさ、真以斗はカズのこと大きいお兄ちゃんって言って、いたく気に入ってんのよ」

「それとこれは関係ない」

一年の姉は不愛想な弟をちらと尻目で一瞥した後、ため息をついた。

「ったく、あんたもその不愛想なとこさえなきゃ、そのお見合い相手にも気に入られただろうにー」

すると、姉の無神経な言葉が呼び水となって、一年は香を思い起こすと同時に、ホテルのバーで邂逅した、夕貴とのやり取りを自然と思い出した。

『実は近いうち、彼女に結婚を申し込もうと考えているんです』

『別に、俺は志筑香のことは何とも思ってないですから』

『では、何故彼女と結婚を前提に付き合うことを決めたのか、教えてもらえますか?』

彼はあの時、夕貴の質問に答えることができなかった。

どうして何も言えなかったのかさえ、頭の中は未だ白い霧のような謎に包まれていて、彼は自分の力では解を導き出せそうになかった。

そういえば、あの気取ったホテルマンは、一年が彼と同じ女性に恋しているとも言っていた。

(恋だと!?)

一年は内心静かに憤慨した。

そのような事象は単なる幻想に過ぎず、脳内がお花畑の、夢見がちで、未熟で浅はかな人間が陥るものだ!

厳しいほど現実的、かつ冷徹な一年は、自分の中の浪漫的な可能性を断固拒否した。

その後、三人は遂に近場の神社へ辿り着くと、彼らと同様に、格別他にすることもない、正月休みの暇を持て余した参拝客たちがちらほらと境内をうろつき、賽銭箱で鈴を鳴らしたり、社務所でおみくじを引いたり、お守りや破魔矢などの土産物を買ったり、御朱印を書いてもらったり、設置された机で絵馬へ願い事を記入したりと、各々新年らしい行いに励んでいた。

それから、作法に則った一年たちは、賽銭箱へ小銭を投入してから、地域の守り神へ手を合わせ、新年の抱負や願い事を密かに述べると、傍らの社務所へ足を移し、おみくじを互いに引き合った。

すると偶然にも、窓口で彼らを対応したのは、一年の職場の後輩であり、神社の娘でもあった渡邉水奈だった。

「あれ、海瀬さん!明けましておめでとうございます!」

巫女らしく白い着物と赤い袴を身に着けた水奈は、役所の先輩に向かって明るく話しかけた。

「渡邉さん・・・!明けましておめでとう・・・」

「あっ、甥っ子くんもいる!明けましておめでとう!」

水奈はにこやかに、叔父の隣で立った少年にも微笑みかけた。

「あっ、輪投げの時の・・・!・・・おめでとうございます」

男の子は、秋祭りでけちな叔父に代わって、気前良くも、輪投げの代金を払ってくれた心優しい巫女へ挨拶した。

「何、輪投げって」

事情を知らない姉が弟へ訊ねた。

「あっ、海瀬さんのお姉さんですか?ちょうど今交替なので、そっちへ行きますね?」

水奈は新しい顔に気づくと、もう一人の巫女と入れ替わりに、社務所の奥へ姿を消した。

「誰?」

境内へ場所を移すと、姉は再び弟へ訊いた。

「職場の後輩」

「はーん、市役所の」

「お母さん、あの人、一年の代わりに、秋祭りで輪投げのお金払ってくれた~」

「え、そうなの?」少年の母は視線を下げ、腰から下の息子を見た。

「うん。あと、イケメンとカードゲームした~」

「? 何、イケメンって?」

新たな疑問に、姉の顔がまたしても弟へ向き直った。

「イケメンって、明日葉さんのことですよね?」

不意に、社務所を出た水奈が横から口を挟んだ。

「・・・あしたば・・・?」

「あっ、すみません!わたし、海瀬さんと同じ課でお世話になっています、渡邉と申します!」

水奈は急遽、生まれつき愛想の良い笑顔で、先輩の姉へにっこりと名乗った。

「あぁ、どうも~!なんか、うちの子が輪投げのお金を出してもらったとか何とか・・・!」

不愛想で無口な弟と打って変わって、幾らか社交的な姉は、親しみを込めた眼差しを水奈へ注いだ。

「いえ、いいんです!海瀬さんには何かとお世話になってますから!あっ、それで、実はその時、わたしの従姉もその場にいまして、その子の彼氏さんが、明日葉さんって言うんです」

「へぇー。珍しい苗字ねぇ~・・・!」

「ですよね。でも、すっごくかっこいいんです!」

(・・・始まった・・・)

一年はげんなりとその場に立ち尽くした。

どうして女のお喋りは、いきなり始まるくせに、長い上に脈絡もないわ、神経を無駄に消耗させるのだろう!?

一年は女たちの側で、気取られないよう、ため息を小さくついた。

次いで、何気なく辺りを見回した一年の目に、どうやら彼と同じ意見だったらしく、退屈そうに境内の土を足先で掘り起こしている甥が映り、見かねた叔父は、話にのめり込む姉へ声をかけた。

「姉ちゃん。一寸ちょっとそこら辺、真以斗と散歩してくる」

「んー、分かった」

そして、母親の了承を得た一年が男の子を連れて、境内の向こうへ行ってしまうと、姉が軽い口を開いた。

「全くカズも面倒見がいいくせに、愛想がないんだから。だからお見合いしても、断られちゃうのよね」

「あれっ・・・。断ったって聞きましたけど・・・」

「ううん。見栄張ってんの、あいつ!それがねー、相手は老舗旅館の人だったらしいんだけど、その人、始めから付き合ってる男の人がいたんだってー」

「そうだったんですか・・・」

(・・・あれ?)

水奈はふと、未だ明確にならず、ぼかされたままの従姉と先輩の関係について気を留めた。

確かに二人は顔見知りで、奇遇にも、香は温泉郷の旅館で若女将をしている。

加えて、祭りで出会った時の彼女と一年はいつもと比べ、どことなくぎこちなかったような?

(・・・まさか。そんな、まさかね・・・)

続いて、楽観的な水奈は新しく生まれた発想へ無理やり蓋をすると、もう一度開けて考えてみることのないよう、胸の奥深くまで押し込めたのだった。
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