紳士は若女将がお好き

LUKA

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 翌日、昨夜別れた夕貴がシンシアとジムを連れて、香のもとへ戻った。

「嘘をついてごめんなさい。これから国へ帰るわ」

門構えの前に立った香は、シンシアの隣に立つ本物の婚約者フィアンセを見上げ、このひとがそうなのだと、読み取った。

「僕の婚約者フィアンセが世話になった」

ジムは挨拶も兼ね、香の手を握った。

「いいえ。また是非お越しください」

香は朗らかに微笑み、ジムの大きな手を握り返した。

それから、ジムがなかなか手を離さず、もし合衆国ステイツへ寄るようなことがあれば、いつでも連絡してくれと、香を口説いた(?)ため、シンシアはすかさず、「ちょっと、ジム!?」と、彼らの間へ割って入っていった。

続いて、シンディは香へ向き直ると、彼女をギュッと抱きしめ、ひそひそと耳打ちをした。

「夕貴を大切にね。それから・・・」

その後、シンシアとジムは車へ乗り込むと、手を振って温泉郷を後にした。

「・・・シンシアさんは天真爛漫で可愛い人ですね。夕貴さんのことが本当に好きだったんですね・・・」

小さくなっていく車を見送りつつ、道端に立った香は感慨深げに独り言ちた。

「・・・ですが、彼女にはジムがいます。俺にはあなたがいるように」

夕貴ははっきり告げると、香へ向き直った。

「夕貴さん・・・」

香は感激して、夕貴をうっとりと見つめた。

だがしかし、残念なことに、甘い対峙は長くは続かなかった。

「香?」

何の前触れもなしに、帰ってきた女将が娘を呼ぶと、見合っていた二つの顔が、彼女の方へ素早く振り返った。

「あら」

夕貴の存在から、女主人は驚いた。

「・・・どうもご無沙汰しております。そうそう、聞くところによりますと、ホテルが盛況のご様子で。それは何よりでございますね。こちらも見習って、精々商売を努めさせていただきます。では」

作り笑いを浮かべた香の母は、台詞を嫌味っぽく並べ終わると、暖簾をくぐり、娘を待った。

どうしたものかと、若女将は、おろおろと暖簾の向こうの女将を見たり、恋人を見たりしたが、やがて、母の後にしぶしぶと続いた。

何か言い訳した方がいいのだろうか。つい先ほど偶然会ったのだとか。

しかし、逆に怪しまれても困る。

「お、お帰り・・・」

入り口までの小路を先に歩く女将の後を追いつつ、若女将はきょどきょどと語り掛けた。

「香。あんた、一体あの人とどういう関係にあるの」

玄関の引き戸を開けながら、香の母は単刀直入に訊いた。

核心に迫られ、香はごくりと唾を飲み込んだ。

「まさか、付き合ってるなんてこと、ないわよねぇ?」

「・・・」

娘が言い淀んでいるのを良いことに、女主人は滔々と続けた。

「そうよねぇ。(商売敵の)ホテルにお勤めの方となんて、ねぇ?」

「・・・!」

母親の物腰柔らかな気迫に気圧され、香は、最後まで真実を明かすことができなかった。

「あんたも、そろそろ将来を見越した人とお付き合いしないとねぇ・・・。だからね。お見合いの話。受けといたわよ」

「えっ!?待って、そんなの聞いてない!」

「あら、じゃあ、もう付き合ってる人がいるの?どういう人なの?」

「~~~・・・」

結果、強引に決められた香は、泣く泣くお見合いへ行かざる負えなくなってしまった。

どうしよう!?

夕貴に何と言って説明すれば良いのだろうか。

しかしながら、時間は無情にも待ってはくれず、あっという間に見合いの日がきた。

しかも、間の悪いことに、場所は明日葉のホテルだった。

香は内心悲鳴を上げた。

恋人に黙って見合いをする時点で十分悪いのに、気づかれてしまうようなことがあれば、それはもう大変なんてものじゃない!

そうだ!

途中で気分が悪いとか何とか言って、抜け出せば良いのだ!

そうすれば、立ち合いに来た仲人にも顔が立つし、何より夕貴に目撃される可能性が少しでも減る。

そうだ!

とっとと終わらせよう!

「こ、こんにちは」

ロビーのティーラウンジに現れた香はぎこちなく挨拶すると、整然と並んだテーブルの一つへ腰かけた。

「香ちゃん。こちら海瀬一年さん。市役所にお勤めよ」

「海瀬さん。こちら志筑香さん。温泉郷の旅館で若女将をされています」

一年は室内業デスクワークのためか青白く、ごつごつと男性らしい輪郭ではあったが、相対的に痩せており、にこりともしない真面目な顔に眼鏡をかけ、骨ばった手でコーヒーを啜っていた。

「それでは、後はお若い方同士で」

仲人の女性はお決まりの台詞を言い置き、そそくさと引き上げていった。

沈黙が走る間、さてどうしようかと、香は考え始めた。

さすがに、顔を合わせてすぐ帰るのはまずい。

何か適当な言い訳を見つけて、去らねば・・・!

「・・・あの。もしかして、もう付き合ってる人がいるんじゃないですか?」

一年はカップを受け皿へ置くと、口を唐突に開いた。

「へっ!?」

何で分かったんだろう?

「ど、どうしてですか?」

「いや、何となく・・・。あまり乗り気に見えないし、なんか焦ってる」

(す、鋭い・・・)

「す、すみません・・・」

真顔で嘘をつくことができない香は、黒い頭を下げた。

「別にいいけど・・・。何で?」

「そ、それは・・・」

苦しさ故に目線が自然と外れ、広いロビーを横切る恋人の姿が見えると、息をのんだ香は、心臓がひっくり返った気がした。

「!!」

そして、そのまま息を忘れた様に見つめていると、歩みを止めた夕貴の頭が動き、こちらを向いたため、香は急いで顔を背けた。

心臓の鼓動がバクバクとうるさい。

見られた!?

それから、目を再び彼が立っていた場所へ恐る恐る動かすと、既に夕貴は立ち去った後で、見知らぬ人々が明るいロビーを行き交っていた。

ひとまず、ホッと安堵のため息をついた香は、冷めつつあるコーヒーを手に取った。

「ああ。不倫?」

「!」

香は見合い相手の突飛な発言に虚を突かれ、誤ってコーヒーを気管支へ飲み下すと、ゲホゲホとけたたましくむせた。

「当たりだな」

苦しむ香を気にもかけず、一年は平静と言った。

「ち、違います・・・!」

香はなんとか咳を抑えると、否定した。

「別にいいよ。職場でもしてる人たちがいるから。旅館で働いてるのなら、そういう関係になるのもおかしくはないしね」

ごく当たり前だと言わんばかりに、一年は淡々と賛同したが、彼の家業を馬鹿にしたような物言いに、少なからず感情を害した香は、つい抗議した。

「失礼ですよ」

「事実なんだ」

「だから、違うって―――」

その時、香は勢いあまってカップを倒し、中身を自分へかけてしまった。

「あっ」

ホテルのオープニングパーティーでも着ていた、淡い紫色のワンピースは、瞬く間にこげ茶の液体を吸い取り、目立ったシミを作った。

(きゃ~~~!!)

慌ててテーブル上を探し回ったが、おしぼりは見つからず、従業員を呼ぼうと、香は手を挙げた。

「これ」

しかし、ぶっきらぼうな台詞と一緒に、差し出されたハンカチへ気を取られた香は、居直った。

「い、いいんですか?」

直前まで、彼女の仕事先を小馬鹿(?)にしていた男が、気を利かしている現実が、頭にすっと入ってこなかったので、香は確認を取った。

「うん」

一年は不愛想に頷いた。

「あ、ありがとうございます」

香は礼を言うと、見合い相手の手からハンカチを受け取り、コーヒーが染みた箇所へ当てた。

地味な色合いのハンカチは茶褐色を吸い取り、変色した。

「ありがとうございました。これ、洗ってお返ししますね」

「いいよ。あげる」

そうですか?

じゃあ・・・。

だが、そこまで神経の太くない香が洗って返すと、しつこく言って譲らないものだから、結局、それならそうしてくれと、一年は折れた。

とはいえ、見合いだというのに、相手が(不倫といえども)彼氏持ちと判断したためか、一年はそれらしい質問を一向にしてこなかった。

(もしかして、この人も親に言いくるめられて、嫌々参加した?)

そうであれば、都合がいい。

香はじいっと見合い相手を見入った。

表情は硬いが、よくよく見ると、一年は割と端正な顔立ちをしていた。

眉は流れるようだし、透明な薄いレンズ越しの、きりりと涼やかな眼差しは、長方形のフレームと合致していた。

鼻筋はシュッと通り、低すぎもなく、高すぎもなかった。

薄い唇はコーヒーが好きなのか、カップを頻繁に挟んでは、飲んでいた。

「何」

香の熱視線に気が付くと、一年は訝し気に問いかけた。

「い、いえ!なんか、お見合いが必要そうには見えないなぁって」(しまった、失言だったかな?)

しかしながら、一年は変わらず冷淡にカップを口へ運び、短く返事をした。

「・・・ああ」

・・・ああ?

ああって何だろうと、呆れた香は言葉を失ったが、平然とコーヒーを飲む彼の耳が赤くなっている点に気が付くと、ああ、この人は照れ屋で不器用なのだと、一人腑に落ちた。

次いで、何だか可笑しくなってしまった彼女がフフッと微笑むと、一年は見合い相手の笑みを目ざとく発見し、決まり悪そうに空咳をついたのだった。
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