大義

俣彦

文字の大きさ
上 下
3 / 4

上洛したところで……

しおりを挟む
 なにか、とてつもなく冷えた物が首筋に触れた感触がして飛び起きる。首に手を当てながら辺りを見渡したシュウは、目を見開いて後ずさった。
「おはよう、シュウ」
 そこには、予想通り優しげな微笑みを浮かべた親友と恋人を兼任している男がいた。夜を過ごした後、夜警に行ったはずだというのに。一体いつ帰ってきたのか、すでにベッドの中に熱が戻っている。
「相変わらずのお寝坊さんだな、お前は」
 シュウの髪を一撫でして、柔らかくもない頬にキスを……なにをしているんだコイツは、と眉間に皺が寄った。
「お前は人が寝てる間になにしてんだ」
「キスマークの一つや二つ、つけてやろうかと」
 まあ、つかなかったが……と残念そうに唇に手を当てる親友に頭がキリキリと痛む。
「俺は肌が焼けているし厚いだろ。つきにくいのは当たり前だ」
 そう言うと、シルベリアは笑みを浮かべた。
「だったらシュウ、お前が俺につけてみないか?」
 俺の肌なら白いからすぐにつくだろう? と言ってくるシルベリアに、シュウは心底呆れ果てた。開いた口が塞がらない。
「何でお前はそう朝っぱらから濃いんだよ……!」
「ん? まあ、俺も男だからな」
 わははと笑うシルベリアに、これだからお貴族様はと言いながらベッドを出た。昨夜すっかり脱がされてしまった服を拾い上げて洗濯カゴに放り入れておく。
 歯磨きをしながら歩いていき、新聞受けに刺さっている束を引き抜く。その瞬間ぴゅうと隙間から入ってきた風に身をすくめた。
 いくら部屋を温めていたとしても、外から入ってきては意味がない。適当にクローゼットから出した服を着て、シルベリアの背中に身を預ける。
 ごく僅かにシルベリアの方が高いが、ほとんど同じ体温に背丈。こうしてくっついていると馴染んで、溶け合いそうになる。
 エディスだとこうはいかない。アイツは体温が低いからと考えながら新聞を開いたシュウは、
「……なんだこれ」
 愕然として呟いた。

 その日、イーザックに選んでもらった書庫の魔法書を読み耽っていたエディスは、突然の訪問者を告げるチャイムの音に起き上がる。
 どこでも好きな本を読んでくれていいと許可を得たエディスは、来る日も来る日も魔法書を周りに積み上げてはイーザックやレウと議論を繰り返している。
 そこにやって来たのがシルベリアと知ると、昨年カーグラック大学院で発表された文献について意見を聞こうと嬉々として彼を出迎えた。
「レイヴェンたちが……!?」
 だが、彼が持ってきた新聞の一面の見出しを見た途端、今の今まで浮かべていた花のような笑顔はどこに捨てたのかというしかめっ面へと変えてしまう。
 そこに書かれていた罪状は、殺人未遂――城に戻ってきたキシウと口論になり、激昂した彼女がティーセットを薙ぎ倒して廊下にいた兵士から剣を奪って追いかけてきたのだという。
「姫じゃなくなっても命を狙われるのか!」
 憤り、拳を膝に叩きつけるシルベリアに、一同は同意を示した。
「十中八九、あのクズ女の嘘だろ」
 これでレイアーラが国庫を無駄に浪費させる悪女であれば出てこなかった反応だろう。だが、彼女は献身的に各地の孤児院や修道院を通っており、災害があれば直接向かって人々の手を取り励ましの言葉を掛けた。それは積極的に情報を集めていないエディスの耳にさえ入ってきていた。
 慈悲深く慎ましい彼女が、華美な装束を纏うことはない。宝石ではなく花や職人のレースで身を飾る彼女独自のスタイルは女性の圧倒的な支持を得ており、今年の社交界の一大ブームにさえなっているというのが、イーザックの見識だった。
「いやぁ~……これは、これは」とイーザックが言葉を詰まらせる。
「ブラッド家は一手を打ってくるでしょうねぇ」
 その通りで、翌日の新聞にはハイデが皇太子エドワードとして名乗り出たと書かれてあった。
 それを握り締めてきたシュウが「あれは俺の兄だ、地毛は俺と同じ緑だ」と髪を引っ張りながら言うのを聞き、やはりと目を伏せる。
 ハイデは自分の兄などではなかった。エドワードを捜して監視下に置こうとしていたか、母親であるキシウを追っていたかのどちらかだろう。
 落胆はしない。奴の目的など分かりきっていたからだ。最初から怪しかった。けれど「人の屑」くらいは言ってもいいだろう。兄の皮膚を、声を顔に貼りつけて、他人に誘いかけていたなんて考えるだに怖気が走る。
 だが、ふと顔を上げると凍り付いた顔の一同と目が合い、エディスは「ごめん」と口にした。

 イーザックが持ち出した酒を呑んだシュウは、それはもう酔っ払った。一緒に呑んでいたレウが言うには北部の酒は度数が強いかららしい。
 エディスがいるならと、戦闘科に移動になったシルベリアは酔った素振りもなく呼び出しに応じていった。
 宛がわれたソファーにシュウを促し、自分もその隣に座る。だが、なにを聞いても話そうとしないので、エディスはふーっと長く息を吐いた。
 彼にしては珍しい行動だが、余程父か兄とそりが合わないのか、呑まないとやっていられないのだろう。
「ちょっと待ってろ」
 ポンポンとシュウの背中を叩いてから部屋を出ていく。自由に出入りをしていいと許可をもらっている厨房から必要な物を取って引き返す。
「ほら、飲め」
 白く丸みを帯びた、取っ手のないカップを相手の手に握らせる。
「酒じゃなくて悪い……けど、甘くしといたから」
 ごくりと喉を鳴らし、一口飲んだ青年は苦笑した。
「甘めとも言わねえよ」
 それを聞き、エディスは少しだけ顔を安堵で綻ばせる。飲み終わった後、受け取ったカップを目の前のテーブルに置く。
「もう、今日は寝ろよ。シルベリアじゃなくて悪いけど、代わりに俺がいてやるからさ」
 相手が頷いたのを見、エディスはカップと一緒に持ってきていた毛布を手に取った。
「ほら、来いよ」
 苦笑して膝をポンポンと叩くと、シュウは遠慮なく膝に頭を乗せ、目を閉じた。
「おやすみ」と言うのに同じ言葉を返し、シュウの肩まで毛布を掛ける。それから、会議が終わったシルベリアが迎えに来るまでの間、頭を撫で、膝を貸していた。
「本当に、能力者ってのは厄介だな」
 まるで運命の相手みたいに大事にするとレウに言われたエディスは首を傾げた。
 だが、睡魔の囁きに敗北を喫していたエディスは「そうかもな……」と呟いて瞼を閉じた。ベッドにはレウが運んでくれるだろうと、信じて。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大将首は自分で守れ

俣彦
歴史・時代
 当面の目標は長篠の戦い。書いている本人が飽きぬよう頑張ります。  小説家になろうで書き始め、調子が出て来たところから転載します。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

『影武者・粟井義道』

粟井義道
歴史・時代
📜 ジャンル:歴史時代小説 / 戦国 / 武士の生き様 📜 主人公:粟井義道(明智光秀の家臣) 📜 テーマ:忠義と裏切り、武士の誇り、戦乱を生き抜く者の選択 プロローグ:裏切られた忠義  天正十年——本能寺の変。  明智光秀が主君・織田信長を討ち果たしたとき、京の片隅で一人の男が剣を握りしめていた。  粟井義道。  彼は、光秀の家臣でありながら、その野望には賛同しなかった。  「殿……なぜ、信長公を討ったのですか?」  光秀の野望に忠義を尽くすか、それとも己の信念を貫くか——  彼の運命を決める戦いが、今始まろうとしていた。

【短編】輿上(よじょう)の敵 ~ 私本 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 今川義元の大軍が尾張に迫る中、織田信長の家臣、簗田政綱は、輿(こし)が来るのを待ち構えていた。幕府により、尾張において輿に乗れるは斯波家の斯波義銀。かつて、信長が傀儡の国主として推戴していた男である。義元は、義銀を御輿にして、尾張の支配を目論んでいた。義銀を討ち、義元を止めるよう策す信長。が、義元が落馬し、義銀の輿に乗って進軍。それを知った信長は、義銀ではなく、輿上の敵・義元を討つべく出陣する。 【表紙画像】 English: Kano Soshu (1551-1601)日本語: 狩野元秀(1551〜1601年), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった――― 関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった ―――鎖国前夜の1631年 坂本龍馬に先駆けること200年以上前 東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン 『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです ※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

大本営の名参謀

雨宮 徹
歴史・時代
2041年12月8日の真珠湾攻撃に端は発した太平洋戦争。そこには名参謀の活躍があった。これは名参謀の視点から見た太平洋戦争の物語。

名残雪に虹を待つ

小林一咲
歴史・時代
「虹は一瞬の美しさとともに消えゆくもの、名残雪は過去の余韻を残しながらもいずれ溶けていくもの」 雪の帳が静かに降り、時代の終わりを告げる。 信州松本藩の老侍・片桐早苗衛門は、幕府の影が薄れゆく中、江戸の喧騒を背に故郷へと踵を返した。 変わりゆく町の姿に、武士の魂が風に溶けるのを聴く。松本の雪深い里にたどり着けば、そこには未亡人となったかつての許嫁、お篠が、過ぎし日の幻のように佇んでいた。 二人は雪の丘に記憶を辿る。幼き日に虹を待ち、夢を語ったあの場所で、お篠の声が静かに響く——「まだあの虹を探しているのか」。早苗衛門は答えを飲み込み、過去と現在が雪片のように交錯する中で、自らの影を見失う。 町では新政府の風が吹き荒れ、藩士たちの誇りが軋む。早苗衛門は若者たちの剣音に耳を傾け、最後の役目を模索する。 やがて、幕府残党狩りの刃が早苗衛門を追い詰める。お篠の庇う手を振り切り、彼は名残雪の丘へ向かう——虹を待ったあの場所へ。 雪がやみ、空に淡い光が差し込むとき、追っ手の足音が近づく。 早苗衛門は剣を手に微笑み、お篠は遠くで呟く——「あなたは、まだ虹を待っていたのですね」 名残雪の中に虹がかすかに輝き、侍の魂は静かに最後の舞を舞った。

処理中です...