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シミュレーション

結論は

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所員:(史実をベースに様々想定していきましたが……。)
私(三成):(そろそろ結論を出さなければいけませんね……。豊臣家として見ました場合、ベストの選択肢となりますのは家康を白河に突っ込ませて上杉に討ち取られることになります。そしてそれは自動的に三成の政敵である福島らも白河の地に屠ることを意味しています。ただそんな危険な賭けを。わざわざ会津の地で家康が選択するとは思われません。そのように仕向ける何かが必要となります。そうなりますと自動的に消えるのが、『北近江の地で三成が挙兵する。』の選択肢。これは自駒であるハズの駒が急に動かなくなりましたり、勝手に動きましたり。更には持ち駒を使うことを拒否された挙句。取られても居ないのに相手の駒となって襲い掛かって来ましたり。と、散々な目に遭わされるだけでありますので。これだけは避けなければなりませんね……。)
所員:(では『引き籠り』となりますでしょうか?)
私(三成):(『ただ引き籠る』だけとなりますと、たぶん小山の家康は『西で何か動くことを期待して』。白河の景勝は『入ってこないことには戦えない』で睨み合いが続くことになりまして。お互い某かの妥協点が見出され。どちらの顔も潰さない形で終わることになります……。悪い出来事ではありませんが、家康の力は温存され。三成の政敵は残ることになります。そうなりますと三成は今後も肩身の狭い思いを強いられる日々が続くことになります。……それも面白くはありませんね……。何とか白河の地に家康を引きずり込ませたいモノであります。)
所員:(白河で家康が勝つかもしれませんよ……。)
私(三成):(でも『死兵』と化したモノ程怖いモノはありませんからね……。しかも会津は関ケ原とは違い、家康直属の部隊が主力を務めることになりますので。たとえ家康が勝利を修めたとしましても相当の疲弊を余儀なくされることになります。疲弊した家康軍は、たとえ勝ったとしましてもその後の会津平定戦には参加することが出来ず。日和見を貫いていた最上や伊達。更には上杉敗勢を見て名実ともに家康方に転じた佐竹によって会津は切り取られることになり、結果家康は、被害の割に見返りを得ることが出来ずに終わってしまう……。で、南下して来た伊達と家康の領土が接触することにより、家康は意識を北に向けなければならなくなる=大坂への意識が薄らぐことになります。そうなれば今は家康に従っているモノの中から毛利や宇喜多に鞍替えするものも出て来るかもしれませんし、時を経れば秀頼が長じ。そこに豊臣恩顧の大名が参集することになる。そのためにも上杉と家康による激突はさせなければなりません。)
所員:(でもこのままですと……。)
私(三成):(そこでなのでありますが、私も兵を起こします。)
所員:(起こすと家康が西に向かって来ますよ。)
私(三成):(兵を起こすと言いましても、私が家康を打倒するために立ち上がるのではありません。家康に味方するため兵を起こし、家康の居る下野の国小山へ向かうのであります。そうなればその後の輝元による大坂入城から一直線で破滅への道を辿ることにはなりませんから。)
所員:(でも家康は信用しないでしょう。ましてや三成は、上杉や佐竹と秀吉との間を取り次ぐ役目を担っていた人物。そんな危険な人物を会津と常陸の間に位置する下野に……とはならないでしょう。)
私(三成):(それも狙いでありまして。三成は下野には入れない=白河に入ることにもならないことになりますし、豊臣家の大番頭家康への忠誠度を見せるべく参戦した秀吉恩顧の大名にとりましては、この会津攻めは家康への絶好のアピールの場。そんな場所に三成を加える気も無いでしょうから。しかも豊臣原理主義ガッチガチの三成までもが家康のもとに馳せ参じた。と言うことは、福島らはそれ以上のアピールをしなければならなくなります。その絶好の機会が……。)
所員:(家康と共に白河口から侵入し、上杉の土俵で相撲を取ることになる。と……。あなたの器の小ささがよく出てますね……。)
私(三成):(……否定はしません。でも仮に三成が本心で家康に忠誠を誓って行動したとしましても。下野に入ることは許されないと思いますよ。)
所員:(目論み通り上杉と家康の激突が実現します。)
私(三成):(上杉が関ヶ原の西軍のような内部から綻びが生じることはあり得ません。一方、家康も家康で関ヶ原のように一直線で三成を狙うような戦略も採らないと思います。ただいづれにせよ。上杉・家康双方。相当の損害を被ることにはなると思います。)
所員:(そこに家康有利の場合は伊達と最上が乱入し、上杉優勢の場合は佐竹が家康の部隊に襲い掛かることになります。)
私(三成):(景勝と家康との戦いは1日で終わることになると思われますが、会津の混乱が治まることは無いと思います。)
所員:(そこで登場するのが上杉・佐竹との関係が深く、かつ検地の経験から東北地方に明るい石田三成がにわかにクローズアップされることになる。)
私(三成):(しかも三成のもとには、奥州仕置の総大将である秀次の旧臣と上杉の前の会津領主である蒲生の旧臣が名を連ねている。)
所員:(善意の第三者として……。でも三成は家康方として参戦していますが?)
私(三成):(会津征伐は総大将が家康でありますのが、あくまで『豊臣のいくさ』として。でありますので。その膠着した『豊臣のいくさ』を調停するのも『豊臣の仕事』でありますので。)
所員:(三成らしくありませんね……。)
私(三成):(……私は器の小さな人間でありますので……。)
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