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設楽原

第21話

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内藤昌豊「長篠の兵糧庫を焼き落したのは大きかった。」
馬場信春「信長は長篠城に対し、鉄砲弾薬程では無いにせよ兵糧についても指示していた可能性がある。恐らくであるが、我らが抱いていた量よりもかなり多くの兵糧が運び込まれていた事が考えられる。織田が構築した持久戦辞さずの陣構えがそれを証明している。」
内藤昌豊「加えて長篠城の迎撃態勢も万全。どちらも攻める事が出来ないまま、撤退を余儀なくされる可能性が十分にありました。」
馬場信春「故に高坂、山県による兵糧庫の焼討の進言。並びに成功はこのいくさを優位に展開するに欠かす事の出来ない功績の1つである。」
高坂、山県「ありがとうございます。」
馬場信春「この事は信長にとって、大きな見込み違いとなっている事に相違ない。」
内藤昌豊「城の慌てぶり。名も無き鳥居強右衛門に岡崎までの使者を頼まなけばならなかった点からも見て取る事が出来ます。」
馬場信春「一見すると我らが不利な状況にある。城と後詰めに囲まれており、兵の数も劣勢。そんな中にあって、我らの方が有利となっている物がある。そう。長篠の兵糧である。もし長篠に新たな兵糧庫が城内部に建てられていたら話は変わって来るが、内藤の見立て同様。それはあり得ない。城内部は各自が手に持っていた分だけで尽きてしまう状況に陥っているに違いない。」
跡部勝資「そこで鳥居を用いれば?」
馬場信春「彼が我らの指示通りに言葉を発していれば城は落ちた。それは事実である。しかし鳥居の立ち居振る舞いを見る限り、彼は死を覚悟していた。我らの誘いに応じる時も変わらなかった。そのまま城の前に出したら、彼は間違いなく援軍の到着を告げたものと思われる。
 そうなってはたとえ信長が陣を構えたまま動かなかったとしても、城は耐え抜く選択を採る。そして信長の戦闘参加を促すべく、城にある弾薬を全て抱え。弾が尽きるまで我らに向け突進。局面の打開を図った可能性が十分にある。その時標的となるのは勿論、本陣に居る殿であります。今、殿を討たせるわけにはいきません。」
内藤昌豊「そうなりますと我らの戦略は?」
馬場信春「長篠の兵糧が尽きるのを待つ事にする。城の兵糧は、鳥居の報告を受けた信長も把握している事であろう。敵は必ず動く。そして必ず負ける。しかしそれに乗ってはならぬ。罠だ。連吾川に引き入れるための罠である。城からの兵も同様。鉄砲の射程圏に引き付けるための罠である。皆の者。各陣の備え。怠り無きよう。そして決して敵の挑発に乗る事が無いよう厳命する。」
一同「御意。」

 翌朝。織田徳川の者と思しき部隊が連吾川を越え、長篠城方面に進出。これに長篠城の西を流れる寒狭川の西岸。有海村に陣取る山県昌景率いる部隊が対応。見事追い返すのに成功。

 その翌日。再び織田徳川の部隊が進出。昨日同様山県昌景に同じく寒狭川西岸に陣取る穴山信君の部隊も加わり対応。今度は、連吾川東岸の崖上まで追い掛け帰還。

 武田勝頼本陣。

武田勝頼「寒狭川向こうに他の隊を移動させた方が良いのでは無いのか?」
山県昌景「いえ。それには及びません。奴らはこちらと戦う意志を示しては来ませんでした。」
穴山信君「逃げる事を前提に動いておった。囮部隊と見て間違いない。」
馬場信春「連吾川が見える所まで追い掛けたと聞いたが、様子は如何であった?」
山県昌景「馬が下るには丁度良い傾斜でありました。」
穴山信君「しかも下りる事が出来る場所がほとんどであった。」
馬場信春「馬で上る事は?」
山県昌景「疲れていなければ問題無い。」
穴山信君「徒歩は少々苦労するかも知れぬ。しかし行軍を妨げる程のものでは無かった。」
馬場信春「となると信長がその気になれば、一気に坂を駆け上る事も?」
山県昌景「不可能ではありません。」
内藤昌豊「我らを攻める事も捨ててはいないか……。少し気になった事があるのだが。」
山県昌景「何でしょうか?」
内藤昌豊「下りる事が出来る場所がほとんど。となると我らが全軍で以て一気に駆け下る事も可能と見て……。」
穴山信君「構いません。」
内藤昌豊「と言う事は、川を渡った後の上り口が限定されているとは言え。多くの隊が同時に攻撃する事も不可能では無い?」
山県昌景「全軍は無理でありますが、各々の土塁を同時に攻める事は可能であります。」
内藤昌豊「勿論その事を信長は?」
馬場信春「想定していると見て間違い無い。」
内藤昌豊「仮に織田徳川が一斉に坂を駆け上って来た場合、山県。其方だけで対応する事は可能か?」
山県昌景「連吾川東岸までは自由に動く事が出来ます。連吾川への物見を強化します。状況に応じ、各隊に連絡します。その際、『退却』の指示を出した場合はそれに従って下さい。」
武田勝頼「其方を見殺しにするわけには……。」
山県昌景「そうではありません。今、皆々が陣取る場所に織田徳川が到達するには時間が掛かります。私の合図を見てから動いても問題ありません。その情報を最初に接するのは私であります。その時点であれば、逃げ切る事が可能であります。私を信じて下さい。」

 織田徳川の挑発に動じる事無く、たんたんと長篠城を囲い続ける武田勝頼。

武田勝頼「城内に何か変わった動きはあるか?」
武藤喜兵衛「いえ。狼煙台の一件以来、沈黙を貫いています。」
武田勝頼「急に飛び出して来る気配は?」
武藤喜兵衛「もしそうするのでありましたら残りの兵糧を全て供出した上、宴を開くのでは無いかと。」
武田勝頼「そこまで追い込まれている様子は?」
武藤喜兵衛「見られません。鳥居が城を脱出する事が出来た事。近辺の狼煙台に戻る事が出来た事。これは殿の悪戯が原因でありますが。」
武田勝頼「うむ。」
武藤喜兵衛「注意して下さい。そして何より織田徳川の両軍が進出して来た事。以上の3点を心の拠り所に、今は体力と兵糧の消耗を抑えているのでは無いかと。」
武田勝頼「試しに動いてみるか?」
武藤喜兵衛「殿が動いてしまいますと、皆も対応しなければならなくなります。それに高坂様が黙っていません。」
武田勝頼「決定権は我に……。」
武藤喜兵衛「甲州法度次第に書かれているでありましょう。『殿も拘束される。』と。」
武田勝頼「……うむ。」
武藤喜兵衛「勝手な真似はお控え下さい。必ずやこのいくさ勝利します。皆を信じましょう。」

 翌日。山県昌景から急報が届く。

武田勝頼「信長が動いたか!して山県は何と!?」
武藤喜兵衛「いえ。信長が兵を動かしたのではありません。大岡様から山県様に情報が入った模様であります。」
武田勝頼「どのような情報である?」
武藤喜兵衛「『織田信長本陣で異変有り。詳細は口上にて殿に報告する。』とあります。」
武田勝頼「皆を集めた方が?」
武藤喜兵衛「勿論であります。」

 武田勝頼は、各所の守りを怠らぬ事。何か動きがあったらすぐに連絡する態勢を整える事を厳命。その上で各隊の長を武田本陣のある医王寺に集めた所に山県昌景も到着。

武田勝頼「其方の陣は問題無いか?」
山県昌景「お心遣い感謝します。備えに問題ありません。」
武田勝頼「早速本題に入りたいと思う。織田信長本陣に異変があったとはどのような?」
山県昌景「はい。本日、織田信長の本陣にて織田徳川合同の軍議が催されました。恐らく今の膠着状態を如何にして打破していくのか議論されたのでは無いかと。しかし残念ながらその場に大岡が参加する事は許されておらず、詳細を掴む事は出来ていません。」
馬場信春「中に居なかった大岡でもわかるような事態が発生したのか?」
山県昌景「はい。」
高坂昌信「わかる範囲で教えてください。」

 織田徳川合同軍議の席上で発生した出来事。それは……。

山県昌景「織田信長が声を荒げる場面があったとの事であります。」
馬場信春「戦況が思わしく無い事に対して?」
山県昌景「一因である事は確かでありましょう。」
内藤昌豊「信長の神経を逆撫でする不用意な発言をした人物が居る?」
山県昌景「実際に不用意であったか否かはわかりません。わかりませんが、信長から見てそのように感じた事は間違い無いかと。」
馬場信春「内容は?」
山県昌景「それはわかりません。ただその事について気になる事がありまして……。」
内藤昌豊「どのような?」
山県昌景「信長が声を荒げた相手であります。」
馬場信春「信長の家臣では無い?」
山県昌景「信長が声を荒げたのは酒井忠次の発言を聞いてであります。」

 酒井忠次は徳川家康の家老で吉田城を拠点に東三河一帯を家康から任せている人物。

馬場信春「他家の。それも同盟相手である徳川の家老である酒井を信長が?」
山県昌景「はい。」
内藤昌豊「そこには家康も?」
山県昌景「勿論居ました。」
馬場信春「軍議には信長の家臣も?」
山県昌景「当然の如く。」
内藤昌豊「多くの将が居る面前で信長が酒井を罵った?」
山県昌景「大岡からの報告には記されています。」
馬場信春「何を発言したのかについては?」
山県昌景「そこまでの情報は入っていません。」
内藤昌豊「発言云々に関わらず他家の者。それも重臣中の重臣を。その主君が居る。自らの家臣も居る面前で罵倒するのは……。」
山県昌景「はい。徳川陣中は今。騒然となっているとの事であります。」
馬場信春「家康はどうしている?」
山県昌景「黙り込んでしまっているとの事であります。」
内藤昌豊「酒井は?」
山県昌景「陣中にその姿は見当たらないとの事であります。」
馬場信春「信長からこのいくさへの参戦から除かれたのか?」
山県昌景「そこまでの情報は入って来ていません。」
長坂釣閑斎「此度のいくさについて東三河に明るい酒井が某かの任務が与えられていた?」
山県昌景「可能性はあります。」
長坂釣閑斎「恐らく彼の任務は長篠城の防衛。城の防御を固め、我らの攻撃を退けるための備えを信長から託されていた。」
山県昌景「はい。」
長坂釣閑斎「ただそこに落ち度があった。それは兵糧庫である。我らの攻撃により兵糧庫並びに備蓄されていた兵糧は消失。信長が想定していた持久戦を遂行する事が困難な事態に陥ってしまった。これを打開するために酒井忠次が提案した内容が芳しいものでは無かった。故に信長が酒井を罵倒した?」
山県昌景「その可能性は大であります。」
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