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長篠城
第14話
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東と北の安全を確保した武田勝頼は、長篠城攻略に向け動き出したのでありましたが……。
武田勝頼「どうした?馬場から『山県が悩んでいます。殿に相談したい事があります。』と言って来たが。」
山県昌景「はい。殿の指示を受け、大岡の力も借り長篠城について調べました。その中でわかった事をお伝え申し上げます。」
武田勝頼「そんな畏まらなくても構わない。その場に行って困るにに比べれば、大した事では無い。教えてくれ。」
山県昌景「はい。まず長篠城でありますが、今の長篠城は我らの知っている長篠城ではありません。」
武田勝頼「と言うと?」
山県昌景「我らの管轄であった時の長篠城は、本丸とその北の帯郭。本丸を挟むように東に野牛郭。西に弾正郭。弾正郭を除く周囲を天然の川が堀の役目を果たす。このような構造になっていました。」
武田勝頼「相違ないか?」
武藤喜兵衛「はい。その通りであります。」
武田勝頼「今はどうなっている?」
山県昌景「はい。本丸から見て鬼門となります帯郭の北東に新たに2つの郭が拡張されていました。その2つの郭の間は土居と塀で隔てられ、更に外側の郭には土居はありませんが、塀で外からの侵入に備えています。尤も2つの郭とも天然の要害がある場所では無く、しかも急ごしらえでありますので防御としては弱い所があります。ただ……。」
武田勝頼「何か気になる事でも?」
山県昌景「奥平だけが籠るのであれば、この規模の城は必要ありません。加えて防御と言う観点から見た場合、新たに造られた2つの郭はあまり意味がありません。では何故そのような工事を行ったか?を考えますと恐らく……。」
多くの兵を収容するため。
山県昌景「拡張工事を行ったのでは無いか?と見ています。」
武藤喜兵衛「少し宜しいでしょうか?」
武田勝頼「構わぬ。」
武藤喜兵衛「山県様から見て新たに造られた郭の防御力はそれ程強いものでは無い。と。」
山県昌景「ただの広場にしか見えぬ。」
武藤喜兵衛「しかも塀でしか守られていない?」
山県昌景「その通りだ。」
武藤喜兵衛「攻めるのであれば、そこからになりますか?」
山県昌景「他が川に囲まれている事を考えてもそうなる。」
武藤喜兵衛「となりますと奥平も同じ事を考えている?」
山県昌景「そう見て間違いない。」
武藤喜兵衛「もし力攻めに打って出た場合、城を抜く事は出来ますか?」
山県昌景「私の知っている先方衆時代の奥平。私の知っている徳川家康であれば、不可能では無い。不可能では無いが……。」
武藤喜兵衛「織田信長の存在が気になりますね。」
山県昌景「今回の長篠城の拡張も、信長が絡んでいる。」
武藤喜兵衛「織田勢が出入りしているのでありますか?」
山県昌景「いや。それは無い。無いのではあるが、長篠城の拡張工事に要した費用を信長が出している事はわかっている。そうで無ければ、長篠以上に重要な。遠江の制海権を左右する高天神を見捨てるような真似を家康がするわけが無い。」
武藤喜兵衛「大岡様からの情報でありますか?」
山県昌景「その通りだ。信長が高天神の救援に向かう際、用意していた軍資金を家康に渡したそうな。その量を見た徳川の家中は驚愕したとか。
『これだけの金を見た事は無い。』
と。信長はその時、主立った者を連れて来ている。うちに追い掛け回される心配は無いとは言え、(高天神開城を知った今切から)本拠地の岐阜までにはかなりが距離がある。兵も多い。相当の費用が掛かる。にも関わらず信長は、家康が見たことも無い金を気前よく浜松に置いて行った。
『武田への備えに使うように。』
との伝言を添えて。」
武藤喜兵衛「その一環が長篠の普請。」
山県昌景「それだけでは無い。信長も武田が次の標的に定めているのが長篠である事を知っている。しかし城の拡張だけでは守り切る事が難しい事も信長はわかっている。本来であれば、信長自身が指示を出し、家臣を送り込みたい所ではある。しかしそこは徳川の勢力圏。織田と徳川は対等な関係にあるため、信長自らが手を加える事は出来ない。出来る事となれば……。」
上杉謙信が佐竹義重に行おうとしている事。
武藤喜兵衛「最新鋭の武器。鉄砲と、その鉄砲を活かすのに必要不可欠な弾薬を優先的に売却する。」
山県昌景「信長はもっと踏み込んだ支援をしている。無償供与だ。それに武器は鉄砲だけでは無いそうだ。」
武藤喜兵衛「鉄砲では無く。でありますか?」
山県昌景「鉄砲は鉄砲らしい。ただ鉄砲よりも大きなものであるらしい。大岡も現物を見ていない故、どれ程の物かはわからない。大岡の話を聞くと、
『信長が堺もしくは近江に居る鉄砲鍛冶の職人に製造を依頼した物であるらしい。』
『海の向こうで使われている物を参考にしたらしい。』
あくまで『らしい』としか言えないが、得体の知れない何かが仕掛けられている事は間違い無い。」
武藤喜兵衛「これまでの城取の仕方が通用しない可能性がある?」
山県昌景「否定は出来ない。そして新たな武器が何処に仕掛けられ、どのように用いられるのかもわからぬ。しかし、それが長篠城に運び込まれたのは事実である。それは間違いない。」
「介錯のために来たのでありますか?」
ここは信濃国小諸。声の主は徳川家康に降伏するも許され。そのまま武田勝頼の下に戻るも内通を疑われ。今は当地で幽閉されている菅沼正貞。そこに訪れたのが……。
高坂昌信「いえ。そうでは御座らぬ。菅沼殿のお力添えを願いたく参上した次第であります。」
これより前。
武田勝頼「菅沼を用いたいと?」
高坂昌信「はい。我が家中において、彼以上に長篠城に精通している人物は居ません。」
武田勝頼「しかし今、彼の事を皆が疑っている。」
高坂昌信「ええ。」
武田勝頼「そのような者の発言を誰が信用すると言うのだ?」
高坂昌信「彼を現地に派遣する事はありません。小諸に残っていただきます。その方が良い事もありますので。」
武田勝頼「どう言う事だ?」
高坂昌信「彼に掛かっている嫌疑は家康との通交であります。家康と連絡を取る事が出来ない状況にありさえすれば、彼が疑われる事はありません。つまり今の境遇。三河から遠く離れたここ小諸で厳重な監視下に置かれている。今の境遇が好都合であります。」
戻って。
菅沼正貞「一方的に疑いを掛けておいて、利用する時だけは利用する。都合の良い話ですね。」
高坂昌信「申し訳御座いません。菅沼殿。」
菅沼正貞「何も話す事は無いぞ。」
高坂昌信「お聞き下され。殿は菅沼殿を無実であると信じています。」
菅沼正貞「ならば何故ここに幽閉したと言うのだ?」
高坂昌信「菅沼様をお守りするためであります。」
菅沼正貞「私を守るため?」
高坂昌信「当時の三河を思い出してください。菅沼殿が長篠城で孤軍奮闘するも、我らからの援軍到着の連絡は届かず。城内の者の助命と引き換えに開城降伏を家康に申し出たと聞いています。」
菅沼正貞「誰も信じてはくれなかったが。」
高坂昌信「申し訳御座いません。しかしそれには理由があります。そうです。奥三河先方衆の中枢を担っていました奥平親子の裏切りであります。これに奥三河を管轄する山県昌景は狼狽。誰も信用する事が出来ない状況に追い込まれてしまいました。」
菅沼正貞「それが理由で今、こうなってしまっている……。」
高坂昌信「いえ。そうではありません。もしあの時、菅沼殿がそのまま奥三河で任にあたっていたとしましょう。どのような状況に陥る事になっていたでしょうか?上司である山県は菅沼殿の言う事を一切信用しません。そんな場所で仕事を続けても良い事は何もありません。謀反に打って出ざるを得ない状況に追い込まれる危険性が十分にありました。
流石にそれを受け入れるわけにはいきません。危険の芽は早めに摘まなければなりませんし、菅沼殿の安全を確保しなければなりません。故に菅沼殿に辛い思いをさせてしまっている事。殿に代わりお詫び申し上げます。」
菅沼正貞「……ところで長篠は今、どうなっている?」
高坂昌信「協力して。」
菅沼正貞「勘違いするで無い。私は武田から戦力外を通告された身。其方らが抱えている問題が片付いた瞬間に用済みとなる事はわかっている。冥途の土産に聞くまでだ。」
高坂昌信「それでも構いません。こちらが今の長篠周辺の地図であります。」
菅沼正貞「あの家康が。浜松以外でお金を使う事があるのだな……。」
高坂昌信「と言いますと?」
菅沼正貞「秋山殿が岩村に出陣した時があったであろう。」
高坂昌信「亡き御館様の時でありますか?」
菅沼正貞「そう。その時、私は徳川方として美濃に入った。山家三方衆の一員として。」
高坂昌信「存じ上げています。」
菅沼正貞「その際、家康は我らに対し何をしたと思う?」
高坂昌信「兵糧などいくさにまつわる物を支援されたのでは……。」
菅沼正貞「何も無かった。それが答えだ。で。目の前で遠山が其方らに蹂躙されている姿を見て、武田方に降る事を決心したんだ。もしそのいくさに家康が参陣していたら、そのような事にはなってはおらぬ。その家康が。小城1つのために人と金を費やすとは到底思えぬ。」
高坂昌信「これは名前を出して気分を悪くされるかもしれませんが。」
菅沼正貞「山県様ですね。構いません。」
高坂昌信「ありがとうございます。山県自らが現地に赴き、確認したものであります。」
菅沼正貞「しかしここまで拡張した所で、兵数を考えた場合。維持する事は出来ぬ。むしろ敵に使われる恐れの方が強いように感じるのだが?」
高坂昌信「仰せの通りであります。長篠の拡張を指示した人物は家康だけではありません。」
菅沼正貞「となると?」
高坂昌信「はい。此度の長篠城拡張に必要な資金を提供したのは織田信長であります。信長は長篠城でのいくさを想定し、策を練っていると見ています。」
菅沼正貞「そうなると城中には?」
高坂昌信「はい。多くの鉄砲と弾薬が備蓄されていると見て間違いありません。」
菅沼正貞「いやぁ……。」
高坂昌信「如何なされましたか?」
菅沼正貞「私の時はそのような事は無かった。尤も当時の対武田最前線は野田ではあったのが。今の長篠を見て(野田城主の菅沼)定盈はどう思っているのかな?彼は亡き御館様の攻撃を何の援助も無しに戦っていましたので。何とか助命される術は無いものか思案したのを覚えています。」
高坂昌信「それが徳川に居る人質の返却と引き換えに。の提案となられた?」
菅沼正貞「はい。しかしその直後に御館様の体調が急変されるとは思ってもいませんでした。大変だったのは、それからであります。」
高坂昌信「あの時は本当に申し訳御座いませんでした。」
菅沼正貞「過ぎた事であります。しかし……。」
高坂昌信「如何為されましたか?」
菅沼正貞「気になる事があって。」
高坂昌信「教えて下さい。」
菅沼正貞「下調べをした結果。長篠城が拡張され、多くの兵を駐屯させる事が可能となっている。」
高坂昌信「はい。」
菅沼正貞「加えて城内には既に大量の鉄砲と弾薬が備蓄されている事もわかっている。」
高坂昌信「はい。」
菅沼正貞「更に調べると、得体の知れぬ新たな鉄砲も備えられている。と。」
高坂昌信「山県より承っています。」
菅沼正貞「そんな危険な城を攻め落とさなければならない理由がわからぬ。私が。であればわかる。自分の本貫地であるのだから。何よりも長篠の事を優先する事になる。それならばわかる。しかし今、長篠攻略に乗り出しているのは武田勝頼である。長篠は交通の要路ではあるが、別にあそこが無くても困るわけでは無い。にも関わらず何故長篠を攻めようと考えているのか?幽閉に処した者に助言を求めてでも落とさなければならないのかがわからぬ。」
高坂昌信「私も同じ意見であります。」
菅沼正貞「だろ。」
高坂昌信「今、武田家中は皆。信長との戦い。高天神での戦いに勝ったことに驕ってしまっています。無理攻めをする恐れは十分にあります。加えて危険な長篠を回避しながらでも徳川を追い込む事は可能でありますし、長篠を囲い込むように攻略する事によって長篠にある備蓄された武器の無力化を狙う方が上策であります。」
菅沼正貞「その意見は通らなかった?」
高坂昌信「いえ。殿が待ったを掛けました。故にあらゆる危険性の洗い出しに取り掛かっているのであります。その一環として、菅沼殿の下を訪ねたのであります。」
菅沼正貞「しかし長篠攻略の意志に変化は無い?」
高坂昌信「ありません。殿も同意見であります。」
菅沼正貞「高坂様も?」
高坂昌信「最善を尽くす所存であります。」
菅沼正貞「そこまでして長篠に拘る理由を教えて下され。」
高坂昌信「一言。」
今、長篠城を守っているのは奥平の息子。
高坂昌信「であります。奥平は御存知の通り、三河先方衆の中心として活躍して来ました。その彼を粉骨砕身支えたのが山県昌景であります。その奥平に裏切られた山県の気持ち。想像を絶するものがあるかと。軽はずみに同調する事も出来ません。
『いつの日か。この手で。』
の思いを内に秘め、対織田対徳川の最前線で今日も活動をしています。その山県が活動する三河の。それも徳川に奪われた長篠に奥平の息子が城主として据えられています。山県の思いは、武田家中皆の思いであります。是が非でも攻略しなければなりません。」
武田勝頼「どうした?馬場から『山県が悩んでいます。殿に相談したい事があります。』と言って来たが。」
山県昌景「はい。殿の指示を受け、大岡の力も借り長篠城について調べました。その中でわかった事をお伝え申し上げます。」
武田勝頼「そんな畏まらなくても構わない。その場に行って困るにに比べれば、大した事では無い。教えてくれ。」
山県昌景「はい。まず長篠城でありますが、今の長篠城は我らの知っている長篠城ではありません。」
武田勝頼「と言うと?」
山県昌景「我らの管轄であった時の長篠城は、本丸とその北の帯郭。本丸を挟むように東に野牛郭。西に弾正郭。弾正郭を除く周囲を天然の川が堀の役目を果たす。このような構造になっていました。」
武田勝頼「相違ないか?」
武藤喜兵衛「はい。その通りであります。」
武田勝頼「今はどうなっている?」
山県昌景「はい。本丸から見て鬼門となります帯郭の北東に新たに2つの郭が拡張されていました。その2つの郭の間は土居と塀で隔てられ、更に外側の郭には土居はありませんが、塀で外からの侵入に備えています。尤も2つの郭とも天然の要害がある場所では無く、しかも急ごしらえでありますので防御としては弱い所があります。ただ……。」
武田勝頼「何か気になる事でも?」
山県昌景「奥平だけが籠るのであれば、この規模の城は必要ありません。加えて防御と言う観点から見た場合、新たに造られた2つの郭はあまり意味がありません。では何故そのような工事を行ったか?を考えますと恐らく……。」
多くの兵を収容するため。
山県昌景「拡張工事を行ったのでは無いか?と見ています。」
武藤喜兵衛「少し宜しいでしょうか?」
武田勝頼「構わぬ。」
武藤喜兵衛「山県様から見て新たに造られた郭の防御力はそれ程強いものでは無い。と。」
山県昌景「ただの広場にしか見えぬ。」
武藤喜兵衛「しかも塀でしか守られていない?」
山県昌景「その通りだ。」
武藤喜兵衛「攻めるのであれば、そこからになりますか?」
山県昌景「他が川に囲まれている事を考えてもそうなる。」
武藤喜兵衛「となりますと奥平も同じ事を考えている?」
山県昌景「そう見て間違いない。」
武藤喜兵衛「もし力攻めに打って出た場合、城を抜く事は出来ますか?」
山県昌景「私の知っている先方衆時代の奥平。私の知っている徳川家康であれば、不可能では無い。不可能では無いが……。」
武藤喜兵衛「織田信長の存在が気になりますね。」
山県昌景「今回の長篠城の拡張も、信長が絡んでいる。」
武藤喜兵衛「織田勢が出入りしているのでありますか?」
山県昌景「いや。それは無い。無いのではあるが、長篠城の拡張工事に要した費用を信長が出している事はわかっている。そうで無ければ、長篠以上に重要な。遠江の制海権を左右する高天神を見捨てるような真似を家康がするわけが無い。」
武藤喜兵衛「大岡様からの情報でありますか?」
山県昌景「その通りだ。信長が高天神の救援に向かう際、用意していた軍資金を家康に渡したそうな。その量を見た徳川の家中は驚愕したとか。
『これだけの金を見た事は無い。』
と。信長はその時、主立った者を連れて来ている。うちに追い掛け回される心配は無いとは言え、(高天神開城を知った今切から)本拠地の岐阜までにはかなりが距離がある。兵も多い。相当の費用が掛かる。にも関わらず信長は、家康が見たことも無い金を気前よく浜松に置いて行った。
『武田への備えに使うように。』
との伝言を添えて。」
武藤喜兵衛「その一環が長篠の普請。」
山県昌景「それだけでは無い。信長も武田が次の標的に定めているのが長篠である事を知っている。しかし城の拡張だけでは守り切る事が難しい事も信長はわかっている。本来であれば、信長自身が指示を出し、家臣を送り込みたい所ではある。しかしそこは徳川の勢力圏。織田と徳川は対等な関係にあるため、信長自らが手を加える事は出来ない。出来る事となれば……。」
上杉謙信が佐竹義重に行おうとしている事。
武藤喜兵衛「最新鋭の武器。鉄砲と、その鉄砲を活かすのに必要不可欠な弾薬を優先的に売却する。」
山県昌景「信長はもっと踏み込んだ支援をしている。無償供与だ。それに武器は鉄砲だけでは無いそうだ。」
武藤喜兵衛「鉄砲では無く。でありますか?」
山県昌景「鉄砲は鉄砲らしい。ただ鉄砲よりも大きなものであるらしい。大岡も現物を見ていない故、どれ程の物かはわからない。大岡の話を聞くと、
『信長が堺もしくは近江に居る鉄砲鍛冶の職人に製造を依頼した物であるらしい。』
『海の向こうで使われている物を参考にしたらしい。』
あくまで『らしい』としか言えないが、得体の知れない何かが仕掛けられている事は間違い無い。」
武藤喜兵衛「これまでの城取の仕方が通用しない可能性がある?」
山県昌景「否定は出来ない。そして新たな武器が何処に仕掛けられ、どのように用いられるのかもわからぬ。しかし、それが長篠城に運び込まれたのは事実である。それは間違いない。」
「介錯のために来たのでありますか?」
ここは信濃国小諸。声の主は徳川家康に降伏するも許され。そのまま武田勝頼の下に戻るも内通を疑われ。今は当地で幽閉されている菅沼正貞。そこに訪れたのが……。
高坂昌信「いえ。そうでは御座らぬ。菅沼殿のお力添えを願いたく参上した次第であります。」
これより前。
武田勝頼「菅沼を用いたいと?」
高坂昌信「はい。我が家中において、彼以上に長篠城に精通している人物は居ません。」
武田勝頼「しかし今、彼の事を皆が疑っている。」
高坂昌信「ええ。」
武田勝頼「そのような者の発言を誰が信用すると言うのだ?」
高坂昌信「彼を現地に派遣する事はありません。小諸に残っていただきます。その方が良い事もありますので。」
武田勝頼「どう言う事だ?」
高坂昌信「彼に掛かっている嫌疑は家康との通交であります。家康と連絡を取る事が出来ない状況にありさえすれば、彼が疑われる事はありません。つまり今の境遇。三河から遠く離れたここ小諸で厳重な監視下に置かれている。今の境遇が好都合であります。」
戻って。
菅沼正貞「一方的に疑いを掛けておいて、利用する時だけは利用する。都合の良い話ですね。」
高坂昌信「申し訳御座いません。菅沼殿。」
菅沼正貞「何も話す事は無いぞ。」
高坂昌信「お聞き下され。殿は菅沼殿を無実であると信じています。」
菅沼正貞「ならば何故ここに幽閉したと言うのだ?」
高坂昌信「菅沼様をお守りするためであります。」
菅沼正貞「私を守るため?」
高坂昌信「当時の三河を思い出してください。菅沼殿が長篠城で孤軍奮闘するも、我らからの援軍到着の連絡は届かず。城内の者の助命と引き換えに開城降伏を家康に申し出たと聞いています。」
菅沼正貞「誰も信じてはくれなかったが。」
高坂昌信「申し訳御座いません。しかしそれには理由があります。そうです。奥三河先方衆の中枢を担っていました奥平親子の裏切りであります。これに奥三河を管轄する山県昌景は狼狽。誰も信用する事が出来ない状況に追い込まれてしまいました。」
菅沼正貞「それが理由で今、こうなってしまっている……。」
高坂昌信「いえ。そうではありません。もしあの時、菅沼殿がそのまま奥三河で任にあたっていたとしましょう。どのような状況に陥る事になっていたでしょうか?上司である山県は菅沼殿の言う事を一切信用しません。そんな場所で仕事を続けても良い事は何もありません。謀反に打って出ざるを得ない状況に追い込まれる危険性が十分にありました。
流石にそれを受け入れるわけにはいきません。危険の芽は早めに摘まなければなりませんし、菅沼殿の安全を確保しなければなりません。故に菅沼殿に辛い思いをさせてしまっている事。殿に代わりお詫び申し上げます。」
菅沼正貞「……ところで長篠は今、どうなっている?」
高坂昌信「協力して。」
菅沼正貞「勘違いするで無い。私は武田から戦力外を通告された身。其方らが抱えている問題が片付いた瞬間に用済みとなる事はわかっている。冥途の土産に聞くまでだ。」
高坂昌信「それでも構いません。こちらが今の長篠周辺の地図であります。」
菅沼正貞「あの家康が。浜松以外でお金を使う事があるのだな……。」
高坂昌信「と言いますと?」
菅沼正貞「秋山殿が岩村に出陣した時があったであろう。」
高坂昌信「亡き御館様の時でありますか?」
菅沼正貞「そう。その時、私は徳川方として美濃に入った。山家三方衆の一員として。」
高坂昌信「存じ上げています。」
菅沼正貞「その際、家康は我らに対し何をしたと思う?」
高坂昌信「兵糧などいくさにまつわる物を支援されたのでは……。」
菅沼正貞「何も無かった。それが答えだ。で。目の前で遠山が其方らに蹂躙されている姿を見て、武田方に降る事を決心したんだ。もしそのいくさに家康が参陣していたら、そのような事にはなってはおらぬ。その家康が。小城1つのために人と金を費やすとは到底思えぬ。」
高坂昌信「これは名前を出して気分を悪くされるかもしれませんが。」
菅沼正貞「山県様ですね。構いません。」
高坂昌信「ありがとうございます。山県自らが現地に赴き、確認したものであります。」
菅沼正貞「しかしここまで拡張した所で、兵数を考えた場合。維持する事は出来ぬ。むしろ敵に使われる恐れの方が強いように感じるのだが?」
高坂昌信「仰せの通りであります。長篠の拡張を指示した人物は家康だけではありません。」
菅沼正貞「となると?」
高坂昌信「はい。此度の長篠城拡張に必要な資金を提供したのは織田信長であります。信長は長篠城でのいくさを想定し、策を練っていると見ています。」
菅沼正貞「そうなると城中には?」
高坂昌信「はい。多くの鉄砲と弾薬が備蓄されていると見て間違いありません。」
菅沼正貞「いやぁ……。」
高坂昌信「如何なされましたか?」
菅沼正貞「私の時はそのような事は無かった。尤も当時の対武田最前線は野田ではあったのが。今の長篠を見て(野田城主の菅沼)定盈はどう思っているのかな?彼は亡き御館様の攻撃を何の援助も無しに戦っていましたので。何とか助命される術は無いものか思案したのを覚えています。」
高坂昌信「それが徳川に居る人質の返却と引き換えに。の提案となられた?」
菅沼正貞「はい。しかしその直後に御館様の体調が急変されるとは思ってもいませんでした。大変だったのは、それからであります。」
高坂昌信「あの時は本当に申し訳御座いませんでした。」
菅沼正貞「過ぎた事であります。しかし……。」
高坂昌信「如何為されましたか?」
菅沼正貞「気になる事があって。」
高坂昌信「教えて下さい。」
菅沼正貞「下調べをした結果。長篠城が拡張され、多くの兵を駐屯させる事が可能となっている。」
高坂昌信「はい。」
菅沼正貞「加えて城内には既に大量の鉄砲と弾薬が備蓄されている事もわかっている。」
高坂昌信「はい。」
菅沼正貞「更に調べると、得体の知れぬ新たな鉄砲も備えられている。と。」
高坂昌信「山県より承っています。」
菅沼正貞「そんな危険な城を攻め落とさなければならない理由がわからぬ。私が。であればわかる。自分の本貫地であるのだから。何よりも長篠の事を優先する事になる。それならばわかる。しかし今、長篠攻略に乗り出しているのは武田勝頼である。長篠は交通の要路ではあるが、別にあそこが無くても困るわけでは無い。にも関わらず何故長篠を攻めようと考えているのか?幽閉に処した者に助言を求めてでも落とさなければならないのかがわからぬ。」
高坂昌信「私も同じ意見であります。」
菅沼正貞「だろ。」
高坂昌信「今、武田家中は皆。信長との戦い。高天神での戦いに勝ったことに驕ってしまっています。無理攻めをする恐れは十分にあります。加えて危険な長篠を回避しながらでも徳川を追い込む事は可能でありますし、長篠を囲い込むように攻略する事によって長篠にある備蓄された武器の無力化を狙う方が上策であります。」
菅沼正貞「その意見は通らなかった?」
高坂昌信「いえ。殿が待ったを掛けました。故にあらゆる危険性の洗い出しに取り掛かっているのであります。その一環として、菅沼殿の下を訪ねたのであります。」
菅沼正貞「しかし長篠攻略の意志に変化は無い?」
高坂昌信「ありません。殿も同意見であります。」
菅沼正貞「高坂様も?」
高坂昌信「最善を尽くす所存であります。」
菅沼正貞「そこまでして長篠に拘る理由を教えて下され。」
高坂昌信「一言。」
今、長篠城を守っているのは奥平の息子。
高坂昌信「であります。奥平は御存知の通り、三河先方衆の中心として活躍して来ました。その彼を粉骨砕身支えたのが山県昌景であります。その奥平に裏切られた山県の気持ち。想像を絶するものがあるかと。軽はずみに同調する事も出来ません。
『いつの日か。この手で。』
の思いを内に秘め、対織田対徳川の最前線で今日も活動をしています。その山県が活動する三河の。それも徳川に奪われた長篠に奥平の息子が城主として据えられています。山県の思いは、武田家中皆の思いであります。是が非でも攻略しなければなりません。」
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この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河
墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。
三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。
全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。
本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。
おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。
本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
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