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第四章 伝説のはじまり
2 落雷
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ひっきりなしに続いていた新しい官邸の落成祝いに訪れる人々の姿も一段落し、対応に追われていたトゥーレも漸く落ち着いてきた。
この日はひと月振りとなるリーディアとの再会を楽しんでいた。
「久しぶりだね。道中大丈夫だったかい?」
「はい、ジャンヌ・ダルクを派遣いただいたお陰で快適な船旅ができました。それよりもお忙しい中お邪魔でなかったでしょうか?
多くの方がお祝いにいらっしゃってると聞きましたけれど」
「どれほど予定が詰まっていてもリーディアが来るなら何時だって大歓迎だよ。会談の予定があったとしても纏めて湖に沈めてやるさ。と言いたい所だけれど、正直三日前までならこうやって会うこともできなかったよ」
トゥーレは心底うんざりとした表情を浮かべて肩を竦めた。
落成式典が終わってからも祝いを述べる有力者や商人からの面会依頼が殺到していた。
単純に祝いの言葉や品を受け取るだけならそれほど難しくはない。だがギルドが廃止となった後、トゥーレに直接便宜を図って貰おうとあからさまな賄賂だったり、若く勢いのあるトゥーレに縁付かせるために自分の娘を捧げようとする商人や有力者などの対応が多かったのだ。
もちろんそれらの全てを丁重に断ったトゥーレだったが、延々と続く苦行にほとほと疲れ果てていたのだった。
「実はシルベストル様から『会いに行かれるなら暫く待った方がよい』と言われておりました」
「ほう、さすがシルベストルだ。よく分かっているじゃないか」
トゥーレが言うように先日までは会談や面会の予定がひっきりなしに組まれていたため、リーディアが訪問しても折角の婚約者とのお茶の時間も、トゥーレは取れなかっただろう。
久しぶりにリーディアに会えて余程嬉しかったのだろうか。トゥーレにしては珍しくシルベストルを素直に褒めた所にもそれが現れていた。
今回のリーディアの訪問は、シルベストルや他の文官の来訪に便乗した訪問ではなく珍しく彼女単独での訪問だった。
フォレスからカモフに逃れてきておよそ三年。
トゥーレの庇護下にあるとはいえウンダル亡命政府の代表でもある彼女は、未だにトゥーレの婚約者の立場のままだった。
これは実質的には形骸化しているとはいえ、ウンダル亡命政府の代表を務めるリーディアをトゥーレが娶った際、彼にウンダル簒奪の評判が立つことを避けるためだ。
もちろんトゥーレにそのような意思がないことは関係者は皆理解していた。
しかしドーグラスを討ったことでトゥーレの名声が高まったとはいえ、カモフを除けばまだまだ名が知られるようになった程度でしかなかった。
そのようなトゥーレが、最強と呼ばれたオリヤンの娘であるリーディアを妻とすることで、名声を手に入れるためだと勘ぐられても仕方がなかった。
またカモフからギルドを完全に排除した事で、各地のギルドから謂われのない悪評を立てられてもいた。噂自体は取るに足らない噂ばかりだったが、そのような噂が今後の行動に支障が出てくる事も考えられる。
亡命政府がウンダルの奪還を目的としている以上、それ以上の悪評が広まることを避けたかったのだ。
暫くお互いの近況を語り合っていた二人だったが、トゥーレはリーディアに何となく違和感を覚えていた。
何がとは言えない漠然とした程度だったが、久しぶりに会ったからという程小さくはなかった。
「どうしました?」
「いや、少し雰囲気変わったかなと思って」
言葉にするのが難しく咄嗟に口を濁したトゥーレだったが、違和感は消えずに残ったままだった。
「年が明ければわたくしももう二十歳ですから」
少しはにかみながらリーディアが答えた。
「すまないな。折角カモフに来たというのに何時までも中途半端を強いてしまって本当に申し訳ない」
十五歳で成人と見做されていたこの時代、男女ともに二十歳までに結婚する事が普通だった。
中にはユーリのように二十歳を過ぎても気にしない者もいたが、それはあくまで少数派だった。
そのユーリにしてもトゥーレの妹であるエステルと婚約していて、年が明けると結婚する予定となっていた。
特に領主であるトゥーレには、万一のために世継ぎを残すことも大事な仕事となるが、先の理由によりリーディアとの結婚は延期されたままだったのだ。
気を揉んだシルベストルらは、遠回しにトゥーレに第二夫人を娶ることを打診してきていたが、彼は頑なにそれを拒み続けていた。
「いえ、わたくしの我が儘を聞いて下さったのですから謝るのはわたくしの方です。本来であれば今年中に代表を辞する筈でしたもの。それにわたくしの力が足りないばかりにシルベストル様にまで苦労をおかけして申し訳なく存じます」
そう言って申し訳なさそうに目を伏せた。
リーディアは元々亡命政府を興し、ウンダル奪還を目指す考えなど持っていなかった。ましてや代表などという立場に立つつもりなどさらさらなかったのだ。
彼女と一緒に避難してきたダニエルやヨウコの奥方らが画策し、トゥーレの力を借りるためにリーディアを利用したに過ぎない。固辞し続けていた彼女だったが、最終的にダニエルの忘れ形見が成人するまでという期限を条件に引き受けた。
その忘れ形見であるダニエルの長男が成人するのが今年の予定だった。
しかし不幸なことに彼は二年前の冬、強風の中外出を強行したあげくに湖に転落してしまった。引き上げられた彼は凍り付き既に息をしていなかった。他の代表候補もいることはいるが、まだ幼かったため仕方なく現在もリーディアが代表を務めていたのだ。
「もうすぐ冬篭もりになるから苦労かけると思う」
「でも春になるまでの辛抱ですもの。それにシルベストル様も気にかけて下さいますし、ナターリエ様も自重されるでしょう」
リーディアが思い出したようにくすりと笑った。
ナターリエとは亡きダニエルの妻だ。
リーディアを亡命政府の代表として立つよう依頼した人物であり、現在はそのリーディアに不満を募らせている人物でもある。
依頼した当初はリーディアの名の下に反エリアス派を結集させ、トゥーレの力も借りて早期のウンダル奪還を目論んでいた。
しかし殆ど表舞台に出たことのなかったリーディアの名前では人が集まらなかった。結局亡命政府結成から現在まででも、肝心の戦力は三〇〇〇名程度しか集まっていなかったのだ。
またトゥーレの方もカモフ復興を優先する方針を示し、すぐに軍を興すつもりはなかった。
最初こそリーディアを支えることを約束していたナターリエだったが、長男を亡くしたショックと、ウンダルの奪還が遅々として進まない苛立ちにより、遂にはその不満をリーディアに向けるようになっていた。
もちろん表だっては結束しているように見せかけてはいたが、裏ではリーディアへの悪口や陰湿な嫌がらせなどが横行していた。
サザン内でそれはもう公然の秘密と言ってよく、これにはリーディアだけでなくシルベストルも対処に苦慮していたのだ。
やがて何時まで経っても状況に進展がないことに業を煮やしたナターリエは、遂に公然とリーディアを批判し始めた。
しかしこの夏のある日、たまたまシルベストルがリーディアの様子を見に来ていた。
そこに癇癪を起こしたナターリエが現れ、シルベストルの前で彼女を口汚く罵ったのだ。
シルベストルが烈火の如く怒り、正論を並べ立ててナターリエを叱りつけたのは言うまでもない。
彼女はその場で謹慎を言い渡されたのだった。
その後周りの取り成しによって謹慎は解除されたが、その出来事を切っ掛けにリーディアへの口撃や嫌がらせは沈静化したのだった。
「皆様が口を揃えて『シルベストル様を怒らせるな』と仰った意味がやっと分かりました」
普段の柔和な老紳士といった雰囲気の彼が、一瞬で顔を真っ赤にして怒り出す様子にその場にいた誰もが驚いたという。
中には泣き出す侍女までいたようで、またその侍女はよくシルベストルへの使いに使っていた侍女だった。そのため暫くその侍女を使いに出せなくなって困ったとリーディアが笑う。
そういう彼女自身も突然豹変したシルベストルの姿に、暫く声を掛けることを躊躇ったという。
よく怒らせている自分の事は棚に上げて、トゥーレも笑顔を浮かべながら頷く。
「爺が怒る程だから余程腹に据えかねたんだろう。あれは昔からそうだった。直前までにこにこしていたと思ったら突然怒り出すものだから、幼い頃はそのスイッチがどこにあるか分からず、本当に恐ろしいと思ったものだ」
カモフにおいて最もシルベストルから雷を落とされたのはもちろんトゥーレだ。
幼少期に遊び相手の少なかった彼は、シルベストルに悪戯をしてはよく叱られていたのだ。
その殆どは自業自得だったのだが、正体を隠されていた幼いトゥーレにとってシルベストルは彼の正体を知る数少ない味方の一人だった。
その味方である筈の人物が鬼の形相で彼を追いかけてくるのである。
それは心的外傷として刻み込まれる程だった。
今となってはトゥーレのためを思って叱っていた事が理解できるが、当時は本当に怖かったと照れ臭そうに告白をするのだった。
この日はひと月振りとなるリーディアとの再会を楽しんでいた。
「久しぶりだね。道中大丈夫だったかい?」
「はい、ジャンヌ・ダルクを派遣いただいたお陰で快適な船旅ができました。それよりもお忙しい中お邪魔でなかったでしょうか?
多くの方がお祝いにいらっしゃってると聞きましたけれど」
「どれほど予定が詰まっていてもリーディアが来るなら何時だって大歓迎だよ。会談の予定があったとしても纏めて湖に沈めてやるさ。と言いたい所だけれど、正直三日前までならこうやって会うこともできなかったよ」
トゥーレは心底うんざりとした表情を浮かべて肩を竦めた。
落成式典が終わってからも祝いを述べる有力者や商人からの面会依頼が殺到していた。
単純に祝いの言葉や品を受け取るだけならそれほど難しくはない。だがギルドが廃止となった後、トゥーレに直接便宜を図って貰おうとあからさまな賄賂だったり、若く勢いのあるトゥーレに縁付かせるために自分の娘を捧げようとする商人や有力者などの対応が多かったのだ。
もちろんそれらの全てを丁重に断ったトゥーレだったが、延々と続く苦行にほとほと疲れ果てていたのだった。
「実はシルベストル様から『会いに行かれるなら暫く待った方がよい』と言われておりました」
「ほう、さすがシルベストルだ。よく分かっているじゃないか」
トゥーレが言うように先日までは会談や面会の予定がひっきりなしに組まれていたため、リーディアが訪問しても折角の婚約者とのお茶の時間も、トゥーレは取れなかっただろう。
久しぶりにリーディアに会えて余程嬉しかったのだろうか。トゥーレにしては珍しくシルベストルを素直に褒めた所にもそれが現れていた。
今回のリーディアの訪問は、シルベストルや他の文官の来訪に便乗した訪問ではなく珍しく彼女単独での訪問だった。
フォレスからカモフに逃れてきておよそ三年。
トゥーレの庇護下にあるとはいえウンダル亡命政府の代表でもある彼女は、未だにトゥーレの婚約者の立場のままだった。
これは実質的には形骸化しているとはいえ、ウンダル亡命政府の代表を務めるリーディアをトゥーレが娶った際、彼にウンダル簒奪の評判が立つことを避けるためだ。
もちろんトゥーレにそのような意思がないことは関係者は皆理解していた。
しかしドーグラスを討ったことでトゥーレの名声が高まったとはいえ、カモフを除けばまだまだ名が知られるようになった程度でしかなかった。
そのようなトゥーレが、最強と呼ばれたオリヤンの娘であるリーディアを妻とすることで、名声を手に入れるためだと勘ぐられても仕方がなかった。
またカモフからギルドを完全に排除した事で、各地のギルドから謂われのない悪評を立てられてもいた。噂自体は取るに足らない噂ばかりだったが、そのような噂が今後の行動に支障が出てくる事も考えられる。
亡命政府がウンダルの奪還を目的としている以上、それ以上の悪評が広まることを避けたかったのだ。
暫くお互いの近況を語り合っていた二人だったが、トゥーレはリーディアに何となく違和感を覚えていた。
何がとは言えない漠然とした程度だったが、久しぶりに会ったからという程小さくはなかった。
「どうしました?」
「いや、少し雰囲気変わったかなと思って」
言葉にするのが難しく咄嗟に口を濁したトゥーレだったが、違和感は消えずに残ったままだった。
「年が明ければわたくしももう二十歳ですから」
少しはにかみながらリーディアが答えた。
「すまないな。折角カモフに来たというのに何時までも中途半端を強いてしまって本当に申し訳ない」
十五歳で成人と見做されていたこの時代、男女ともに二十歳までに結婚する事が普通だった。
中にはユーリのように二十歳を過ぎても気にしない者もいたが、それはあくまで少数派だった。
そのユーリにしてもトゥーレの妹であるエステルと婚約していて、年が明けると結婚する予定となっていた。
特に領主であるトゥーレには、万一のために世継ぎを残すことも大事な仕事となるが、先の理由によりリーディアとの結婚は延期されたままだったのだ。
気を揉んだシルベストルらは、遠回しにトゥーレに第二夫人を娶ることを打診してきていたが、彼は頑なにそれを拒み続けていた。
「いえ、わたくしの我が儘を聞いて下さったのですから謝るのはわたくしの方です。本来であれば今年中に代表を辞する筈でしたもの。それにわたくしの力が足りないばかりにシルベストル様にまで苦労をおかけして申し訳なく存じます」
そう言って申し訳なさそうに目を伏せた。
リーディアは元々亡命政府を興し、ウンダル奪還を目指す考えなど持っていなかった。ましてや代表などという立場に立つつもりなどさらさらなかったのだ。
彼女と一緒に避難してきたダニエルやヨウコの奥方らが画策し、トゥーレの力を借りるためにリーディアを利用したに過ぎない。固辞し続けていた彼女だったが、最終的にダニエルの忘れ形見が成人するまでという期限を条件に引き受けた。
その忘れ形見であるダニエルの長男が成人するのが今年の予定だった。
しかし不幸なことに彼は二年前の冬、強風の中外出を強行したあげくに湖に転落してしまった。引き上げられた彼は凍り付き既に息をしていなかった。他の代表候補もいることはいるが、まだ幼かったため仕方なく現在もリーディアが代表を務めていたのだ。
「もうすぐ冬篭もりになるから苦労かけると思う」
「でも春になるまでの辛抱ですもの。それにシルベストル様も気にかけて下さいますし、ナターリエ様も自重されるでしょう」
リーディアが思い出したようにくすりと笑った。
ナターリエとは亡きダニエルの妻だ。
リーディアを亡命政府の代表として立つよう依頼した人物であり、現在はそのリーディアに不満を募らせている人物でもある。
依頼した当初はリーディアの名の下に反エリアス派を結集させ、トゥーレの力も借りて早期のウンダル奪還を目論んでいた。
しかし殆ど表舞台に出たことのなかったリーディアの名前では人が集まらなかった。結局亡命政府結成から現在まででも、肝心の戦力は三〇〇〇名程度しか集まっていなかったのだ。
またトゥーレの方もカモフ復興を優先する方針を示し、すぐに軍を興すつもりはなかった。
最初こそリーディアを支えることを約束していたナターリエだったが、長男を亡くしたショックと、ウンダルの奪還が遅々として進まない苛立ちにより、遂にはその不満をリーディアに向けるようになっていた。
もちろん表だっては結束しているように見せかけてはいたが、裏ではリーディアへの悪口や陰湿な嫌がらせなどが横行していた。
サザン内でそれはもう公然の秘密と言ってよく、これにはリーディアだけでなくシルベストルも対処に苦慮していたのだ。
やがて何時まで経っても状況に進展がないことに業を煮やしたナターリエは、遂に公然とリーディアを批判し始めた。
しかしこの夏のある日、たまたまシルベストルがリーディアの様子を見に来ていた。
そこに癇癪を起こしたナターリエが現れ、シルベストルの前で彼女を口汚く罵ったのだ。
シルベストルが烈火の如く怒り、正論を並べ立ててナターリエを叱りつけたのは言うまでもない。
彼女はその場で謹慎を言い渡されたのだった。
その後周りの取り成しによって謹慎は解除されたが、その出来事を切っ掛けにリーディアへの口撃や嫌がらせは沈静化したのだった。
「皆様が口を揃えて『シルベストル様を怒らせるな』と仰った意味がやっと分かりました」
普段の柔和な老紳士といった雰囲気の彼が、一瞬で顔を真っ赤にして怒り出す様子にその場にいた誰もが驚いたという。
中には泣き出す侍女までいたようで、またその侍女はよくシルベストルへの使いに使っていた侍女だった。そのため暫くその侍女を使いに出せなくなって困ったとリーディアが笑う。
そういう彼女自身も突然豹変したシルベストルの姿に、暫く声を掛けることを躊躇ったという。
よく怒らせている自分の事は棚に上げて、トゥーレも笑顔を浮かべながら頷く。
「爺が怒る程だから余程腹に据えかねたんだろう。あれは昔からそうだった。直前までにこにこしていたと思ったら突然怒り出すものだから、幼い頃はそのスイッチがどこにあるか分からず、本当に恐ろしいと思ったものだ」
カモフにおいて最もシルベストルから雷を落とされたのはもちろんトゥーレだ。
幼少期に遊び相手の少なかった彼は、シルベストルに悪戯をしてはよく叱られていたのだ。
その殆どは自業自得だったのだが、正体を隠されていた幼いトゥーレにとってシルベストルは彼の正体を知る数少ない味方の一人だった。
その味方である筈の人物が鬼の形相で彼を追いかけてくるのである。
それは心的外傷として刻み込まれる程だった。
今となってはトゥーレのためを思って叱っていた事が理解できるが、当時は本当に怖かったと照れ臭そうに告白をするのだった。
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