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第三章 カモフ攻防戦
68 一騎打ち(3)
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――はぁはぁはぁ
ユーリは顎が上がり、肩で大きく息をしていた。
頬を伝う大粒の汗が顎の先から滴り落ち、大地に小さな染みを作る。
ここまでイグナーツの攻撃は全て躱していたが、そのために何度も大地を転がり全身土に塗れていた。
対するイグナーツは多少息遣いが激しくなっている程度で、涼しい顔で馬上からユーリを見下ろしていた。
これまでの攻撃ではどれも有効打にはなっていなかったが、そもそも騎兵と歩兵が一対一で戦えば圧倒的に騎兵が有利な状況だ。
高い機動力とパワーは歩兵にとってはそれだけで大きな脅威となる。
ユーリもまずはイグナーツの乗馬を無力化しようとしていたが、流石に対騎兵の常套手段はイグナーツも分かっている。愛馬をを巧みに操ってユーリをその間合いには近づけさせないようにしていた。
その分彼の攻撃も甘くなってはいたが、イグナーツは相手が疲弊して動きが鈍くなるのを待てば良かった。
――ガシィィィン
イグナーツのフェイントに惑わされたユーリは回避に移るのが一瞬遅れた。それでも何とか盾を騎槍と身体の間にねじ込んで事なきを得る。
しかし盾は衝撃により真っ二つに割れて弾け飛び、ユーリは身体を守る唯一の防具を失ってしまった。
「どうした? そろそろ限界じゃないのか?」
馬首を巡らせてユーリに正対させたイグナーツはそう言って挑発をする。
ユーリは盾を吹き飛ばされた際、それを繋いでいた吊革が千切れて頬を切っていたが、急いで息を整えて手の甲で血を拭うとニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「邪魔だなと思ってたので外す手間が省けて助かりました」
「まだ強がりを言うか!」
「強がりかどうかは試してみれば分かりますよ」
「下郎が!」
イグナーツは吐き捨てるように叫ぶと愛馬に拍車を当てた。
風のように迫り来るイグナーツに、ユーリも両手剣の剣先を下げ右足を引いて半身になって待ち構えた。
見る見るうちに二人の距離が縮まっていく。
イグナーツがフェイントを交えて突きを繰り出すが、今度はユーリがそれをギリギリまで引きつけて躱した。
槍先がサーコートの胸元を引き裂くが、ユーリはそれに構わず地面すれすれから剣を切り上げる。
「浅いか!?」
「ちっ! 小癪な!」
馬を狙ったすれ違いざまの一撃は、馬鎧に阻まれ馬体へのダメージは通らなかった。しかし馬鎧は損壊し逞しい馬体の一部が露わになった。
お互いに不満そうな表情を浮かべて再び対峙する。
「ルーベルト様、射撃の許可を!」
「駄目だ! 一騎打ち中は手出し無用だ」
対決を見守るヨハニが先程から射撃の許可を求めていたが、ルーベルトは却下し続けていた。
一騎打ちが成立中は決着が着くまで手出し無用というのが暗黙のルールだ。もしルールを破れば長く不義理の誹りを受けることになる。それに加えて今回はそれに怒り狂ったイグナーツ隊の蹂躙にも遭うことだろう。
元々不利を承知しながらもこちらが応じた一騎打ちだ。ユーリの危機だからと言って手を出すことは許されない。
「気持ちは分かるがユーリを信じろ!」
ヨハニからすれば納得できない理不尽な騎士のルールだが、破った結果どうなるかくらいは分かるつもりだ。
それにそう言って彼を諫めているルーベルト自身の鉄砲を掴む手が、真っ白になる程強く握り込まれていた。それを見れば流石に自分の判断で勝手をする訳にはいかなかった。
「・・・・わかった」
ヨハニは苦い表情で頷くと、激しい一騎打ちが繰り広げられている前方を睨んだ。
ユーリとイグナーツの二人は、十メートルの距離で動きを止めていた。
ユーリは大きく肩で息をしながらも次の攻撃に備えて必死で息を整えていた。
一方のイグナーツもここまでのユーリの健闘に内心舌を巻いていた。
一回とは言わずとも数度の攻撃で勝負が着くと考えていたイグナーツだったが、攻撃はもう既に十回を数えていた。それどころかダメージはないとはいえ相手に攻撃を通された。
戦いが長引けば、いくら駿馬とはいえ動きが落ちてくる。馬鎧を通して愛馬からムワッとした熱気が上がってきていた。このままでは恐らくあと数回の攻撃で愛馬は限界を迎えるだろう。
「坑夫上がりでなければよい騎士になれたものを」
これだけの健闘を見せつけても尚、イグナーツはユーリを騎士とは認めていなかった。
イグナーツにとって騎士とは血統であり、世襲によって代々継いでいくものであった。
普段から強烈な選民的思想の持ち主で、彼にとっては騎士とは純血なものだった。
そのため元平民であったり、デモルバのように一度騎士位を剥奪された者に対しては、どれだけ優秀であろうとそれはもう騎士ではなかったのだ。
「貴様ももう限界ではないのか? そろそろ楽にしてやろう!」
「それはイグナーツ様が騎乗する馬も同じでしょう。あと数回が限度ではないですか?」
ユーリはそう言いながら頭部を守る額当てをフードごと外した。
途端に汗に濡れた頭髪と額の傷跡が露わとなり、頭から湯気が立ち上る。
「貴様、何をしておる!?」
その行動を不審に感じたイグナーツが思わず問い掛けるが、ユーリは黙ったまま今度は屈んで脛当てを外し始めた。左右の脛当てを外すと、立ち上がって次は籠手を外していく。
「イグナーツ様が仰られるように俺は育ちが悪いものでね。装備があると動きづらいんですよ」
呆気に取られるイグナーツを尻目にユーリはあっけらかんと笑う。
籠手を外すと腰の刀帯を片手半剣ごと外し、最後に胸元が大きく裂けたサーコートを脱ぎ捨てた。
鎖帷子姿となったユーリが具合を確かめるように軽くジャンプする。
シャラシャラと鎖のこすれ合う音が戦場に響く。
「さて、お待たせしました」
ユーリはそう言うと先ほどと同じように半身になって両手剣を構えた。
「おのれ巫山戯た奴め!」
ユーリはあくまでも動きやすくするために身軽になっただけだが、イグナーツには騎士の流儀を冒涜する態度に映った。
顔を真っ赤にして怒りを露わにすると、ユーリに向けて真っ直ぐ馬を走らせた。
――おぉぉぉぉ
するとこれまでは待ち構えて戦っていたユーリだったが、腹の底から唸り声を上げてイグナーツに向けて駆け出した。
イグナーツが指摘した通り、ユーリの体力は既に底を突いていた。このままでは負けると感じたユーリは、装備を外して一か八かの勝負に出たのだった。
「何っ!?」
ユーリのこの行動は流石のイグナーツですら意表を突かれ、一瞬だったが迷いを生じさせた。その一瞬がユーリに肉薄を許すこととなり、騎槍の照準を僅かに上ぶれした。
ユーリは繰り出された騎槍を身体を沈み込ませて躱そうとしたが、躱しきれずに騎槍が左の肩口を掠めていく。
鎖帷子が裂け、灼けるような痛みに一瞬顔を顰めながら、それでもユーリはそれに構わずさらに一歩踏み込んでいく。
「どらぁぁぁぁっ!」
騎槍と馬体の間へと何とか身体を滑らせると、そこから飛び上がりながら両手剣を跳ね上げるように振るった。
ユーリ渾身のその一撃はプレートメイルに覆われていないイグナーツの右脇に入り、彼の右腕を根元から切り上げた。
「ぐぁっ!」
短い苦悶の声とともにイグナーツの右腕が空中に舞う。
驚愕に目を見開いたイグナーツが右肩を押さえながら崩れ落ちるように落馬した。腕を失ったことでバランスが取れなくなったのだ。
一方ユーリの方も剣を振った後の無防備の体勢の所に、走り抜ける馬体が激突し勢いよく弾き飛ばされ、大地を二度三度と転がっていった。
受け身を取れずに頭から落ちたイグナーツはピクリとも動かない。
吹き飛ばされたユーリもゼーゼーと大きく息を繰り返し、大の字で倒れて起き上がる事ができなかった。
「イ、イグナーツ様が!?」
名もなき騎士にイグナーツが敗れるという衝撃を目の当たりにしたストール軍の兵たちは、目の前の信じられない光景に言葉を失って立ち尽くしていた。
勝負の決した一騎打ちの場には勝者のユーリも倒れ伏し、ただ主人のいない馬だけが所在なげに闊歩しているだけだった。
「よっし!」
空を見上げたまま小さく言葉を零したユーリは、してやったりという表情を浮かべて拳を突き出した。
ユーリは顎が上がり、肩で大きく息をしていた。
頬を伝う大粒の汗が顎の先から滴り落ち、大地に小さな染みを作る。
ここまでイグナーツの攻撃は全て躱していたが、そのために何度も大地を転がり全身土に塗れていた。
対するイグナーツは多少息遣いが激しくなっている程度で、涼しい顔で馬上からユーリを見下ろしていた。
これまでの攻撃ではどれも有効打にはなっていなかったが、そもそも騎兵と歩兵が一対一で戦えば圧倒的に騎兵が有利な状況だ。
高い機動力とパワーは歩兵にとってはそれだけで大きな脅威となる。
ユーリもまずはイグナーツの乗馬を無力化しようとしていたが、流石に対騎兵の常套手段はイグナーツも分かっている。愛馬をを巧みに操ってユーリをその間合いには近づけさせないようにしていた。
その分彼の攻撃も甘くなってはいたが、イグナーツは相手が疲弊して動きが鈍くなるのを待てば良かった。
――ガシィィィン
イグナーツのフェイントに惑わされたユーリは回避に移るのが一瞬遅れた。それでも何とか盾を騎槍と身体の間にねじ込んで事なきを得る。
しかし盾は衝撃により真っ二つに割れて弾け飛び、ユーリは身体を守る唯一の防具を失ってしまった。
「どうした? そろそろ限界じゃないのか?」
馬首を巡らせてユーリに正対させたイグナーツはそう言って挑発をする。
ユーリは盾を吹き飛ばされた際、それを繋いでいた吊革が千切れて頬を切っていたが、急いで息を整えて手の甲で血を拭うとニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「邪魔だなと思ってたので外す手間が省けて助かりました」
「まだ強がりを言うか!」
「強がりかどうかは試してみれば分かりますよ」
「下郎が!」
イグナーツは吐き捨てるように叫ぶと愛馬に拍車を当てた。
風のように迫り来るイグナーツに、ユーリも両手剣の剣先を下げ右足を引いて半身になって待ち構えた。
見る見るうちに二人の距離が縮まっていく。
イグナーツがフェイントを交えて突きを繰り出すが、今度はユーリがそれをギリギリまで引きつけて躱した。
槍先がサーコートの胸元を引き裂くが、ユーリはそれに構わず地面すれすれから剣を切り上げる。
「浅いか!?」
「ちっ! 小癪な!」
馬を狙ったすれ違いざまの一撃は、馬鎧に阻まれ馬体へのダメージは通らなかった。しかし馬鎧は損壊し逞しい馬体の一部が露わになった。
お互いに不満そうな表情を浮かべて再び対峙する。
「ルーベルト様、射撃の許可を!」
「駄目だ! 一騎打ち中は手出し無用だ」
対決を見守るヨハニが先程から射撃の許可を求めていたが、ルーベルトは却下し続けていた。
一騎打ちが成立中は決着が着くまで手出し無用というのが暗黙のルールだ。もしルールを破れば長く不義理の誹りを受けることになる。それに加えて今回はそれに怒り狂ったイグナーツ隊の蹂躙にも遭うことだろう。
元々不利を承知しながらもこちらが応じた一騎打ちだ。ユーリの危機だからと言って手を出すことは許されない。
「気持ちは分かるがユーリを信じろ!」
ヨハニからすれば納得できない理不尽な騎士のルールだが、破った結果どうなるかくらいは分かるつもりだ。
それにそう言って彼を諫めているルーベルト自身の鉄砲を掴む手が、真っ白になる程強く握り込まれていた。それを見れば流石に自分の判断で勝手をする訳にはいかなかった。
「・・・・わかった」
ヨハニは苦い表情で頷くと、激しい一騎打ちが繰り広げられている前方を睨んだ。
ユーリとイグナーツの二人は、十メートルの距離で動きを止めていた。
ユーリは大きく肩で息をしながらも次の攻撃に備えて必死で息を整えていた。
一方のイグナーツもここまでのユーリの健闘に内心舌を巻いていた。
一回とは言わずとも数度の攻撃で勝負が着くと考えていたイグナーツだったが、攻撃はもう既に十回を数えていた。それどころかダメージはないとはいえ相手に攻撃を通された。
戦いが長引けば、いくら駿馬とはいえ動きが落ちてくる。馬鎧を通して愛馬からムワッとした熱気が上がってきていた。このままでは恐らくあと数回の攻撃で愛馬は限界を迎えるだろう。
「坑夫上がりでなければよい騎士になれたものを」
これだけの健闘を見せつけても尚、イグナーツはユーリを騎士とは認めていなかった。
イグナーツにとって騎士とは血統であり、世襲によって代々継いでいくものであった。
普段から強烈な選民的思想の持ち主で、彼にとっては騎士とは純血なものだった。
そのため元平民であったり、デモルバのように一度騎士位を剥奪された者に対しては、どれだけ優秀であろうとそれはもう騎士ではなかったのだ。
「貴様ももう限界ではないのか? そろそろ楽にしてやろう!」
「それはイグナーツ様が騎乗する馬も同じでしょう。あと数回が限度ではないですか?」
ユーリはそう言いながら頭部を守る額当てをフードごと外した。
途端に汗に濡れた頭髪と額の傷跡が露わとなり、頭から湯気が立ち上る。
「貴様、何をしておる!?」
その行動を不審に感じたイグナーツが思わず問い掛けるが、ユーリは黙ったまま今度は屈んで脛当てを外し始めた。左右の脛当てを外すと、立ち上がって次は籠手を外していく。
「イグナーツ様が仰られるように俺は育ちが悪いものでね。装備があると動きづらいんですよ」
呆気に取られるイグナーツを尻目にユーリはあっけらかんと笑う。
籠手を外すと腰の刀帯を片手半剣ごと外し、最後に胸元が大きく裂けたサーコートを脱ぎ捨てた。
鎖帷子姿となったユーリが具合を確かめるように軽くジャンプする。
シャラシャラと鎖のこすれ合う音が戦場に響く。
「さて、お待たせしました」
ユーリはそう言うと先ほどと同じように半身になって両手剣を構えた。
「おのれ巫山戯た奴め!」
ユーリはあくまでも動きやすくするために身軽になっただけだが、イグナーツには騎士の流儀を冒涜する態度に映った。
顔を真っ赤にして怒りを露わにすると、ユーリに向けて真っ直ぐ馬を走らせた。
――おぉぉぉぉ
するとこれまでは待ち構えて戦っていたユーリだったが、腹の底から唸り声を上げてイグナーツに向けて駆け出した。
イグナーツが指摘した通り、ユーリの体力は既に底を突いていた。このままでは負けると感じたユーリは、装備を外して一か八かの勝負に出たのだった。
「何っ!?」
ユーリのこの行動は流石のイグナーツですら意表を突かれ、一瞬だったが迷いを生じさせた。その一瞬がユーリに肉薄を許すこととなり、騎槍の照準を僅かに上ぶれした。
ユーリは繰り出された騎槍を身体を沈み込ませて躱そうとしたが、躱しきれずに騎槍が左の肩口を掠めていく。
鎖帷子が裂け、灼けるような痛みに一瞬顔を顰めながら、それでもユーリはそれに構わずさらに一歩踏み込んでいく。
「どらぁぁぁぁっ!」
騎槍と馬体の間へと何とか身体を滑らせると、そこから飛び上がりながら両手剣を跳ね上げるように振るった。
ユーリ渾身のその一撃はプレートメイルに覆われていないイグナーツの右脇に入り、彼の右腕を根元から切り上げた。
「ぐぁっ!」
短い苦悶の声とともにイグナーツの右腕が空中に舞う。
驚愕に目を見開いたイグナーツが右肩を押さえながら崩れ落ちるように落馬した。腕を失ったことでバランスが取れなくなったのだ。
一方ユーリの方も剣を振った後の無防備の体勢の所に、走り抜ける馬体が激突し勢いよく弾き飛ばされ、大地を二度三度と転がっていった。
受け身を取れずに頭から落ちたイグナーツはピクリとも動かない。
吹き飛ばされたユーリもゼーゼーと大きく息を繰り返し、大の字で倒れて起き上がる事ができなかった。
「イ、イグナーツ様が!?」
名もなき騎士にイグナーツが敗れるという衝撃を目の当たりにしたストール軍の兵たちは、目の前の信じられない光景に言葉を失って立ち尽くしていた。
勝負の決した一騎打ちの場には勝者のユーリも倒れ伏し、ただ主人のいない馬だけが所在なげに闊歩しているだけだった。
「よっし!」
空を見上げたまま小さく言葉を零したユーリは、してやったりという表情を浮かべて拳を突き出した。
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