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第三章 カモフ攻防戦
34 リーディアの願い
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多くの血と涙が流れた春を過ぎ、季節はいつの間にか夏の終わりを迎えていた。
リーディアの視力は、ぼんやりと輪郭程度が見える状態からほとんど回復が進んでいなかった。それでも彼女の行動範囲は大きく広がり、今では離れはもちろん領主邸のほとんどを介助なしで行動できるほどになっていた。
聴覚と併用した彼女の所作は、館内に限れば健常者のそれとほぼ変わらず、知らない者が見れば言わなければ、彼女が視力を失っている事に気付かないほどだった。
「トゥーレ様、リーディア姫様が面会の許可を求めていらっしゃいます」
「リーディアが!?」
側勤めが執務をおこなっていたトゥーレにリーディアの来訪を告げた。
結局トゥーレの執務室への出入禁止の解除が出たのは初夏を迎えてからだった。それまでいくら彼が『もう大丈夫だ』と訴えたところで老騎士は、頑として首を縦に振らなかったのである。
リーディアの来訪の理由に特に心当たりのない彼は、少し訝しく思いながらも彼女を執務室に通すのだった。
入口付近で立ち止まったリーディアは、華麗なカーテシーをおこなって挨拶をおこなうと用向きを口にする。
「ごきげんよう、トゥーレ様。折り入ってお話がございます。すこしお時間をいただけますでしょうか?」
「ごきげんよう。わかった、では少し休憩にしよう」
トゥーレは側勤めたちにそう声を掛けると、リーディアにソファを勧める。彼女も何度か訪れ室内を把握しているため、特に介助が必要な様子もなく彼の正面に腰を下ろした。
「随分伸びてきたね」
側勤めの入れてくれたお茶を一口飲んで彼女にもお茶を勧めたトゥーレは、何を言われたか分からず小首を傾げた彼女の頭を指差す。
フォレスでの戦いの前に自分で鋏を入れた頭髪は、ざっくりと揃っていなかったため、サザンで目覚めた後すぐにショートぐらいの長さに整えられていた。それから半年近く経った今はショートボブと言っていいほどの長さにまで伸びていた。
「そうですね。でも長さが中途半端ですので、ふとした拍子に毛先が首筋に当たってこそばゆいのです」
そう言って毛先を少し摘まみ、照れたようにはにかんで見せた。そして、優雅な動作でテーブルのカップを手に取って口に運ぶ。その所作はトゥーレから見ても見事と言うほかなく、思わず溜息を吐くほど優雅な仕草だった。
「どうかされましたか?」
「いや、君の美しい所作に見とれていただけだ。とても不自由してるとは思えなくてね」
「うふふ、ありがとう存じます。これでも必死で練習したのですよ」
所作を褒められてリーディアは花が咲いたような笑顔を見せる。
彼女は実際にこのレベルになるまで、セネイと二人で何度も繰り返し練習していた。当初はぎこちなかった所作も、形が分かる程度にまで回復した視力のお陰もあって、見違えるような洗練された動きになっていたのだ。
「それで、その、視力はまだ?」
「ええ、まだぼんやりとしか見えません。ですのでここからですと、トゥーレ様が舌を出されていても、わたくしには分かりませんわ」
奥歯に物が挟まったように言いにくそうにしたトゥーレに、リーディアは努めて明るい口調で戯けてみせる。
「そんなことしないさ。・・・・多分ね」
元気づけようとしたのか、最後に付け足した余計なひと言を聞いて、彼女は笑顔のまま『むうっ』と頬を膨らませる。
「それで、話とは?」
トゥーレが改まった調子で尋ねると、彼女は姿勢を正して両手を膝の上に揃えた。
「わたくしは、いつまでこのままなのでしょうか?」
「何か不自由でもあるのか?」
「皆お優しくしてくれますし、特に不自由という訳ではございませんけれど・・・・」
身動ぎしながら言葉を濁す彼女を見て、何となく言いたいことを察したトゥーレは側勤めたちを下がらせ人払いをした。
「さて、何か言いたいことがあるのだろう?」
二人きりになると砕けた調子で改めてそう問い掛けた。
リーディアは目を伏せてしばらく口を噤んでいたが、やがて目を上げると決意の籠もった瞳をトゥーレに向けながら口を開いた。
「わたくしを利用してくださいませ」
「うん? ちょっと待って!? 話が見えないのだが?」
流石のトゥーレも彼女の結論まで飛躍してしまった話に、きょとんとした表情を浮かべる。
「す、すみません。わたくしったら・・・・」
さすがに失言に気付き顔を真っ赤に染めるリーディア。
彼女は目覚めてからずっと考え続けていたことを簡潔に伝えるつもりだった。そのために頭の中のトゥーレ相手にシミュレーションを繰り返しているうちに、彼が知っていることだと混同してしまい、思いがけず結論が口をついて出てしまったと慌てて説明した。
「あの日、多くの方がわたくしのために犠牲になりました」
お茶を口にして落ち着いたリーディアが、ゆっくりと語り始めた。
あの日とはもちろんオモロウを脱出した日のことだ。
彼女を逃がすために兄であり領主であるダニエルや、ヤーヒムなどの彼女の護衛騎士の多くが彼女のために命を投げ出した。
ウンダルの人間だけではない。トゥーレも父であるザオラルを目の前で亡くし、多くの兵を失っていた。
「戦争なんだ。リーディアが気にすることではないさ。それに君も覚悟はしていたのだろう?」
トゥーレが慰めるように口を開いたが、気休めにしかならないことは分かっていた。簡単に割り切れるならば彼女もこれほど思い悩むことはない筈だ。
これは人の上に立つ者の宿命といっていい。
戦いになれば彼らの命令ひとつに兵の命運がのし掛かる。例え勝ち戦だとしても味方に犠牲が出ないなんてことはなく、ましてや敗れたならばさらに多くの命が散っていく。それは彼らの命が尽きるまで続くのだ。
あの戦いでの双方の戦死者は数千を数えていた。
「わかっています。そうやって生かされたからには、生き残ったわたくしは何をすべきかをずっと考えてきました。
父が亡くなった後、兄たちが互いに覇権を掛けて争い、ダニエル兄様やヨウコ兄様も亡くなりました。仲が良いと思っていたヴィクトル兄様までわたくしを殺そうと弓を引きました」
リーディアはカップのお茶を見つめながら、どこか他人事のように淡々と語っていた。トゥーレも何も言わず、彼女の言葉に耳を傾けていた。
「大好きだったフォレスの街は炎に包まれたと聞きます。
例えフォレスを取り戻したとしても、あの頃のフォレスには二度と戻らないし、戻すこともできないでしょう。
それでも父が愛していたフォレスを、わたくしが大好きだったフォレスを取り戻したいのです。
でも今のわたくしには・・・・、わたくしたちにはそのような力はありません。精々ウンダル領内でゲリラ活動をおこなうのが精一杯でしょう」
顔を上げたリーディアが、真っ赤になった目でトゥーレに懇願する。
「トゥーレ様、わたくしを利用してください。エリアスやヴィクトルを討つ力をどうかお貸しくださいませ!」
それは自分の生まれ故郷に侵攻することを意味していた。
その目的のためには自分の名前を利用することすら厭わない。むしろ兄たちを滅ぼす事ができるなら、彼女の名前を利用して反エリアス勢力を集めるようにトゥーレに願ったのだ。
「いいのか? 君の大好きなフォレスが、また炎に包まれるかも知れないぞ」
リーディアが落ち着くのを待って、トゥーレはゆっくりと口を開く。
エリアスを討つということは、ウンダルが戦場になることと同義だ。戦いになればフォレスが戦場となることは避けられず、多くの命が散ることになるだろう。
「はい、覚悟はできています。目の見えないわたくしが、トゥーレ様のお役に立てるのはこれぐらいしかできませんから」
「そんなことはない!」
自嘲気味に呟いた彼女に、思わず強い口調で彼は否定していた。
「そんなことはないさ。俺は初めて逢った時のように君を助ける事ができて、心から良かったと思っているのだから」
そう言ってトゥーレはリーディアの手を取り自分の頬に添える。
「だからそんな寂しいことは言わないでくれ」
「トゥーレ様・・・・」
余り見せないトゥーレの態度に、リーディアは戸惑った表情を浮かべるが、同時に彼に愛されている事を実感し、心から嬉しく思えた。
事実、掌に伝わるトゥーレの体温からは、彼女を失うことの恐怖が感じ取れた。
「まさかこんなに早く殿下を頼ることになるとはな」
しばらくそうしていたトゥーレが彼女の手を離すと、既にいつものトゥーレに戻っていた。そして、はにかんだように笑顔を浮かべると、心底嫌そうな顔で告げるのだった。
その年の冬、カモフの谷が風に閉ざされようとする間際となって、リーディアを盟主とするウンダル亡命政府がサザンに誕生した。
リーディアの視力は、ぼんやりと輪郭程度が見える状態からほとんど回復が進んでいなかった。それでも彼女の行動範囲は大きく広がり、今では離れはもちろん領主邸のほとんどを介助なしで行動できるほどになっていた。
聴覚と併用した彼女の所作は、館内に限れば健常者のそれとほぼ変わらず、知らない者が見れば言わなければ、彼女が視力を失っている事に気付かないほどだった。
「トゥーレ様、リーディア姫様が面会の許可を求めていらっしゃいます」
「リーディアが!?」
側勤めが執務をおこなっていたトゥーレにリーディアの来訪を告げた。
結局トゥーレの執務室への出入禁止の解除が出たのは初夏を迎えてからだった。それまでいくら彼が『もう大丈夫だ』と訴えたところで老騎士は、頑として首を縦に振らなかったのである。
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入口付近で立ち止まったリーディアは、華麗なカーテシーをおこなって挨拶をおこなうと用向きを口にする。
「ごきげんよう、トゥーレ様。折り入ってお話がございます。すこしお時間をいただけますでしょうか?」
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トゥーレは側勤めたちにそう声を掛けると、リーディアにソファを勧める。彼女も何度か訪れ室内を把握しているため、特に介助が必要な様子もなく彼の正面に腰を下ろした。
「随分伸びてきたね」
側勤めの入れてくれたお茶を一口飲んで彼女にもお茶を勧めたトゥーレは、何を言われたか分からず小首を傾げた彼女の頭を指差す。
フォレスでの戦いの前に自分で鋏を入れた頭髪は、ざっくりと揃っていなかったため、サザンで目覚めた後すぐにショートぐらいの長さに整えられていた。それから半年近く経った今はショートボブと言っていいほどの長さにまで伸びていた。
「そうですね。でも長さが中途半端ですので、ふとした拍子に毛先が首筋に当たってこそばゆいのです」
そう言って毛先を少し摘まみ、照れたようにはにかんで見せた。そして、優雅な動作でテーブルのカップを手に取って口に運ぶ。その所作はトゥーレから見ても見事と言うほかなく、思わず溜息を吐くほど優雅な仕草だった。
「どうかされましたか?」
「いや、君の美しい所作に見とれていただけだ。とても不自由してるとは思えなくてね」
「うふふ、ありがとう存じます。これでも必死で練習したのですよ」
所作を褒められてリーディアは花が咲いたような笑顔を見せる。
彼女は実際にこのレベルになるまで、セネイと二人で何度も繰り返し練習していた。当初はぎこちなかった所作も、形が分かる程度にまで回復した視力のお陰もあって、見違えるような洗練された動きになっていたのだ。
「それで、その、視力はまだ?」
「ええ、まだぼんやりとしか見えません。ですのでここからですと、トゥーレ様が舌を出されていても、わたくしには分かりませんわ」
奥歯に物が挟まったように言いにくそうにしたトゥーレに、リーディアは努めて明るい口調で戯けてみせる。
「そんなことしないさ。・・・・多分ね」
元気づけようとしたのか、最後に付け足した余計なひと言を聞いて、彼女は笑顔のまま『むうっ』と頬を膨らませる。
「それで、話とは?」
トゥーレが改まった調子で尋ねると、彼女は姿勢を正して両手を膝の上に揃えた。
「わたくしは、いつまでこのままなのでしょうか?」
「何か不自由でもあるのか?」
「皆お優しくしてくれますし、特に不自由という訳ではございませんけれど・・・・」
身動ぎしながら言葉を濁す彼女を見て、何となく言いたいことを察したトゥーレは側勤めたちを下がらせ人払いをした。
「さて、何か言いたいことがあるのだろう?」
二人きりになると砕けた調子で改めてそう問い掛けた。
リーディアは目を伏せてしばらく口を噤んでいたが、やがて目を上げると決意の籠もった瞳をトゥーレに向けながら口を開いた。
「わたくしを利用してくださいませ」
「うん? ちょっと待って!? 話が見えないのだが?」
流石のトゥーレも彼女の結論まで飛躍してしまった話に、きょとんとした表情を浮かべる。
「す、すみません。わたくしったら・・・・」
さすがに失言に気付き顔を真っ赤に染めるリーディア。
彼女は目覚めてからずっと考え続けていたことを簡潔に伝えるつもりだった。そのために頭の中のトゥーレ相手にシミュレーションを繰り返しているうちに、彼が知っていることだと混同してしまい、思いがけず結論が口をついて出てしまったと慌てて説明した。
「あの日、多くの方がわたくしのために犠牲になりました」
お茶を口にして落ち着いたリーディアが、ゆっくりと語り始めた。
あの日とはもちろんオモロウを脱出した日のことだ。
彼女を逃がすために兄であり領主であるダニエルや、ヤーヒムなどの彼女の護衛騎士の多くが彼女のために命を投げ出した。
ウンダルの人間だけではない。トゥーレも父であるザオラルを目の前で亡くし、多くの兵を失っていた。
「戦争なんだ。リーディアが気にすることではないさ。それに君も覚悟はしていたのだろう?」
トゥーレが慰めるように口を開いたが、気休めにしかならないことは分かっていた。簡単に割り切れるならば彼女もこれほど思い悩むことはない筈だ。
これは人の上に立つ者の宿命といっていい。
戦いになれば彼らの命令ひとつに兵の命運がのし掛かる。例え勝ち戦だとしても味方に犠牲が出ないなんてことはなく、ましてや敗れたならばさらに多くの命が散っていく。それは彼らの命が尽きるまで続くのだ。
あの戦いでの双方の戦死者は数千を数えていた。
「わかっています。そうやって生かされたからには、生き残ったわたくしは何をすべきかをずっと考えてきました。
父が亡くなった後、兄たちが互いに覇権を掛けて争い、ダニエル兄様やヨウコ兄様も亡くなりました。仲が良いと思っていたヴィクトル兄様までわたくしを殺そうと弓を引きました」
リーディアはカップのお茶を見つめながら、どこか他人事のように淡々と語っていた。トゥーレも何も言わず、彼女の言葉に耳を傾けていた。
「大好きだったフォレスの街は炎に包まれたと聞きます。
例えフォレスを取り戻したとしても、あの頃のフォレスには二度と戻らないし、戻すこともできないでしょう。
それでも父が愛していたフォレスを、わたくしが大好きだったフォレスを取り戻したいのです。
でも今のわたくしには・・・・、わたくしたちにはそのような力はありません。精々ウンダル領内でゲリラ活動をおこなうのが精一杯でしょう」
顔を上げたリーディアが、真っ赤になった目でトゥーレに懇願する。
「トゥーレ様、わたくしを利用してください。エリアスやヴィクトルを討つ力をどうかお貸しくださいませ!」
それは自分の生まれ故郷に侵攻することを意味していた。
その目的のためには自分の名前を利用することすら厭わない。むしろ兄たちを滅ぼす事ができるなら、彼女の名前を利用して反エリアス勢力を集めるようにトゥーレに願ったのだ。
「いいのか? 君の大好きなフォレスが、また炎に包まれるかも知れないぞ」
リーディアが落ち着くのを待って、トゥーレはゆっくりと口を開く。
エリアスを討つということは、ウンダルが戦場になることと同義だ。戦いになればフォレスが戦場となることは避けられず、多くの命が散ることになるだろう。
「はい、覚悟はできています。目の見えないわたくしが、トゥーレ様のお役に立てるのはこれぐらいしかできませんから」
「そんなことはない!」
自嘲気味に呟いた彼女に、思わず強い口調で彼は否定していた。
「そんなことはないさ。俺は初めて逢った時のように君を助ける事ができて、心から良かったと思っているのだから」
そう言ってトゥーレはリーディアの手を取り自分の頬に添える。
「だからそんな寂しいことは言わないでくれ」
「トゥーレ様・・・・」
余り見せないトゥーレの態度に、リーディアは戸惑った表情を浮かべるが、同時に彼に愛されている事を実感し、心から嬉しく思えた。
事実、掌に伝わるトゥーレの体温からは、彼女を失うことの恐怖が感じ取れた。
「まさかこんなに早く殿下を頼ることになるとはな」
しばらくそうしていたトゥーレが彼女の手を離すと、既にいつものトゥーレに戻っていた。そして、はにかんだように笑顔を浮かべると、心底嫌そうな顔で告げるのだった。
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