都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第三章 カモフ攻防戦

30 母と子

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 リーディアが目を覚ましてから十日が経った。
 ほとんど動くことができなかった彼女も、ようやくベッドから起き上がれるようになり、それまでを取り戻すように精力的に動いていた。
 全く見えなかった視力も日が経つにつれて僅かに回復し、ぼんやりとだが見えるようになっていた。それでもほぼ視力を失った状態に変わりなく、動き回るには介助が欠かせなかった。それでも視力以外悪いところがなかったため、彼女は積極的に運動を重ねて体力回復をはかっていた。

「動けるようになったからといって、根を詰めすぎると身体によくありませんよ?」

「アデリナ様の仰る通りです。姫様、もう少しゆっくりで構いませんよ?」

「駄目です。二十日も休んだのです。目が見えないからといって大人しく寝ていられません。このままではベッドに根が生えてしまいそうです」

 へとへとになりながらも休もうとしない彼女に、母のアデリナや側勤めたちが心配するほどだったが、リーディアは意に介することなくそう言って身体を動かし続けていた。

「あっ!」

 そう言ってる傍から床の僅かな段差につまずいて転んだ。
 彼女は介助されてようやく動くことが出来る程度で、視界はほとんど見えていない。そのためわずかな段差や障害物でバランスを崩したり転んだりすることが多かった。
 休むよう言っても頑として聞かず、諦めることなく運動を続けるリーディアを、アデリナたちはハラハラしながら見守るのだった。




 トゥーレはぼんやりと窓の外を眺めていた。
 執務室の窓の先、馬場を挟んだ向かいにリーディアたちが仮住まいしている離れが見えていた。

「トゥーレ様?」

「あ、ああすまない」

 怪訝に思った側近が呼びかけると、トゥーレは慌てて執務に戻る。
 先程から何度となく繰り返された遣り取りだった。

「!?」

 執務机に置いたままにしていたお茶に口に付けると思いの外冷たくなっていた。どうやらトゥーレが思っているより長い時間、外を眺めていたらしい。

「それほど気になるのでしたら、様子を見に行かれてはどうですか?」

「いや、大丈夫だ。問題ない」

 流石に見かねたシルベストルがうんざりした様子で声を掛けた。トゥーレは曖昧な表情を浮かべ、取り繕うように書類に目を通していく。が、すぐに動きが止まり大きな溜息を吐く。

「何度もそうやって溜息を吐かれては、私どもも困るのですが」

「うん? 溜息を吐いていたか?」

「それはもう盛大に!」

 シルベストルの言葉に、執務を手伝っている側勤めたちも肯定するように小刻みに頷く。

「トゥーレ様、このところ夜遅くまで執務室にいらっしゃいますが、その割には仕事がはかどっておられません。気になることや悩みがおありでしたら先に解消された方がよろしいかと存じます」

 そう言うとシルベストルは護衛騎士の命じ、問答無用でトゥーレを執務室から追い出してしまった。

「ちょ、シルベストル、何の真似だ!」

「機能不全を起こしているトゥーレ様は、しばらく執務室を出入り禁止とさせていただきます。その間に考えを整理し、お悩みを解消なさいませ!」

 扉越しにシルベストルにそう釘を刺され、彼は本当に執務室から閉め出されてしまった。
 しばらく扉の前で途方に暮れていたものの、待っていた所でシルベストルが扉を開けてくれる筈もなく、とぼとぼと仕方なく執務室から離れていくしかなかった。





「ふふふ、それで仕方なく母に甘えにきたのですね」

 目の前の苦り切った様子のトゥーレを見ながら、テオドーラが屈託なく笑った。
 トゥーレはしばらく邸内を当てもなくウロウロしていたが、気付けば母の部屋を訪れていた。
 そして母に促されるまま執務を取り上げられた事を語ったのだった。
 フォレスを脱出した当初、彼女はザオラルを失った悲しみからしばらく塞ぎ込んでいたが、夫の葬儀を境に立ち直り、エステルと一緒にリーディアの見舞いに行ったり、街を散策するなど寂しさを紛らせるように精力的に活動するようになっていた。

「別に甘えに来た訳では・・・・」

「うふふ、ではそう言うことにしておきましょう」

 困り切ったトゥーレとは対照的に、久しぶりに息子と二人きりになってテオドーラは嬉しそうだ。
 彼女は側勤めに取っておきの果実酒を用意させる。

「母上、俺はまだ仕事が残ってます。酒は・・・・」

「あら、たまには母に付き合ってくれてもいいじゃない? それに貴方はシルベストルにその肝心な仕事を取り上げられたのではなくて?」

「うぐっ!」

 テオドーラからそう指摘されると、苦い顔を浮かべてガックリと項垂れた。
 彼は観念したように首を振ると、彼女からグラスを受け取るのだった。

「それで、リーディアとは仲良くやっているのですか?」 

「ええ、まあ」

「そうですか? でもわたくしが聞いた話だと、貴方が逢いに来たのは彼女が目覚めた時の一回きりだけだと嘆いておりましたけれど」

 そう言うと頬に手を当てて首を傾げた。

「・・・・知っていたんなら何故聞いたんです?」

「エステルがぷんすかと怒っていましてよ。『お兄様にはお仕置きが必要です!』と息巻いていましたから」

 可笑しそうにテオドーラがくすくすと笑う。
 夕刻に飲み始めたが、いつの間にか時刻は深夜を迎えようとしていた。
 普段アルコールに強いとはいえたしなむ程度しか飲まないテオドーラだったが、この日は間に夕食を挟んで二人でボトル五本目だ。飲み過ぎを心配するトゥーレを尻目に機嫌良くグラスを重ね続けていた。

「リーディアに何故逢いに行かないのです?」

 飲む量とともに次第にトゥーレへの追求も鋭くなってくる。
 彼が曖昧に答えても彼女はそれを許さず、さらに鋭い追求が来る。二人とも酒に強いとはいえ、流石に彼女は呂律が怪しくなってきていた。
 一方トゥーレは多少顔が赤らんでいるものの、言動は普段とそれほど変わらない。母親から管を巻かれ、気持ちよく酔えた気分ではないのもあるだろう。

「やれやれです。母上は飲み過ぎです。そろそろおやめになった方がいいのでは?」

「駄目です! わたくしはまだ飲み足りません!」

 トゥーレがそう言ってボトルに手を伸ばすが素早い動きでボトルを死守すると、テオドーラは手ずから自分のグラスに注ぐ。

「母上・・・・」

 珍しく酔っ払った母の姿にトゥーレは戸惑う。だが、彼女もザオラルを亡くして寂しいのかも知れないと、止めるのを躊躇ためらうのだった。

「貴方はだんだんとザオラル様に似てきましたね」

 若干据わった目で、まじまじとトゥーレの顔を眺めながらテオドーラが告げる。母親似を自覚しているトゥーレは、容姿ではなく性格や考え方の事を言われているのだと理解する。

「俺がですか? 父上にはまだまだ遠く及びませんよ。いざとなればもう少しやれるつもりでしたが、今は何をするにも迷ってしまいます」

 領主を父から引き継いだあと、トゥーレは父の偉大さを嫌と言うほど痛感していた。
 当時は英断だと感じたギルドの廃止令も、父だからこそ決断できたことだとあらためて感じた。自分が同じ立場だったなら、多くの反対意見を前に果たして同じ決断ができただろうかとも思う。父は多数の反対意見の中独断で廃止を強行したのだ。当時はザオラルの力も絶対ではなく、領主邸の中でさえ張り詰めた戦場のような雰囲気で、彼は漠然と『死』を意識していた。
 今はトゥーレの判断ひとつで、カモフの行く末が決まってしまう。彼はこの立場に立って初めて、決断することに恐怖を覚えていたのだった。

「ふふ、ザオラル様もよく迷っておられましたよ。決して表には出しませんでしたけれど」

「父上が!? まさか?」

 初めて聞く話だった。
 彼の前で父はそのような姿は一切見せず、常に即断即決をしているように見え、迷っている素振りなど見なかったからだ。

「ザオラル様はあれでも見栄っ張りです。貴方の前では弱音は見せなかったのでしょう。それでもあの方はずっと迷われていましたよ。小さなカモフですもの、少しでも舵取りを間違えれば、取り返しのつかないことになってしまいますから」

 テオドーラにそう言われても直ぐには信じられなかった。

「嘘でしょう? 父上がそんな・・・・」

「嘘ではありません。あの方は貴方を長い間この屋敷に閉じ込めていたこともずっと悔やんでおりましたよ。『私に力があれば』そう言ってわたくしの前でよく愚痴ってました。
 最近では『どうすればトゥーレの力になれるか』そればかり考えておいででした」

「・・・・」

 トゥーレは言葉が出なかった。
 最後に父と飲んだ席で、確かに『お前の足枷あしかせになりたくない』とは語っていたが、それは悩み抜いた末の父なりの回答だったのだろう。

「ザオラル様と同じように、貴方もどこまでも悩み続けるのでしょう。でも何事も一人で抱えてはいけません。ザオラル様にとってのクラウスやシルベストルと同じように、貴方にも安心して頼れることができる者がいる筈です」

 母の言葉にすぐに思い浮かんだのはユーリとオレクの顔だった。
 今のトゥーレにとって、もっとも頼りとする二人だ。これまでも何かと頼りにしていたが、これまでは最後の責任は自分が取らなければと完全に頼り切るまでは至っていなかった。それでも多くの仕事を彼らに割り振っていたのだ。
 多くを頼っているつもりのトゥーレは、二人から盛大に愚痴られる姿を思わず幻視してしまう。

「これはますます毒を吐かれそうです。・・・・母上?」

 苦笑を浮かべたトゥーレが顔を上げると、いつの間にかテオドーラはソファに背を持たれ掛けて軽く寝息を立てていた。
 手にしたボトルとグラスは、危うい状態になっていたが、器用なことに一滴も零していない。

「母上、こんなところで寝ると風邪を引きますよ」

 トゥーレは息を吐くと、彼女からボトルとグラスを取り上げて母の肩を揺すって起こす。

「とぉうーれえぇぇぇぇぇ!」

「わっ!? は、母上?」

 うっすらと目を開けたテオドーラが、いきなりトゥーレに抱きついてきた。
 慌てるトゥーレだったが、彼女は息子に抱きついたまますぐに寝息を立てる。

「トゥーレ・・・・貴方は、貴方のやりたいようにすればいいのです・・・・」

 起きているのか寝ているのか分からないが、テオドーラが抱きついたまま子供に言い聞かせるように呟く。

「・・・・母上」

 溜息を軽く吐いたトゥーレは彼女の背中を軽く叩くと、甘えるようにしばらく肩に顔を埋めるのだった。
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