都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第三章 カモフ攻防戦

9 タカマの戦い(2)

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「敵の様子はどうか?」

 急ぎ本陣へと戻ったダニエルは、ギョッとした顔を浮かべる副官に問い掛けた。装備こそ調ととのえているものの頭髪は乱れ、眼窩がんかは青黒く落ち窪んでいる。その脂ぎった顔は、数日前の出陣時とは別人のようであった。

「朝から動きが活発になっており、伝令が激しく行き交っております」

「こちらの準備は?」

 主人の酒臭い息遣いに顔をしかめそうになるのを何とか堪えた副官は、朝からの敵陣の様子を語った。

「既に整っております。ご命令次第でいつでも動けます!」

「よし、ではこのまま待機だ。兄上が動けばすぐに対処できるようにしておけ」

 言外に積極的に動こうとしないダニエルへの皮肉を込めたが、当のダニエルは気付かなかったようだ。
 彼は副官に待機を命じると欠伸あくびを隠そうともせず、仮眠のため寝所として用意されているユルトへと籠もってしまった。

「くっ!」

 副官は出て行った本陣のユルトの中で苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。当初からダニエル軍は数の優位を活かした早期での決着を目指して準備をおこなっていた。

『何も兄上に合わせる必要はない。我等はどっしりと構えていればよい』

 対陣した土壇場でダニエルのひと言で長対陣ながたいじんへと方針を急遽転換したのだった。
 これには四天王を始め歴々の騎士も開いた口が塞がらず、ダニエルに翻意を迫ったが決定を覆すことは叶わなかった。
 ダニエル軍の陣形は、自軍を本陣とする八〇〇〇名の前に守りに定評のあるラーシュ隊六〇〇〇名を置き、その左右に翼を広げるようにユッシとフベルトがそれぞれ四〇〇〇名と三〇〇〇名を率いて陣取った。さらにユッシの左前方にアレクセイが三〇〇〇名、フベルトの右前方に弟であるヴィクトルとヨウコが二〇〇〇名ずつを率いて布陣し、その外にも歴々の騎士が陣を構えていた。
 数で劣るエリアスに自軍の威容を見せつけるような堂々とした布陣であった。
 しかし数の有利を活かすことなくダニエルは、ガハラに籠もっての酒盛りをおこなったのだ。本陣の兵には箝口令かんこうれいが敷かれているとはいえ、これは他の味方をも欺くような行為だ。いくら兵力の上で優勢だとは言え、中心人物がこの有様ではどう転ぶかは分かったものではなかった。
 昼餉ひるげ炊煙すいえんが所々で立ち上り、仮眠により幾分すっきりした表情で寝所を出てきたダニエルが昼食を摂っていた最中、遂にその時が訪れる。

「領主様! エリアス様の軍が前進を始めました!」

 その知らせを聞いた瞬間、食事の邪魔をされたことに一瞬ムスッとした表情を浮かべたが、次の瞬間には立ち上がり大声で叫んでいた。

「よし出陣だ! 兄上の軍を蹴散らしこの戦いを終わらせるぞ!」

 そう叫ぶと立ったまま残りの食事を掻き込むように胃に流し込み、そのまま側勤めに装備を調えさせる。

「兄上にしてはのんびりしていたではないか。まさかこの軍勢の差に怖じ気づいていたのではあるまいな」

 ダニエルは仁王立ちで不敵な笑みを浮かべるのだった。



 展開していた陣形を密集隊形へと布陣を変えたエリアス軍は、突撃するでもなくゆっくりと前進を開始する。
 やがてお互いの顔が認識できるほどまで近付くと静かに動きを止めた。その距離約二〇〇メートル。銃の有効射程のギリギリの位置である。
 僅かな物音さえも開戦の切っ掛けとなりそうな距離で対峙する兵達は、唾を飲み込む事すらはばかれる程の緊張感に包まれていた。
 両軍の間を自由に行き来出来るのは風だけだった。
 空は鈍色にびいろの雲が重く垂れ込め、今にも雨が降り出しそうな気配だ。

「突撃ぃぃぃ!」

 時が止まったかのような数分間の対峙の後、エリアス軍の前衛である騎馬兵が前進を開始。
 敵の進軍と同時にダニエルの陣営から応戦するように射撃が開始される。

 ここに、後にいう『第一次タカマの戦い』の火蓋が切って落とされた。

 ダニエル率いるウンダル正規軍約三二〇〇〇名。対してエリアス率いる反乱軍約一二〇〇〇名。
 序盤は左右に翼を広げたようなダニエル軍に対してエリアス軍は中央突破を狙って突撃を敢行する。かつてのウンダル軍最強と謳われたエリアス軍主力を受け止めたダニエル軍は、数の優位を活かし三方から包み込むように包囲し突破までは許さない。

「ラーシュは良くやっている。しかし少しでも隙を見せればすぐにそこを突いてくるのは、流石兄上と言うべきか」

 ダニエルは戦況を眺めながら冷静に分析をしていた。
 エリアスの軍勢を正面から受け止めているのは四天王の一人ラーシュ。鉄壁と称えられるほど守りの上手い騎士だ。
 彼は中央突破をはかろうとするエリアスの騎馬軍団を、拒馬きょばを使って上手くいなし続けて突破を許さない。
 ラーシュが相手をしっかりと受け止めている間に、当初の作戦通りに両翼に展開した軍勢が、敵を包囲するようにその翼を閉じていく。
 流石に簡単に包囲されるようなことはないが、戦い緒戦はエリアス軍の勢いを上手く殺せているダニエル軍の優勢で進んでいた。

「これは勝てるぞ!」

「慌てるな! 見よ! まだ兄上の本隊は動いておらん!」

 興奮し上擦うわずった声で叫ぶ側近に対し、ダニエルが厳しい表情でいさめる。彼が指摘したようにダニエル率いる敵の本隊は、陣から一歩も動いてはいない。それどころかこちらの徴発にも乗らず沈黙を保っていた。

「あちらからも不利な戦況は見えているはず。それでも動かないのならば、何か動けない理由があるのでは?」

「動けない理由? 何だそれは?」

「例えばですが、エリアス様が病気になられたとか?」

「病気だと!? それだと突然攻勢に出た理由にはならんではないか」

「もしかすればこの攻勢はカモフラージュなのでは?」

「どういうことだ?」

「はい。案外エリアス様の病気は重く、軍を率いることができないのかと。そのため撤退の動きを悟らせないために攻勢に出たのではないかと愚考いたします」

『ふむ』とダニエルが考え込んだ。壮健なエリアスが病気だとはにわかに信じることはできないが、何らかの理由により指揮を執れなくなったとしたら。
 そう考えれば妙に軽く感じていたエリアス軍の突撃もストンと腑に落ちるような感じがした。

「しかし、我らを誘う罠と言うことも考えられませぬか?」

 先ほどと違う幕僚が口を開いた。

「罠か?」

「はい。そもそもあちらはこちらの半分以下の兵力です。不利な状況を覆す一発逆転の策を弄している可能性も捨てきれません」

 いくら強兵揃いのエリアス軍とはいえ、数の上では二・六倍となるダニエル軍とまともに戦えば勝ち目はない。そんな中、後詰めもなく前衛の突撃のみというのも不自然に感じる。少しでも不利を覆すために何らかの策を講じている可能性の方が、病気で動けないということよりも真実に近いように思えた。

「それではどうするのだ! このまま様子を見守るのか?」

「そうは言うがこれが本当に罠だった場合、形勢がひっくり返るぞ! そうなればエリアス様が攻勢に出る。今でこそいなすことができているが、エリアス様本隊が出てくればそのまま敗北もあり得るではないか」

「エリアス様を恐れる気持ちは分かるが、それほど恐れる必要はないのではないか? 確かにエリアス様は強い、だが化け物ではなく同じ人間だ。必要以上に恐れていては討ち取る事もできんのではないか?」

 長らく軍団の主力を張ってきたエリアスだ。彼らの中にはエリアスの指揮下で戦ったことがある者もいる。性格に難があれど味方であればこれほど頼もしく思うことはなかった。それが今回敵として相見あいまみえたのだ。実力を知る相手だけに必要以上に恐れるのも無理はなかった。

「し、しかしエリアス様がご病気だと断定した作戦を立てるのは危険ではありませんか?」

「それはそうだが・・・・。ではどうするのだ。このままでは埒があかぬぞ!」

 幕僚達の話し合いは平行線を辿り、視線は自然と彼らの主人へと集まっていく。
 ダニエルは考え込むように押し黙ったままだ。彼らの真っ二つに分かれた議論も聞こえているのかどうか判らない。
 遠くに戦いの音を聞きながら、やがて長い沈黙を続けたダニエルが口を開く。

「攻勢に出るぞ!」

「それでは!?」

「うむ、兄上の狙いがどこにあるかはともかく、撃って出れば何か判るだろう!」

 これまで消極的な動きに終始していたダニエル軍がいよいよ動く。幕僚達は上気した顔を浮かべ、今までの鬱憤うっぷんを晴らすべく腕をした。

「いいか、兄上の動きには注視しつつ前進だ! 何か異変があればすぐに知らせよ!」

「おう!」

 幕僚が軍勢の指揮のため散っていき、伝令が一斉に本陣から駆け出していく。

「兄上め。今日ここで私は兄上を越えてみせる!」

 一人残ったダニエルは、戦場を見つめ独り言ちるのだった。
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