都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第三章 カモフ攻防戦

7 ウンダルへ

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 火が完全に鎮火したのは、夜が明けてからだった。
 夜が明けてももやは晴れずにまだ辺りを乳白色に染めていたが、靄に混じって黒い煙とくすぶった匂いがネアンの港に立ち込めていた。

「ぐっ・・・・」

 ヒュダはカイゼル髭をわなわなと震わせ、黒く焦げた後の残る桟橋に立ち尽くしていた。
 オイヴァにより準備されていたフォレス援軍のための船は全焼してしまい、岩塩を保管していた倉庫群も一棟も残さず灰となってしまった。
 街への入口である城門も焼け落ちてしまったため、今は応急処置として拒馬きょばを置いて、街への出入りを制限している有様だ。
 僅か五分間の砲撃でネアンの港は灰燼かいじんに帰し、その機能を完全に失ってしまった。
 彼らはこの港に集められた船を流用し、サザンの包囲及び湖上封鎖に使う算段を持っていたが、これによりその計画は早々に頓挫することとなったのである。

「ぬかった。思ったより動きが早かったわ」

 苦虫を噛み潰したように顔を歪め、爪が食い込むほど固く結ばれた拳からは血がぽたりと滴り落ちた。
 あっさりネアンを手に入れることができ、油断していたというのもあった。しかしそれ以上に問題なのは、相手の攻撃方法が不明なことだ。火矢では僅かな時間でこれほどのダメージを与えることはできない。
 多くの兵が見たと言う『帚星ほうきぼし』が何なのか不明なままだったが、エンの砦を陥落させたというトルスター軍の新兵器と同一の可能性が高かった。
 正体不明の兵器が、不吉の前触れと言い伝えられる帚星とは悪い冗談だとヒュダは考えるが、兵への心理的な影響は計り知れない。対策も含めて対抗手段を確立しなければ、今後もその兵器に苦しめられることとなるだろう。
 ザオラル不在のトルスター軍がこれほどの動きを見せるとは考えていなかった。ストール軍の認識ではザオラルには比べるべくもないというトゥーレ評だったが、ヒュダはその評価をもう一段階引き上げる必要があるかも知れないと考えていた。

「ヒュダ様!」

 彼を呼ぶ固い声に思考に沈んでいた意識を引き戻される。
 振り向いたヒュダに副官の緊張した顔が見える。目を大きく見開いた副官は沖を指差しながら叫んだ。

「せ、船影です!」

「何っ!」

 ヒュダが慌てて振り返ると、白い靄の中に確かに船影らしき黒い影が見えた。

「近付いてきているぞ!」

「敵襲だ! 待避急げっ!」

 焼け跡の片付けをおこなっていた兵の中で気付いた者が大声を上げ、蜂の子を散らしたように慌てていた。昨夜の記憶がまだ鮮明に残っている兵たちだ。
 統制がとれずに右往左往する様子にヒュダは思わず舌打ちをする。

「ヒュダ様、そこは危険です! 待避を!」

 桟橋に立つヒュダを部下達が引きずるようにして城壁へと引っ張っていく。
 やがて一隻の船が靄の中でも識別できるほどの距離にまで近付いてきた。

「マストに赤い櫂の十文字! トルスター軍です!」

 二本マストの先端に白地に交差する赤い櫂の紋章がはためいていた。
 船はその威容を誇りながら、警戒する彼らの前をゆっくりと通過していく。

「攻撃できんのか!?」

「無理です! 弓も鉄砲も準備できておりません」

 昨夜の襲撃の影響が色濃く残る港には残骸を片付ける多くの兵がいたが、戦備を整えている者はいなかった。腰に剣はぶら下げていたがヒュダでさえ平服なのだ。

「我らを無視してフォレスへ向かうつもりか!? くそっ! ジアン様に連絡、急げっ!」

 攻撃手段のない彼らを嘲笑あざわらうかのように悠々とキャラベル船が通過していく。ヒュダは間に合わないと思いながらも、ネアン公館で政務を執っているジアンへ遣いを走らせるのだった。

「くそっ! 沈めっ!」

 何とか用意した鉄砲や弓で攻撃を仕掛ける兵が現れるが、散発的な攻撃だ。相手にダメージを与えるほどではない。
 そんな中、敵船の砲口が開いている事に気付いた兵が、悲痛な声で叫んだ。

「た、待避だ! 砲門が開いているぞ!」

―――ドドンッ!

 そう叫んだ時は既に遅かった。
 舷側に装備された三門の大砲が咆哮した。
 水平に近い仰角で撃ち出された球形の砲弾は、黒く焼けた地面を水切りのように跳ねながら転がっていく。不幸にも射線上にいた兵士が次々と薙ぎ倒され、砲弾は城壁の表面を破壊してめり込むようにして止まるのだった。

「固まるな! 散開しろ!」

 固まって行動すればいい的になってしまう。そう叫ぶヒュダの足下に千切れた腕が飛んできてどさりと落ちる。
 口径二〇センチ足らずの砲弾だがその運動エネルギーは凄まじく、掠めただけで手足が簡単に吹き飛んでしまうほどだ。
 ヒュダが城壁の内側へと駆け込むように待避し更なる砲撃を警戒したものの、敵艦は右舷の砲門を一斉射したのみで、悠々と靄の中へと消えていった。

「くそっ、このままでは奴らの動きを止められぬ」

 靄の立ち籠めた湖を睨んだヒュダは、苛立ちの籠もった険しい顔でそう呟くのだった。







 少し時間は遡る。
 予定通り早朝にサザンを出航したトゥーレは、靄の中を順調に航行していた。
 脚が早く機動力に富んだ新造のキャラベル船、ジャンヌ・ダルクが視界の悪い中を水先案内として先頭を進み、その後ろから丸い船体のキャラック船が一列となって続く。総数十隻からなるトルスター軍初となる艦隊だ。
 もっとも艦隊とは名ばかりで、艤装が整っているのはジャンヌ・ダルクのみで、それ以外は商船を徴用したため固定武装は搭載されていない。唯一固定武装のあるジャンヌ・ダルクについても完成を優先したため、片舷に三門ずつの大砲を載せている他に武装はなく、不足分を鉄砲や魔砲で補っているほどだ。
 間に合わせただけと言える艦隊だったが元々カモフ近辺では陸戦がほとんどで水軍は兵力や物資の輸送が主な仕事となる。
 今回も艦隊戦は想定しておらず、兵員輸送が目的のため足りない火力不足をそれほど気にしてはいなかった。
 とはいえ兵力で劣る彼らにとって火力不足は文字通り死活問題となる。鉄砲や魔砲といった装備を一刻も早く揃えることが、生き抜く上で大きな力となるだろう。

「昨夜の奇襲からすぐの出撃で申し訳ない」

 甲板で指示を出しているピエタリにトゥーレが声を掛ける。

勇魚いさな取りは、漁に出ると下手したら丸二日鯨を追いかけることもあるんです。たった一晩程度はどうってことありません。それにネアンから戻る途中で仮眠なら取りましたんで、なんならもう一戦戦えますぜ!」

 普段は丁寧な口調を心がけているピエタリも船乗りの血が騒ぐのか、少し口調が粗野になっていたが、トゥーレには逆にそれが頼もしく思えた。
 彼の言う通り鯨を追っていた時は、文字通り生死をかけた戦いを繰り広げ、炎天下の海上で一日中死闘を繰り広げたこともあるのだ。それに比べれば一晩程度の行軍など楽なものだ。朝方にネアンから戻った彼らは、僅かな休息のみでそのまま今朝の出港準備に取り掛かったのだった。

「まだ無理はする必要はない。これからいくらでも暴れさせてやるさ」

 笑顔を浮かべ片目を瞑ってみせるピエタリにトゥーレも笑顔で答える。

「それは楽しみですな。それまでに船も人員も今よりも鍛えておきます。それよりまもなくネアンです。そろそろ行きますぜ」

「よし頼む」

 トゥーレが頷くとピエタリは部下を通してマスト上の見張り番に合図を送る。
 見張り番といっても望楼が備えられているわけではなく、僅かな足場に命綱で身体を固定しているだけだ。指示を受けた見張りは手旗で後方のキャラック船に指示を出す。
 後方の船から了解の合図を受けると、ジャンヌ・ダルクは一隻のみ隊列を外れネアンへと近付いていく。
 やがて靄の中、右舷前方に城壁らしきものがぼんやりと浮かび上がってくる。

「ようし、右舷砲門開け!」

 合図とともに舷側の扉が開き三門の砲口がせり出す。
 ネアンでもこちらに気付いたのか、兵がこちらを指差し何事か叫んでいる。

「まだだぞ。もう少し近づいてからだ!」

 慌てたように対岸から矢や鉄砲が放たれるが、鉄砲の有効射程に入ったギリギリの距離では矢は船まで届かず、弾丸も木造の装甲を穿うがつこともできずに跳ね返されていく。

「よし、撃て!」

 十分近づいたところでトゥーレが攻撃の下知を下す。

―――ドドドォォォォォン!

 ほぼ同じタイミングで咆哮した三門の大砲は、ネアンの港跡に集まっていた敵兵を薙ぎ倒し、黒く焦げ跡を残す地面を転がるようにして城壁まで到達して止まる。
 船では大砲に付けられた車輪が発射の衝撃を逃しながらレールの上を後方へと動き砂袋を積み上げたの緩衝材に激突して止まった。
 それでも発射の衝撃を吸収できず、船が大きく左右に揺れマストから不気味な軋む音が響く。命綱のおかげで見張り番は落下することはなかったが、足場から足を滑らせたようで宙づりとなっていた。

「だ、大丈夫なのか?」

 機動力に優れた船だがその分喫水が浅く、横からの衝撃で大きくバランスを崩した。クラウスがマストにつかまり青い顔を浮かべながら尋ねる。

「喫水が浅いため横揺れには多少弱いですが、これぐらいでは沈みませんよ! それに海だともっと酷い時化しけに船を出すこともあります。これぐらいの揺れなんぞどうってことありませんや」

 ピエタリは、引き攣った顔を浮かべるトゥーレらを尻目に豪快に笑い飛ばした。

「しかし斉射は三門が限界ですね。流石に四門以上を一斉に放ったら転覆するのは確実でしょう」

 冗談めかして軽く言ったピエタリのひと言に青ざめる一行。
 元々の予定では片舷五門ずつの十門を搭載する計画だった。火砲の準備が間に合わなかったため左右三門の装備となっていたのだ。もし火砲が間に合っていれば、彼の冗談が冗談でなくなっていた可能性もあった。
 その後、地団駄を踏むビトー軍を尻目にセラーナ川へと入った船団は、縦列となって川を下っていくのだった。
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