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第二章 巨星堕つ
29 ユーリの長い一日(1)
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エステルの『懸想』発言以降フリーズ状態に陥っていたザオラルは、自身が関与しないうちに進行していたエステルとユーリの婚約話を、後から色々と理由を並べて難色を示すのだった。
「ザオラル様、そうやってまたエステルを悲しませるおつもりですか?」
しかしトゥーレが予想していたように、テオドーラから懇々と諭されると、最後には渋々だったがユーリとの婚約を認めたのだった。
それから数日後、ユーリはザオラルから呼び出しを受けた。
彼はいつもの濃紺のチュニックに急遽誂えたローブを纏って、極度に緊張した様子で執務室を護る護衛に来訪を告げた。
部屋へと通されたユーリは緊張から手足を一緒に出しながら、真っ直ぐザオラルが執務を取る机の前に進み出た。
「こ・・・・」
挨拶の言葉を口にしようとしたユーリだったが、その機先を制するように、ザオラルが戦場で対峙しているかのような殺気を纏った鋭い視線で睨みつけてきたのだ。
―――ゴォォォォ
あまりの迫力にザオラルの背後に燃えさかる火炎を幻視したユーリは、息を飲んで思わず一歩後ずさっていた。
ザオラルの思いも寄らない態度に、ユーリは『エステルとの結婚の許可が出た』とトゥーレに騙されたのだろうかと混乱した頭で考える。ユーリがどうするべきか答えが見つけられないうちに、ザオラルから痛烈な先制攻撃のひと言が告げられる。
「私はまだ、其方をエステルの婿に認めたわけではないからな!」
「も、申し訳ございません!」
尋常でないプレッシャーに晒され、気が付けばユーリの口から謝罪の言葉がこぼれ落ちていた。
「何だ! 何故謝る!? まさか其方、既にエステルに手を出しているのではあるまいな!?」
咄嗟のこととはいえ謝罪の言葉を口にしてしまったことで、ザオラルの機嫌はますます悪くなり、部屋に漂う剣呑な雰囲気がどんどんと濃くなっていく。
椅子から立ち上がったザオラルは、ゆっくりと執務机を回り込んでユーリの前に立つ。
それほど背が高くはないザオラルだが彼の鋭い視線と纏う雰囲気は、ユーリをして見上げているように錯覚を覚えるほどだ。それだけで相手を射殺すかと思えるほどの殺気が籠められた視線に晒されたユーリは死を覚悟するほどだった。
猛禽類を思わせる鋭いザオラルの眼光は、かつてトゥーレと対峙したときの事を思いださせた。それは図らずもザオラルとトゥーレが親子だということを嫌でも認識させるものだった。
「父上、もうそのくらいでいいでしょう?」
そうトゥーレが声を掛けた時には、ユーリは既に汗だくになっていた。
彼が声を掛けたことを切っ掛けに、張り詰めていた空気が緩む。その瞬間、呼吸を忘れていたかのようにユーリは大きく息を吐いた。
視線を交わしていたのはほんの僅かな時間の筈だが、座り込みたいほどの疲労感に包まれていた。
彼はトゥーレが執務室に最初からいたことを初めて知った。ザオラルの執務机の左手にもうひとつ執務机が置かれていて、そこから上体を起こしたトゥーレが顔を覗かせていた。トゥーレの笑いを堪えるような仕草に、今まで面白がってわざと放っておいたのだとユーリは理解した。
「ザオラル様、この度はエステル姫様との婚約を認めていただき、誠にありがとう存じます」
ユーリは軽くトゥーレを睨み付けると、この機会を逃すまいと婚約が認められたことに対する礼を口にする。
「・・・・知らぬ」
その言葉を聞くとザオラルは拗ねたようにぷいっと横を向く。
しかし身体の底から震え上がるような殺気はなくなっている。先ほどのは一体何だったのかと思うような彼の子供じみた態度にユーリは戸惑いを隠せなかった。
「はぁ・・・・。父上、それでは話が進みませぬ」
呆れたように溜息を吐いたトゥーレが、子供のように口を尖らせているザオラルをソファに座らせると、ユーリをその向かい側に促した。
ちょうど二人を座らせた所で、側勤めがテオドーラの到着を告げた。
「まぁ、ザオラル様ったらまだ拗ねてらっしゃるのですか?」
「今日は朝からこの調子です。ユーリには悪いですが一度発散させたほうが良いと思ってしばらく放置したのですが、まさか執務室で殺気を迸らせるとは思いませんでした」
部屋に入ってくるなり呆れた声を上げたテオドーラは、トゥーレが苦笑いしながら説明すると『しょうがない人』と溜息を吐いてザオラルの隣に腰を掛けた。
「ちょ、ちょっとどう言うことですか?」
最後にトゥーレがユーリの隣に腰を下ろすと、早速ユーリが小声で尋ねてくる。
ユーリはエステルとの結婚を認められたと聞いて挨拶に訪れたのだ。それが当のザオラルからは歓迎されるどころか、拒絶され、さらには殺気まで向けられるとは思ってもみなかった。
しかし今のテオドーラとトゥーレの遣り取りでザオラルは、まだ納得している訳ではないようだとようやく理解できた。
トゥーレは彼の疑問には何も答えず、ただ肩を竦めただけだった。
四人が腰を下ろすと、ビシッとしたお仕着せを着た老齢の側勤めが、それぞれの前にお茶を出して退室し部屋は四人だけとなる。
「ユーリ、今回あなたを呼び出した理由は聞いていますね?」
側勤めがいなくなったことで多少寛いだ雰囲気となったテオドーラが、優雅な所作でティーカップを口に運び、胸の前にカップを持ったまま静かに口を開いた。少し傾げた頬にトゥーレと同じ白銀金髪がはらりと流れる。
「はい。・・・・エステル姫様の事、ですよね?」
先ほどの事もあって、知らず知らずに探るような口調になる。視線はテオドーラとザオラルを行ったり来たりしている。
「ふん!」
ユーリの返答を聞いたザオラルが、不機嫌そうに鼻を鳴らしそっぽを向く。
「ええ、その通りです。トゥーレより既に話は聞いていると思いますが、エステルはあなたとの婚姻を望んでおります。受けてくださいますね?」
先日トゥーレから聞いた通りの事をテオドーラが口にした。どうやらトゥーレの言葉に嘘はなかったらしいとユーリはホッと息を吐く。
一応テオドーラの口調はユーリの意思を確認する口調になっているが、彼女の目には否を許さぬ強い光があった。
ユーリの答えはトゥーレに答えた通りだ。もちろん目の前に座る二人も知っている筈だった。そのために今日呼ばれたのだから。ただテオドーラの隣に座るザオラルだけは、テオドーラの言葉を聞いて不機嫌な態度を隠そうともせず、落ち着きがなくますます顔を歪めていく。
ユーリはザオラルが身動ぎするたびに、それを気にしてそわそわと落ち着かない。
「ザオラル様、既に決まったことです。いつまでも拗ねていてはみっともないですよ」
軽く溜息を吐いたテオドーラが、子供を叱るような口調でザオラルを窘める。
「し、しかしだな・・・・」
「いつまでも我が儘を仰ってはエステルに嫌われてしまいますよ」
なおも言い募ろうとするザオラルだったが、冷ややかな笑顔を浮かべたテオドーラが冷たくそう告げる。彼女は笑みを浮かべているが目は笑ってはいない。流石のザオラルもその顔を見た瞬間、彼女の後ろに何かを幻視したかのように息を飲むと黙り込んでしまった。
諦めたようにがっくりと項垂れたザオラルは、苦虫を噛み潰したような顔を上げると重い口を開く。
「・・・・エ、エステルを、・・・・よろしく頼む」
国中にその名を知られるザオラルも一人の親に変わりなく、エステルに嫌われると言われればそれ以上強情を張る訳にはいかなかったようだ。
絞り出すように短くそれだけ告げると、最後の意地なのか腕を組んで再びそっぽを向いて黙り込んでしまった。普段見せる溌剌とした姿からは想像も付かない人間臭いザオラルの姿に、ユーリは見てはいけないものを見ているようで居たたまれない気分だ。
出来ることならば今すぐにでもこの場から逃げ出し、今日見たザオラルの姿を全て忘れてしまいたかった。
何とも言えない居心地の悪さを感じて身動ぎするユーリに、表情を緩めたテオドーラが先程と同じ言葉を告げる。
「もう一度伺います。エステルとの婚姻、受けてくださいますね?」
「はい。不肖ながら謹んでお受け致します」
ユーリは背筋を伸ばしてしっかりと正面のテオドーラを見据えると、はっきりとそう返答するのだった。
「ザオラル様、そうやってまたエステルを悲しませるおつもりですか?」
しかしトゥーレが予想していたように、テオドーラから懇々と諭されると、最後には渋々だったがユーリとの婚約を認めたのだった。
それから数日後、ユーリはザオラルから呼び出しを受けた。
彼はいつもの濃紺のチュニックに急遽誂えたローブを纏って、極度に緊張した様子で執務室を護る護衛に来訪を告げた。
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「こ・・・・」
挨拶の言葉を口にしようとしたユーリだったが、その機先を制するように、ザオラルが戦場で対峙しているかのような殺気を纏った鋭い視線で睨みつけてきたのだ。
―――ゴォォォォ
あまりの迫力にザオラルの背後に燃えさかる火炎を幻視したユーリは、息を飲んで思わず一歩後ずさっていた。
ザオラルの思いも寄らない態度に、ユーリは『エステルとの結婚の許可が出た』とトゥーレに騙されたのだろうかと混乱した頭で考える。ユーリがどうするべきか答えが見つけられないうちに、ザオラルから痛烈な先制攻撃のひと言が告げられる。
「私はまだ、其方をエステルの婿に認めたわけではないからな!」
「も、申し訳ございません!」
尋常でないプレッシャーに晒され、気が付けばユーリの口から謝罪の言葉がこぼれ落ちていた。
「何だ! 何故謝る!? まさか其方、既にエステルに手を出しているのではあるまいな!?」
咄嗟のこととはいえ謝罪の言葉を口にしてしまったことで、ザオラルの機嫌はますます悪くなり、部屋に漂う剣呑な雰囲気がどんどんと濃くなっていく。
椅子から立ち上がったザオラルは、ゆっくりと執務机を回り込んでユーリの前に立つ。
それほど背が高くはないザオラルだが彼の鋭い視線と纏う雰囲気は、ユーリをして見上げているように錯覚を覚えるほどだ。それだけで相手を射殺すかと思えるほどの殺気が籠められた視線に晒されたユーリは死を覚悟するほどだった。
猛禽類を思わせる鋭いザオラルの眼光は、かつてトゥーレと対峙したときの事を思いださせた。それは図らずもザオラルとトゥーレが親子だということを嫌でも認識させるものだった。
「父上、もうそのくらいでいいでしょう?」
そうトゥーレが声を掛けた時には、ユーリは既に汗だくになっていた。
彼が声を掛けたことを切っ掛けに、張り詰めていた空気が緩む。その瞬間、呼吸を忘れていたかのようにユーリは大きく息を吐いた。
視線を交わしていたのはほんの僅かな時間の筈だが、座り込みたいほどの疲労感に包まれていた。
彼はトゥーレが執務室に最初からいたことを初めて知った。ザオラルの執務机の左手にもうひとつ執務机が置かれていて、そこから上体を起こしたトゥーレが顔を覗かせていた。トゥーレの笑いを堪えるような仕草に、今まで面白がってわざと放っておいたのだとユーリは理解した。
「ザオラル様、この度はエステル姫様との婚約を認めていただき、誠にありがとう存じます」
ユーリは軽くトゥーレを睨み付けると、この機会を逃すまいと婚約が認められたことに対する礼を口にする。
「・・・・知らぬ」
その言葉を聞くとザオラルは拗ねたようにぷいっと横を向く。
しかし身体の底から震え上がるような殺気はなくなっている。先ほどのは一体何だったのかと思うような彼の子供じみた態度にユーリは戸惑いを隠せなかった。
「はぁ・・・・。父上、それでは話が進みませぬ」
呆れたように溜息を吐いたトゥーレが、子供のように口を尖らせているザオラルをソファに座らせると、ユーリをその向かい側に促した。
ちょうど二人を座らせた所で、側勤めがテオドーラの到着を告げた。
「まぁ、ザオラル様ったらまだ拗ねてらっしゃるのですか?」
「今日は朝からこの調子です。ユーリには悪いですが一度発散させたほうが良いと思ってしばらく放置したのですが、まさか執務室で殺気を迸らせるとは思いませんでした」
部屋に入ってくるなり呆れた声を上げたテオドーラは、トゥーレが苦笑いしながら説明すると『しょうがない人』と溜息を吐いてザオラルの隣に腰を掛けた。
「ちょ、ちょっとどう言うことですか?」
最後にトゥーレがユーリの隣に腰を下ろすと、早速ユーリが小声で尋ねてくる。
ユーリはエステルとの結婚を認められたと聞いて挨拶に訪れたのだ。それが当のザオラルからは歓迎されるどころか、拒絶され、さらには殺気まで向けられるとは思ってもみなかった。
しかし今のテオドーラとトゥーレの遣り取りでザオラルは、まだ納得している訳ではないようだとようやく理解できた。
トゥーレは彼の疑問には何も答えず、ただ肩を竦めただけだった。
四人が腰を下ろすと、ビシッとしたお仕着せを着た老齢の側勤めが、それぞれの前にお茶を出して退室し部屋は四人だけとなる。
「ユーリ、今回あなたを呼び出した理由は聞いていますね?」
側勤めがいなくなったことで多少寛いだ雰囲気となったテオドーラが、優雅な所作でティーカップを口に運び、胸の前にカップを持ったまま静かに口を開いた。少し傾げた頬にトゥーレと同じ白銀金髪がはらりと流れる。
「はい。・・・・エステル姫様の事、ですよね?」
先ほどの事もあって、知らず知らずに探るような口調になる。視線はテオドーラとザオラルを行ったり来たりしている。
「ふん!」
ユーリの返答を聞いたザオラルが、不機嫌そうに鼻を鳴らしそっぽを向く。
「ええ、その通りです。トゥーレより既に話は聞いていると思いますが、エステルはあなたとの婚姻を望んでおります。受けてくださいますね?」
先日トゥーレから聞いた通りの事をテオドーラが口にした。どうやらトゥーレの言葉に嘘はなかったらしいとユーリはホッと息を吐く。
一応テオドーラの口調はユーリの意思を確認する口調になっているが、彼女の目には否を許さぬ強い光があった。
ユーリの答えはトゥーレに答えた通りだ。もちろん目の前に座る二人も知っている筈だった。そのために今日呼ばれたのだから。ただテオドーラの隣に座るザオラルだけは、テオドーラの言葉を聞いて不機嫌な態度を隠そうともせず、落ち着きがなくますます顔を歪めていく。
ユーリはザオラルが身動ぎするたびに、それを気にしてそわそわと落ち着かない。
「ザオラル様、既に決まったことです。いつまでも拗ねていてはみっともないですよ」
軽く溜息を吐いたテオドーラが、子供を叱るような口調でザオラルを窘める。
「し、しかしだな・・・・」
「いつまでも我が儘を仰ってはエステルに嫌われてしまいますよ」
なおも言い募ろうとするザオラルだったが、冷ややかな笑顔を浮かべたテオドーラが冷たくそう告げる。彼女は笑みを浮かべているが目は笑ってはいない。流石のザオラルもその顔を見た瞬間、彼女の後ろに何かを幻視したかのように息を飲むと黙り込んでしまった。
諦めたようにがっくりと項垂れたザオラルは、苦虫を噛み潰したような顔を上げると重い口を開く。
「・・・・エ、エステルを、・・・・よろしく頼む」
国中にその名を知られるザオラルも一人の親に変わりなく、エステルに嫌われると言われればそれ以上強情を張る訳にはいかなかったようだ。
絞り出すように短くそれだけ告げると、最後の意地なのか腕を組んで再びそっぽを向いて黙り込んでしまった。普段見せる溌剌とした姿からは想像も付かない人間臭いザオラルの姿に、ユーリは見てはいけないものを見ているようで居たたまれない気分だ。
出来ることならば今すぐにでもこの場から逃げ出し、今日見たザオラルの姿を全て忘れてしまいたかった。
何とも言えない居心地の悪さを感じて身動ぎするユーリに、表情を緩めたテオドーラが先程と同じ言葉を告げる。
「もう一度伺います。エステルとの婚姻、受けてくださいますね?」
「はい。不肖ながら謹んでお受け致します」
ユーリは背筋を伸ばしてしっかりと正面のテオドーラを見据えると、はっきりとそう返答するのだった。
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