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第二章 巨星堕つ
19 カレル再び
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サザンからネアンへは水運を利用することが多いが、もちろんネアンまでは陸路もあり街道が整備されている。
その街道の名はタステ街道という。
道程の半分以上が荒野を通り、それ以外も見通しの悪い林道や隘路となっているため、それほど整備された街道ではない。
湖を利用した水運が盛んなカモフでは、わざわざネアンからサザンまで陸路を使う者は流石に多くはなかった。それでも少ないながらも街道沿いに住む住民や旅商人など、一定数利用者もあり近隣に暮らす者にとっては重要な生活路となっていた。
サザンからは北門を出ればそこからタステ街道だ。
街道はハスキ川のデルタ地帯を抜ければ、すぐに岩や土が剥き出しの荒涼とした大地へと変わる。街道は荷馬車や荷駄の作る轍が所々水溜まりや泥濘を作っているため、はまり込むと抜け出すのに非常に苦労を要する。
遠くに視線を巡らせば雄大な景色が目に入るが、道程は荒々しい荒野が続くため、所々に設置された小さな水場や集落以外では足を止める者は殆どいなかった。
そんな景色が続く中を徒歩で三時間程進むと、比較的大きな集落が見えてくる。人口五〇〇名程度の小さな町カントだ。
この町はサザンとネアンの中間のややサザン寄りに位置している。
ここから先、町を出てすぐのアーリンゲ川を渡って林を抜ければ、この街道の難所である隘路となるため、旅商人は無理をせずにこの町に宿を取る者が多い。反対にネアン側から隘路を抜けて来た旅人にとっては、ホッと一息付ける場所がこの街だ。そのためカントは人口が少ない割には小さな宿屋も数件営業していた。
住民は山羊の酪農を生業とする者がほとんどで、中には付近の荒野を耕し農業を営む者もいるが収穫は少ないため、それを専業でおこなうものはいなかった。
カモフで岩塩が採掘されるまでは、山羊は貴重な収入源のひとつだった。そのためカントの町はかつて『忘れられた谷』と呼ばれていた時代のカモフの谷の姿が色濃く残る町とされる。
町では冬が近づいてくると山羊は最低限を残して絞めてしまう。食料にする他にも皮や角など、冬を越すために必要な薪や食糧を買い込むための収入源とするためだ。
しかし今はまだ秋に入ったところだ。
屠殺する時期にはまだ早く、放牧されている山羊が岩や灌木の間に僅かに生えた下草を元気に食んでいた。
「見て、カレル様。この春に生まれた仔たちなのよ」
仔山羊の世話をしている少女が、今年産まれた仔を嬉しそうに頭を黒く染めたトゥーレに見せてくれる。
トゥーレは目立つ金髪を隠すため、外出する際は黒く染めることが多くなっていた。例え変装したとしても、ユーリたちと一緒に行動しているため、それほど正体を隠せているわけではない。
それでもトゥーレが黒髪の時は、サザンでは『あまり声を掛けられたくないのだ』と住民が気を利かせてくれ、トゥーレに声を掛けるものはいなかった。
「ほう! 元気に育っているじゃないか?」
元気に飛び跳ねている山羊たちを見てトゥーレが目を細める。
さすがにサザンを出れば、彼の顔がそれほど知られているわけでもなく、こうしてカレルとして通用していた。
「でしょ! この黒い仔なんて産まれたとき、息をしてなくてぐったりしてたの。父さんが鼻を吸ってお尻を叩いたら元気になったの」
「元気になってよかったな」
「うん! でも、こっちの仔達は残すけど、あっちにいるのはもうすぐしたら絞めちゃうの」
少女が少し寂しそうに離れた所で草を食んでいる山羊を指差した。
絞める山羊は老いた山羊や若くても元気がなく痩せた山羊だ。酪農家は来年のために若くて元気のいい山羊を残して、後は冬を越すための食料や薪を買うための現金に変えるのだ。
「そうなのか? じゃあ、しっかりありがとうって言わなきゃな」
十歳に満たない少女が、寂しそうにしながらも『絞める』と口にする。だがここでは生きていくためには普通のことだ。そうしないとカモフの冬を越すことができないからだ。そうして生きてきた目の前の少女は、幼いながらにどこか達観してるようにも感じた。
この少女は、トゥーレがカレルとして町に寄るたびに色々話を聞かせてくれる酪農家の娘だった。トゥーレは毎回少女の拙い説明を、目を細めて飽きもせずに聞いていた。
「あまり見ない男達が来るようになったと言っていたがその後どうだ?」
トゥーレが少女の相手をしている間、ユーリたちは酪農家の父親から話を聞いていた。少女の父親は、痩せて頬の窪みの目立つひょろっとした男だ。
「へぇ、近頃はあまり来なくなったかな。それでも忘れた頃、そうだな、ひと月に一回くらいは食料を買いに来て酒場で飲んでいくな」
「来るときはどんな様子なんだ?」
「様子でいえば普通の農家みたいだぜ。明らかに変って感じじゃねぇが、何か違和感はあるな」
「違和感?」
「何ていうんだろうな。恰好はこの辺の農家と変わんねえんだがよ、酒場の隅で静かに飲んでるから俺たちも話し掛けねぇからな。だけど雰囲気が普通じゃねぇっていうのかな?」
最後に『気にしすぎかも知れねぇが』と父親は笑った。
寂れた街道にしては珍しく宿のあるカントには酒場も営業している。普段は住民の憩いの場となっているような小さな酒場だが、宿を利用する旅商人も利用する。普段は各地の話など披露して盛り上がることが多いが、彼らが来たときは決まって酒場の隅で静かに酒を飲んでいるだけらしい。
以前にカントの近くの林で襲撃に遭って以降、カモフ内でトゥーレは襲撃に遭っていない。
その理由として、間者の任務が暗殺から情報収集へとシフトしたのではとトゥーレは見ていた。それに伴って商人や農民に扮した間者が、多数潜入していると予想していた。酒場の男たちもそういった目的で潜入している者の可能性が高いと考えられた。
彼らは任務によってその土地に長期に渡って潜入し、ありとあらゆる情報を収集する。間者によってはその地に溶け込むために現地で子を作ったり、場合によっては世代を跨ぐ場合もあるという。信用を得るためには現地に溶け込むのが一番だとはいえ、情報のためにそこまでするとは恐るべき執念だった。
トゥーレを白昼襲撃したような暗殺者は実は異質な存在だ。
短期に限れば強引な手段も有効だが、そういった行動はどれだけ隠そうとしても隠しきれるものではなくどうしても目立ってしまうのだ。
反対にどれだけ警戒していても、現地に溶け込んでいる間者を見分けることは不可能だ。今彼らと話している目の前の酪農家が間者だとも限らないのだ。
もちろん市井に溶け込んだだけでは、重要な機密などそうそう手に入れる事などできはしない。精々地形の情報を得られるぐらいだが、軍勢を動かす上ではそういった情報も重要視される場合もあるのだ。
「やはり街道沿いには間者が紛れているようだな」
「ああ、何らかの違和感は感じているようだ」
手分けして情報を集めていたユーリたちは、集合すると持ち寄った情報を確かめ合う。懸念されていた間者については大方予想通りといった所だ。
「それで、そいつらの拠点は?」
「怪しい行動をしている割にその辺りはうまくはぐらかされているようだ。林の近くと聞いているようだが・・・・」
「その辺に集落は見当たらない。か?」
「こればかりはしょうがない。何年も前から侵攻の噂があったからな。予想できたことだ」
「この分だと街道や地形の情報はほとんど筒抜けと見て間違いないな」
分かってはいたが実際にそういった情報を目の当たりにすると、こうしている今もどこかから見られているような気配を感じてしまう。知らず知らずに背筋を伸ばすユーリたちだった。
「敵は準備万端って訳だ。それで・・・・カレル様はまだデート中なのか?」
トゥーレに目を遣れば、今は少女を山羊の背に乗せて、落ちないように背中を支えながら山羊と一緒に歩いている。背に少女を乗せられている山羊も、特に嫌がったりもせずに大人しく少女を乗せていた。
「じゃあカレル様、また遊んでね!」
トゥーレが生温かい目で見守るユーリたちの元に戻ってきたのは、それからしばらく経っての事だった。
少女はすっかりトゥーレに懐いたようで、最後まで名残惜しそうに手を振りながら母親の元に駆けて行った。
「悪い、待たせたか?」
「カレル殿は任務を放棄して幼女とデートですか?」
「これは姫様への報告案件ですな」
彼らが冗談とも本気ともつかぬ表情でトゥーレを弄るが、トゥーレは『何を言ってる?』という表情を浮かべる。
「ん!? 別に放棄はしてないぞ。それより何か掴めたか?」
「いえ、概ね予想通りの情報でした」
「商人の通行を止める訳にはいきませんからね。ある程度情報が流れるのは仕方ないかと」
「ん!? それだけなのか?」
彼らの報告に残念そうに溜息を吐く。
「それだけ、とは?」
「いや、他に情報はないのか?」
「!? 以上ですが?」
彼らが腑に落ちない様子で顔を見合わせる中、トゥーレはにやりと笑みを浮かべる。
「俺は仕事を放棄していないと言っただろ?」
その街道の名はタステ街道という。
道程の半分以上が荒野を通り、それ以外も見通しの悪い林道や隘路となっているため、それほど整備された街道ではない。
湖を利用した水運が盛んなカモフでは、わざわざネアンからサザンまで陸路を使う者は流石に多くはなかった。それでも少ないながらも街道沿いに住む住民や旅商人など、一定数利用者もあり近隣に暮らす者にとっては重要な生活路となっていた。
サザンからは北門を出ればそこからタステ街道だ。
街道はハスキ川のデルタ地帯を抜ければ、すぐに岩や土が剥き出しの荒涼とした大地へと変わる。街道は荷馬車や荷駄の作る轍が所々水溜まりや泥濘を作っているため、はまり込むと抜け出すのに非常に苦労を要する。
遠くに視線を巡らせば雄大な景色が目に入るが、道程は荒々しい荒野が続くため、所々に設置された小さな水場や集落以外では足を止める者は殆どいなかった。
そんな景色が続く中を徒歩で三時間程進むと、比較的大きな集落が見えてくる。人口五〇〇名程度の小さな町カントだ。
この町はサザンとネアンの中間のややサザン寄りに位置している。
ここから先、町を出てすぐのアーリンゲ川を渡って林を抜ければ、この街道の難所である隘路となるため、旅商人は無理をせずにこの町に宿を取る者が多い。反対にネアン側から隘路を抜けて来た旅人にとっては、ホッと一息付ける場所がこの街だ。そのためカントは人口が少ない割には小さな宿屋も数件営業していた。
住民は山羊の酪農を生業とする者がほとんどで、中には付近の荒野を耕し農業を営む者もいるが収穫は少ないため、それを専業でおこなうものはいなかった。
カモフで岩塩が採掘されるまでは、山羊は貴重な収入源のひとつだった。そのためカントの町はかつて『忘れられた谷』と呼ばれていた時代のカモフの谷の姿が色濃く残る町とされる。
町では冬が近づいてくると山羊は最低限を残して絞めてしまう。食料にする他にも皮や角など、冬を越すために必要な薪や食糧を買い込むための収入源とするためだ。
しかし今はまだ秋に入ったところだ。
屠殺する時期にはまだ早く、放牧されている山羊が岩や灌木の間に僅かに生えた下草を元気に食んでいた。
「見て、カレル様。この春に生まれた仔たちなのよ」
仔山羊の世話をしている少女が、今年産まれた仔を嬉しそうに頭を黒く染めたトゥーレに見せてくれる。
トゥーレは目立つ金髪を隠すため、外出する際は黒く染めることが多くなっていた。例え変装したとしても、ユーリたちと一緒に行動しているため、それほど正体を隠せているわけではない。
それでもトゥーレが黒髪の時は、サザンでは『あまり声を掛けられたくないのだ』と住民が気を利かせてくれ、トゥーレに声を掛けるものはいなかった。
「ほう! 元気に育っているじゃないか?」
元気に飛び跳ねている山羊たちを見てトゥーレが目を細める。
さすがにサザンを出れば、彼の顔がそれほど知られているわけでもなく、こうしてカレルとして通用していた。
「でしょ! この黒い仔なんて産まれたとき、息をしてなくてぐったりしてたの。父さんが鼻を吸ってお尻を叩いたら元気になったの」
「元気になってよかったな」
「うん! でも、こっちの仔達は残すけど、あっちにいるのはもうすぐしたら絞めちゃうの」
少女が少し寂しそうに離れた所で草を食んでいる山羊を指差した。
絞める山羊は老いた山羊や若くても元気がなく痩せた山羊だ。酪農家は来年のために若くて元気のいい山羊を残して、後は冬を越すための食料や薪を買うための現金に変えるのだ。
「そうなのか? じゃあ、しっかりありがとうって言わなきゃな」
十歳に満たない少女が、寂しそうにしながらも『絞める』と口にする。だがここでは生きていくためには普通のことだ。そうしないとカモフの冬を越すことができないからだ。そうして生きてきた目の前の少女は、幼いながらにどこか達観してるようにも感じた。
この少女は、トゥーレがカレルとして町に寄るたびに色々話を聞かせてくれる酪農家の娘だった。トゥーレは毎回少女の拙い説明を、目を細めて飽きもせずに聞いていた。
「あまり見ない男達が来るようになったと言っていたがその後どうだ?」
トゥーレが少女の相手をしている間、ユーリたちは酪農家の父親から話を聞いていた。少女の父親は、痩せて頬の窪みの目立つひょろっとした男だ。
「へぇ、近頃はあまり来なくなったかな。それでも忘れた頃、そうだな、ひと月に一回くらいは食料を買いに来て酒場で飲んでいくな」
「来るときはどんな様子なんだ?」
「様子でいえば普通の農家みたいだぜ。明らかに変って感じじゃねぇが、何か違和感はあるな」
「違和感?」
「何ていうんだろうな。恰好はこの辺の農家と変わんねえんだがよ、酒場の隅で静かに飲んでるから俺たちも話し掛けねぇからな。だけど雰囲気が普通じゃねぇっていうのかな?」
最後に『気にしすぎかも知れねぇが』と父親は笑った。
寂れた街道にしては珍しく宿のあるカントには酒場も営業している。普段は住民の憩いの場となっているような小さな酒場だが、宿を利用する旅商人も利用する。普段は各地の話など披露して盛り上がることが多いが、彼らが来たときは決まって酒場の隅で静かに酒を飲んでいるだけらしい。
以前にカントの近くの林で襲撃に遭って以降、カモフ内でトゥーレは襲撃に遭っていない。
その理由として、間者の任務が暗殺から情報収集へとシフトしたのではとトゥーレは見ていた。それに伴って商人や農民に扮した間者が、多数潜入していると予想していた。酒場の男たちもそういった目的で潜入している者の可能性が高いと考えられた。
彼らは任務によってその土地に長期に渡って潜入し、ありとあらゆる情報を収集する。間者によってはその地に溶け込むために現地で子を作ったり、場合によっては世代を跨ぐ場合もあるという。信用を得るためには現地に溶け込むのが一番だとはいえ、情報のためにそこまでするとは恐るべき執念だった。
トゥーレを白昼襲撃したような暗殺者は実は異質な存在だ。
短期に限れば強引な手段も有効だが、そういった行動はどれだけ隠そうとしても隠しきれるものではなくどうしても目立ってしまうのだ。
反対にどれだけ警戒していても、現地に溶け込んでいる間者を見分けることは不可能だ。今彼らと話している目の前の酪農家が間者だとも限らないのだ。
もちろん市井に溶け込んだだけでは、重要な機密などそうそう手に入れる事などできはしない。精々地形の情報を得られるぐらいだが、軍勢を動かす上ではそういった情報も重要視される場合もあるのだ。
「やはり街道沿いには間者が紛れているようだな」
「ああ、何らかの違和感は感じているようだ」
手分けして情報を集めていたユーリたちは、集合すると持ち寄った情報を確かめ合う。懸念されていた間者については大方予想通りといった所だ。
「それで、そいつらの拠点は?」
「怪しい行動をしている割にその辺りはうまくはぐらかされているようだ。林の近くと聞いているようだが・・・・」
「その辺に集落は見当たらない。か?」
「こればかりはしょうがない。何年も前から侵攻の噂があったからな。予想できたことだ」
「この分だと街道や地形の情報はほとんど筒抜けと見て間違いないな」
分かってはいたが実際にそういった情報を目の当たりにすると、こうしている今もどこかから見られているような気配を感じてしまう。知らず知らずに背筋を伸ばすユーリたちだった。
「敵は準備万端って訳だ。それで・・・・カレル様はまだデート中なのか?」
トゥーレに目を遣れば、今は少女を山羊の背に乗せて、落ちないように背中を支えながら山羊と一緒に歩いている。背に少女を乗せられている山羊も、特に嫌がったりもせずに大人しく少女を乗せていた。
「じゃあカレル様、また遊んでね!」
トゥーレが生温かい目で見守るユーリたちの元に戻ってきたのは、それからしばらく経っての事だった。
少女はすっかりトゥーレに懐いたようで、最後まで名残惜しそうに手を振りながら母親の元に駆けて行った。
「悪い、待たせたか?」
「カレル殿は任務を放棄して幼女とデートですか?」
「これは姫様への報告案件ですな」
彼らが冗談とも本気ともつかぬ表情でトゥーレを弄るが、トゥーレは『何を言ってる?』という表情を浮かべる。
「ん!? 別に放棄はしてないぞ。それより何か掴めたか?」
「いえ、概ね予想通りの情報でした」
「商人の通行を止める訳にはいきませんからね。ある程度情報が流れるのは仕方ないかと」
「ん!? それだけなのか?」
彼らの報告に残念そうに溜息を吐く。
「それだけ、とは?」
「いや、他に情報はないのか?」
「!? 以上ですが?」
彼らが腑に落ちない様子で顔を見合わせる中、トゥーレはにやりと笑みを浮かべる。
「俺は仕事を放棄していないと言っただろ?」
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