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第二章 巨星堕つ
8 長い夜(2)
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扉の前で言い争うような音が聞こえていた。
呻き声が聞こえたかと思えば、執務室の扉が勢いよく開かれ護衛騎士を押しのけるようにしながら、一人の偉丈夫がずかずかと進み出た。
部屋の主と同様の赤髪で巨体の大男だ。
彼は護衛の制止を振り切って大股で執務机の前まで進むと、席に座る人物に向けてその鋭い目を向けた。
「親父殿!」
「エリアスか・・・・。相変わらず先触れも寄越さぬか。それでその格好は何だ?」
突然部屋に現れた長男に表情を変えなかったオリヤンだったが、彼の格好には怪訝な表情を浮かべた。
エリアスは武器こそ手にしていないが軍装姿だったのだ。
剣こそ差していないものの鈍色の鎖帷子に濃緑色のサーコートを纏い、黒いマントを翻している。父と同じ髪の色をした頭部には極彩色で着色された猛獣を象った額当てを身に着けていた。
この日の午後、事前の連絡もなくエリアスがフォレスに帰還したとの報告は受けていた。
彼がフォレスに戻るのはおよそ二年振りとなる。これまでこちらからの要請には一切応じなかったエリアスが、トゥーレが訪れているタイミングでのフォレス帰還にオリヤンは不信感を覚えていた。
水と油のように折り合いの悪い二人だ。同じフォレスに居ても、必要がない限りエリアスからは父に会うことはなく、オリヤンからも態々呼び出すこともなかった。
エリアスは幼い頃は内向的だったが、成長するにつれて反抗的で粗野な振る舞いが目立ち始めた。成人する前からフォレスの街で暴れるようになり、彼の前を横切ったという理由で住民を切り捨てたのもこの頃の事だった。
乱暴な振る舞いの目立つ彼だったが、戦での働きはオリヤンをして目を見張るものがあった。そのため彼の扱いに頭を悩ませることになった。
オリヤンは当時すでにゼメクとの争いが激しくなってきていたのを理由に、彼に前線に近いレボルトを任せてフォレスから遠ざけた。その結果、二人が解り合う機会が閉ざされ、両者の不仲は決定的となったのだ。
執務机の前に仁王立ちになったエリアスが高圧的に命じる。
「出陣するぞ! 軍を出せ!」
「何を言っている!? 敵は何処だ?」
オリヤンは立ち上がると、執務机を回り込んでエリアスと対峙するように睨み合った。視線の高さも同じ、頭髪も同じ赤髪だ。もっともオリヤンの方はほとんどが白く染まっているが。
二人は互いに息が掛かりそうな距離で睨み合う。
「もちろんガハラだ! あそこは城とは名ばかりの小城だからな。二〇〇〇、いや一〇〇〇名貸してくれればあっという間に攻略してくれそうぞ!」
「馬鹿な!? ガハラには今リーディアとともにトゥーレ殿がいるではないか!」
「だからだよ親父殿! 今なら我らが攻めて来るとは思ってもいないだろう。トゥーレを討ち、そのままカモフに兵を向ければカモフを手に入れることも容易いぞ!」
同盟締結に加えて末子リーディアがトゥーレとの婚約も成ったばかりというタイミングを考えれば、エリアスの言う通りにカモフに攻め込めば、ドーグラス対策に頭を悩ませているザオラルの虚を突くことも可能だろう。
だが当然ながらオリヤンにはカモフ侵攻の意思は無い。
「トゥーレ殿を討つ理由は何だ!? 大義なくば世間の誹りを受けるぞ!」
戦乱の世といえど相手を攻めるには相応の理由が必要だ。
世間の支持を得るためには例えそれがこじつけや後付けであったとしても、相手を攻めるに足る理由がなければ、例え勝利を得ても住民たちはついてこないのだ。
「そんなものは後からどうとでもなるわ! 所詮親父とザオラルの友誼に頼っただけの同盟だ!」
「友誼に頼っただと!? それだけではないぞ。妹のリーディアがトゥーレ殿に嫁ぐことが決まっている。トゥーレ殿はお前の義弟となるのだぞ!」
エリアスは最初から説得を聞く気はないようで父の言葉を一蹴する。だがオリヤンも彼の暴走を許す訳にはいかない。可能性が低いと解っていても翻意を促すしかなかった。
「ふん。その義弟殿とリーディアだが、二人とも無事に戻ってくればいいがな」
片方の口角を上げ、歪んだ笑みを浮かべるエリアス。
「貴様っ!」
オリヤンは思わず彼の胸倉を掴むと、そのまま突進し壁にエリアスの巨体を押しつけた。
「ぐっ!」
「どういう意味だ?」
ギリギリと万力のような力で喉を締め上げ彼は堪らず苦しそうに呻くが、オリヤンはそんなことに構わず低い声で問い質す。
「ぐっ・・・・。さあな、・・・・あの辺りは、盗賊の類いが、多い。・・・・万が一があるかも知れんぞ」
「何っ!?」
苦しげに顔を歪めながらも言葉を吐き出すと、エリアスは嘲笑するかのように片方の口角を上げる。その言葉に動揺しオリヤンの彼を締め上げる力が若干緩んだ。
「馬を盗むため盗賊が城に押し入り戦闘となった。・・・・盗賊は鎮圧されたが、その際にリーディアが凶刃に倒れた。トゥーレは必死で介抱するが設備の伴わないガハラだ。その努力を嘲笑うかのように我が妹は帰らぬ人となってしまう。
調べてみるとその盗賊の正体は、カモフ側の同盟反対派が放った刺客だということが分かった。我らは妹の報復としてトゥーレを血祭りに上げ、そのままカモフに奇襲を掛けるという筋書きはどうだ?」
壁に押しつけられたまま、狂気に染まった目で恐ろしいことを口走って嗤う。
「貴様! トゥーレ殿のみならず妹まで手に掛ける気か!」
戦など些細な切っ掛けがあれば充分だ。そんないくさをいくらでも見てきたオリヤンには、エリアスの妄言を茶番だと一笑に付すことはできなかった。エリアスを押しつける手に力が籠もる。
「その様なことを儂が許すと思うのか?」
「うぐっ! ・・・・お、思わないさ。だ、だから、その話には、・・・・続きがある」
「続きだと!?」
「そうだ。・・・・領主オリヤンは、リ、リーディアを失った失意のため、病気療養を理由に俺に領主の座を譲るのだ。領主を継いだ俺は、反同盟派を中心にウンダルをまとめ上げ、リーディアの弔い合戦のため、カモフに兵を進める!」
あまりにも荒唐無稽な話に、馬鹿馬鹿しくなったオリヤンは彼を押さえつけていた手を緩めた。
「馬鹿馬鹿しい・・・・。儂がお前を野放しにすると思うのか?」
「ならば少し筋書きを変えればいい。領主オリヤンはリーディアを失ったショックにより錯乱し自ら命を絶ったってな!」
「・・・・痛っ!?」
殺気を感じたオリヤンが素早く飛び退くが、エリアスが白刃を煌めかせる方が一瞬早かった。
どこに隠し持っていたのか、エリアスの右手には短剣がいつの間にか握られ、剣先からは鮮血が滴っていた。
「よく躱したな。流石にミラーの名は伊達ではないか!」
そう言って不敵な笑みを浮かべるエリアスには、狂気が乗り移ったような妖しさを感じさせた。
「くっ! ・・・・正気なのか?」
「オリヤン様っ!」
護衛が青ざめた顔で叫ぶ。
オリヤンは脇腹を手で押さえていた。左脇腹を抉った傷口は致命傷は免れたものの、指の間からは血が滲み出る。脇腹を紅く染め上げ、滴り落ちる血が床を赤く染めていく。
「ふん! 親殺しなんぞ、正気でなければ出来ぬわ!」
そう嘯くと腰だめに短剣を構え、体重を乗せて真っ直ぐに突進する。歪んだ笑みを浮かべるその顔はまさしく赤鬼と言ってよかった。
オリヤンは避けることなくエリアスの突進を受け止め二人の体が重なった。
「くっ!?」
声を上げたのは今度はエリアスの方だった。
彼の突き出した短剣は、彼の腕ごとオリヤンの左脇でガッシリと固定され、押すことも引くこともできなかった。
骨が軋む音が聞こえるほどの怪力で締め上げるとエリアスの表情が苦痛に歪む。
「ええい! 離せっ!」
「老いたとはいえ、まだお前に討たれるほど衰えてはおらぬ!」
苛立った声を上げるエリアスに対し、静かにそう告げるとオリヤンは左脇に力を込めていく。
「ぐぅうっ!」
堪えきれずに手放した短剣が、甲高い金属音を響かせて床を転がった。
オリヤンは締め上げた腕の拘束を解くと、胸倉を掴み再び彼を壁へと押しつけた。
気道を圧迫される息苦しさからエリアスは苦悶の表情を浮かべているが、オリヤンを睨む眼光の鋭さは衰えない。
「儂の目に光がある内は馬鹿な真似はさせん! リーディアやトゥーレ殿に万が一のことがあれば許さぬぞ!」
「ぐぬぅぅぅ・・・・」
エリアスは必死で抗ったが、最後にはそのまま絞め落とされ意識を手放した。
その後駆け付けた衛兵によって彼は牢へと連行されていくのだった。
呻き声が聞こえたかと思えば、執務室の扉が勢いよく開かれ護衛騎士を押しのけるようにしながら、一人の偉丈夫がずかずかと進み出た。
部屋の主と同様の赤髪で巨体の大男だ。
彼は護衛の制止を振り切って大股で執務机の前まで進むと、席に座る人物に向けてその鋭い目を向けた。
「親父殿!」
「エリアスか・・・・。相変わらず先触れも寄越さぬか。それでその格好は何だ?」
突然部屋に現れた長男に表情を変えなかったオリヤンだったが、彼の格好には怪訝な表情を浮かべた。
エリアスは武器こそ手にしていないが軍装姿だったのだ。
剣こそ差していないものの鈍色の鎖帷子に濃緑色のサーコートを纏い、黒いマントを翻している。父と同じ髪の色をした頭部には極彩色で着色された猛獣を象った額当てを身に着けていた。
この日の午後、事前の連絡もなくエリアスがフォレスに帰還したとの報告は受けていた。
彼がフォレスに戻るのはおよそ二年振りとなる。これまでこちらからの要請には一切応じなかったエリアスが、トゥーレが訪れているタイミングでのフォレス帰還にオリヤンは不信感を覚えていた。
水と油のように折り合いの悪い二人だ。同じフォレスに居ても、必要がない限りエリアスからは父に会うことはなく、オリヤンからも態々呼び出すこともなかった。
エリアスは幼い頃は内向的だったが、成長するにつれて反抗的で粗野な振る舞いが目立ち始めた。成人する前からフォレスの街で暴れるようになり、彼の前を横切ったという理由で住民を切り捨てたのもこの頃の事だった。
乱暴な振る舞いの目立つ彼だったが、戦での働きはオリヤンをして目を見張るものがあった。そのため彼の扱いに頭を悩ませることになった。
オリヤンは当時すでにゼメクとの争いが激しくなってきていたのを理由に、彼に前線に近いレボルトを任せてフォレスから遠ざけた。その結果、二人が解り合う機会が閉ざされ、両者の不仲は決定的となったのだ。
執務机の前に仁王立ちになったエリアスが高圧的に命じる。
「出陣するぞ! 軍を出せ!」
「何を言っている!? 敵は何処だ?」
オリヤンは立ち上がると、執務机を回り込んでエリアスと対峙するように睨み合った。視線の高さも同じ、頭髪も同じ赤髪だ。もっともオリヤンの方はほとんどが白く染まっているが。
二人は互いに息が掛かりそうな距離で睨み合う。
「もちろんガハラだ! あそこは城とは名ばかりの小城だからな。二〇〇〇、いや一〇〇〇名貸してくれればあっという間に攻略してくれそうぞ!」
「馬鹿な!? ガハラには今リーディアとともにトゥーレ殿がいるではないか!」
「だからだよ親父殿! 今なら我らが攻めて来るとは思ってもいないだろう。トゥーレを討ち、そのままカモフに兵を向ければカモフを手に入れることも容易いぞ!」
同盟締結に加えて末子リーディアがトゥーレとの婚約も成ったばかりというタイミングを考えれば、エリアスの言う通りにカモフに攻め込めば、ドーグラス対策に頭を悩ませているザオラルの虚を突くことも可能だろう。
だが当然ながらオリヤンにはカモフ侵攻の意思は無い。
「トゥーレ殿を討つ理由は何だ!? 大義なくば世間の誹りを受けるぞ!」
戦乱の世といえど相手を攻めるには相応の理由が必要だ。
世間の支持を得るためには例えそれがこじつけや後付けであったとしても、相手を攻めるに足る理由がなければ、例え勝利を得ても住民たちはついてこないのだ。
「そんなものは後からどうとでもなるわ! 所詮親父とザオラルの友誼に頼っただけの同盟だ!」
「友誼に頼っただと!? それだけではないぞ。妹のリーディアがトゥーレ殿に嫁ぐことが決まっている。トゥーレ殿はお前の義弟となるのだぞ!」
エリアスは最初から説得を聞く気はないようで父の言葉を一蹴する。だがオリヤンも彼の暴走を許す訳にはいかない。可能性が低いと解っていても翻意を促すしかなかった。
「ふん。その義弟殿とリーディアだが、二人とも無事に戻ってくればいいがな」
片方の口角を上げ、歪んだ笑みを浮かべるエリアス。
「貴様っ!」
オリヤンは思わず彼の胸倉を掴むと、そのまま突進し壁にエリアスの巨体を押しつけた。
「ぐっ!」
「どういう意味だ?」
ギリギリと万力のような力で喉を締め上げ彼は堪らず苦しそうに呻くが、オリヤンはそんなことに構わず低い声で問い質す。
「ぐっ・・・・。さあな、・・・・あの辺りは、盗賊の類いが、多い。・・・・万が一があるかも知れんぞ」
「何っ!?」
苦しげに顔を歪めながらも言葉を吐き出すと、エリアスは嘲笑するかのように片方の口角を上げる。その言葉に動揺しオリヤンの彼を締め上げる力が若干緩んだ。
「馬を盗むため盗賊が城に押し入り戦闘となった。・・・・盗賊は鎮圧されたが、その際にリーディアが凶刃に倒れた。トゥーレは必死で介抱するが設備の伴わないガハラだ。その努力を嘲笑うかのように我が妹は帰らぬ人となってしまう。
調べてみるとその盗賊の正体は、カモフ側の同盟反対派が放った刺客だということが分かった。我らは妹の報復としてトゥーレを血祭りに上げ、そのままカモフに奇襲を掛けるという筋書きはどうだ?」
壁に押しつけられたまま、狂気に染まった目で恐ろしいことを口走って嗤う。
「貴様! トゥーレ殿のみならず妹まで手に掛ける気か!」
戦など些細な切っ掛けがあれば充分だ。そんないくさをいくらでも見てきたオリヤンには、エリアスの妄言を茶番だと一笑に付すことはできなかった。エリアスを押しつける手に力が籠もる。
「その様なことを儂が許すと思うのか?」
「うぐっ! ・・・・お、思わないさ。だ、だから、その話には、・・・・続きがある」
「続きだと!?」
「そうだ。・・・・領主オリヤンは、リ、リーディアを失った失意のため、病気療養を理由に俺に領主の座を譲るのだ。領主を継いだ俺は、反同盟派を中心にウンダルをまとめ上げ、リーディアの弔い合戦のため、カモフに兵を進める!」
あまりにも荒唐無稽な話に、馬鹿馬鹿しくなったオリヤンは彼を押さえつけていた手を緩めた。
「馬鹿馬鹿しい・・・・。儂がお前を野放しにすると思うのか?」
「ならば少し筋書きを変えればいい。領主オリヤンはリーディアを失ったショックにより錯乱し自ら命を絶ったってな!」
「・・・・痛っ!?」
殺気を感じたオリヤンが素早く飛び退くが、エリアスが白刃を煌めかせる方が一瞬早かった。
どこに隠し持っていたのか、エリアスの右手には短剣がいつの間にか握られ、剣先からは鮮血が滴っていた。
「よく躱したな。流石にミラーの名は伊達ではないか!」
そう言って不敵な笑みを浮かべるエリアスには、狂気が乗り移ったような妖しさを感じさせた。
「くっ! ・・・・正気なのか?」
「オリヤン様っ!」
護衛が青ざめた顔で叫ぶ。
オリヤンは脇腹を手で押さえていた。左脇腹を抉った傷口は致命傷は免れたものの、指の間からは血が滲み出る。脇腹を紅く染め上げ、滴り落ちる血が床を赤く染めていく。
「ふん! 親殺しなんぞ、正気でなければ出来ぬわ!」
そう嘯くと腰だめに短剣を構え、体重を乗せて真っ直ぐに突進する。歪んだ笑みを浮かべるその顔はまさしく赤鬼と言ってよかった。
オリヤンは避けることなくエリアスの突進を受け止め二人の体が重なった。
「くっ!?」
声を上げたのは今度はエリアスの方だった。
彼の突き出した短剣は、彼の腕ごとオリヤンの左脇でガッシリと固定され、押すことも引くこともできなかった。
骨が軋む音が聞こえるほどの怪力で締め上げるとエリアスの表情が苦痛に歪む。
「ええい! 離せっ!」
「老いたとはいえ、まだお前に討たれるほど衰えてはおらぬ!」
苛立った声を上げるエリアスに対し、静かにそう告げるとオリヤンは左脇に力を込めていく。
「ぐぅうっ!」
堪えきれずに手放した短剣が、甲高い金属音を響かせて床を転がった。
オリヤンは締め上げた腕の拘束を解くと、胸倉を掴み再び彼を壁へと押しつけた。
気道を圧迫される息苦しさからエリアスは苦悶の表情を浮かべているが、オリヤンを睨む眼光の鋭さは衰えない。
「儂の目に光がある内は馬鹿な真似はさせん! リーディアやトゥーレ殿に万が一のことがあれば許さぬぞ!」
「ぐぬぅぅぅ・・・・」
エリアスは必死で抗ったが、最後にはそのまま絞め落とされ意識を手放した。
その後駆け付けた衛兵によって彼は牢へと連行されていくのだった。
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