都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第一章 都市伝説と呼ばれて

41 バルコニーにて(1)

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「くそぅ! 油断したぁ!」

 シルベストルに拉致されてからおよそ二時間、ようやく解放されたトゥーレは疲れた表情で、広間に隣接したバルコニーへと脱出を果たした。きっちり留めたシュミーズの首下のボタンをふたつほど外すと、ユーリからミード酒の杯を受け取りホッとしたように一息ついた。
 火照った身体を秋の夜風が気持ちよく撫でていく。

「流石ですね。大人気でした」

「五月蠅い、そんなのはどうでもいいんだよ。シルベストルの奴、覚えてろよ!」

「いやいや、流石にそれは逆恨みですからね」

 会場内でオリヤンと談笑するシルベストルを睨み付けながら、トゥーレはどこかの悪役のような台詞を吐く。
 こうして悪態をついているものの、拉致されている間は不平な素振りなど微塵も感じさせず、トゥーレは卒のない受け答えをしていたのだ。そんなトゥーレの豹変具合にユーリは苦笑することしかできない。

「シルベストル様のことです。トゥーレ様が抜け出そうとすることは、織り込み済みだったのでしょう。たまにはいいじゃないですか?」

「いいや。いつか面倒ごとを全部押しつけてやる。ふふふ・・・・」

 トゥーレは右の口角を吊り上げ、真っ黒な笑みを浮かべる。ユーリは彼の悪巧みには慣れたもので軽く肩を竦めるのみだった。
 秋の夜だ。
 空気はしんとしていて心地よく、見上げると澄み切った夜空には満天の星が輝いていた。

「ひとつ聞きたいことがあるんですが?」

「改まってどうした?」

 しばらく取り止めない話をした後、ユーリはふと気になっていたことを口にした。

「今夜の晩餐会にはオリヤン様以下、ストランド家の錚々たるメンバーが出席されています」

「そうだな」

「その中でオリヤン様を継いで次期領主候補の筆頭は、ダニエル様で間違いありませんか?」

「その認識で問題はない」

 ユーリの言わんとすることに見当がついた様子で、トゥーレはユーリに向き直るとバルコニーの手摺りに身体を預ける。
 今夜の晩餐会には、ダニエルを筆頭にヨウコやヴィクトルといったリーディアの兄も出席している。もっとも兄といえど、リーディアとは母親が違うため異母兄だ。もっと言えばヨウコとヴィクトルの二人も、ダニエルとは母親が違う。
 オリヤンの妻は四人、子は全部で七人いたが、正妻と二番目の妻、そして二人の子は既に故人だ。

「オリヤン様にはエリアス様という長男がおられ、しかも存命だと記憶しております。今回にしても前回にしても、誰もそのことについて触れないのはどうしてなのでしょうか?」

「・・・・」

 トゥーレはミード酒を一口飲み、会場への出入口を確認するように目を向ける。人の気配がないことを確認するとユーリを近くに呼び寄せた。

「確かにオリヤン様にはエリアス殿というご長男が居られる。キビキの乱の頃に誕生されたので、三〇歳は超えていたはずだ。今は前線のレボルトでゼメクの軍と睨み合っているため、ほとんどフォレスには戻ってきていない。しかしそのエリアス殿にはある噂があるんだ」

「ある噂?」

 声を潜めて語るトゥーレに釣られて身体を近づけていく。
 男二人が肩を寄せ合うように内緒話する姿は、端から見れば充分に怪しい。その事に気付いた二人は思わず周囲を見回し、人がいないことを改めて確認すると咳払いをして距離をとり、声量を通常に戻して続けた。

「俺も会ったことはないため真偽は不明だが、性格は粗暴で気性も荒いという。ある時、街中でエリアス殿の前を横切ったというだけで、その者は切り捨てられたという話もあるくらいだ。
 そのためフォレスの街ではエリアス殿のことを密かに『赤鬼』と呼んで忌み嫌っているらしい。しかし戦場での働きは凄まじく、オリヤン様に似て二メートルを超える身長と赤い頭髪、そして鋼鉄製の戦鎚や金棒を軽々と振り回す姿から、敵味方関係なく『赤鬼』と呼ばれ畏怖されているという」

「なんと・・・・」

 流石のユーリも予想外の人物像に驚きのあまり言葉をなくす。
 街中では忌避の対象として、戦場では獰猛な活躍に対して、同じ言葉だが意味合いは正反対の意味で『赤鬼』と呼ばれていたのだ。

「そんな人物像はさておき、それ以上の問題がエリアス殿にはあるんだ。こちらの問題がより根が深く深刻だな」

 戦場はともかく街中での振る舞いでも充分過ぎるほどの問題だが、トゥーレはさらに深刻な問題があるという。

「エリアス殿はオリヤン様とは折り合いが悪いらしく、激しく口論しているのを多くの者が目撃しているようだ。またこの同盟には、はっきりと反対の立場だそうだぞ。そのため今回は呼ばれていない」

 さすがに他領のことに踏み込むにはデリケート過ぎる問題だ。誰もが口にすることを憚るのも理解できた。
 ウンダル陣営では表面化していないものの、エリアスを筆頭に強硬に同盟反対を唱える勢力を内包しているのだった。
 同盟が締結され、今またトゥーレとリーディアの婚約が成立しようとしているために現状では沈静化しているに過ぎないのだ。今後、状況によっては一瞬にして安定した状況が瓦解する危険性を孕んでいた。
 順調に見えたカモフとウンダルの同盟だが、流石に一枚岩という訳には行かないようである。
 晩餐会はまだ続いているようで会場内では音楽が流れ、人々が談笑する姿が見えていたが、二人の周りは余韻が冷めたように空気が冷えてきていた。
 それはバルコニーに出ているからでは決してないだろう。

「トゥーレ様!」

 男二人で顔を付き合わせ重苦しい会話をしていると、今回のもう一人の主役であるリーディアがバルコニーの入口に立っていた。
 彼女もオリヤンの傍で列席者からお祝いを受けていたが、解放されたためトゥーレを探していたのだった。

「ようやくトゥーレ様とゆっくりお話ができますわ」

 スカートの裾を摘まんで小走りにトゥーレの傍までやってくると、はにかんだ笑顔を浮かべた。
 流石に野暮だと思ったか、リーディアと入れ替わるようにユーリが静かにその場を離れていく。

「もうお役目は大丈夫なのか?」

 トゥーレはそう声を掛け、ミード酒の入った杯を彼女の前に掲げる。

「うふふ、逃げて来ちゃいました」

 リーディアは自分のグラスをトゥーレの杯に合わせる。乾いた音がバルコニーに響き、悪戯っぽい笑顔を浮かべて顔を見合わせると二人で笑い合った。



 二人は石造りの手摺りに身体を預け、無言のまま夜空を見上げていた。
 空には澄み渡った秋の星空が瞬いている。
 話したいことはお互い色々あったが、いざ顔を合わせると言葉が出てこない。
 まともに会って話をするのは七年ぶりだ。当時は数日とはいえ兄妹のように仲良く遊んでいたが、ともに思春期を迎えた今は照れくささもあって口数が少なくなる。
 気まずさが漂っている訳ではないが、ぎこちなく距離を測る二人だった。
 平静を装うトゥーレだが、頭の中はフル回転で話題を探していた。しかし緊張からか普段のように考えが纏まらない。話し掛けようとしては断念することを繰り返しているため、端から見れば不審者のようなおかしな挙動をしていた。
 現にバルコニー入口に控えるユーリの肩が、先程から小刻みに震えているのは決して寒いからではないだろう。

「そのドレスよく似合ってるよ」

「ありがとう存じます。トゥーレ様こそよくお似合いです」

 トゥーレが羽織っていたローブを脱いで、夜空に剥き出しのリーディアの肩に掛ける。

「初めて会ったときと同じ色だよね?」

「覚えていてくださったのですね。わたくし、トゥーレ様にお目にかかるなら絶対にこの色って決めてたんです。でもトゥーレ様も臙脂色のチュニックに黒いローブだなんて、あのときと全く同じ格好ですわ」

 リーディアが可笑しそうに笑う。
 恐らくあの場にいたセネイでさえ覚えていないであろう。
 二人は事前に示し合わせた訳でもなく、当時着ていた衣装の色をお互いイメージして顔合わせに臨んでいたのだ。

「でもお母様からは『主役なんですからもっと華やかな色にしなさい』って怒られてしまいました」

 そう言うと舌を出してはにかむ。

「姫によく似合っている色だよ。俺は姫の赤毛の印象が強く残っていて、それから気が付けば赤い色を身に着けるようになってた。だから今日の服は選んだ後で気付いたんだ。あのときと一緒だって」

 同じようにはにかんだトゥーレだが、これは正に照れ隠しだ。赤系統の衣装は確かに好んで着用していたが、彼はお披露目の開催が決まると早々に赤いチュニックを密かにオーダーしていたのだ。

「トゥーレ様の目の色によく合ってますわ。そう言えば去年シルベストル様がお見えになったとき、実はトゥーレ様も一緒だったと伺ったのですが本当ですか?」

「ああ、やはりオリヤン様にはバレていたのか」

 予感があったとはいえ自信のあった変装を見破られ、残念そうに首を左右に振る。

「何処にいらっしゃったのですか? わたくしに教えてくださればよかったのに」

 トゥーレの話を聞いてはしゃいでいた当時を思い出し、恥ずかしさに頬を染めながらリーディアは口を尖らせる。

「あのときは姫の正面に座っていたよ。分からなかっただろ?」

「えっ!? あの黒髪の? シルベストル様の護衛にしては若い騎士様がいると思っていたのです。あれがトゥーレ様だったんですね」

 驚いた声を上げ、トゥーレの頭髪を見つめる。髪の色が違ったことに不思議そうな顔をする。どうやら若い護衛として印象には残っていたようだ。ただしオリヤン以外はトゥーレの狙い通り、彼だとは気付かなかったようである。

「俺は正体を明かそうと言ったんだけどね。シルベストルがどうしても駄目だと怒るため明かすことができなかったんだ。お陰で普段の姫を知ることができてよかったけどね」

「まぁ、そうなのですね」

 リーディアは恥ずかしさのあまりますます真っ赤になって俯く。見れば耳や首筋まで朱に染まっていた。
 変装した上にそれを口止めしたのはトゥーレ本人の筈だが、彼は先ほど連行された仕返しとばかりシルベストルに罪を擦り付けるのだった。
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