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第一章 都市伝説と呼ばれて
17 老騎士シルベストル
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午後になるとカモフの谷は、早々に太陽が谷の稜線に遮られてしまう。そうなると一気に気温が下がってくる。同時にゴォと音を立てて、谷を強風が容赦なく吹き抜けていく。
「寒ぃぃぃぃぃぃ!」
外套をしっかりと着込み、寒さに震えながら先を争うように領主邸に戻ってきたトゥーレたち。館へと続く門扉には、防寒具をしっかり着込んだ衛兵が門を守り、門の脇に焚かれた篝火からは風に煽られて火の粉がひっきりなしに舞っていた。
衛兵とは別に、門の中央に腕を組んで仁王立ちする老騎士がひとり仁王立ちしていた。その騎士は寒さを感じていないのか、ローブを羽織っただけの軽装で沸騰したような上気した顔をして、震えながら戻ってきたトゥーレたちを睨み付けていた。
「シ、シルベストル様っ!?」
先頭を進んでいたオレクが驚いたように声を上げる。その声が合図のようにトゥーレたちは足を止めた。
無言での対峙がしばらく続く。
「バーレク卿! 寒い中わざわざの出迎え、痛み入ります」
やがて軽く溜息を吐いて前に進み出たトゥーレは、マントのフードを上げるとその騎士の名をわざと姓で呼びながら、右腕を胸の下に左腕を斜めに突き出し、左足を前に出して交差すると腰を前にかがめた。いわゆるボウ・アンド・スクレープと呼ばれる男性の貴族がするお辞儀だ。
わざとらしく仰々しいトゥーレの仕草は、シルベストルの怒りに火を注ぐことになる。
紳士然と纏められたロマンスグレーの頭髪に、淡いヘーゼルの瞳を吊り上げ、怒りの籠もった目を見開きトゥーレを一瞥する。上気した顔はますます赤くなり、頭から湯気が立ち上るのを彼らは幻視した。
篝火を反射した鋭い眼光は睨まれた相手を射殺さんばかりの鋭さだ。それはユーリたちでさえ思わず竦み上がるほどだった。
「其方たち! この寒空の中トゥーレ様を連れ回すとは如何なる所存かっ!」
ビリビリと空気が震えるような雷鳴の一喝に、ユーリたちは思わず首を竦めた。
「バーレク卿、連れ回したのは俺だよ」
怯えるユーリたちとは裏腹に、トゥーレはやれやれという様子でシルベストルの一喝にも動じることなく答える。まだシルベストルの逆鱗に慣れていないユーリたちはともかく、長い付き合いのトゥーレにとってはいつもの事なのだ。シルベストルの扱い方については誰よりも知っている。
「トゥーレ様がそう言われたとしても、お諫めするのも其方たちの勤めであろう? それを諌めるどころか一緒になって・・・・」
「シルベストル、俺が無理を言って連れ出したんだよ!」
トゥーレを無視するようにしてユーリたちを標的にするシルベストルを強い口調で遮る。巫山戯て姓を呼んでいては埒があかないと感じたトゥーレは、いつもの呼び方に戻す。
するとようやくシルベストルは、トゥーレを眦を吊り上げて睨み付ける。
「エンを奪われた今、敵の斥候が多数領内に入り込んでいるという報告は聞いておられるでしょう? そのような中、わずかな供のみで出掛けるなぞ言語道断! 刺客に襲われたらどう致しますか? 次も無事に切り抜けられるなどという保証などありませんぞ!」
「ああ、わかった。今度から気を付けるよ。腹が減ったから今日は勘弁してくれ」
今日こそは聞いていただけねばならぬという覚悟の上、口角泡を飛ばし説教をおこなうシルベストルだったが、その思いを知ってか知らずか、トゥーレは聞き流すように右手をひらひらと振りながらユーリたちに『行くぞ』と声を掛け、足早にその場を後にしていく。
「トゥーレ様!」
肩すかしを食らったシルベストルは、トゥーレが聞く耳を持たないため、地団駄を踏んで悔しがった。
「よ、よろしいのですか?」
トゥーレのお陰でシルベストルから解放されたとはいえ、恨めしそうにこちらを睨み続けるシルベストルを振り返りつつ、ユーリはトゥーレに耳打ちをするようにそっと顔を近づける。
彼らは門扉を潜るのを境に、トゥーレへの態度を一変させている。外での馴れ馴れしさは微塵も感じさせず、態度は部下のそれへと変わっていた。
トゥーレは態度は変えなくても構わないと主張したが、他への目もあることから彼らは自主的に口調を変化させていた。
ユーリたちは新参者でいきなりトゥーレの側近として取り立てられた。そのため、街で騒動を起こしていたことを知る者からの嫌がらせややっかみなどに晒され、色々と気苦労の絶えない思いをしていたのだ。それを知ったトゥーレは、彼らにそれ以上は何も言わなくなった。
「貴様たちは、あのままシルベストルの説教を聞くつもりだったのか?」
「いえ、そういう訳では・・・・」
シルベストルを気にするユーリたちに、軽く溜め息を吐いたトゥーレが声を潜める。
「今日のあの様子だと、三時間、いや下手をすると一晩は解放されぬかも知れんぞ」
「一晩!? いくらシルベストル様でもそこまでは・・・・」
執事のような身なりをしているため誤解されることも多いが、シルベストルは優秀な内政官であるが、カモフで一番怒らせてはいけない人物だと知れ渡っていた。
彼はトゥーレが幼い頃には守り役を務めていた時期があり、シルベストルに対する塩対応からは分かりにくいが、トゥーレは彼に絶大な信頼を置いていた。長い付き合いだけに彼の性格もよく知っている。
「甘いな! シルベストルは必要だと思えばやる男だ。俺なんか冷たい床に何度正座させられたことか」
「まさか!?」
「まだまだシルベストルを理解していないようだな。・・・・後ろを見て見ろ」
トゥーレが正座させられ懇々と説教を受けたのは、完全に彼の自業自得だ。だが、シルベストルの性格を知り尽くした彼の言葉に、思わず生唾を飲み込んだユーリたちは恐る恐る振り返った。
「・・・・ぅわっ!」
そこには未だこちらを睨み仁王立ちする老騎士の姿があり、シルベストルの背中に立ち上る得体の知れない影の姿を幻視した彼等は、逃げるようにその場を後にするのだった。
トゥーレに仕えるようになり半年。
毎日剣や槍、鉄砲の扱いから乗馬、更には側近や側勤めとしての作法や口調について繰り返し叩き込まれる日が続いていた。
最初の頃は一日が終わると疲れ果て泥のように眠る毎日だったほどだ。特に作法については、時間が合えばシルベストルが指導することもあった。シルベストルの厳しい教育は、彼らでさえ精神的外傷となるほどだった。そのため、いまだにシルベストルを目の前にすると必要以上に緊張が走るのだ。
ユーリでさえ震え上がるこの老騎士の名を、シルベストル・バーレクという。
トゥーレは冗談めかして『堅物』と評しているが、ザオラルの最古参の部下のひとであり、トゥーレの後見人として幼少の頃より厳しくも暖かく見守ってきた人物であった。
ザオラルより十歳年長のシルベストルは、既に六十歳を越えているが細身で背筋はすらりと伸び、声にも張りがあるために年齢よりも若く見える。
内政官としての能力に優れた彼は、ザオラル不在時には領主代理としてサザンの政務を取り仕切るほどの実力者で、ザオラルからの信頼もすこぶる厚かった。
公明正大な判断を下せることで知られ、例えザオラルが相手でも間違っていると判断した場合には、はっきりと正すことができることから『天秤公』などと渾名されている。
執事のような普段の様子からは、物静かで落ち着いたように見えるが、その逆鱗に触れると例え戦場で相手に恐れられるような騎士であっても、子犬のように小さくなるほどだという。
突然トゥーレの側近として現れたユーリたちは、当初は盗賊とそれほど変わらない格好と口調だった。そんな彼らをトゥーレの傍に仕えるに相応しい体裁を整えるため、必要以上に厳しく指導していたのだった。
精神的外傷を植え付けられたユーリたちは気付いていないが、その証拠にここ最近ユーリたちが感じるほど厳しくは接していない。それはトゥーレの側近として、暗にシルベストルが認めたことを現していた。
ザオラルとシルベストルの付き合いは長く、およそ三十年前ザオラルがアルテで王宮騎士を務めていた頃に遡る。
当時シルベストルは、アルテで官吏として勤める下級役人のひとりで、王宮に勤務するようになって五年が経過していた。
そつなく仕事を熟す彼は、周りからの評価は高かったが、その融通の利かない性格が災いし、賄賂の蔓延る王宮内では下級官吏の身分から抜け出せず、日々雑務に忙殺される日々を過ごしていた。
「寒ぃぃぃぃぃぃ!」
外套をしっかりと着込み、寒さに震えながら先を争うように領主邸に戻ってきたトゥーレたち。館へと続く門扉には、防寒具をしっかり着込んだ衛兵が門を守り、門の脇に焚かれた篝火からは風に煽られて火の粉がひっきりなしに舞っていた。
衛兵とは別に、門の中央に腕を組んで仁王立ちする老騎士がひとり仁王立ちしていた。その騎士は寒さを感じていないのか、ローブを羽織っただけの軽装で沸騰したような上気した顔をして、震えながら戻ってきたトゥーレたちを睨み付けていた。
「シ、シルベストル様っ!?」
先頭を進んでいたオレクが驚いたように声を上げる。その声が合図のようにトゥーレたちは足を止めた。
無言での対峙がしばらく続く。
「バーレク卿! 寒い中わざわざの出迎え、痛み入ります」
やがて軽く溜息を吐いて前に進み出たトゥーレは、マントのフードを上げるとその騎士の名をわざと姓で呼びながら、右腕を胸の下に左腕を斜めに突き出し、左足を前に出して交差すると腰を前にかがめた。いわゆるボウ・アンド・スクレープと呼ばれる男性の貴族がするお辞儀だ。
わざとらしく仰々しいトゥーレの仕草は、シルベストルの怒りに火を注ぐことになる。
紳士然と纏められたロマンスグレーの頭髪に、淡いヘーゼルの瞳を吊り上げ、怒りの籠もった目を見開きトゥーレを一瞥する。上気した顔はますます赤くなり、頭から湯気が立ち上るのを彼らは幻視した。
篝火を反射した鋭い眼光は睨まれた相手を射殺さんばかりの鋭さだ。それはユーリたちでさえ思わず竦み上がるほどだった。
「其方たち! この寒空の中トゥーレ様を連れ回すとは如何なる所存かっ!」
ビリビリと空気が震えるような雷鳴の一喝に、ユーリたちは思わず首を竦めた。
「バーレク卿、連れ回したのは俺だよ」
怯えるユーリたちとは裏腹に、トゥーレはやれやれという様子でシルベストルの一喝にも動じることなく答える。まだシルベストルの逆鱗に慣れていないユーリたちはともかく、長い付き合いのトゥーレにとってはいつもの事なのだ。シルベストルの扱い方については誰よりも知っている。
「トゥーレ様がそう言われたとしても、お諫めするのも其方たちの勤めであろう? それを諌めるどころか一緒になって・・・・」
「シルベストル、俺が無理を言って連れ出したんだよ!」
トゥーレを無視するようにしてユーリたちを標的にするシルベストルを強い口調で遮る。巫山戯て姓を呼んでいては埒があかないと感じたトゥーレは、いつもの呼び方に戻す。
するとようやくシルベストルは、トゥーレを眦を吊り上げて睨み付ける。
「エンを奪われた今、敵の斥候が多数領内に入り込んでいるという報告は聞いておられるでしょう? そのような中、わずかな供のみで出掛けるなぞ言語道断! 刺客に襲われたらどう致しますか? 次も無事に切り抜けられるなどという保証などありませんぞ!」
「ああ、わかった。今度から気を付けるよ。腹が減ったから今日は勘弁してくれ」
今日こそは聞いていただけねばならぬという覚悟の上、口角泡を飛ばし説教をおこなうシルベストルだったが、その思いを知ってか知らずか、トゥーレは聞き流すように右手をひらひらと振りながらユーリたちに『行くぞ』と声を掛け、足早にその場を後にしていく。
「トゥーレ様!」
肩すかしを食らったシルベストルは、トゥーレが聞く耳を持たないため、地団駄を踏んで悔しがった。
「よ、よろしいのですか?」
トゥーレのお陰でシルベストルから解放されたとはいえ、恨めしそうにこちらを睨み続けるシルベストルを振り返りつつ、ユーリはトゥーレに耳打ちをするようにそっと顔を近づける。
彼らは門扉を潜るのを境に、トゥーレへの態度を一変させている。外での馴れ馴れしさは微塵も感じさせず、態度は部下のそれへと変わっていた。
トゥーレは態度は変えなくても構わないと主張したが、他への目もあることから彼らは自主的に口調を変化させていた。
ユーリたちは新参者でいきなりトゥーレの側近として取り立てられた。そのため、街で騒動を起こしていたことを知る者からの嫌がらせややっかみなどに晒され、色々と気苦労の絶えない思いをしていたのだ。それを知ったトゥーレは、彼らにそれ以上は何も言わなくなった。
「貴様たちは、あのままシルベストルの説教を聞くつもりだったのか?」
「いえ、そういう訳では・・・・」
シルベストルを気にするユーリたちに、軽く溜め息を吐いたトゥーレが声を潜める。
「今日のあの様子だと、三時間、いや下手をすると一晩は解放されぬかも知れんぞ」
「一晩!? いくらシルベストル様でもそこまでは・・・・」
執事のような身なりをしているため誤解されることも多いが、シルベストルは優秀な内政官であるが、カモフで一番怒らせてはいけない人物だと知れ渡っていた。
彼はトゥーレが幼い頃には守り役を務めていた時期があり、シルベストルに対する塩対応からは分かりにくいが、トゥーレは彼に絶大な信頼を置いていた。長い付き合いだけに彼の性格もよく知っている。
「甘いな! シルベストルは必要だと思えばやる男だ。俺なんか冷たい床に何度正座させられたことか」
「まさか!?」
「まだまだシルベストルを理解していないようだな。・・・・後ろを見て見ろ」
トゥーレが正座させられ懇々と説教を受けたのは、完全に彼の自業自得だ。だが、シルベストルの性格を知り尽くした彼の言葉に、思わず生唾を飲み込んだユーリたちは恐る恐る振り返った。
「・・・・ぅわっ!」
そこには未だこちらを睨み仁王立ちする老騎士の姿があり、シルベストルの背中に立ち上る得体の知れない影の姿を幻視した彼等は、逃げるようにその場を後にするのだった。
トゥーレに仕えるようになり半年。
毎日剣や槍、鉄砲の扱いから乗馬、更には側近や側勤めとしての作法や口調について繰り返し叩き込まれる日が続いていた。
最初の頃は一日が終わると疲れ果て泥のように眠る毎日だったほどだ。特に作法については、時間が合えばシルベストルが指導することもあった。シルベストルの厳しい教育は、彼らでさえ精神的外傷となるほどだった。そのため、いまだにシルベストルを目の前にすると必要以上に緊張が走るのだ。
ユーリでさえ震え上がるこの老騎士の名を、シルベストル・バーレクという。
トゥーレは冗談めかして『堅物』と評しているが、ザオラルの最古参の部下のひとであり、トゥーレの後見人として幼少の頃より厳しくも暖かく見守ってきた人物であった。
ザオラルより十歳年長のシルベストルは、既に六十歳を越えているが細身で背筋はすらりと伸び、声にも張りがあるために年齢よりも若く見える。
内政官としての能力に優れた彼は、ザオラル不在時には領主代理としてサザンの政務を取り仕切るほどの実力者で、ザオラルからの信頼もすこぶる厚かった。
公明正大な判断を下せることで知られ、例えザオラルが相手でも間違っていると判断した場合には、はっきりと正すことができることから『天秤公』などと渾名されている。
執事のような普段の様子からは、物静かで落ち着いたように見えるが、その逆鱗に触れると例え戦場で相手に恐れられるような騎士であっても、子犬のように小さくなるほどだという。
突然トゥーレの側近として現れたユーリたちは、当初は盗賊とそれほど変わらない格好と口調だった。そんな彼らをトゥーレの傍に仕えるに相応しい体裁を整えるため、必要以上に厳しく指導していたのだった。
精神的外傷を植え付けられたユーリたちは気付いていないが、その証拠にここ最近ユーリたちが感じるほど厳しくは接していない。それはトゥーレの側近として、暗にシルベストルが認めたことを現していた。
ザオラルとシルベストルの付き合いは長く、およそ三十年前ザオラルがアルテで王宮騎士を務めていた頃に遡る。
当時シルベストルは、アルテで官吏として勤める下級役人のひとりで、王宮に勤務するようになって五年が経過していた。
そつなく仕事を熟す彼は、周りからの評価は高かったが、その融通の利かない性格が災いし、賄賂の蔓延る王宮内では下級官吏の身分から抜け出せず、日々雑務に忙殺される日々を過ごしていた。
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