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第一章

12.

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目の前に座るシルフレイヤ嬢を見るだけで心の平穏を保つことができる。
彼女がいるだけで、彼女が近くにいるだけで幸せだと感じる。
こんな想いは初めてだ。ずっと彼女だけの顔を見ていたい。声を聴きたい。笑顔を向けてほしい。そしてできれば触りたい。
手に触れるだけで痛みを取り除いてくれる力を持つまるで女神のような婚約者。
ああ、ようやく普通の人間になれることができる。
早く触れたい。でも自分の欲だけを出すのは得策ではない。
それじゃなくても彼女の家族には、彼女は俺を癒すだけの道具として扱われ憤っている。
彼女もきっとそう感じているだろう。
そんなことはない。確かに痛みを苦しみを取り除いてくれるけど、それ以上に彼女が愛しい。
黒い髪の毛に青い目。まだ14歳なのに気品さを感じるそんな彼女に強く惹かれている。
そうただの一目惚れだ。何でもっと早くに肖像画を見なかったんだろうか。過去の自分が憎くてたまらない。

「私を殺さないで下さい」

今までの対応を詫びるために様々なことを提案したが彼女は望まなかった。
何をしたら彼女の笑顔が見れるだろうか。普通女性は宝石やドレスなどを好むんじゃないのか?
自分の唯一持っているのは財力と権力しかない。それで彼女が笑顔を見せてくれるなら…それで過去のことを少しでも許してくれるなら何だって差し出すのに…。
それなのに彼女は意味の分からないことを言い出した。
殺さないでくれ?俺が彼女を殺すなんてありえない。例え魔力が暴走しても彼女だけは絶対に殺さない。

「どういう……いえ、詳細をお聞きしても宜しいでしょうか?」
「大公殿下が無意味に人を殺すとは思っておりません。ですが…その…なんて言いますか…」

もごもごと俯いている姿さえ愛しい。
何故あんなことを言ったのか気になるが何でもいい、叶えてあげたい。

「構いません。魔法契約書に記しましょうか?」
「あっ…そうして頂けると嬉しいです」

苦笑する姿さえ可愛らしい。
魔法契約書。契約内容にお互い納得してサインすると行使される。
殺さない。とサインすると契約書が破棄されるまで彼女を殺すことができないし、俺が狂人になって意識を手放したとしても彼女に攻撃できない。
絶対にそんなことはしないが、確実に彼女を殺さないのであればサインする価値がある。
今は持っていないから適当な紙とペンを魔法で取り出して内容を書き記す。

「他に何かありますか?」
「……他、ですか…」
「シルフレイヤ嬢の願いなら何でも叶えたいです。何でも仰って下さい」
「でしたら…。離婚した際に慰謝料を頂けるとか…?」
「はっ!?」

絶対イヤなんだが!
え、何でそんなことをそんな可愛い口から言うんだ!?
やっぱり今までのことを怒ってるんだ。じゃあ仕方ない。でも心臓止まるからやめてほしい!

「政略結婚とは言え嫌いになったら一緒に暮らしていくのは難しいと思います。大公殿下は有名なお方ですし、私より相応しい女性が現れたらその方と一緒になりたいでしょう。なので離婚はいつでもお受け致します。ですがその代わり…えっと…少しばかりの……すみません…」
「離婚なんて絶対にしません」
「あっ! 例え離婚したとしても私の力は使わせて頂きますのでそちらはご安心下さい」
「…。俺はシルフレイヤ嬢を愛しています」
「ありがとうございます」

俺の気持ちが全く届いていない。
自業自得だとは解っている。解っているけど空しい。

「シルフレイヤ嬢は…政略結婚だと思っているのですか?」
「状況を見ても大公殿下の相手に丁度いいのは私だけでした」
「では皇帝陛下が俺じゃなく他の男を指定したらその方と結婚されるのですか?」
「…お父様がそう仰るなら私はそれに従います」
「…」

例えそうなってもそいつを殺せば大丈夫そうだな。
俺より強い奴なんていねぇし。
でも一応兄上にも進言しとくか。絶対に婚約は破棄しないと!

「できれば俺…私は貴方に愛されたいです。(そんな資格ないくせに…)」
「勿論です。政略結婚とは言えできれば愛がある生活を送りたいです」
「では私がシルフレイヤ嬢を殺さないという契約のみで大丈夫です。私は絶対に貴方と離婚はしません。それともシルフレイヤ嬢には他に想い人が?」

もしいるならどうするのがいいだろうか…。
当分の間泳がせて、俺が彼女を大事にしたらそのままでいいし、それでもまだ付き合いがあるなら「影」を使って消すしかない。
アリバイも作っておけば彼女は俺を疑わないし、悲しむ彼女を慰めればそれでいい。

「いえいません。あまり社交的ではないので、うちの騎士団やお兄様達としか関わったことがありません」
「それはよかった。私は幸せにする自信がありますので離婚に関しての項目はなしでいきましょう」
「……。…ではそのように」

まだ何か言いたそうだったけど、わざと何も聞かなかった。
彼女は俺のことをただの結婚相手しか思っていないし、興味がない。
その発言をされるだけで今まで感じたことのない痛みを感じる…。痛みには多少慣れているはずなのにこの痛みは絶対に慣れない。
それでも彼女を見るとその痛みは和らぐし、自然と微笑んでしまう。
このままずっと彼女だけを見ていたい。そして彼女には俺だけを見ていてほしい。許されるなら屋敷の奥に閉じ込めて自分だけしか知らない人でいてほしい。
彼女が他の人を見るだけで殺したくなる。話しかけるだけで嫉妬する自信がある。髪の毛一本すら誰にもあげたくない。

「大公殿下」
「アレスと呼んで頂けませんか?」
「ですが…」
「婚約していますし、あと少ししたら結婚する仲ではありませんか」
「……解りました、アレス様。私のこともお好きにお呼んで下さい」
「家族にはどう呼ばれていますか?」
「家族からはシルと呼ばれています。友達にはフレイと呼ばれることもあります」
「では私もシルと呼ばせて頂きます。これから宜しくお願いします」
「こちらこそ。良き妻になれるよう頑張ります」

ニコリと可憐に微笑む彼女に胸が苦しくなる。
本当に…どうして今まで放っておいたんだろう…。
今まで殺したい奴はいたけど、そいつらの中に俺自身を入れたいぐらいだ。
ペンと紙を魔法で収め、再度彼女を見ると14歳とは思えないほど優雅に紅茶を飲んでいた。
この光景を何かに記録したい…!



離婚後の慰謝料のことは確約できなかったけど、「殺さない」という約束はできた。
心臓から口が出るぐらい緊張したけどこれで悩みは解決したかな?
変なことをお願いしたのに深堀りされなかったのには助かった…。
ようやく一息ついて紅茶を飲むと視線を感じたけど、わざと目を合わせることはしない。
二人きりになって意識しているせいで緊張とも言えない居心地悪さを感じる。
アレス様のことは考えないように…。他のことを考えよう。何か他に言いたいことがあったかしら…。

「(あっ…)あと一つお願いしたいことがあるのですが…」
「何でも言って下さい」
「私はまだ成人式を迎えていないですし、大公妃としての教養や知識も足りません。ですので結婚は早くても2年後にしてください」
「明日にでも結婚式を挙げたかったのですが、解りました」
「ありがとうございます」
「ではいつ邸に来ますか?」
「え?」
「シルは私の婚約者ですからね。今日にでも私の屋敷に来てくれると嬉しいのですが…いきなりは難しいですよね」
「あの…。結婚後ではないのですか?」

まだ成人を迎えていないのに相手の屋敷に行くべきなの?普通は結婚してからだよね?
そう思って質問するとアレス様はまた大きなショックを受けていた。
ああ、痛みを緩和するためにすぐ近くにいてほしいのかしら?

「まだ学ぶこともありますし…。それにまだ家族と離れる準備ができていないので…」
「…」
「ですができる限りアレス様と過ごす時間を作ります」
「申し訳ありません、シルと一緒にいたくて焦ってしまいました。では三日に一度お会いしませんか?」
「三日に一度ですか?」

三日に一度はさすがに高頻度では?
そう思ったけどアレス様はニコニコと嬉しそう…。
私の家からアレス様の屋敷まではそこまで離れていないから難しくはないけど、婚約者同士ってこんなに会うものかしら?
勉強する時間も作らないといけない。でもアレス様の笑顔を見るととても断れる空気じゃない…。

「アレス様もお忙しいのではありませんか?」
「婚約者に会う時間のほうが大切です。それにこの忌まわしい苦痛から逃れたい」

そうだよね…。今までずっと苦しんできたのだから私と会いたいよね。
本当に私のおかげで痛みが和らぐか解らないけど。

「できる限りそのように対応致しますが、難しい場合もあります。それでも宜しいでしょうか?」
「勿論です。ではこれからも宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願い致します」

そう言って席を立ち、私の手を取って軽く触れるだけのキスをする。
流れるような仕草に少しだけ身体が飛び跳ねた。初めてこんなことされてしまった…。うちの騎士団でも手を取って額をつけるだけなのに…。
どうしたらいいか悩んで固まっている私とは反対に、アレス様は立ち上がり「戻りましょう」と席を立つよう促す。
顔が熱い気がする…。表情に出ていなければいいんだけど…。

「それと皇帝陛下がシルの力について知りたいと言っていたのでもう少し時間を頂けますか?」
「勿論です」

庭園を出るとテュールお兄様とセティお兄様が待っていた。
すぐに私に駆け寄ってアレス様と引き離され「大丈夫か!?」と色々なことを聞いてくる。
何が大丈夫なのか…。どんな想像をしたのか分からないけどさすがに失礼なのでは…?
アレス様を見るも彼は笑っていたのでホッとする。

「婚約破棄するよな!? 婚約破棄したよな!?」
「落ち着いて下さいテュールお兄様。婚約破棄はしません」
「何でだよ! しろよ!」
「する理由がありません」
「シル、貴族の義務だとかそういうことは考えなくていいんだよ?」
「このことに関してはお母様とアレス様とお話しましたので大丈夫です」
「母上!」
「貴方達もいい加減妹離れしなさい。それから大公殿下」
「はい」
「あとでお話ししたいことが御座います」
「かしこまりました」
「で、その前にアティルナ嬢」
「何でしょう、陛下」
「魔法訓練場へ行こうか」
「え?」
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