死人は行く道を未来へと誘う ~ただ一人生き残った青年の役目は、裏切り者の作った異界を消すこと。だけど~

杵島 灯

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第5章 曇り隠れ見えずとも

2.引き込んだ

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 実を言うとユクミは、「隠邪の懐に飛び込んでみるのはどうだろう」と密かに考えていた。

 異界を消す、と言うのだけは簡単だ。
 しかしユクミが見回った限りで打開策を見いだせそうにない。
 それは異界の仕組みが分からないためでもあり、相手側の力も測れないため。ならば隠邪の味方を演じてみるのも手段としては良いのではないかと思った。隠邪の中へ飛び込むという危険は伴うが、そのくらいのことをしなければ得られるものが無いように見えたのだ。

 機会は意外に早く訪れた。
 しかもユクミが「味方になる」と言い出さずとも、相手の方からユクミを望んでくれていた。
 これ以上は無いほどにうってつけの状態だ。

 ここで予想外のことが起きたのだとすれば、それは猿の隠邪がユクミの過去を知っていたことと、ユクミが隠していた気持ちを司に暴露されたこと。そして何よりユクミ自身が「猿の味方になりたい」と心から思ってしまったこと。
 猿の言葉にうなずいたときのユクミは純粋に母に焦がれていた。「猿と一緒に行きたい」と願っていた。

『――つかまえたぞ!』

 言葉が聞こえた瞬間にユクミは我に返ったが、もう遅かった。気が付くとユクミは、一面の真っ暗な闇の中で猿と一緒に立っていた。
 同時にユクミは自身の失態を悟った。

 灰色の世界で何百年も待ち焦がれていた人物、大事な大事な『約束の者』司を、ユクミは見捨ててしまったのだ。
 胸の内に自分への失望と怒り、司への申し訳なさがどっと押し寄せて来る。
 もっと他にやりようがあっただろうと思い、その一方でこれは当初の一つの目的を果たす好機ではないかと思った。

 だから猿に向かって必死に笑んでみせる。
 そうしてユクミの全力を持って偽の心を表面に張り付けた。猿の力を惑わすためだ。
 これ以上の失敗は許されないのだから、今のユクミの本当の心を読まれるわけにはいかない。

 猿を目の当たりにして分かった。ユクミの力は猿に及ばない。猿に計画が露見してしまえば間違いなくユクミは倒されてしまうし、ユクミの力で動く司も二度目の死を迎えることになる。司の望みは叶わず、何百年もの時をかけたユクミは何一つとして役に立たないという結末を迎える。それでよいはずがない。
 ユクミは絶対に猿から情報を引き出してみせる。そして司に情報を届け、彼が異界を消す手助けをするのだ。

「本当に、母さんの頭を探してくれるんだな?」

 声は少し震えたが、猿は何も疑問に思わなかったらしい。踊るようにひょこひょこと動く様子からは、自身の勝利に酔いしれる気持ちが存分に感じられる。

『もちろんさあぁぁぁぁ』

 そうして顔だけをぐりんとユクミの方へめぐらせる。ニタニタとした笑顔を見たときには胸が悪くなりそうになったが、ユクミはなんとか上手に気持ちを隠した。

「どうやって探す? はどうやって知る?」
『待てよぉぉぉ、そう慌てるなってぇぇぇぇぇ』

 言いながら猿はユクミの足元を指差した。台が外されるような感覚に続き、浮遊感がくる。
 もしや真の気持ちを気取られて殺されるのかと焦ったが、瞬き一つの時間の後にユクミは例の異界――司と何度も訪れたあの異界にいた。どうやら殺されるわけではなかったようだ。

『狐ちゃんよぉぉぉ、お前ぇぇぇ、ここぉぉぉ、どう思うぅぅぅぅぅ?』
いびつだな」

 ユクミの口からは素直な感想がするりと出てきた。それは以前からユクミがこの異界に対して思っていたことだ。
 まずかったか、と思ったが口は止まらない。

「時はゆがんでいるし、世界は定着していない。それに自然のものたちが張りぼてで気持ち悪い」
『うぅぅぅんんん、やっぱりぃぃぃぃ』

 ユクミの酷評にも猿は気を悪くした様子を見せなかった。ひょこひょこあるきながら、体の半分もある大きな顔をあちこちへ向け、たまに大きく傾げたりしている。

「……なあ」

 こくりと唾を飲み、ユクミは探るような気持ちを外に出さないよう、慎重に猿へ問う。

「ここはなんだ? どうしてこんな風に世界が作れる?」
『ん? んんんん? んんんんん? 狐ちゃんはぁぁぁ、知りたいのかぁぁぁぁぁ?』

 自慢げな言い方は癪に障る。
 しかしユクミはこの異界の秘密を知らなくてはいけない。

 司、とユクミは彼の名前を心の奥で何度も繰り返す。
 ユクミは司の手助けをする。そう決めた。
 これも全部、司のためだ。
 ならば自分の矜持などちっぽけなものだ。
 猿の前に進み出たユクミは深くお辞儀をする。

「知りたい。どうか教えてくれ。私にはとてもこんな世界は作れないんだ」
『あぁぁぁぁ! だよなあぁぁぁぁぁぁ!』

 猿は歯をむき出して笑った。胸が悪くなるような腐臭が漂う。

『いいぜぇぇぇ、いいぜぇぇぇぇぇ! 教えてやるよぉぉぉ! 狐ちゃんもぉぉぉ、オレと一緒にぃぃぃ、作るんだからぁぁぁ、教えてやるよぉぉぉぉ!』

 見ろよ、と言って猿は空の一点を指す。

『あそこがぁぁぁ、境だぁぁぁぁ』
「境?」
『そうぅぅぅ。境だぁぁぁ。ここと向こうのぉぉぉ、境だぁぁぁぁ』
「よく、わからない」
『だろうなあぁぁぁ。狐ちゃんはぁぁぁ、隠邪じゃないからぁぁぁぁ。当然だぁぁぁぁぁ』

 猿はギィギィとした声で笑う。駄菓子屋の前で聞いた時は調和のとれた美しい音のように思えたのに、今は軋むような耳障りなものだとしか感じられない。

『この世界はよぉぉぉ、隠邪オレたちがぁぁぁ、棲む世界さぁぁぁぁぁ』
「……え?」

 思わずぽかんとしてしまったユクミの様子がおかしかったのか、猿はゲラゲラと笑う。

『そうさあぁぁぁぁ! ここはぁぁぁ、オレたちの世界さぁぁぁぁぁ!』
「じゃ、じゃあ、どうして、人間たちが住む世界になっているんだ」
『あいつがぁぁぁ、望んだからさあぁぁぁぁ。聡一がぁぁぁ、作ってくれってぇぇぇ、言ったからさぁぁぁぁ!』

 聡一が望んだ。たったそれだけの理由でこの猿は人の世界とそっくりなものを、隠邪の世界に。

「作った、のか」

 ユクミが問うと猿は大きな口の端を、大きく上にあげる。

『いいやぁぁぁぁ』
「じゃあ、どうしたんだ?」
『知りたいかぁぁぁぁ』
「知りたい」
『そうかあぁぁぁぁ』

 ニヤニヤとして焦らす猿に嫌悪感が湧く。しかしこれは重要な情報だ。ユクミの考えが露見して何も得られないままにするわけにはいかない。

「私には知識がなくて全く分からない。どうか教えてくれないか」

 賛美だけを心の表面に置き、もう一度お辞儀をすると、猿は満足そうに「ぶぷぅぅぅ」と笑った。

『つまりぃぃぃ、引き込んだのさぁぁぁぁぁ』
「引き込んだ? 何を」
『人間の世界をさぁぁぁぁぁ!』

 言われた意味が呑み込めずにユクミはただ瞬く。それが自尊心を刺激されて嬉しかったのか、猿は長い手で拍子をとりながら踊るように何度も高く跳ねた。

『引き込んだのさぁぁぁ、引き込んだのさぁぁぁぁぁ! オレがぁぁぁぁ! このオレがぁぁぁぁぁ! 人間の世界をぉぉぉ、隠邪の世界にぃぃぃ、引き込んだのさぁぁぁぁぁぁ!』

 耳鳴りがする。
 これは猿の声が大きすぎて耳の奥がわんわんするせいだろうか。それとも、ありえないことを聞いて耳がおかしくなってしまったせいだろうか。
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