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第4章 露れるのは真実と嘘

7.代弁者

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 猿の言う「ユクミが半分人間の半端な妖」という言葉を聞いた司の感想は、「馬鹿じゃねえの」だった。
 実際に、

「馬鹿じゃねえの?」

 押さえつけられたままの不自然な体勢ではあったが、その言葉は口をついて出て来る。
 これは猿の態度に対して思ったことだし、「ユクミが半分だけ妖」という話に対して思ったことでもある。加えて自分の視野の狭さ、今までの思い込みに対しての自嘲でもあった。

 そもそも司は妖に関することをほとんど知らない。これは妖が姿を消して年月が経ちすぎ、人間の中でも既におとぎ話になっているせいだ。よって「妖と人間のハーフが存在する」とは少しも思い至らなかったが、ユクミの半分は人間だと思えば今までの行動は納得できるような気がした。

 ユクミが完全な妖、ということに関しては司も今まで違和を感じていたはずだ。
 怪我に包帯を巻いてくれたり、服を洗ってくれたり、手慰みに巾着を作ったり、社の中に遊具として手毬があったりというのは、どうも「妖」というものの性質にはそぐわない。
 それなのに思い込みだけでユクミに「完全な妖」を押し付けていた自分は「馬鹿」だと思うし、なぜかそれを得意げに言う猿も「馬鹿」だと思う。だって司はユクミが半人半妖なことに納得はしたが、それ以上の感情は持たないのだから。

「俺は、ユクミが半分だけの妖だって――」

 なんとも思わない、と言いかけたところで猿に口を塞がれる。小さく「チ」と舌打ちらしきものも聞こえたような気がした。

『そうかぁぁ、そうかぁぁぁぁぁ。やっぱり司もぉぉぉぉ、腹が立つかぁぁぁぁぁ』

 猿が再び轟くような声で叫び始めた。

『完全な妖だとぉぉぉ、思ってたらぁぁぁ、半分しかぁぁぁ妖じゃなかったぁぁんだもんなぁぁぁぁ。司はぁぁぁ、騙されたんだもんなぁぁぁぁぁ』

 司は眉を寄せた。うるさいというのもあるが、それ以上に気持ちを勝手に代弁されるのが不快だった。

『もしもぉぉぉ、半分だけじゃなくぅぅぅ、完全な妖がいたらぁぁぁ、もっと強い力をぉぉぉ、持ってたはずだもんなぁぁぁぁ。司はちゃんとぉぉぉ、復活もできてぇぇぇ、死人になんてぇぇぇ、ならなかったもんあぁぁぁ。半端な妖のせいでぇぇぇ、半端な存在になっちまったぁぁぁ。あああぁぁぁぁ、司も可哀想になあぁぁぁぁ』

 苛立つ司の気持ちの中に戸惑いが生まれる。
 自分はまったくそんなことを考えていないのに、猿はどうしてこんなことを言うのだろう。

(俺を哀れんでる? わけないよな。だとすれば何の理由で)

 そのとき、電流のように一つの考えがひらめいた。顔を押さえられながらもなんとか目線だけを動かしてユクミを見ると、彼女は先ほどまで抵抗していたはずの聡一の腕の中両手で顔を覆い、身を小さくしていた。

(まさかこれは、ユクミが考えていることなのか?)

 ユクミは司の命を救えなかったこと、死人にしてしまったことを何度も謝っていた。司は本当に気にしていなかったのだが、ユクミの表情はずっと晴れなかった。
 もしかするとユクミこそが、自分が半妖であることに引け目を感じていたのかもしれない。そして、完全な妖なら司を救えたのだと思っていたのだとしたら。

 この猿が司の気持ちを代弁している風に話す理由がようやく分かった。司は必死に身をよじる。

(違うぞ、ユクミ!)

『ああぁぁ、ああぁぁ、気持ちは分かるぜぇぇぇ。だけどよぉぉぉ、そう怒ってやるなぁぁぁ、司よぉぉぉぉぉ』

(勝手なこと言うんじゃねえ! 俺はこれっぽっちも怒ってない!)

 司の鼻と口は猿の手によって塞がれている。もしも人間のままならば今ごろ窒息しているかもしれないが、死人である司には問題がない。ただそのせいで空気を取り込めず、うめき声ひとつだせない。
 せめてユクミがこちらを見てくれさえすれば自分の気持ちが伝わるはずなのにと思うが、ユクミは顔を覆う両手を取り払おうとはしない。

(おい、こら、ユクミ! そもそもどうして隠邪のセリフの方を信じてるんだよ! 俺がそんな風に考えるやつだとでも思ってたのか?)

 苛立ちをユクミに向けるが、答えは自分でもよく分かっている。
 ユクミは隠邪の言葉を信じている。
 隠邪の言う司が、ユクミが思い描いている司だ。
 司はユクミの中にある『司』を司は覆せない。覆せるほどの信頼を築いてこなかった。
 口を塞がれたまま司は奥歯を噛みしめる。

 初めて対面したあのとき、ユクミを完全な妖だと勘違いしていたせいで司は勝手な『ユクミの生い立ち』を作り上げてしまった。素直なユクミは司の期待を裏切りたくないと考えたか、あるいは完全な妖ではないことに引け目を持っていたせいで、司の言うことにうなずいたのだろう。
 そしてそのまま自分のことを話す機会を失ってしまったのだ。
 最初にユクミの言葉をきちんと聞いてやれば良かった。そうすればユクミの気持ちを軽くしてやることができたかもしれないし、こんな事態だって招かなかったはずだ。今更だと後悔してもしきれない。

『あの狐ちゃんはさぁぁぁ、嘘つきだぁぁぁ』
「う、う、嘘じゃ」
『ほぉぉぉらぁぁ、もうぅぅ、嘘つきだぁぁぁ!』

 呻くような小さな声は、割れ鐘のような猿の声にかき消される。

『嘘を言ったろぉぉぉ? 言ったよなあぁぁぁぁ? 嘘つきだぁぁぁ! 嘘つきのぉぉぉ、狐ちゃぁぁぁぁんだぁぁぁぁぁ!』

 猿が言って、ユクミの体が大きく震えた。反論する声はもう戻ってこなかった。

『んんん? なんだぁぁぁぁ? ……そうかぁぁ、司はぁぁぁ、嘘をつかれてぇぇぇ、腹が立つのかぁぁぁ。分かるぅぅぅ、分かるぜぇぇぇ、司ぁぁぁぁ』

 嘘をつかれたことに腹は立たない。だが、勝手な代弁が続くのは大いに腹が立つ。これ以上余計なことを言って欲しくないというのに、司の体は動かないし、声も出せない。体を小さくしたユクミはこちらを見てくれない。

『だからオレがぁぁぁ、教えてやるよぉぉぉ。本当のことをよぉぉぉ、教えてやるよぉぉぉ』

 猿は相変わらず勝手に喋る。聡一が自分と対面させるような姿勢にユクミを抱きなおすと、慰めるように小さな背を軽く叩いた。先ほどまでは抵抗していたはずのユクミが聡一のされるがままになっているのも司の苛立ちを増長させた。

『いいかぁぁぁ、司ぁぁぁぁ。あの狐ちゃんはさぁぁぁ、母親が妖でぇぇぇ、父親が人間なんだぜぇぇぇ。その母親をさぁぁぁ、殺したのは父親だぁぁぁぁ。母親の頭をよぉぉぉ、スパッと落としてぇぇぇ、村へ持って帰ったのさぁぁぁ。狐の頭だぁぁぁ。白くて大きいぃぃぃ、狐の頭ぁぁぁ。そこの狐ちゃんはぁぁぁ、一人になっちまったぁぁぁぁ』

 ぐひひ、と喉の奥でまた猿は嫌な音を出す。

『だからぁぁぁ、村へ行ったよなぁぁぁ。狐ちゃんはぁぁぁ、寂しかったもんなぁぁぁ。父親がぁぁぁ、どうして母親を殺したのかぁぁぁ。疑問に思うよりもぉぉぉ、悲しい方がぁぁぁ、重要だったもんなぁぁぁぁ』

 身じろぎはしたものの、ユクミは答えない。

『村に行けばぁぁぁ、父親がいるもんなぁぁぁ。母親の気配もぉぉぉ、したもんなぁぁぁぁ。だからぁぁぁ、父親に頼んだよなぁぁぁ。「母親の頭をぉぉぉ、村で大事にしてくれぇぇぇ」ってさぁぁぁ。――でよぉぉ、父親はどうしたと思うぅぅぅ、司ぁぁぁぁ?』

 話を振られても当然ながら司は何も言えない。
 もちろん猿は分かってるのだろう「そうかあ、嘘つきの狐ちゃんのことなんてどうでもいいかあ」と、相変わらず勝手なことを言って笑う。

『そう言わずに聞けよぉぉぉ。父親はさぁぁぁ、条件を出したんだぁぁぁ。“狐ちゃんがぁぁぁ、村のためにぃぃぃ、隠邪を倒し続けるならぁぁぁ、母親の頭を大事にしてもいいぃぃぃ”ってさあぁぁぁ』

 喉の奥で嫌な笑い声をたてた猿は「それに父親が『村のため隠邪を倒し続けたら、いつか村のみんなもお前を仲間だと認めてくれるはずだ』って言うからさ、狐ちゃんは頑張って隠邪を倒すことにしたんだもんな」と続け、また笑う。

『なんでオレがぁぁぁ、こんな話を知ってるのかぁぁぁ、不思議かぁぁぁ? 不思議だよなぁぁぁ? だけどよぉぉぉ、オレは知ってるんだぁぁぁ。知ってるんだぜぇぇぇ。俺が言うのはぁぁぁ、みんなみんな本当のことさぁぁぁ。なあぁぁぁ、狐ちゃんんんん?』

 司を押さえつける猿が好き放題言っているというのに、ユクミはやはり何も言わない。顔は覆っていても耳は覆われていないのだから聞こえているはず。それでも反論しないのだから、隠邪の言葉は間違っていないのだろう。

『だからさぁぁぁ、これからいう話もぉぉぉ、本当のことさぁぁぁ。狐ちゃんが知らないだけでぇぇぇ、本当のことさぁぁぁ。――人間はぁぁぁ、狐ちゃんを騙したんだぁぁぁ。人間はぁぁぁ、約束を破ったんだぁぁぁぁ』

 ユクミの耳がぴくりと動いた。
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