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第3章 共鏡の世界にのぞむ
13.次の目標
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静かになった社の中で、次にユクミが口を開いた。
「……司は、あの異界がどうしてできたのか、もう分かっているんだな?」
「そうだな……」
沈鬱な表情で司はうなずく。
「ユクミは言ったよな。異界を作ったのは強い力を持った隠邪だって。俺をこんな風にした黒い猿は伝承級の力を持ってるはずなんだ。きっと異界を作ったのは猿。……その猿は聡一と組んでいて、異界には死んだはずの知穂ちゃんと美織さんがいた。……俺にはもう、考えられることは一つしかない」
そこで司は黙ったので、ユクミは後を引き継いでやる。
「聡一は猿の力を使って、知穂と美織が生きている世界を作り上げた」
「……ああ」
端座する司が膝の上でぐっと拳を握る。
「俺は最初、異界に出たときは聡一が何を考えていたのかさっぱり分からなかったんだ。だけど友介から知穂ちゃんの話を聞いて……実際に美織さんと知穂ちゃんに会ったから……今では……」
司がユクミを見る。その瞳に昨日にはなかった“迷いの揺らめき”があるのに気づいてユクミの胸の奥が痛んだ。
そしてユクミは理解する。この痛みは悪い感情が湧き上がってくるときのものだ。司がユクミを見てくれないのが悲しくて、ユクミではない誰かを想うのが悔しくて、心の奥からじわりじわりと湧き上がってくるもの。
この感情に飲まれてはいけない、とユクミは自分に言い聞かせる。
ユクミにとっては『約束の者』が一番だ。だってユクミには他に誰もいないのだから。
だけど司は違う。司は今までの人生でたくさんの人に出会い、たくさんの思い出を作って来た。中には大事な人だっている。ほんのわずかな時間しか共有していないユクミが一番にならないのは当たり前の話だ。
大きく息を吸い、ユクミはどんと胸を叩く。
「それでもお前はあの異界を消せるか?」
口調に気持ちが籠らないよう、ユクミはなるべく静かに語る。
「あそこには友介や美織や、知穂がいるんだろう? お前があの異界を消せば皆も消える。つまりお前はこれから、自分の手で大事な人たちを殺すことになる」
「それがどうした!」
下を向いたまま司は叫ぶ。その様子を見てユクミの悪い感情は引っ込み、代わりにどっと後悔が襲って来た。司にそんな声を出させるつもりでは、そんな顔をさせるつもりではなかった。どうして過去のことを話したばかりの司にきつい内容のことを言ってしまったのだろう。きっとこの、悪い感情のせいだ。
申し訳なさからユクミも下を向くと、司がぽつりと「……大きな声を出してごめん」と呟く。
「ユクミも分かってると思うけど、あの異界は裏切り者の聡一が、隠邪の力を借りて作ったものなんだ。どんな理由があったって見過ごすわけにはいかない。婆ちゃんやみんなのためにも、消さなくちゃいけないんだよ。この俺が。祓邪師の梓野瀬 司が、さ」
司の言葉はまるで自分に言い聞かせているようだった。ちらりと窺うと、言葉とは裏腹に司の瞳は相変わらず揺らいでいて、最初の頃に見た怒りや決意といったものが感じられない。
ユクミの胸がまた嫌な感じに痛む。だけど悪い感情はこの場に必要ない。
(消えろ、消えろ!)
ユクミが痛み続ける胸をさらに押しつけたとき、着物の胸元に違和感を覚えた。なんだろうと思って探って出してみると、違和感のもとは小さな袋だった。
一つは友介にもらった飴の袋、もう一つは飴よりもう少し大きい袋だ。
「あ……」
ユクミの声を聞いたらしい司が、顔を上げて意外そうな面持ちをする。
「どうしたんだ、それ?」
「もらったんだ。取ったんじゃない」
「別にユクミが取ったなんて思ってないよ」
笑い含みに言う司の声を聞きながら、ユクミは二つの袋を差し出す。司は少し大きな袋の方だけを取った。
「こっちはラムネか」
「らむね?」
「お菓子だよ。甘酸っぱくて、口の中でほろほろって崩れるんだ」
「ふうん……それは『はじめましてのぷれぜんと』って言って、アヤが……」
そこでユクミはハッと息をのんだ。――そうだ、アヤだ。
「司、司。お前はこの後どうするかの考えを持っているか?」
問われた司は笑んだ顔をふと強張らせる。
「……いや。まだ何も」
「だったらアヤに会ってみるのはどうだ?」
「アヤ? っていうと、確か駄菓子屋の人だっけ?」
「そう!」
あのとき気もそぞろだったはずの司が自分の話を覚えていてくれた。嬉しくてユクミは大きく頷く。
「実は、あの異界の人間たちは少し奇妙なんだ」
そこでユクミは異界の人々が持つ気配について語った。
陽の気配を強く持つはずの人間が陰の気配しか持っていないこと。それは美織も同様なこと。しかし友介と知穂だけは何故か多少なりとも陽の気配を持っていること。
「中でもアヤは更に違っていて、持っているのは陽の気配だけ。陰の気配を感じないんだ。他にも同じような人物はいるかもしれないけど、今のところあの異界で見た中で『ちゃんとした人間』はアヤだけだ。もしかしたらアヤと話すと、何か情報が得られるかもしれない」
「陰の気配にまみれてるあの異界で、陰の気配を持ってない人物、というわけか。なるほどなあ。……友介と知穂ちゃんの気配が違うっていうのも気になるけど、確かにまずはアヤって人の方を優先するべきだろうな」
腕組みをした司は顔を上向け、続いて低く唸る。
「だけどまたあそこに行くなら、少し準備した方がいいかもしれない。……ユクミ、ここには刃物なんてあるか?」
「刃物……? あ、ある!」
ユクミは裁縫道具から鋏を取り出す。司の前に置くと、彼は困ったように笑って押し戻してきたので、ユクミは少しだけ肩を落とした。
「これは駄目なのか?」
「うん、ごめんな。武器にするには少し小さいかもしれない」
「……武器」
「万一のために持っておこうかと思ってさ。まあ、どっかの店で何か買うよ。友介がくれた金はまだあるしな」
司がどうして武器を欲しているのかをユクミは理解した。相手が隠邪なら司は武器を必要としないのだから、彼が想定しているのは『隠邪ではないもの』との戦いだ。
「……司は、あの異界がどうしてできたのか、もう分かっているんだな?」
「そうだな……」
沈鬱な表情で司はうなずく。
「ユクミは言ったよな。異界を作ったのは強い力を持った隠邪だって。俺をこんな風にした黒い猿は伝承級の力を持ってるはずなんだ。きっと異界を作ったのは猿。……その猿は聡一と組んでいて、異界には死んだはずの知穂ちゃんと美織さんがいた。……俺にはもう、考えられることは一つしかない」
そこで司は黙ったので、ユクミは後を引き継いでやる。
「聡一は猿の力を使って、知穂と美織が生きている世界を作り上げた」
「……ああ」
端座する司が膝の上でぐっと拳を握る。
「俺は最初、異界に出たときは聡一が何を考えていたのかさっぱり分からなかったんだ。だけど友介から知穂ちゃんの話を聞いて……実際に美織さんと知穂ちゃんに会ったから……今では……」
司がユクミを見る。その瞳に昨日にはなかった“迷いの揺らめき”があるのに気づいてユクミの胸の奥が痛んだ。
そしてユクミは理解する。この痛みは悪い感情が湧き上がってくるときのものだ。司がユクミを見てくれないのが悲しくて、ユクミではない誰かを想うのが悔しくて、心の奥からじわりじわりと湧き上がってくるもの。
この感情に飲まれてはいけない、とユクミは自分に言い聞かせる。
ユクミにとっては『約束の者』が一番だ。だってユクミには他に誰もいないのだから。
だけど司は違う。司は今までの人生でたくさんの人に出会い、たくさんの思い出を作って来た。中には大事な人だっている。ほんのわずかな時間しか共有していないユクミが一番にならないのは当たり前の話だ。
大きく息を吸い、ユクミはどんと胸を叩く。
「それでもお前はあの異界を消せるか?」
口調に気持ちが籠らないよう、ユクミはなるべく静かに語る。
「あそこには友介や美織や、知穂がいるんだろう? お前があの異界を消せば皆も消える。つまりお前はこれから、自分の手で大事な人たちを殺すことになる」
「それがどうした!」
下を向いたまま司は叫ぶ。その様子を見てユクミの悪い感情は引っ込み、代わりにどっと後悔が襲って来た。司にそんな声を出させるつもりでは、そんな顔をさせるつもりではなかった。どうして過去のことを話したばかりの司にきつい内容のことを言ってしまったのだろう。きっとこの、悪い感情のせいだ。
申し訳なさからユクミも下を向くと、司がぽつりと「……大きな声を出してごめん」と呟く。
「ユクミも分かってると思うけど、あの異界は裏切り者の聡一が、隠邪の力を借りて作ったものなんだ。どんな理由があったって見過ごすわけにはいかない。婆ちゃんやみんなのためにも、消さなくちゃいけないんだよ。この俺が。祓邪師の梓野瀬 司が、さ」
司の言葉はまるで自分に言い聞かせているようだった。ちらりと窺うと、言葉とは裏腹に司の瞳は相変わらず揺らいでいて、最初の頃に見た怒りや決意といったものが感じられない。
ユクミの胸がまた嫌な感じに痛む。だけど悪い感情はこの場に必要ない。
(消えろ、消えろ!)
ユクミが痛み続ける胸をさらに押しつけたとき、着物の胸元に違和感を覚えた。なんだろうと思って探って出してみると、違和感のもとは小さな袋だった。
一つは友介にもらった飴の袋、もう一つは飴よりもう少し大きい袋だ。
「あ……」
ユクミの声を聞いたらしい司が、顔を上げて意外そうな面持ちをする。
「どうしたんだ、それ?」
「もらったんだ。取ったんじゃない」
「別にユクミが取ったなんて思ってないよ」
笑い含みに言う司の声を聞きながら、ユクミは二つの袋を差し出す。司は少し大きな袋の方だけを取った。
「こっちはラムネか」
「らむね?」
「お菓子だよ。甘酸っぱくて、口の中でほろほろって崩れるんだ」
「ふうん……それは『はじめましてのぷれぜんと』って言って、アヤが……」
そこでユクミはハッと息をのんだ。――そうだ、アヤだ。
「司、司。お前はこの後どうするかの考えを持っているか?」
問われた司は笑んだ顔をふと強張らせる。
「……いや。まだ何も」
「だったらアヤに会ってみるのはどうだ?」
「アヤ? っていうと、確か駄菓子屋の人だっけ?」
「そう!」
あのとき気もそぞろだったはずの司が自分の話を覚えていてくれた。嬉しくてユクミは大きく頷く。
「実は、あの異界の人間たちは少し奇妙なんだ」
そこでユクミは異界の人々が持つ気配について語った。
陽の気配を強く持つはずの人間が陰の気配しか持っていないこと。それは美織も同様なこと。しかし友介と知穂だけは何故か多少なりとも陽の気配を持っていること。
「中でもアヤは更に違っていて、持っているのは陽の気配だけ。陰の気配を感じないんだ。他にも同じような人物はいるかもしれないけど、今のところあの異界で見た中で『ちゃんとした人間』はアヤだけだ。もしかしたらアヤと話すと、何か情報が得られるかもしれない」
「陰の気配にまみれてるあの異界で、陰の気配を持ってない人物、というわけか。なるほどなあ。……友介と知穂ちゃんの気配が違うっていうのも気になるけど、確かにまずはアヤって人の方を優先するべきだろうな」
腕組みをした司は顔を上向け、続いて低く唸る。
「だけどまたあそこに行くなら、少し準備した方がいいかもしれない。……ユクミ、ここには刃物なんてあるか?」
「刃物……? あ、ある!」
ユクミは裁縫道具から鋏を取り出す。司の前に置くと、彼は困ったように笑って押し戻してきたので、ユクミは少しだけ肩を落とした。
「これは駄目なのか?」
「うん、ごめんな。武器にするには少し小さいかもしれない」
「……武器」
「万一のために持っておこうかと思ってさ。まあ、どっかの店で何か買うよ。友介がくれた金はまだあるしな」
司がどうして武器を欲しているのかをユクミは理解した。相手が隠邪なら司は武器を必要としないのだから、彼が想定しているのは『隠邪ではないもの』との戦いだ。
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