死人は行く道を未来へと誘う ~ただ一人生き残った青年の役目は、裏切り者の作った異界を消すこと。だけど~

杵島 灯

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第3章 共鏡の世界にのぞむ

9.懸念材料

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 “でんしゃ”に乗っているときはもちろん、降りてからもずっとユクミは灰色の世界のことばかりを考えていた。

(まだちゃんとあるのかな。なかったら、どうすればいいんだろう)

 司は隣で他愛のない話をしてくるのだが、ユクミの頭にはまったく入ってこない。
 緊張は鳥居が近づくにつれていや増し、丘の石段を上っているときは叫んで逃げ出そうかとも考えるくらいだったから、本当にあの灰色の世界へ戻れたときはその場にへたり込みそうなほど安堵した。

(良かった……)

 念のために辺りをぐるりと見回す。灰色の雲や霧雨、緑の草原と社は記憶の中の光景と何一つ変わっておらず、風が吹いているのも同じ。ここは間違いなくあの灰色の世界だ。そう結論付けて頬を緩めたユクミは隣の司を見上げる。きっと笑顔だろうと思った彼の顔はしかし、想像とは違った。
 遠くを見ている目元は優しいものではない。ふと気づいたように取られた“ますく”の下の口元も結ばれていた。どうしたのだろうと思ったとき、視線に気づいたらしい司がユクミへ顔を向ける。

「この場所を残してくれて、助かったよ」

 助かったと言う割に司の声は硬く笑みはぎこちない。なぜなのか考えてユクミは息をのむ。

(まさか、ここを作ったのが私ではないと気づいたのか?)

 美織や知穂がいる間、ユクミは司の傍から離れていた。三人がどんな話をしていたのか分からないのだ。もしかすると司は何かのはずみで世界を創造する方法について知り、この灰色の世界を作った者についての疑問を持ったのではないだろうか。それでここを作ったのが本当にユクミかどうかを調べようと思い立ち、ユクミを言いくるめて戻って来た。

(きっと、そうだ)

 考えれば考えるほど想像は悪い方へ進む。

 だとすればこのあと司は社へ行き、ユクミに「話がある」と言う。そこでユクミを糾弾し、なぜ本当のことを言わなかったのかと問い詰める。
 疑っている相手にいつまでも隠し通せるはずもない。ユクミは少しずつ、「本当のこと」を司に明かす必要がある。ユクミの生い立ちが露呈したら司はまず驚愕し、すぐに嫌悪で顔を歪め、最後に「お前が完全な妖ではないから、俺は死人しびとになってしまった」と嘆くのだ。そうして「お前のような半端者に助けてもらうくらいなら消えた方がいい」と言ってこの灰色の世界を去る。あとは役立たずのユクミが孤独に社へ残るだけ――。

「……ユクミ? どうした?」
「な、なんでもない」
「そっか」

 司はユクミの態度を深く追求することなく「行こうか」と言って進み出す。
 確かにこの場は鳥居が近い。本当のことを答えたくないユクミがすぐ異界へ逃げ出してしまえる位置だから、司が話を切り出さないのも道理だ。
 陰鬱な気持ちを抱えながらユクミは黙って司の後ろを歩いた。霧のような雨は着ている物を少しずつ重くする。それがひっそりと忍び寄る悪い状況を示しているようで、ユクミの心をますます暗くさせた。
 社の格子扉は司が開けた。彼が履物を脱いで上がった後にユクミも草履を脱ぎ、司に倣って向きを揃える。黒い履物の横に並べようとして考え直し、三歩離れた場所に置いた。もしも並んで置いてしまうと、司が一人で出て行ったときに履物が二つ並んでいた光景を思い出して寂しくなりそうな気がしたからだ。

 のろのろ振り返ると司は上着を脱いでいるところだった。黒い髪に雫が光っているのを見てユクミは慌てて奥へ走る。真ん中の箪笥を開け、取り出した手ぬぐいを司に差し出した。

「お、助かるよ。ありがとう」

 手ぬぐいを手にした司が少し頬を緩めたので、こんなときでもユクミの心は少し明るくなる。誰かに喜んでもらえると、「ありがとう」と言ってもらえると、自分がほんの少しでも役に立てた気がして嬉しかった。
 自身も手ぬぐいを使い、部屋の隅に置く。あとで機を見て洗おうと思っていると、背後から司が名を呼んだ。

「ユクミ」

 振り返るといつの間にか部屋の中央で司が端座している。膝には使い終わった手ぬぐいがちょこんと乗っていた。

「実は俺、ユクミに話があるんだ」

 ユクミの胸が大きく鼓動を打った。

「……話」

 背筋を伸ばした司は、真摯な面持ちをしている。彼の様子を見れば気を抜いた話がしたいわけではないとすぐに分かった。ならば、何の話か。

 ユクミの頭に浮かんだのは先ほどまでしていた想像だ。あれが当たってしまったに違いない。ユクミの嘘に気づいた司は、きっとこれから糾弾を始める。役立たずのユクミはこれから『約束の者つかさ』に見捨てられるのだ。

半端な存在わたしは、また、独りぼっちになるんだ……)

 司の前に行きたくはなかった。しかし、今の司には有無を言わせぬ迫力がある。ユクミは力を失った足で司の前に歩み寄り、向かい合った場所へ崩れるようにして座り込む。唇を噛んで冷たい手を握ると、なぜか司は一瞬だけ顔をほころばせ、すぐにまた厳粛な様子に戻って口を開いた。

「まずは礼を述べさせてほしい。俺と一緒にあの場へ行ってくれてありがとう、ユクミ。おかげで分かったことがいろいろあった」

 司は頭を下げ、更に述べる。

「続いて俺は見通しが甘かったことを詫びなきゃならない。まさか鳥居の先にあんな異界があるなんて思わなかったから、行動がグダグダになった。本当にごめん」

 だから、と彼は続ける。

「俺は俺の事情……というか、状況というか。とにかく、そういったものをきちんと説明するべきだと思ったんだ。聞いてくれるだろうか?」

 ユクミは目を瞬かせる。司の話した内容はユクミの想像とはまったく違っていたので、言葉が胸の奥に届くまではしばらくかかった。

「司の……事情?」
「そう。事情というか、状況というか。まあそんな感じのことを話して、改めてユクミの見解も聞いてみたいんだ」
「……他には?」
「他?」

 不思議そうに繰り返す彼の表情に含むものはない。

「あ、いや、なんでもない」

 ユクミが言うと、司はまだ不思議そうな様子を見せながらも「そうか」とだけ答える。
 どうやら司は“ユクミが隠していること”に気づいていないらしい。それが分かってユクミは異界から戻って来た時と同じくらい安堵する。

 ――考えてみれば何を怯えているのだろう。

 世界の作り方など今のユクミにだって分からない。ましてや、ユクミよりも力のない一介の人間が知っているはずもないのだ。先ほどの司の表情だってきっと深い意味はなくて、これからする話の内容を考えていたとかその程度だろう。
 そう考えると異常なほどびくついていたのが滑稽に思えてきた。笑ってしまいそうになるのをなんとか堪え、改めて座りなおしたユクミは司の瞳を見ながらうなずく。

「どんな話を聞かせてくれるんだ?」
「少し過去の話、というか……」

 言いかけてわずかに視線を落とし、司は再度ぐっと顔を上げる。

納賀良ながら 聡一そういちに関係する詳細な話を聞いてもらおうと思ってる」
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司とユクミがとっても魅力的なんです。
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