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第2章 灰色の帳に包まれて
11.この世界は
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ユクミがこんなに険しい表情をしている理由に心当たりはない。
何があったのかと司が問おうとしたそのとき、ユクミは無言で踵を返し、司の横を走り去っていく。慌てて振り返った司の目に映ったのは鳥居と社だけ。狐耳の幼女はどこにもいない。
「ユクミ!」
司の声が静かな社に木霊する。もしや、と思って司も鳥居の中へ走りこむと、辺りに現れたのは少し前まで見ていた景色だ。高い鳥居、広い草原、二人分の足跡が残る細い道、奥には社。そして、すぐ目の前には立ち尽くすユクミの姿。
「おい、ユクミ。どうした?」
ユクミが振り向いた。金色の瞳が煌めく。その神秘性に司がたじろぐと同時にユクミは白い残像だけを残し、鳥居の向こうへ去って行った。再び一人きりになった司は灰色の世界で立ち尽くし、草が風を揺らす音を聞く。
「……何をしてるんだ?」
戸惑いつつも司がまたしても鳥居を潜ると、そこには先ほどと同じように東の明空へ向かって立つ小さな後ろ姿があった。揺れる白い尾を司が黙って見つめていると、ようやくユクミが声を発する。
「司。ここはお前がいた世界か?」
「は?」
「あの灰色の場所へ来る前、お前はここにいたのか?」
ユクミの質問の意図が分からないまま、司は辺りを見回す。
背後にあるのは先ほどから何度も見ている鏡が置かれた木製の社と、木製の鳥居だ。
鳥居の前には小さな公園ほどの敷地がある。司とユクミが立っているのもここ。舗装されていない地面をうっそうと茂る木々が囲んでいる。先には下るための石段が少しだけ顔を覗かせ、さらに遠くには川と、たくさんの家やビルが見える。それらを照らすのは昇りつつある太陽。
塚の頂上にあるこの社には何度も来ているわけではない。ただ、微かな記憶と照らし合わせてもおかしな点はないように思える。
「俺がいたのはこの世界だ」
ユクミの背に向かって返事を返すと、彼女は背中越しにさらに問いかけて来る。
「間違いなく? 絶対にか?」
「……改めて念を押されると不安になってくるけど、多分……」
やや弱めに答えた司は、前方に視線を戻して歩き始める。ユクミの横を通り過ぎ、石段へ近づいた。徐々に下の光景が見えてくる。
塚の周辺にあるのは野原だ。近くにある建物といえば、祓邪師たちの集まる場所として作られたダミーの『会社』だけ。塚の頂上から見るとこの辺りはさぞや開けた景色なのだろうと思い――。
「……え」
頂上の縁、下へ向かう石段の手前で司は足を止めた。
「……なん……だ、これ……?」
塚の下にある景色は、司の思い描いていたようなものではなかった。
まず、野原が存在しない。
本来なら野原だったはずの場所には芝生が植えられ、等間隔に樹木とベンチが配備されている。まるで公園のようだ。
車が一台通るのもやっとだった道は二台通れるくらいにまで広がっている。横には遊歩道が作られ、そこへ腕をさしかけるように枝を伸ばすのは桜の並木だ。よく見ると人工の小川も流れているので、この辺りは春や夏になると人で賑わうだろう。
端の方にはダミー会社の敷地が見える。しかし建物は司の記憶にある形状とはまるで違っていた。三階建ての小さな灰色のビルだったはずのものは、洒落た形の白い平屋になっている。すぐ横にある駐車場もずいぶん広い。
何度目をこすってみても同じだった。眼下に広がるのは司の知らない光景、「この辺りは古墳を中心とした公園と、資料館だ」と言われたら納得ができるものだ。
「だって……ここは隠邪の通り道を封じた塚で……古墳っていうのは祓邪師と政府が作った嘘で……それに……あれからそんなに何日も経ってないのに……どうしてこんな、急に……」
何が起きたのか理解できずに呆然としていると、歩み寄ってきたユクミが「やっぱり」と苦い声を出す。
「司が知る景色とは違うんだな?」
「違う……」
言って気が付く。ユクミは鳥居を潜った直後から態度がおかしかった。
「もしかしてユクミは、ここが変だって分かってたのか?」
「すぐに分かった」
「どうして」
「気配だ」
司の隣に立ち、ユクミは先ほどと同じように空へ顔を向ける。
「気配がまるで違う。ここは異界だ」
「……え?」
声を失った司に、ユクミが顔を向けた。
「ここはお前や、過去の私がいた世界とは違う世界だ」
風が吹き抜け、司の黒い髪と、ユクミの白い髪をなびかせる。
「司が知る世界と違う部分があるのも当然だろうな。ここは、誰かが作った世界なんだから」
「誰か……って、誰が……?」
押し出すような司の声に「さあ」と返し、ユクミは再び空を見上げる。
「誰なのかまでは分からない。ただ、手掛かりはある。ここに含まれる気配はずいぶんと陰の気が強い」
「陰の気……? って……」
陰の気が強い存在と言えば隠邪だ。そして司はとても強い隠邪に心当たりがある。
「まさか、あの猿か!」
状況といい、タイミングといい、この世界を作ったのはあの隠邪で間違いないだろう。立ち尽くす司は、風の音に交じってギィギィと軋む嫌な笑い声を聞いたような気がした。
何があったのかと司が問おうとしたそのとき、ユクミは無言で踵を返し、司の横を走り去っていく。慌てて振り返った司の目に映ったのは鳥居と社だけ。狐耳の幼女はどこにもいない。
「ユクミ!」
司の声が静かな社に木霊する。もしや、と思って司も鳥居の中へ走りこむと、辺りに現れたのは少し前まで見ていた景色だ。高い鳥居、広い草原、二人分の足跡が残る細い道、奥には社。そして、すぐ目の前には立ち尽くすユクミの姿。
「おい、ユクミ。どうした?」
ユクミが振り向いた。金色の瞳が煌めく。その神秘性に司がたじろぐと同時にユクミは白い残像だけを残し、鳥居の向こうへ去って行った。再び一人きりになった司は灰色の世界で立ち尽くし、草が風を揺らす音を聞く。
「……何をしてるんだ?」
戸惑いつつも司がまたしても鳥居を潜ると、そこには先ほどと同じように東の明空へ向かって立つ小さな後ろ姿があった。揺れる白い尾を司が黙って見つめていると、ようやくユクミが声を発する。
「司。ここはお前がいた世界か?」
「は?」
「あの灰色の場所へ来る前、お前はここにいたのか?」
ユクミの質問の意図が分からないまま、司は辺りを見回す。
背後にあるのは先ほどから何度も見ている鏡が置かれた木製の社と、木製の鳥居だ。
鳥居の前には小さな公園ほどの敷地がある。司とユクミが立っているのもここ。舗装されていない地面をうっそうと茂る木々が囲んでいる。先には下るための石段が少しだけ顔を覗かせ、さらに遠くには川と、たくさんの家やビルが見える。それらを照らすのは昇りつつある太陽。
塚の頂上にあるこの社には何度も来ているわけではない。ただ、微かな記憶と照らし合わせてもおかしな点はないように思える。
「俺がいたのはこの世界だ」
ユクミの背に向かって返事を返すと、彼女は背中越しにさらに問いかけて来る。
「間違いなく? 絶対にか?」
「……改めて念を押されると不安になってくるけど、多分……」
やや弱めに答えた司は、前方に視線を戻して歩き始める。ユクミの横を通り過ぎ、石段へ近づいた。徐々に下の光景が見えてくる。
塚の周辺にあるのは野原だ。近くにある建物といえば、祓邪師たちの集まる場所として作られたダミーの『会社』だけ。塚の頂上から見るとこの辺りはさぞや開けた景色なのだろうと思い――。
「……え」
頂上の縁、下へ向かう石段の手前で司は足を止めた。
「……なん……だ、これ……?」
塚の下にある景色は、司の思い描いていたようなものではなかった。
まず、野原が存在しない。
本来なら野原だったはずの場所には芝生が植えられ、等間隔に樹木とベンチが配備されている。まるで公園のようだ。
車が一台通るのもやっとだった道は二台通れるくらいにまで広がっている。横には遊歩道が作られ、そこへ腕をさしかけるように枝を伸ばすのは桜の並木だ。よく見ると人工の小川も流れているので、この辺りは春や夏になると人で賑わうだろう。
端の方にはダミー会社の敷地が見える。しかし建物は司の記憶にある形状とはまるで違っていた。三階建ての小さな灰色のビルだったはずのものは、洒落た形の白い平屋になっている。すぐ横にある駐車場もずいぶん広い。
何度目をこすってみても同じだった。眼下に広がるのは司の知らない光景、「この辺りは古墳を中心とした公園と、資料館だ」と言われたら納得ができるものだ。
「だって……ここは隠邪の通り道を封じた塚で……古墳っていうのは祓邪師と政府が作った嘘で……それに……あれからそんなに何日も経ってないのに……どうしてこんな、急に……」
何が起きたのか理解できずに呆然としていると、歩み寄ってきたユクミが「やっぱり」と苦い声を出す。
「司が知る景色とは違うんだな?」
「違う……」
言って気が付く。ユクミは鳥居を潜った直後から態度がおかしかった。
「もしかしてユクミは、ここが変だって分かってたのか?」
「すぐに分かった」
「どうして」
「気配だ」
司の隣に立ち、ユクミは先ほどと同じように空へ顔を向ける。
「気配がまるで違う。ここは異界だ」
「……え?」
声を失った司に、ユクミが顔を向けた。
「ここはお前や、過去の私がいた世界とは違う世界だ」
風が吹き抜け、司の黒い髪と、ユクミの白い髪をなびかせる。
「司が知る世界と違う部分があるのも当然だろうな。ここは、誰かが作った世界なんだから」
「誰か……って、誰が……?」
押し出すような司の声に「さあ」と返し、ユクミは再び空を見上げる。
「誰なのかまでは分からない。ただ、手掛かりはある。ここに含まれる気配はずいぶんと陰の気が強い」
「陰の気……? って……」
陰の気が強い存在と言えば隠邪だ。そして司はとても強い隠邪に心当たりがある。
「まさか、あの猿か!」
状況といい、タイミングといい、この世界を作ったのはあの隠邪で間違いないだろう。立ち尽くす司は、風の音に交じってギィギィと軋む嫌な笑い声を聞いたような気がした。
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