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第2章 灰色の帳に包まれて

6.思いを馳せる

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「ユクミのせいじゃない」

 司がきっぱり言うとユクミはおずおずと顔を上げてくれたので、彼女を不安がらせないよう司は笑ってみせる。

「俺が死んだのは隠邪から生気をもらい始めたときだ。だから、ユクミのせいじゃない」
「でも……」
「ユクミのせいじゃないんだよ」

 もう一度言って司は布団の上へ座りなおし、ユクミと向かい合う。

「それより、今の俺はどうやって動いてるんだ?」

 口に出したのはただの疑問だったが、司の死を自分のせいだと思っているらしいユクミはそれを非難と受け取ったようだ。小さな体をより小さくして答える。

「彼岸へ向かおうとする魂を捕まえて体に戻したんだ。今の司は、私の力を介して動いている」
「なんかそういうのマンガや映画で見たな。代わりに人の血を啜ったり、生肉を食ったりしなきゃいけないやつ」
「必要ない。何も飲み食いしなくていい。眠らなくてもいい。疲労も、痛みも、ない」
「うーん。まさにファンタジーに出てくるアンデッドだな」
「あんでっど、というのは良く分からないが、お前の体に人間の枠を超えてる部分が多くあるのは確かだ……」

 ユクミの声はどんどん小さくなる。彼女を責めるつもりなど毛頭ない司は困惑するが、とりあえず先に自分がどうなっているのかを改めて探ってみる。

 腕に触れても脈はなく、試しに呼吸を止めてみても苦しくならない。
 先ほどまで息を吸っているように思ったのは喋るためだったようだ。

(元の構造通りな部分もあるわけか)

 体内がどうなっているのかも気になるところだが、司も別に人体に関して詳細に知るわけではないのだからあまり深く調べてもよく分からないだろう。そうしてふと、アンデッドというより傀儡くぐつと呼ぶ方が近いのかもしれないと司は思った。
 体は、傀儡人形。
 傀儡師は、司の魂とユクミの力の二つだ。

(……その方がしっくりくるな)

 自分の状況が理解できたことで気持ちに少し余裕が生じて、司はなんとなく周りを見てみる。

 明かりのない屋内は祖母の私室と同じくらいなのでおよそ十畳といったところだろうか。布団が敷かれているのは部屋の中央だ。
 その左側で小さくなっているユクミの向こうには木組みの格子扉がある。この扉は外へ向かって押し開くタイプらしい。
 格子の隙間から覗く景色は左右に広がる草原とその真ん中を貫く小道、そして最も奥にある直線で出来た木の鳥居。配置されているものはそれだけ。しかも空は雨雲が覆っている上、降り注ぐ霧雨の影響ですべてが灰色をしている。
 構成するものの数は少なく、色彩も少ない。ずいぶんと寂しい世界だ。

 ただ、司はあの灰色の光景にわずかな覚えがあった。鳥居を抜け、草原を見ながら、終着点にある社を目指して必死に歩いたように思う。
 きっとその社にユクミがいた。そして今の司は、社の中にいるのだ。

 感慨深く思いながら司は社の中を見回してみる。格子扉の近くには水が入っていると思しき大きなかめが一つ置いてあった。そこから壁に従って視線を巡らせると、鏡台と丸い鏡があり、いくつもの箪笥があり、竹編みの籠があった。籠の一番上に置いてあるのは手鞠で、その鮮やかな青い色がなんだか印象的だった。

 そのときふと、頭の中に「私は扉を開けられない! 私一人では外へ出られないんだ!」というユクミの声がよぎった。起きてからそんな言葉を交わした覚えはないので、これはまだ隠邪が首に残っていたときに彼女と話した記憶だろう。

 改めて社の中を見回してみる。
 三方を板壁に仕切られた十畳ばかりの板敷きの空間。格子扉の間から見えるのは灰色の景色。
 何日かだけ過ごすだけならまだしも、長期にわたって滞在するのはさすがにつらそうだ。

「ここには他の部屋ってあるのか?」

 なんとなく尋ねてみると、彼女はうつむいたまま首を左右に振る。

「ない。もしも、司が一人になりたいなら……」
「あ、いや、そういうつもりじゃないんだ。なんというか……ユクミは他に行く場所があったり、会う人がいたりしたのかなと思っただけで」
「ない。行くところも、会う人も」
「……じゃあユクミは、この部屋に一人でいたのか?」

 小さな頭が上下に動く。

「ずっと?」

 小さな頭はもう一度上下に動いた。司はしばし唖然とする。

「……それはどのくらいの間なんだ?」
「分からない。ここへ来て何百年くらい経ったのか、もう覚えていない」
「何百だって?」

 その言葉は司の想像の範疇外だった。
 五歳の外見にしてはきちんと話をするので相応の時は刻んでいるだろうと思っていたが、まさか百年単位の話になるとは。

「何百年も一人きりでここに?」

 またしても頷くユクミを見て司は言葉をなくした。

(何百年……それをこの部屋で……他に誰もいなくて……)

 考えて司は気が遠くなる。

 ただの人間だった司には、人間の寿命を遥かに超えて生きる妖の気持ちが分からない。ただし一つだけ分かるとしたら、例え妖であろうとも時は人間と同じように流れるということ。
 ユクミはこれまで何百年という時間を、ただただ『約束の者』を待つためだけに費やしてたのだ。

「……ごめんな」

 思わず口をついて出たのは謝罪の言葉だった。
 恐る恐ると言ったていで顔を上げたユクミが司を見て、小さく首をかしげる。その彼女に向って司は笑みを作った。

「ここへ来たのが俺で、本当にごめん」

 ユクミは『約束の者』を何百年も待っていた。
 それなのにようやく訪れた者は司だった。

 司は『隠邪と聡一を倒す手助け』を頼むつもりでいる。血生臭い道を共に進んでくれる相手を探しているのだ。それを、この幼い娘に頼まなくてはいけない。
 もちろん何百も歳を重ねているユクミは見た目通りの年齢ではないのだし、年の行った外見ならどんな望みを口にしてもいいと考えているわけでもないが、ユクミほどの年齢の子を見るとどうしても知穂の姿がちらついてしまう。

(もっと優しい頼みごとを持った奴がここに来てくれたらよかったのに)

 そう思っていると、ユクミが囁く。

「……そんな風に言うな」

 いつの間にか伏せていた司の顔を、小さな手が左右から挟み込んで上げさせる。

「お前は扉を開けた。お前こそが『約束の者』だ。私はお前が来るのを待っていた。――ずっとずっと待っていたんだ、司」
「……ありがとう」

 その、日の光のような色の瞳を見て司は決めた。

(俺は一人で行こう)

 ユクミは死人だった司を助けてくれた。隠邪の生気を使わなくても動けるようにしてくれた。それだけで十分だ。
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