死人は行く道を未来へと誘う ~ただ一人生き残った青年の役目は、裏切り者の作った異界を消すこと。だけど~

杵島 灯

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第2章 灰色の帳に包まれて

3.後悔

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 司、という叫び声が聞こえる。
 それは子ども特有の高い声で、なんだか司の知る人物のものとよく似ているように思う。
 だが、そんなはずはない。ころころと良く笑っていたあの可愛い子はもういない。
 そこまで考えて司は気が付く。

(……そうか……俺は、死んだのか……)

 だからあの子の声が聞こえる。

(俺は何もできないまま終わったんだな……)

 今にして思えば佐夜子はずっと聡一のことを気にしていたというのに、司は大丈夫なのだと信じようとしていた。信じていた方が楽だったからだ。そのせいで司には何の覚悟もなく、何の備えもなかった。せめて半年前のあの時にもう少し佐夜子と話し合っていれば、未来は違うものになったのだろうか。

 だが、後悔しても遅い。もう取り返しはつかないのだ。


***


「……あっちぃなーあ……」

 司はTシャツの襟元を手であおぐ。天気予報で見た今日の気温は低かったので長袖にしたが、これなら半袖でも十分な暑さだ。

「おっかしーなー、今日は午後から雨の予報だったろうがよ……」

 愚痴をこぼしながら駅から出る。降り注ぐ初夏の日差しが眩しい。司は目を細めながらバスの停まるロータリーを横切り、スーパーや飲食店が並ぶ通りを歩く。五本目の脇道へ入ると広がるのは住宅街だ。
 駅の近くは土地開発の影響もあって新しい家が多い。画一的な建売や小洒落た洋風建築が多くある中を十五分ほど歩いていると、今度は少しずつ古い家並が増えてくる。
 その中の一区画に広い敷地を持つ一軒の家がある。板塀の上から覗く松や枝垂しだれ梅の姿が「よく来たね」と言っているように見えるのは、あそこが司の目的地だからかもしれない。

「婆ちゃん、麦茶作ってくれてっかなー」

 呟いて司は大きな木の門をくぐる。脇にかけられているのは『梓津川しづがわ』という古びた表札だ。

 低い植え込みの間の飛び石を踏んで摺りガラスの引き戸を開けると、玄関に漂う冷涼な空気が出迎えてくれる。外の熱気が入れるのはここまでだ。
 ホッと息を吐いた司は汗をぬぐい、勝手知ったる気安さで声をかけずに上がりこむ。ありがたいことに冷蔵庫には麦茶が冷やしてあったので、飲みながら持参した羊羹ようかんを皿に出し、熱い緑茶を淹れながら更にもう一杯麦茶を飲む。乾きが癒えたところで湯呑と羊羹を盆に載せ、廊下を行き、奥の襖の前で声をかけた。

「婆ちゃーん。入るぜー」

 返事を待たずに障子を開けると、書類に囲まれた中に座る佐夜子がにこりと笑った。水縹みはなだ色の着物が涼しげだ。

「いらっしゃい、司。待ってたよ」
「待ってたのは俺じゃなくて茶菓子だろ?」

 軽い調子で返すと、佐夜子も軽い調子で笑い声をあげる。

「いいや。茶菓子を持って来てくれるから、お前のことも待ってたよ。――おや、今日は羊羹か。嬉しいねえ」
「……やっぱり俺は茶菓子のオマケじゃないか」

 次はスナック菓子にしてやろうか、と考えながら司は立ったまま部屋に入り、後ろ手に障子を閉める。以前は佐夜子に「行儀が悪い」と叱られていたが最近は何も言われなくなっていたので、祖母はようやく小言が無駄だと悟ったらしい。
 書類をまとめた佐夜子が年代物の座卓の上に場所を作ってくれる。膝をついた司がそこへ湯呑と羊羹を置く間に、佐夜子が司の分の座布団を用意してくれた。

「これ、隠邪関連の書類?」
「そうだよ。政府へ報告する分さ。今月の隠邪出現状況と、祓邪師の出動状況だね」

 佐夜子は眼鏡を外して脇へ置き、その手で湯呑を持つ。

「メールで受け付けてくれたらいいんだけどねぇ。上の連中が電子化に対応してくれるまでは、もう少々時間がかかりそうだよ」

 独り言のように呟いて、佐夜子は茶を一口啜った。

 政府からの支援は祓邪師の重要な収入源だ。毎月かなりの額が支給されており、正直に言えば働かずとも暮らしていける。ただ、祓邪師のことを知るごく一部の上層部の中には隠邪の存在に懐疑的な者もおり、祓邪師への支援に対して渋い顔を見せることもあるそうだ。
 ある意味政府よりも“上”に当たる人物が祓邪師を信じてくれている以上は支援の打ち切りはないはずだが、しかし万一のことを考えて、あるいは世間との繋がりをつくるために、大半の祓邪師は別の方法での稼ぎ口を持っている。月に三度の隠邪討伐が交代制になっているのも仕事に支障をきたさないようにという配慮の一環だ。現に大学生の司も勉強関連で討伐を休むことがあった。

 そのぶん、という訳ではないだろうが、佐夜子は余程のことがない限り休みと指定された日も討伐に参加している。この辺りにいくつもの土地を持っている佐夜子は外へ働きに出ていない。それもあって皆のカバーをしようと考えているのだろう。自営だったり在宅の仕事を持っていたりという祓邪師が、佐夜子のように休まず毎月の討伐に参加するのもよくある話だった。

「ところでさ」

 黒文字で羊羹を刺し、何気ない風を装って司は本題に入る。

「婆ちゃんは最近、聡さんと話した?」
「食べるか喋るかどっちかになさい、行儀の悪い」

 ――祖母の小言は少なくなったが、もちろん完全になくなったわけではない。

 羊羹を飲み込んだ司がもう一度同じことを尋ねると、佐夜子は上品な仕草で手元の羊羹を切り分けながら、言う。

「聡一とは三日前に会ったよ」
「会ったって、直接?」
「直接だね」
「ちぇ。俺が話したのは先週だ。しかもビデオ通話だから、なんか負けた気分」
「そんなものに勝ちも負けもあるもんかい」

 呆れを含む佐夜子の声を聞きながら司は湯呑を手に取る。

「……なあ。婆ちゃんはさ……聡さんの様子、どう思った?」

 二、三度、緑の水面を揺らしてから茶を口に含み、飲みくだす。佐夜子からの返事は、口内に残る仄かな苦みも消え去る頃にあった。

「嘆く様子も、荒れた様子もなかった。すっかり元通りだね」
「そっか……俺もなんか、そんな感じがしたんだけど……」

 十畳の和室で声が途絶えた。
 廊下を挟んだ庭からは枝葉の揺れる音がする。それはまるで密やかに噂話をしてるようでも、あるいはすすり泣きの声のようでもあった。沈鬱な室内をより沈ませるその音に耐え切れなくて司は張り合うようにして声を上げる。

「でもさ。元気はないよりあった方がいいに決まってる。つまり聡さんはいい方向に進んでるってことだよな」

 一人でうなずきながら司が残りの羊羹を口に放り込むと、佐夜子がぽつりとつぶやく。

「……いいこと……」

 佐夜子の口ぶりはどう聞いても『いいこと』のようではない。

「……本来ならあの子は、元に戻れるがはずないんだよ……」
知穂ちほちゃんのことだろ? だけどあれからもう三年以上経ってるじゃないか」

 司だって今も知穂のことを思い出すと胸の奥が痛む。だが、あのときのように掻きむしられるような痛みが来るわけではない。佐夜子も同様に、知穂の名を聞いても涙を零したりはしない。
 そういえば、と思いながら司は茶をすする。
 あの頃の佐夜子は暇があれば書庫に籠り、代々の当主が引き継いできた文献を鬼気迫る勢いで読んでいた。何をしていたのかは未だ分からないままだが、いずれにせよあれも既に過去の話となっている。

「そう。私たちにとっては『もう』だ。でも、聡一にとっては『まだ』のはずなんだよ」

 背筋を伸ばして座った佐夜子は両手を膝の上に置き、目を伏せる。

「私はね、司。聡一が先月から討伐の場に戻ってきたのだって、早すぎる気がしてる」
「婆ちゃんは過保護だなぁ」
「過保護で結構。思い過ごしだったならそれが一番だよ。私だって、聡一が前を向けるようにと願ってるんだからね」
「その辺は問題ないんじゃないか? 聡さんも少しずつ明るくなってきたんだし」

 急に障子の向こうが暗くなった。どうやら今頃になって天気予報が当たったらしい。

「……おやまあ、一雨ひとあめありそうだね。ちょっと洗濯物を仕舞ってくるよ」

 佐夜子が出て行き、部屋の中には司だけが残った。静かな暗い室内に一人で座っていると、自分以外がこの世から消えてしまったような気がして背中がそわりとする。子どもじゃあるまいし、と心の中で自分に毒づいてみるが、一度抱いてしまった感覚は困ったことになかなか離れてくれない。
 司は残った茶を一息に煽る。

「婆ちゃんだって飲みたいだろうし、もう一度、茶を淹れて来ようかな」

 言い訳のように呟いた司は二つの湯呑を盆に載せ、静寂が支配する部屋をそそくさと後にした。


***


 半年前のこの時にもう少し佐夜子と話し合っていれば、未来は違うものになったのだろうか。
 司が一人では気づけなくとも、佐夜子と二人で目を配れば分かったこともあるだろうか。何かしらの兆候を感じ取れただろうか。そうしたら、そうしたら。

 だが、後悔しても遅い。もう、取り返しはつかない。

 聡一は隠邪と共に去った。
 佐夜子も友介も、大勢の祓邪師たちも既にいない。

 そして司の生も終わりを迎えてしまった。

 祖母に託された願いも果たせないままに。
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