3 / 55
第1章 欠け行く月の影の中
1.月明かりの下で
しおりを挟む レオナードは一直線に馬車へと向かう。
対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。
涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。
しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。
どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。
だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。
「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」
乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。
「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」
いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。
「えー……それは、また難題だなぁ」
過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。
でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。
涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。
とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。
ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。
だから、その痛々しい顔が良く見える。
額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。
彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。
なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」
ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。
レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。
それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。
「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」
───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。
ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。
「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」
馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。
そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。
レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。
「ここにいて。ルシータ」
至近距離なんてもんじゃない。
息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。
だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。
「───......なっ」
ルシータは小さく声をあげた。
なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。
なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。
「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」
労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。
「なっ!!!!」
今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。
むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。
「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」
レオナードの表情は矛盾していた。
不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。
ルシータは、ものの見事に固まった。
不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。
涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。
しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。
どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。
だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。
「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」
乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。
「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」
いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。
「えー……それは、また難題だなぁ」
過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。
でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。
涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。
とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。
ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。
だから、その痛々しい顔が良く見える。
額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。
彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。
なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」
ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。
レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。
それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。
「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」
───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。
ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。
「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」
馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。
そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。
レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。
「ここにいて。ルシータ」
至近距離なんてもんじゃない。
息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。
だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。
「───......なっ」
ルシータは小さく声をあげた。
なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。
なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。
「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」
労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。
「なっ!!!!」
今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。
むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。
「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」
レオナードの表情は矛盾していた。
不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。
ルシータは、ものの見事に固まった。
不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
22
【作者からのお知らせ】
美麗な表紙絵も描いてくださっているベアしゅう様が、第2章「5.告げられた内容」のワンシーンをマンガにしてくださいました。
司とユクミがとっても魅力的なんです。
すごく素敵なので、ぜひぜひご覧ください!
★★ベアしゅう様のpixivページ★★
美麗な表紙絵も描いてくださっているベアしゅう様が、第2章「5.告げられた内容」のワンシーンをマンガにしてくださいました。
司とユクミがとっても魅力的なんです。
すごく素敵なので、ぜひぜひご覧ください!
★★ベアしゅう様のpixivページ★★
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説

お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
『霧原村』~少女達の遊戯が幽から土地に纏わる怪異を起こす~転校生渉の怪異事変~
潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。
渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。
《主人公は和也(語り部)となります。ライトノベルズ風のホラー物語です》
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】側妃は愛されるのをやめました
なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」
私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。
なのに……彼は。
「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」
私のため。
そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。
このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?
否。
そのような恥を晒す気は無い。
「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」
側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。
今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。
「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」
これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。
華々しく、私の人生を謳歌しよう。
全ては、廃妃となるために。
◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです!
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
ペルシャ絨毯の模様
宮田歩
ホラー
横沢真希は、宝石商としての成功を収め、森に囲まれた美しい洋館に住んでいた。しかし、その森からやってくる蟲達を酷く嫌っていた。そんな横沢がアンティークショップで美しい模様のペルシャ絨毯を購入するが——。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる