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第2章
17.店主は思案する 2
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ラスコンの店に入って来たのはまたしても少女だ。彼女が身につけているのは白地に紫の花が描かれた大きな袖の上着と、赤色が印象的なスカートのようなズボン。
ゲイリーはこれとほぼ同じものを少し前に目撃している。おかげでこの黒髪の少女が誰だったのかを容易に思い出せた。
「先日お越しくださった東方のお嬢さんですね」
「覚えててくれたんだね、ありがとう。今日は馬具が欲しいなと思って来たんだ」
ゲイリーの頭の中に疑問符が浮かぶ。
この少女は裏通りのしょぼくれた店で馬具を揃えていたはずだ。ゲイリーは場所代の徴収をする役目の部下からその旨の報告を受けている。訝しく思ったその気持ちが伝わったのだろうか、少女は「実はね」と言ってわずかに困った様子を見せた。
「あのときに連れてた馬は獣に襲われて死んでしまったんだ。今は代わりに別のものに乗ってるんだけど、今度の相棒は妙に気位が高くて『牛や羊のような普通の素材で作られた馬具は嫌だ』って言うんだよ。で、この店のことを思いだしたってわけ。――あのとき見せてくれた馬具はワイバーン製だったよね? そんな特別な素材で作られた馬具だったらきっと気に入ってくれると思うんだ」
「それはありがたいお話ですが……」
黒髪の少女の話に耳を傾けながら、ゲイリーの頭の中ではいくつもの考えが駆け抜けていく。
(あのときと別のものに乗っているというのは分からなくもない。しかしその新たな乗り物が……なんと言ったと?)
確かに気位が高い性格の馬はいるだろうが、それが「普通の素材で作られた馬具は嫌」だと主張したらしいことでゲイリーは意味が分からなくなる。
まず最初に思いついたのは“ただの比喩”だ。馬具を差し出したときに嫌がったのを彼女がそう捉えた、と考えるのが最も可能性が高い。
(だが……)
ゲイリーは壁に目をやる。飾られているのは額に入った白く大きな羽根だ。あれは立派な身なりの冒険者が自分の乗るペガサスのために馬具を買い求めた際、胸を張りながら代金と一緒に渡してきたもの。
魔獣を連れている者は少ない。この黒髪の少女が所持しているとは考えにくいが、もしも彼女が凄腕の冒険者で、本当に魔獣を相棒にしていたのならどうだろうか。
(……ふむ、悪くないな。うちの箔がまた上がる)
そのためにもまずは詳しく話をして何を連れているのかを知る必要があるのだが、残念ながら今のゲイリーにはそれより先にやることがあった。
「ねえ、あなた。ここで馬具を買うのはやめたほうがいいわ」
今も横で余計な口出しをしてくる、ピンク色の髪をした少女の対応だ。
「ほら、これ。あたしのブーツ。見てよ、魔獣の革で作られてるはずなのに、ただの狼を討伐しに行ってこんな風になっちゃったの」
「すごいな、よく無事でいられたね。でも、そっか。魔獣の革製品って値段は高いけど、意外に脆いんだ」
「素材の問題じゃないと思うわ。これはあたしの予想だけど、この工房は皮をなめす技術が低いのよ。だから――」
商品を売りつけるにはタイミングが悪い。まずは最初の少女を隔離する必要がある。でないと彼女は来る客全員に余計なことを吹聴しそうだ。
ゲイリーは愛想笑いを浮かべ、低くした腰を更に低くする。
「いやはや申し訳ございません、お客様。そちらは『ジャイアントサーペントの革製』ではなく、よく似た通常商品でございます。どうやら店員が商品を間違えてご提供してしまったようですね」
どうせ負の感情を持たれるのなら、職人や商品に対してよりも店員に対しての方が挽回できる。ゲイリーはそう判断した。
「担当をした者にはきつく申し渡しておきましょう、何しろお客様を危険にさらしたのですからね。ですがまずはどうかお詫びをさせてください。――おおい、誰かいるか? 大切なお客様のご案内を頼む!」
この店には様々な客が来る。貴族や大富豪のような“賓客”以外にも、難癖をつけて小金を強請ろうとする“困った客”なども訪れることがあるので、そういった人々が来たとき用の合図の言葉を決めてあった。
今回はもちろん賓客を呼ぶ時の言葉を使ったので、現れたのは上品な装いをした女性使用人だ。
「こちらのお客様だ。くれぐれも粗相の無いようにな」
「はい!」
元気に返事をして歩き出した使用人はしかし、途中で足を止めてそのまま立ち尽くす。
「どうした? お客様の前だぞ」
ゲイリーの声も聞こえないようだ。一体なにがあったのか。ゲイリーが重ねて問おうとしたそのとき、とろりとした瞳の使用人が両手を口に当てた。
「うわぁ……フラート姉弟のお姉さんの方だ……」
「は?」
「少し前にこの店へお越しくださったっていうのは本当だったんですね……東方娘さんも一緒にいるなんて……!」
頬を紅潮させた使用人はふわふわとした足取りで近づいてくると、ゲイリーなど眼中にない様子で二人の娘の前に立つ。
「あの、私、何日か前にお店の用事でルマの町のへ出かけたんです。そこで偶然お二人の歌を聞いて、ファ、ファンになりました! 弟さんの演奏も良かったんですけど、私はそれよりもお二人の声に聞きほれてしまって! お店には『乗合馬車が壊れたせいで遅くなった』って嘘ついて、次の町へ移動された二人の歌も聞きに行ったんです! そちらもすっごく良くて――」
「おい、待て」
ゲイリーは使用人の肩を掴んで自分の方を向かせる。
あのとき飛空便で届いた手紙を読んで「どうして他の馬車が見つからないんだ?」と首をひねった裏にはそういう理由があったのかと納得する一方、使用人の言葉にはそれ以上に聞き捨てならない言葉があった。
「お前はこちらの二人を知っているのか?」
「はい! 酒場で歌や踊りを披露している『フラート姉弟と東方娘』のうちのお二人です!」
「だとすれば、こちらの二人は知り合い同士ということか?」
「当り前ですよ! 私がルマでお見かけしたときでさえ既に『三人での公演はこの町で三か所目です』って仰ってたんですから!」
「……はて、妙な話だ……」
先ほどのこの二人のやりとりは初対面のものだったように見えるのに、これはどういうことだろう。
使用人から目を離したゲイリーがゆっくりと二人の方へ顔を向ける。微笑む黒髪の少女の横で、ピンク色の髪をした少女が肩をすくめた。
「あたしたちの知名度も上がったのねえ」
ゲイリーは大きく息を吸い込む。
「おい、特別なお客様がお越しだ! 奥へお通ししろ!」
“困った客”が来たときの合図を聞きつけて、荒くれ者たちが姿を見せた。
ゲイリーはこれとほぼ同じものを少し前に目撃している。おかげでこの黒髪の少女が誰だったのかを容易に思い出せた。
「先日お越しくださった東方のお嬢さんですね」
「覚えててくれたんだね、ありがとう。今日は馬具が欲しいなと思って来たんだ」
ゲイリーの頭の中に疑問符が浮かぶ。
この少女は裏通りのしょぼくれた店で馬具を揃えていたはずだ。ゲイリーは場所代の徴収をする役目の部下からその旨の報告を受けている。訝しく思ったその気持ちが伝わったのだろうか、少女は「実はね」と言ってわずかに困った様子を見せた。
「あのときに連れてた馬は獣に襲われて死んでしまったんだ。今は代わりに別のものに乗ってるんだけど、今度の相棒は妙に気位が高くて『牛や羊のような普通の素材で作られた馬具は嫌だ』って言うんだよ。で、この店のことを思いだしたってわけ。――あのとき見せてくれた馬具はワイバーン製だったよね? そんな特別な素材で作られた馬具だったらきっと気に入ってくれると思うんだ」
「それはありがたいお話ですが……」
黒髪の少女の話に耳を傾けながら、ゲイリーの頭の中ではいくつもの考えが駆け抜けていく。
(あのときと別のものに乗っているというのは分からなくもない。しかしその新たな乗り物が……なんと言ったと?)
確かに気位が高い性格の馬はいるだろうが、それが「普通の素材で作られた馬具は嫌」だと主張したらしいことでゲイリーは意味が分からなくなる。
まず最初に思いついたのは“ただの比喩”だ。馬具を差し出したときに嫌がったのを彼女がそう捉えた、と考えるのが最も可能性が高い。
(だが……)
ゲイリーは壁に目をやる。飾られているのは額に入った白く大きな羽根だ。あれは立派な身なりの冒険者が自分の乗るペガサスのために馬具を買い求めた際、胸を張りながら代金と一緒に渡してきたもの。
魔獣を連れている者は少ない。この黒髪の少女が所持しているとは考えにくいが、もしも彼女が凄腕の冒険者で、本当に魔獣を相棒にしていたのならどうだろうか。
(……ふむ、悪くないな。うちの箔がまた上がる)
そのためにもまずは詳しく話をして何を連れているのかを知る必要があるのだが、残念ながら今のゲイリーにはそれより先にやることがあった。
「ねえ、あなた。ここで馬具を買うのはやめたほうがいいわ」
今も横で余計な口出しをしてくる、ピンク色の髪をした少女の対応だ。
「ほら、これ。あたしのブーツ。見てよ、魔獣の革で作られてるはずなのに、ただの狼を討伐しに行ってこんな風になっちゃったの」
「すごいな、よく無事でいられたね。でも、そっか。魔獣の革製品って値段は高いけど、意外に脆いんだ」
「素材の問題じゃないと思うわ。これはあたしの予想だけど、この工房は皮をなめす技術が低いのよ。だから――」
商品を売りつけるにはタイミングが悪い。まずは最初の少女を隔離する必要がある。でないと彼女は来る客全員に余計なことを吹聴しそうだ。
ゲイリーは愛想笑いを浮かべ、低くした腰を更に低くする。
「いやはや申し訳ございません、お客様。そちらは『ジャイアントサーペントの革製』ではなく、よく似た通常商品でございます。どうやら店員が商品を間違えてご提供してしまったようですね」
どうせ負の感情を持たれるのなら、職人や商品に対してよりも店員に対しての方が挽回できる。ゲイリーはそう判断した。
「担当をした者にはきつく申し渡しておきましょう、何しろお客様を危険にさらしたのですからね。ですがまずはどうかお詫びをさせてください。――おおい、誰かいるか? 大切なお客様のご案内を頼む!」
この店には様々な客が来る。貴族や大富豪のような“賓客”以外にも、難癖をつけて小金を強請ろうとする“困った客”なども訪れることがあるので、そういった人々が来たとき用の合図の言葉を決めてあった。
今回はもちろん賓客を呼ぶ時の言葉を使ったので、現れたのは上品な装いをした女性使用人だ。
「こちらのお客様だ。くれぐれも粗相の無いようにな」
「はい!」
元気に返事をして歩き出した使用人はしかし、途中で足を止めてそのまま立ち尽くす。
「どうした? お客様の前だぞ」
ゲイリーの声も聞こえないようだ。一体なにがあったのか。ゲイリーが重ねて問おうとしたそのとき、とろりとした瞳の使用人が両手を口に当てた。
「うわぁ……フラート姉弟のお姉さんの方だ……」
「は?」
「少し前にこの店へお越しくださったっていうのは本当だったんですね……東方娘さんも一緒にいるなんて……!」
頬を紅潮させた使用人はふわふわとした足取りで近づいてくると、ゲイリーなど眼中にない様子で二人の娘の前に立つ。
「あの、私、何日か前にお店の用事でルマの町のへ出かけたんです。そこで偶然お二人の歌を聞いて、ファ、ファンになりました! 弟さんの演奏も良かったんですけど、私はそれよりもお二人の声に聞きほれてしまって! お店には『乗合馬車が壊れたせいで遅くなった』って嘘ついて、次の町へ移動された二人の歌も聞きに行ったんです! そちらもすっごく良くて――」
「おい、待て」
ゲイリーは使用人の肩を掴んで自分の方を向かせる。
あのとき飛空便で届いた手紙を読んで「どうして他の馬車が見つからないんだ?」と首をひねった裏にはそういう理由があったのかと納得する一方、使用人の言葉にはそれ以上に聞き捨てならない言葉があった。
「お前はこちらの二人を知っているのか?」
「はい! 酒場で歌や踊りを披露している『フラート姉弟と東方娘』のうちのお二人です!」
「だとすれば、こちらの二人は知り合い同士ということか?」
「当り前ですよ! 私がルマでお見かけしたときでさえ既に『三人での公演はこの町で三か所目です』って仰ってたんですから!」
「……はて、妙な話だ……」
先ほどのこの二人のやりとりは初対面のものだったように見えるのに、これはどういうことだろう。
使用人から目を離したゲイリーがゆっくりと二人の方へ顔を向ける。微笑む黒髪の少女の横で、ピンク色の髪をした少女が肩をすくめた。
「あたしたちの知名度も上がったのねえ」
ゲイリーは大きく息を吸い込む。
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