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第1章

13.秘めた望みはどんなこと?

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「……でもなんで、契約が結ばれたんだろう?」

 リディが首をかしげると、タテガミを風にそよがせながらナイトメアが言う。

『名前の交換をしたからじゃないですか?』
「したっけ?」
『しましたよ』
「確かに私は名乗ったけど、あなたの名前を聞いた覚えがないなあ」
『なんですって? 聞いてくれてなかったんですか? 私はきちんと「※*#@♪△」と名乗りましたよ?』
「あー」

 あれは足の速さの話をしたときだ。言われてみればリディもその不思議な音に覚えがある。

「ごめんね。私はあなたの名前をちゃんとした言葉として聞き取れなかったんだ。もしかしたら西方の言葉に慣れてないせいかもしれない」
『あなたは東方の生まれですから仕方ないのかもしれませんね。……ああ、それにしても』

 ふんふん、と鼻を鳴らしたナイトメアは独り言のように呟く。

『そうですか……契約とはこんな感じなのですねえ……』

 表情はよく分からないが、少なくとも彼からは負の感情が窺えない。むしろ、興味深そうな口調だけを聞くと状況を楽しんでいるような印象さえ受ける。

「嫌じゃないの?」
『まったく嫌ではありません。元々、人に頼みごとをしたくて棲みかを出て来たわけですし――』

 言って彼はリディに赤の瞳を向ける。思案するように二、三度瞬いてからもう一度口を開いた。

『そう。私はあの街へ行く必要なんてなかったんです。丘で話した時からきっと、心の中ではあなたを選んでいたのですから。契約をした今、こんなに心穏やかでいられるのはそのためです。……しかし、あなたはナイトメアの私で良かったのですか? もっと別の魔獣の方が良かったと思っていたり……元々、理想とする魔獣がいたりしなかったのですか?』
「うーん」

 リディは腕組みをして首をかしげる。

「テイマーにはなりたかったけど、魔獣に関しては特に考えてなかったかな。だから、私を選んだと言ってくれるあなたが契約してくれてとても嬉しいよ。ありがとう」
『ほ、本当ですか……!』

 ナイトメアはふるふると体を震わせる。どうやら感激しているらしい。

『ありがとうございます! 実を言えば私はかなり前から、人に頼みごとをしようと考えていたんです。ですが踏ん切りのつかないまま時間だけが経って……。今回ようやく棲みかの外へ出てこられたのは、きっとあなたに出会うためだったんですね!』
「大げさだなあ。私はそんなに大層な人間じゃないって」

 リディは小さく頬を掻いた。

「だけど、そっか。前から『人に頼みたいことがある』って言ってたもんね。どんなことなの? 私にできることなら頑張って手伝うよ」
『あああ、本当に感激です! 実は……』

 言いかけてナイトメアは辺りを見回す。周囲に人影はないのだからそのまま話を続けても平気だというのに、彼はぐっと声を潜めた。

『……あの。誰にも言いませんか?』
「もちろん」
『信じますよ』
「大丈夫! 信じて!」

 リディが胸をどんと叩くとナイトメアは更に二歩近づいた。

『では、申し上げましょう。私は――』

 ナイトメアが首を伸ばし、リディの耳元に顔を寄せ、囁く。

『――有名になりたいんです』

 真意を測りかねたリディが右側の赤い瞳を見ると、ナイトメアは首を起こして正面からリディを見つめる。

『馬型の魔獣と聞いたとき、人間たちは何を想像すると思いますか?』
「ペガサスやユニコーンじゃないかな」
『ナイトメアが出てくる可能性は?』
「低いと思う」
『ですよね!』

 ナイトメアは鼻息を荒くする。

『ナイトメアというのは人間たちにとって、まあ、そのう……少しばかり、地味な存在かもしれません。ですが人間たちに良く知られているからって、ペガサスやユニコーンといった連中はイイ気になりすぎなんですよ! 私に会うといつも「有名な魔獣ってのも困るよなぁ。人間たちと出会うたびにキレイーだのステキーだの騒がれてよぉ。中には棲みかまで見に来るやつもいるから全然気が抜けない日々でツレぇわ。マジでツレぇわ。人気者ってのは大変だわ。お前もそう思うだろ?」なんて言うんです!』

 話しながら憤りを思い出したのか、ナイトメアはその場で足をドスドスと踏み鳴らす。あまりに地面が揺れるので、リディはこっそり三歩下がった。

『で、続く言葉がまた酷いのです。「おっと、しまった。同じ馬型の魔獣だから仲間のつもりだったけど、違ったな! 俺らと違って無名だから、静かな日々を送ることができるもんなぁ! 羨ましいぜ!」なんて言いましてね! ああ、高笑いで去って行くあいつらの後ろ姿を見る私が、どれほど悔し涙を流したことか――おや、どうしてあなたはそんな後ろにいるのです?』
「ちょっとね」

 答えて三歩前へ戻り、リディはうなずく。

「つまりあなたが人間たちの中で話題になれば、ナイトメアという種族が有名になる。そうしたら今までナイトメアを下に見てきたペガサスやユニコーンを見返してやれる。ってことだね」
『まさに仰る通りです! ですから……も、もしも、あなたが今後、他にいいなーと思う魔獣に出会っても、私と契約解除せずにいて欲しいのです……』
「もちろん。でも、なんでそんな心配をするの?」

 リディが首をかしげると、ナイトメアはうなだれる。

『契約は、魔獣と人間が一対一で行いますよね』
「うん、そうらしいね」

 契約は対等であり、必ず一対一で行われる。どちらかが主でどちらかが従というわけではない。そして、ひとりの人間が何体もの魔獣と契約はできないのと同様に、一体の魔獣が何人もの人間と契約できるわけでもない。リディはオレリアからそう聞いていた。

『私と契約した今、あなたは他のどの魔獣とも契約はできません。「黒いナイトメアより白いペガサスやユニコーンの方が格好いいな」と思ったら、まずは私との契約を解除するところから始めなくてはいけないのです』
「私は色で判断するつもりなんてないよ」
『今はそう思っていても、今後は分かりませんよね。それに、そう、ナイトメアよりドラゴンの方がいい、って思うかもしれません。何しろドラゴンは赤だの緑だの茶だの色とりどりです。他にも――』
「うーん。そんなに心配なら誓おうか」

 リディは右手を胸にあてて天を見上げる。

「我が祖先にして祖国の守り神、偉大なる紫禳の神にかけて誓う。私は、他の魔獣に心惹かれてナイトメアさんを捨てたりしない」
『なんと……わ、私のために、誓いまで立ててくださった……。あなたは黒髪が美しいばかりでなく、心根も優しくていらっしゃるのですね。ありがとうございます。本当に、ありがとうございます! もちろん私も誓いますよ! 我が契約は永遠です!』

 大粒の涙を流すナイトメアは、どうやらものすごく感激しているようだ。
 これほどまでに喜んでもらえたのなら誓って良かったと、リディはほこほことした気持ちで彼を見つめた。
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