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第6章
22.掴むために
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「ということであたし、普通に話すわ。友達になりたい相手と話すときに敬語を使うのって、なんだか他人行儀で嫌だし」
にっこりと笑ってローゼは言う。
聖剣の中にいるのだから顔が見えないのは分かっている。ただ、レオンのようにうまく声に感情をのせる自信のないローゼは、そのぶん全身を使って気持ちを表現し、少しでも声に感情を籠めようと努めているのだった。
「なんかねえ。友達って宣言してなるもんじゃないとは思うんだけど、あなたはあたしたちのことを嫌ってるでしょ。少しずつ仲良くなるってできないから、しょうがないよね」
山の精霊からの返事はない。
「実はね、あたしはあなたのことが嫌いじゃないの。だってあたしの体には、あなたの仲間――ええと、あたしはいつも大精霊って呼んでるから、そう言うね――大精霊が一緒にいたんだもの。あたしは夢でよく、大精霊の記憶を見たわ。人間と暮らしてた時代のことはもちろん、ここで暮らしてた時のことも。たくさんの仲間たちと過ごす記憶の中で、一番多かったのはあなたに関することだった」
今回も戻ってくる言葉はない。
だが、いきなり拒否の言葉を突きつけてくるわけでないのだから、きっと話を聞いてくれる余地があるに違いない。
「ね? あなたはあたしのことを知らないと思うけど、あたしはあなたのことを知ってるの。もちろん、あなたが人間と親しくする気がないっていうのも知ってる。ここに来るまでの精霊の態度も見てきたし、辺境伯の屋敷にあった本もたくさん読んだし。何よりあたしの大事なレオンを変化させたでしょ?」
ローゼはちらりと横を見る。照れもなく、得意げでもない、澄ましたレオンの顔からは「今更言われなくても、お前の気持ちなんかとっくに分かっていた」という余裕が感じられて、こんな時だというのに少し悔しくなる。
「おかげで、あなたの人間嫌いの根深さがよーく理解できたわ。あのときはすっごく腹が立ったけど、今じゃそれも少しは分かる気がする。あたしもカーリナ様に利用されたようなもんだし……ってこれは関係ないね。とにかく、精霊を利用しようって考えてる人間ばっかりがいるわけじゃないってことは、分かって欲しいの……」
一度区切って待つが、やはり山の精霊は何も言わない。
「あ、あとね。あたしは大精霊のことが好きなの。それもあって、大精霊が尊敬してるあなたとも仲良くなりたいと思ってる……んだけど……」
辺りはしんとしたままだ。
あまりに反応がないせいもあって、ローゼの心をじわじわと不安が侵食し始める。
(もしかして、話を聞いてくれる余地があるんじゃなくて、話を聞く気がまったく無いの? だから完全に無視をしてるってだけ?)
一度考えてしまうと、頭の中がそればかりになってしまった。
山の精霊の心に響くような言葉を届けるために話し続けなければならないのに先をどう続けて良いか分からず、閉じてしまった唇も重くて開かない。
その時だった。
【世の中には精霊を知らない人の方が多いのです】
静かな声でレオンが話しだす。
【俺も人間だったときは、精霊がいるなんて思いもしませんでした。もちろん俺の娘もそう思っていたんです。……な?】
彼は、話の取っ掛りを作ってくれたのだ。うなずいたローゼは、レオンの言葉から続きを探し出す。
「そう、そうなの。さっき話題に出した精霊たちはあたしの故郷にいるんだけど、そんなこと全然知らなかった。あたしに力がないってのもあるけど、そもそもうちの国では、精霊なんておとぎ話だって言われてるから。世の中には、もう限られた場所にしか精霊がいないから」
ローゼは小さくため息を吐く。
「だから最初に精霊の存在を知った時は夢みたいって思ったし、本当に本当に嬉しかった。あたしはその気持ちを他の人にも知ってもらいたいし、いろんな土地のいろんな人に、精霊はちゃんといるんだよ、おとぎ話じゃないんだよって教えてあげたい。そのためにも、あなたの力が必要なの。……あ。今、あなたは『この人間が友達になろうって言いだしたのは、結局頼みごとをするためだったのか?』なんて考えたでしょ」
言ってから誤魔化すことも考えたが、ローゼはきちんと言うことにした。
「……正直なとこ、否定はしない。あたしはあなたにたくさんのお願い事があるもの。……例えば、魂が体に戻るために『攻撃しないで』っていうお願いを聞いてもらう必要があるでしょ。他に、大精霊に対しても、ここへ戻さずに外の世界を見せてあげて欲しいと思ってるし――」
少しの間言いよどみ、続ける。
「それに、あなたにも、外の世界を知ってもらいたいの」
ローゼが居るのは聖剣の中であり、世界に触れることはできない。しかし辺りの様子は見えるし、音も聞こえてくる。
動きのなかった景色の中、吹き抜ける風が周囲の枝を揺らし、ざわざわともかさかさともつかない音を立てて葉を舞い散らせる。その様子を視界に入れながら、ローゼは岩を見つめて言う。
「ちょっと偉そうだったかな? ごめんね。確かにあなたは背が高いから遠くまで見えてるんだろうと思う。でも、見てるばっかりじゃ知ったことにはならないわ。――精霊のいない世界って想像できる? 主のいない小さな精霊たちがどんな風に日々を過ごしてるか分かる? 互いに友達だと思ってる精霊と人間との関り方なんて、見当もつかないでしょ?」
ローゼはくす、と笑う。
「あたしたちの話を聞くだけでも、あなたはきっと驚くと思う。だって、あたしがそうだったから。村でいろんな本を読んで、たくさんのことを知るたびに、世の中の広さってものをすごーく感じたの」
嘘はついていない。
だが村の外へ出てからのローゼは、本を読んで知っていたと思っていた世界が、実はもっとずっと広かったのだと実感していた。
本当は山の精霊にもその広さを感じてもらいたいが、それはさすがに無理な話だろう。
「……ええと、それにね……」
言いかけてローゼは悩む。
「打算が入っちゃうから、こういうことは言いたくなかったんだけど……でも黙ってるのもどうかなって気がするから、言うわ。あたしとあなたが友達になったらね、精霊たちにとって良いことがあるの。――なんとあたしは、黒く染まった精霊を浄化することができるのよ!」
山の精霊の仲間に対する想いは深い。間違いなく彼はこの言葉に反応するはず。
そしてその予想は外れていなかった。
『真実か』
黙っていた彼は、ローゼの話を聞いてくれていたのだ。ようやく山の精霊から反応があってローゼは嬉しくなる。
ローゼが内心で快哉を叫ぶと同時に、繋いだ手がぎゅっと握られる。見ると、レオンがこちらに顔を向けて瞳を輝かせていた。
「本当よ。小さい精霊たちは何度も浄化してきたし、他にも――ね、見える? 聖剣に銀色の狼の毛が結びつけてあるでしょう? あれは新しく大樹の守りについた銀狼のものなんだけど、実は彼のことも浄化したの!」
言ってから肩をすくめて付け加える。
「……まあ、本当に浄化したのは、あたしじゃなくて聖剣なんだけどね」
【聖剣を扱えるのはお前だけだ。お前が浄化した、というのも間違いじゃない】
「……うーん、でも……あ、じゃあ、浄化したのは、あたしたち」
もう一度視線を送ると、レオンは小さく笑ってうなずく。ローゼも彼に笑ってみせた後、岩へ視線を戻した。
「あなたもまさか、黒く染まった精霊が元に戻るなんて思ってなかったでしょう? でも、浄化できたの! こんな風に、精霊と人間が力を合わせたらできることってまだあるはずだと思わない?」
山の精霊からの言葉は戻らないが、代わりに迷うような小さな唸りが聞こえた気がする。ローゼはやや前のめりになって言葉を続けた。
「精霊も、人間も。お互いのことをもっと知り合ったら、今まで知らなかった世界がもっともっと見えてくるはずよ。そのためにも、あなたにあたしのことを知ってほしいの。――あたしと友達になってほしいの!」
* * *
奇妙な人間だ、と彼は思った。
どうやらこの人間は、彼が黒く染まる仲間たちに対し心を痛めていると知っている。知った上で、浄化の話を出してきている。
ならば最初からその話を使って、人間たちに有利になるよう交渉を進めれば良いはずだ。実際に今までの長い年月、人間たちはそうやって彼に言うことを聞かせてきた。
しかし、今話しているこの人間は違う行動を取っている。
彼に対して願いがあるというのに、わざわざ遠回りをしてから願いを叶えさせようとしている。なぜなのか、その動機は未だ分からない。
単純に思い至らなかっただけなのかもしれないし、何かしらの魂胆を抱えている可能性もある。あるいは本心から、精霊たちと仲良くしたいだけかもしれない。
何を考えているのだろうかと内情を思い量っていた時、彼はふと、この人間が言ったことは正しいのだということに気がついた。
「お互いのことをもっと知り合ったら、今まで知らなかった世界がもっともっと見えてくるはずよ」
為人が分からないために相手の真意が理解できないのなら、互いを知り合うのは手段として理に適っている。
しかも、目の前にある人間の体は神の力で守られている。もしも彼の懸念が当たっているのだと――この体が神によって時間を超越した状態にあるのだとすれば、彼が待つ『肉体の死』はいつまで待っても訪れない可能性がある。
時を経ることは何の問題もないが、どこまで行っても『仲間の帰還』という目的が達成されないのだとすれば、無為に時を経ることは何の意味もなさない。
ならば、と彼は心の中で呟いた。
――人の生は短い。試しにこの人間とだけなら友達になってみても構わないだろうか。
そんな気分になったことを意外に思いつつ、彼は今の言葉をもう一度繰り返す。
(友達)
人間は彼に対して恭しい態度を取るのが常であり、「友達」と言いだす者になど遭遇したことなどない。ただ、真っ直ぐにその言葉をぶつけられるのは悪い気分ではなかった。
どこかでこんな気分を味わったことがあるような気がして記憶を探り、彼はすぐに思い出す。
遥かな昔、今は精霊になった小さな人間と話したとき、彼は「未だ仲間とはなっていない、力を与えただけのものに対しては『精霊の子ども』と呼ぶのが相応しい」と考えた。あの時の気持ちに似ている。
『悪くない』
独り言めいた言葉を聞いたのだろう、「じゃあ」という弾んだ声がする。だがここで、今までの人間たちの態度が思い出された。彼は慎重に付け加える。
『……悪くはないが、すぐに答えは出せない』
「うん、分かってる。なのに機会をくれてありがとう。すごく嬉しい」
声は弾んだまま、落胆することはなかった。
「とりあえず、お互いのことを知ろう? っていってもあたしはあなたのことを少しは知ってるわけだから、まずはあたしたちの話からでもいいかな。あたしと、あたしと一緒にいるレオンの話から」
レオン、というのは先ほどから話に加わってきている者のことだろう。
話しかけてくる人間のことは気になるが、この奇態な精霊のことも確かに気にはなる。
『聞こう』
彼は応えた。
そしてこれこそが、新たな世界へと進む最初の一言となった。
にっこりと笑ってローゼは言う。
聖剣の中にいるのだから顔が見えないのは分かっている。ただ、レオンのようにうまく声に感情をのせる自信のないローゼは、そのぶん全身を使って気持ちを表現し、少しでも声に感情を籠めようと努めているのだった。
「なんかねえ。友達って宣言してなるもんじゃないとは思うんだけど、あなたはあたしたちのことを嫌ってるでしょ。少しずつ仲良くなるってできないから、しょうがないよね」
山の精霊からの返事はない。
「実はね、あたしはあなたのことが嫌いじゃないの。だってあたしの体には、あなたの仲間――ええと、あたしはいつも大精霊って呼んでるから、そう言うね――大精霊が一緒にいたんだもの。あたしは夢でよく、大精霊の記憶を見たわ。人間と暮らしてた時代のことはもちろん、ここで暮らしてた時のことも。たくさんの仲間たちと過ごす記憶の中で、一番多かったのはあなたに関することだった」
今回も戻ってくる言葉はない。
だが、いきなり拒否の言葉を突きつけてくるわけでないのだから、きっと話を聞いてくれる余地があるに違いない。
「ね? あなたはあたしのことを知らないと思うけど、あたしはあなたのことを知ってるの。もちろん、あなたが人間と親しくする気がないっていうのも知ってる。ここに来るまでの精霊の態度も見てきたし、辺境伯の屋敷にあった本もたくさん読んだし。何よりあたしの大事なレオンを変化させたでしょ?」
ローゼはちらりと横を見る。照れもなく、得意げでもない、澄ましたレオンの顔からは「今更言われなくても、お前の気持ちなんかとっくに分かっていた」という余裕が感じられて、こんな時だというのに少し悔しくなる。
「おかげで、あなたの人間嫌いの根深さがよーく理解できたわ。あのときはすっごく腹が立ったけど、今じゃそれも少しは分かる気がする。あたしもカーリナ様に利用されたようなもんだし……ってこれは関係ないね。とにかく、精霊を利用しようって考えてる人間ばっかりがいるわけじゃないってことは、分かって欲しいの……」
一度区切って待つが、やはり山の精霊は何も言わない。
「あ、あとね。あたしは大精霊のことが好きなの。それもあって、大精霊が尊敬してるあなたとも仲良くなりたいと思ってる……んだけど……」
辺りはしんとしたままだ。
あまりに反応がないせいもあって、ローゼの心をじわじわと不安が侵食し始める。
(もしかして、話を聞いてくれる余地があるんじゃなくて、話を聞く気がまったく無いの? だから完全に無視をしてるってだけ?)
一度考えてしまうと、頭の中がそればかりになってしまった。
山の精霊の心に響くような言葉を届けるために話し続けなければならないのに先をどう続けて良いか分からず、閉じてしまった唇も重くて開かない。
その時だった。
【世の中には精霊を知らない人の方が多いのです】
静かな声でレオンが話しだす。
【俺も人間だったときは、精霊がいるなんて思いもしませんでした。もちろん俺の娘もそう思っていたんです。……な?】
彼は、話の取っ掛りを作ってくれたのだ。うなずいたローゼは、レオンの言葉から続きを探し出す。
「そう、そうなの。さっき話題に出した精霊たちはあたしの故郷にいるんだけど、そんなこと全然知らなかった。あたしに力がないってのもあるけど、そもそもうちの国では、精霊なんておとぎ話だって言われてるから。世の中には、もう限られた場所にしか精霊がいないから」
ローゼは小さくため息を吐く。
「だから最初に精霊の存在を知った時は夢みたいって思ったし、本当に本当に嬉しかった。あたしはその気持ちを他の人にも知ってもらいたいし、いろんな土地のいろんな人に、精霊はちゃんといるんだよ、おとぎ話じゃないんだよって教えてあげたい。そのためにも、あなたの力が必要なの。……あ。今、あなたは『この人間が友達になろうって言いだしたのは、結局頼みごとをするためだったのか?』なんて考えたでしょ」
言ってから誤魔化すことも考えたが、ローゼはきちんと言うことにした。
「……正直なとこ、否定はしない。あたしはあなたにたくさんのお願い事があるもの。……例えば、魂が体に戻るために『攻撃しないで』っていうお願いを聞いてもらう必要があるでしょ。他に、大精霊に対しても、ここへ戻さずに外の世界を見せてあげて欲しいと思ってるし――」
少しの間言いよどみ、続ける。
「それに、あなたにも、外の世界を知ってもらいたいの」
ローゼが居るのは聖剣の中であり、世界に触れることはできない。しかし辺りの様子は見えるし、音も聞こえてくる。
動きのなかった景色の中、吹き抜ける風が周囲の枝を揺らし、ざわざわともかさかさともつかない音を立てて葉を舞い散らせる。その様子を視界に入れながら、ローゼは岩を見つめて言う。
「ちょっと偉そうだったかな? ごめんね。確かにあなたは背が高いから遠くまで見えてるんだろうと思う。でも、見てるばっかりじゃ知ったことにはならないわ。――精霊のいない世界って想像できる? 主のいない小さな精霊たちがどんな風に日々を過ごしてるか分かる? 互いに友達だと思ってる精霊と人間との関り方なんて、見当もつかないでしょ?」
ローゼはくす、と笑う。
「あたしたちの話を聞くだけでも、あなたはきっと驚くと思う。だって、あたしがそうだったから。村でいろんな本を読んで、たくさんのことを知るたびに、世の中の広さってものをすごーく感じたの」
嘘はついていない。
だが村の外へ出てからのローゼは、本を読んで知っていたと思っていた世界が、実はもっとずっと広かったのだと実感していた。
本当は山の精霊にもその広さを感じてもらいたいが、それはさすがに無理な話だろう。
「……ええと、それにね……」
言いかけてローゼは悩む。
「打算が入っちゃうから、こういうことは言いたくなかったんだけど……でも黙ってるのもどうかなって気がするから、言うわ。あたしとあなたが友達になったらね、精霊たちにとって良いことがあるの。――なんとあたしは、黒く染まった精霊を浄化することができるのよ!」
山の精霊の仲間に対する想いは深い。間違いなく彼はこの言葉に反応するはず。
そしてその予想は外れていなかった。
『真実か』
黙っていた彼は、ローゼの話を聞いてくれていたのだ。ようやく山の精霊から反応があってローゼは嬉しくなる。
ローゼが内心で快哉を叫ぶと同時に、繋いだ手がぎゅっと握られる。見ると、レオンがこちらに顔を向けて瞳を輝かせていた。
「本当よ。小さい精霊たちは何度も浄化してきたし、他にも――ね、見える? 聖剣に銀色の狼の毛が結びつけてあるでしょう? あれは新しく大樹の守りについた銀狼のものなんだけど、実は彼のことも浄化したの!」
言ってから肩をすくめて付け加える。
「……まあ、本当に浄化したのは、あたしじゃなくて聖剣なんだけどね」
【聖剣を扱えるのはお前だけだ。お前が浄化した、というのも間違いじゃない】
「……うーん、でも……あ、じゃあ、浄化したのは、あたしたち」
もう一度視線を送ると、レオンは小さく笑ってうなずく。ローゼも彼に笑ってみせた後、岩へ視線を戻した。
「あなたもまさか、黒く染まった精霊が元に戻るなんて思ってなかったでしょう? でも、浄化できたの! こんな風に、精霊と人間が力を合わせたらできることってまだあるはずだと思わない?」
山の精霊からの言葉は戻らないが、代わりに迷うような小さな唸りが聞こえた気がする。ローゼはやや前のめりになって言葉を続けた。
「精霊も、人間も。お互いのことをもっと知り合ったら、今まで知らなかった世界がもっともっと見えてくるはずよ。そのためにも、あなたにあたしのことを知ってほしいの。――あたしと友達になってほしいの!」
* * *
奇妙な人間だ、と彼は思った。
どうやらこの人間は、彼が黒く染まる仲間たちに対し心を痛めていると知っている。知った上で、浄化の話を出してきている。
ならば最初からその話を使って、人間たちに有利になるよう交渉を進めれば良いはずだ。実際に今までの長い年月、人間たちはそうやって彼に言うことを聞かせてきた。
しかし、今話しているこの人間は違う行動を取っている。
彼に対して願いがあるというのに、わざわざ遠回りをしてから願いを叶えさせようとしている。なぜなのか、その動機は未だ分からない。
単純に思い至らなかっただけなのかもしれないし、何かしらの魂胆を抱えている可能性もある。あるいは本心から、精霊たちと仲良くしたいだけかもしれない。
何を考えているのだろうかと内情を思い量っていた時、彼はふと、この人間が言ったことは正しいのだということに気がついた。
「お互いのことをもっと知り合ったら、今まで知らなかった世界がもっともっと見えてくるはずよ」
為人が分からないために相手の真意が理解できないのなら、互いを知り合うのは手段として理に適っている。
しかも、目の前にある人間の体は神の力で守られている。もしも彼の懸念が当たっているのだと――この体が神によって時間を超越した状態にあるのだとすれば、彼が待つ『肉体の死』はいつまで待っても訪れない可能性がある。
時を経ることは何の問題もないが、どこまで行っても『仲間の帰還』という目的が達成されないのだとすれば、無為に時を経ることは何の意味もなさない。
ならば、と彼は心の中で呟いた。
――人の生は短い。試しにこの人間とだけなら友達になってみても構わないだろうか。
そんな気分になったことを意外に思いつつ、彼は今の言葉をもう一度繰り返す。
(友達)
人間は彼に対して恭しい態度を取るのが常であり、「友達」と言いだす者になど遭遇したことなどない。ただ、真っ直ぐにその言葉をぶつけられるのは悪い気分ではなかった。
どこかでこんな気分を味わったことがあるような気がして記憶を探り、彼はすぐに思い出す。
遥かな昔、今は精霊になった小さな人間と話したとき、彼は「未だ仲間とはなっていない、力を与えただけのものに対しては『精霊の子ども』と呼ぶのが相応しい」と考えた。あの時の気持ちに似ている。
『悪くない』
独り言めいた言葉を聞いたのだろう、「じゃあ」という弾んだ声がする。だがここで、今までの人間たちの態度が思い出された。彼は慎重に付け加える。
『……悪くはないが、すぐに答えは出せない』
「うん、分かってる。なのに機会をくれてありがとう。すごく嬉しい」
声は弾んだまま、落胆することはなかった。
「とりあえず、お互いのことを知ろう? っていってもあたしはあなたのことを少しは知ってるわけだから、まずはあたしたちの話からでもいいかな。あたしと、あたしと一緒にいるレオンの話から」
レオン、というのは先ほどから話に加わってきている者のことだろう。
話しかけてくる人間のことは気になるが、この奇態な精霊のことも確かに気にはなる。
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