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第6章

11.話の極まり

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「……どうして」

 かすれた小さな声が動揺を現わしていることに気付く。落ち着け、と自分に言い聞かせながらローゼは、息を吐き、唇を湿らせ、カーリナへ向ける視線に力を籠めた。

「どうして私なんですか? アストランで生まれ育った私は昨年まで精霊の存在も知りませんでした。人の代表として山へ挨拶に行ける立場だとは思えません」
「いいえ。あなただから良いのです、ローゼ・ファラー様。今、精霊に関する考察を伺って、はっきりと思い知りました」

 怒涛のように話しかけて来た時とは違い、ゆっくりと語りかけて来るカーリナの声は心地良い。まるで川のせせらぎを聞いている気分だ。

「古い観念にとらわれないあなたは、新しい視点で物事に向き合うことができる。だからこそ聖剣はあなたを娘として選び、銀色の狼はあなたたちを信じて大樹の守りを引き継いだのだと確信しました」
「私は……」

 そんな大層な人物ではない、とローゼは言いたかった。
 レオンがローゼを選んだのはエルゼの子孫だからであり、銀狼が大樹へ力を注いでくれたのはレオンへの恩から。
 ローゼ自身に何かを見出したわけではないのだ。

 だが、会ったばかりのカーリナにこんな裏の事情を明かしてしまうわけにはいかない。
 果たしてどう答えるのが良いかと悩んでいるうち、机を回り込んだカーリナはローゼの横で膝をついた。

「急なことで驚かれましたよね? ですが我々も共に参ります。決しておひとりにはさせませんので、どうかご安心くださいませ」

 相手の落胆する姿を見るのはつらい。できる限りは応じたい。だが、ここでただ頷いては「レオンを元に戻す」というローゼの望みは叶わないかもしれない。
 一度視線をさ迷わせ、ローゼは改めてカーリナを見つめる。

「……先に教えてください」
「何でしょう」
「私をフィデルへ呼んだのは、山の精霊へ挨拶をさせるためですか?」
「はい」

 ローゼの問いに、カーリナは微笑んで頷く。

「ジェーバー領には年に数回、山のお方へご挨拶申し上げる日があります」

 それは芳暁花が咲いて厳しい冬の終わりを告げる日であったり、秋の収穫の後に実りへ感謝を捧げる日であったりする。
 山へ参るのは術士たちが中心となっているが、今回はその一員としてローゼを入れてみてはどうだろうかとの話が持ち上がったのだ、とカーリナは語る。

「聖剣に宿ったぬしの力をお持ちの精霊と、その娘となった方。なんとも珍しいお二方をご覧になれば、山におられる偉大なお方はとてもお喜びになるだろう、というのが術士たちの共通した意見だったのです」
「……レオンの性格を変えたのは、そんな理由のためですか」
「先ほども変化と仰せでしたね。私共は何もしておりません。――ただ」

 カーリナは右手を差し出した。中指には銀色の指輪があり、小指の先ほどの透明な石がはまっている。

「この石は、山のお方の一部です」

 よく見ると、透明な石の中には時折り銀色の光が瞬く。
 色は違うけど似ている、と思いながらローゼは机の上にある聖剣へ目を向けた。

 聖剣の柄頭にはまっている透明な石の中にも光が瞬く。色は黄金、神の色だ。この光はごく稀に強い輝きを放ち、石の傍に結ばれた銀狼の毛を、金とも銀ともつかない不思議な色に輝かせることもあった。

「シグリとダリュースのもとにある術士には同じ指輪を預け、折を見て石を聖剣に触れさせるよう命じました」

 はっとしたローゼはカーリナへ顔を戻す。

「何のために?」
「我々がローゼ様のことを話しましたら、山のお方は大いに興味をお持ちになりました。その際、ご自身からも聖剣の精霊へ思いを伝えたいと仰せでしたから、そのために」

 確かシグリの部屋へ行ってお茶を出された時、指輪をつけた若い侍女は小さな匙を落とした。拾おうとした彼女が床へ屈んだ直後にローゼは息もできないほどの苦しさに見舞われたのだが、もしかすると、あれが。

「もしも聖剣の方に変化がみられたのでしたら、山のお方の思いが伝わることによって精霊の本性が強く出たため。……いえ。ローゼ様のお考えが正しければ、山のお方のご意思を受けたため、かもしれませんね」
「……人間を嫌いになれっていう意思ですか?」
「山の方がそのようなお考えをお持ちである以上は、引きずられてしまわれたのでしょう」
「そんな!」

 部屋に響くローゼの叫び声はあからさまな非難の色を帯びる。

 シグリの部屋でローゼの感じた苦痛はひどいものだった。あれはきっと、レオンの受けた苦痛。
 だが苦痛のすべてではなく、きっとただの余波だ。『互いが互いのものである』ために、聖剣の主ローゼ聖剣レオンの受けた苦痛の一部を受けただけ。だとすれば、レオンはどれほどの苦しみを味わったのだろうか。

(なんで、あんなことまでする必要が……させる必要があったの!)

 カーリナの指輪を睨みつけて山の精霊とフィデルの術士への怒りを募らせながら、しかしローゼは心の中に一番あるのが自分への怒りだと気づく。
 なぜもっと早く、シグリの部屋でのことやレオンのことをしっかりと考えなかったのか。この場に来るまで時間はたっぷりとあったのに。

 ――本当に、あるじとして失格だ。

「私をフィデルへ呼びたかったんですよね。でしたら変な小細工をする必要はありませんでした。機会さえあれば私は、フィデルにも行くつもりでいたんです」

 フィデルだけではない。ベリアンド、ルカジャ、シャナツ。大陸にあるすべての国をローゼは見てみたかった。

「でも、未熟な私だけでは知識も、経験も、何もかもが足りないから……ううん、違う。成長できたとしてもきっと同じ。私は、レオンがいてくれるから遠くまで行ける」

 つばの意匠が象徴する通り、聖剣はローゼにとっての翼だった。
 村から空を見上げるばかりだったローゼを、見知らぬ世界へと羽ばたかせてくれた翼。

 そして、聖剣とはレオンのことでもある。
 ローゼは自分に傑出した才能がないことを良く分かっていた。だからこそ一緒に考え、共に頑張ってくれるレオンが必要だ。ローゼが聖剣の主と呼ばれるためには、聖剣レオンにいてもらわなくてはならないのだ。

「私に、レオンを返してください。そうしたら山でもどこでも参ります」

 声は懇願する調子になった。
 しかしカーリナは瞳を伏せ、首を横に振る。

「もしも、今伺ったことを先に知っていたのなら、と悔やまれて仕方がありません。……残念ですが人にはどうすることもできないのです」

 カーリナの答えは予想はしていた。しかし、言い切られると怒りと悔しさが募る。
 怒鳴りそうになるのを必死に抑えるローゼの横で、膝をついたままカーリナは続ける。

「山のお方が、古の大精霊のように人へ無償の愛を注いでくださる方であれば、どれほど良かったでしょう。フィデルの地には多くの精霊がいるというのに、人が受けられる恩恵はほんのわずか。……ですがフィデル国民のために少しでも多くの恵みを受けるべく、我々術士は日々尽力しております」

 どうか、と言ってカーリナは頭を低くする。近くにいた侍女も共に膝をつき、ローゼに向かって頭を下げた。

「勝手は承知の上で申し上げます。多くのフィデル国民のために山へ行っていただけませんか。何をお話しになるのかは自由です。……そう、展開次第では聖剣の精霊が元に戻られるかもしれません」
「つまり、山の精霊に自分で交渉しろってことですか? 無理やり呼びつけておいてずいぶん勝手な言い草ですね。――それに今までの話が本当なら、山の精霊は私の頼みなんて聞いてくれないと思いますよ。私は人間なんですから」
「いいえ。あの方が興味を持たれたローゼ様ご自身が赴くのです。きっと耳を傾けてくださいます」

 カーリナを睨みつけるローゼは何か罵りの言葉を口にしようと思った。しかし、ふつふつと煮えたぎるこの気持ちをうまく言葉にすることができない。
 大きく吸い込んだ息は何の意味も持たないまま、ただ吐きだすだけの結果となってしまった。
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