【完結】村娘は聖剣の主に選ばれました ~選ばれただけの娘は、未だ謳われることなく~

杵島 灯

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第5章(後)

29.齟齬

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 ローゼを迎えに来たアーヴィンは、不機嫌さを隠そうともしなかった。

「私は短時間だけ、と言わなかったかな?」

 低い声で言って眉を寄せ、腕を組む。

「……ええと、ごめんね、もしかして心配してくれた?」
「当り前だろう? まったく、私がどれほど――」
【お、どうした、どうした、アーヴィン。ローゼが大事なのは分かるが、なーんにも問題は無かったんだぞ。そうカリカリすんな】

 場に漂う剣呑な雰囲気を払うようにして、朗らかな声のレオンが割り込んでくる。

【それにしても愛されてるなぁ、ローゼは。本当に微笑ましい光景だ】

 更にレオンが、ははははは、と笑い声をを上げたので、アーヴィンは怪訝そうな瞳を聖剣へ向けた。

【ん? なんだ?】
「……いえ」

 何かを言いたそうな様子を見せたものの、首を横に振ったアーヴィンは、ため息を吐いてローゼへ手を差し出す。

「部屋へ戻ろう」
「うん」

 どうやらレオンはアーヴィンの気勢を削ぎ、ローゼを許す流れへと話を運んでくれたようだ。

(……ってことなのよね、きっと)

 そう思いながら、ローゼは温かな大きい手を握った。


   *   *   *


 ふたりで部屋にいるとき、基本的に使用人を控室へと下がらせているのは、他人がいると落ち着かないローゼに対するアーヴィンの配慮だ。

 そもそもローゼは余程のことがない限り使用人たちの手を必要とはしない。アーヴィンも城を出てから長いので、大抵のことは自分でできる。
 今も茶を用意してくれたのはアーヴィンだ。道具を持って長椅子へ戻って来た彼に礼を言い、ローゼは話を切り出す。

「ねえ、アーヴィン。ジェーバー辺境伯家って、フィデルの中でどのくらい力があるの?」

 シグリは「ローゼに何かあったら、ジェーバー家が許さない」と言っていたが、ジェーバー家にどの程度の力があるのかローゼは知らない。王女を妻に迎えられるほどの家なのだから、力がある方なのは間違いないだろうが。

「ジェーバー家か」

 机に道具を置き、ローゼの横に腰かけながらアーヴィンは答える。

「あの家が強く出ると、王家でも逆らえないだろうね」
「王家でも?」

 予想以上の答えが戻ってきてローゼは目を丸くする。

「とはいえ純粋な力関係でいえば王家の方が上だ。頻繁に手向かうわけではないよ」
「そっか。……でも王家でも逆らえない、なんて。どうしてそこまでの力を持ってるの?」
「それはね。ジェーバー領には――」
【"偉大なかたの山"があるからだよな】

 アーヴィンの言葉に被せるようにしてレオンが会話に参加する。机の上から聞こえる彼の声色はウキウキとしており、まるで「この話を待っていた」と言わんばかりだ。

【この地の何よりも高く、誰よりも素晴らしい、偉大な方だ。遠くで見るだけでも嬉しいのに、あの方の近くで暮らせるとしたら、日々がどれほど喜ばしいだろうなあ】
「山? ……っていうと、あのすっごく高い山のこと?」

 城下都市イリオスの北から東にかけての場所には高い山並みがある。その山並みの向こう、フィデル国のジェーバー領には信じられないほど高い山があった。

「そう。あの山には『この世が誕生したときに生まれた』と言われるほどに古い精霊が御座おわす。今はもう、山自体が精霊だと申し上げても過言ではないだろうね。――フィデルに精霊が多いのはあの山のおかげだ。長き時を重ねるうちに数多くの精霊を生み出してきたから。そしてあの山があるのはジェーバー家の領地。ということで、ジェーバー家はフィデルの中で発言権を増していったんだよ」

 アーヴィンの話を聞きながら呆気にとられるローゼだったが、しかし同時にどこか納得もしていた。思い出すのは雲に隠れていることが多かった山の全容を初めて見た日、感極まって泣きそうになった時のことだ。

 あの時ローゼは、偉大なを称賛してもらったことが我がことのように嬉しく、誇らしかった。
 同時に彼が自分へ向ける落胆と哀切の感情を思い出し、叫びたいほどに悲しかった。

(……ううん。あれはあたしじゃなくて、あたしの中にいる大精霊の感情だった)

 古の大精霊、と呼ばれた彼女ですら憧れて尊崇する立場にあるあの山は、きっと本当に別格な精霊なのだろう。

【あの方の力はすごいものだから、人が崇めるのも当たり前だな。いや、もちろん、力だけでなく姿も見事だ。雲に隠れていても素晴らしいが、雲が晴れてすべての姿を現したときは、今まで見てきた全ての物が子ども騙しに思えるくらい雄大だからなぁ!】

 だが、そんな素振りを見せなかったはずのレオンまでが熱に浮かされたように話すのがおかしくて、ローゼは小さく笑う。

「変なの。レオンったら今までそんなこと言わなかったのに」
【ん? ……ああ、確かにそうだな。なんであんなに興味なくいられたんだ?】

 不思議そうに呟いたレオンだったが、すぐ「そんなこともあるんだろう」と明るい声を上げる。

【お前の神降ろしのこともあったし、周囲に気を配る余裕がなかったのかもしれん】
「なーに? あたしのせいなの?」

 軽く応酬すると、レオンは楽しそうに笑う。彼がいつになく朗らかなので、ローゼも嬉しくなってきた。

「なんだか機嫌がいいね、レオン」
【当たり前だろ? あの山をもっと近くで見ることができると思うとだな】

 かしゃん、と硬質な音がした。
 どうやらアーヴィンが、注ぐため持とうとしたポットを取り落とした音のようだ。幸いポットは壊れていないが、机の上には彼の髪色に似た液体が散っている。

「アーヴィン、どうしたの?」
「……ああ、いや」
【おいおい、気を付けろよ。白くて綺麗な俺の鞘が汚れるところだったぞ】

 変わらぬ朗らかなレオンの声を聞きつつ、ぎこちない笑みを浮かべたアーヴィンは机の端にあった布を取り、まずは聖剣の周囲を拭く。

「すみません。レオンがフィデルへ行くようなことを仰るものですから、驚きまして」
【ん? なんだなんだ? 俺のせいか?】

 ほんのわずかに気を害したようでもあったが、レオンはすぐにくつくつと笑う。

【まあ、今の俺は気分がいいから無礼を許してやろう。とりあえず、お前の言う通りだ】
「……どういうことです」
【明後日、ローゼと俺はフィデルへ向かう】
「レオン!」

 言葉を失うアーヴィンの代わりにローゼが声を上げる。

「あたしはフィデルへ行くなんて、一言も」
【でもお前は、もうとっくに行くと決めてたじゃないか。だからフィデルでの安全を確かめるため、シグリに話を聞いたんだろ?】
「それは……」
【おかげでジェーバー家がお前の安全を保障してくれることが分かった。これで何も心配することなくフィデルへ行けるぞ】

 でも、と言いながらローゼが隣を窺うと、アーヴィンは青ざめた顔をうつむかせている。

「ま、まだ、決めたわけじゃないわ。もう少し情報を集めて……」
【これ以上、誰から何の情報を集めるんだ?】

 問われたローゼは、答えを持たず口ごもる。

 レオンの疑問は正しい。
 今回ローゼをフィデルへ呼んでいるのは、ジェーバー辺境伯夫人カーリナだ。そのカーリナの娘であるシグリにはもう話を聞いた。そしてシグリ以上に状況を知り、話してくれそうな人物など、ローゼに心当たりはなかった。

 ――だが。

「……ねえ。何でそんなにフィデルへ行かせたいの? レオンはあたしがフィデルへ行くことに反対してたでしょ?」
【……言われてみれば、そうだな……】

 レオンは自身に対してだろう、少し引っ掛かりを覚えたように思える。だがすぐに明るい声で先を続けた。

【あれは、お前が安全かどうか分からなかったせいだ。問題ないということが分かったから、今の俺はフィデル行きに反対しない】
「……私は反対です」

 押し殺したような声を発するアーヴィンは、うつむいたまま膝の上で拳を握っている。

「いかにジェーバー家の令嬢がローゼの安全を謳ってくれようとも、領内……いえ、邸内の人物ですら全員がローゼに好意的とは限りません」
【何を言ってるんだお前は。そんなの当たり前だろうが】

 呆れた調子でレオンは言葉を返す。

【考えてみろ。アストランが安全というわけじゃない。大神殿ひとつ取ったってアレン大神官みたいな奴がいるんだし、シャルトス領だってそうだ。特に昨年、この城へ来る道中……いや、違うな。来てからだってローゼは危なかった。危なかったが、乗り越えた】

 確かに初めのうち、大神殿の居心地は今の比ではなく悪かった。
 何より、余所者を排除するこの北の地をひとり旅をするのは怖かった。

 例えレオンがいたとしても、茜馬のセラータと左腕の銀鎖がなければ、ローゼはイリオスへ到着することなどできなかっただろう。
 もちろんイリオスへ着いてからも、味方かどうか分からないフロランに加え、正妃ことナターシャや、前公爵ラディエイルといった人々と渡り合うのは、なかなかに肝の冷える事態だった。

【お前は未だにローゼのことを、自分が庇護してやらなきゃらならない頼りない娘だと思ってるみたいだが、ローゼはもう以前とは違うんだ】
「……もちろん、分かっています」
【いいや、分かってない。――大体だな。お前の心配は本当にローゼのためか? 違うだろ? 本当は自分のためじゃないのか?】

 アーヴィンは口をつぐむ。その横顔に浮かんでいるのは、ないまぜになった様々な感情だ。

【お前はいつも物の見方が歪んでる。それもこれもお前が、未だに過剰なまでの不安を消すことができないせい――】
「やめて」

 聖剣を睨みつけ、ローゼはぴしゃりと言い切る。

「これ以上アーヴィンを悪く言うなら、あたしはレオンを許さない」
【どうした、ローゼ?】

 ローゼの怒気は感じているだろうが、レオンはまったく焦りを見せることなく不思議そうな様子で続ける。

【今回の件はこいつが悪いんだぞ。銀狼の息子とはいえただの人間でしかない癖に、しゃしゃり出てきて偉そうに――】
「やめてって言ってるの!」
「ローゼ。いいんだ」

 血の気は戻っていないが、アーヴィンは穏やかな声で言って微笑む。

「レオンの言葉は正しい。私は未熟者だからね、物事を正しく見ることができないんだよ」
「そんなことない! だって」
「――ああ、もう時間も遅くなってしまったね」

 独り言のように呟き、立ち上がったアーヴィンはローゼへ手を伸べる。

「今日は結婚式へ出席したのだし、ローゼも疲れたろう? 湯を手配させるから、部屋へ戻った方が良い」
「アーヴィン……」

 長椅子に座ったまま、ローゼは床へ視線を落とす。差し出された手を見なくてすむように。

「……だってあたし、まだお茶を飲んでない」
「時間を置きすぎてしまったからね。これはもう、渋くなっているよ」
「構わないわ。渋くたってお湯を足せば飲めるもの。アーヴィンが苦手だって言うなら、あたしがひとりで飲んでもいい。だから」

 身を屈めたアーヴィンがローゼの手を取る。
 銀の腕飾りの、しゃらん、という音が、寂しげに響いた。

「部屋まで送ってあげよう。今日は、もうお休み」

 声にも、見上げた灰青の瞳の奥にも、拒絶が含まれている。
 肩を落としたローゼは右手に聖剣を持ってのろのろと立ち上がり、重い足取りで廊下へ向かう。しんと静かな自室にひとりで入り、閉まる扉の向こうに消えて行く姿を寂寥感と共に見送った。
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