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第5章(前)
11.揺れる、揺らされる
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ローゼが扉を開くと、廊下に立っていた中年の女性騎士が振り向いた。彼女はローゼの顔を見て息をのんだように見える。
泣いたせいでせっかくの化粧は崩れてしまった。リュシーが置いて行ってくれた道具を使って手直しを試みたのだが、やはり素人のローゼではうまくいかない。二目と見られないほどに酷いわけではないが、どことなくちぐはぐな感じがするのは否めない。おそらくこの騎士も不審に思ったのだろう。
しかし騎士はすぐに平静を取り戻し、何事もなかったかのように問いかけてくる。
「いかがなさいましたか?」
廊下までは一部屋挟んでいる。先ほどの大声は聞こえていないか、あるいは聞こえていても気にしないふりをしてくれているのかもしれない。ならば特に何も言う必要はないと考えたローゼは、なるべく自然に見えるような笑みを作って女性騎士に向けた。
「隣の部屋へ戻ろうと思って」
「隣の部屋にはどなたもいらっしゃいませんが、よろしいのでしょうか?」
「えっ!」
「中におられた方々は随分前に場所を移動なさっておいでです」
慌ててローゼが騎士の向こうを覗き込むと、確かに隣室の前は無人だ。先ほどリュシーたちと共に部屋を出たときは、廊下に護衛の騎士が立っていた記憶がある。
半ば呆然としながらローゼは口を開いた。
「……みんな、どこへ行ったんでしょうか……」
「申し訳ありませんが、私は存じません」
静かに言う彼女は表情が動かない。
少し考え、ローゼは尋ねる。
「隣の部屋の中を見てもいいですか?」
言ってから急いで付け加えた。
「あ、別にあなたのことを疑ってるんじゃないんです。ただ、ちょっと確認したいことがあるだけで」
ローゼの様子を見て口元にほんのり笑みを浮かべた騎士が「お供します」と頭を下げたので、ローゼは首を横に振る。
「すぐそこですし、ひとりで平気です」
「いいえ、いけません。私はお嬢様の身をお守りするよう、リュシー様から強く仰せつかっております。どうぞお連れ下さい」
(……お嬢様って……あたし、そんな柄じゃ)
困惑しながら、ローゼは目の前に立つ女性騎士を見た。
リュシーから言われたということは、この騎士は普段、リュシーの護衛を務めているのだろう。
ローゼはできればひとりで行動したいのだが、あまり騎士に迷惑をかけると、後で彼女はリュシーに叱られてしまうかもしれない。
そう考え、ローゼは騎士と共にわずかな距離を移動して隣室の扉を開いた。中は騎士の言った通り、誰もいない。
「レオン!」
それでも聖剣が残っている可能性を考えて名を呼んでみるが、残念ながら返事はなかった。どうやらアーヴィンは聖剣を携えて行ったようだ。
「……そうよね。レオンとアーヴィンはふたりで何かしてるみたいだったし……」
言いながらも、腹立たしさがこみ上げてくる。
聖剣の主はローゼだ。そのローゼを残して聖剣だけ勝手にどこかへ行ってしまうのはどういうことなのだろうか。
(まあ……聖剣は単独じゃ移動することはできなけど……)
今回はアーヴィンが持って行ったと当たりがつくのでまだ良い。だがもし悪意ある人物に聖剣を持ち去られた場合はどうすれば良いのだろうかと、ローゼはふと思った。
(聖剣の二家にはそんな記録もあるのかな。聖剣の盗難とか、紛失とか)
今度どちらかの家の人に会ったとき聞いてみようかと思ったが、マティアスやスティーブが聖剣を失くしたり奪い去られたりすることなど想像ができない。ふたりがそうであるのなら、今までの当主たちだって同様だろう。
だとすればきっと、聖剣が行方不明になった記録など残っているはずなどない。うっかりローゼが「聖剣を持ち去られたことがありますか?」と尋ねたのなら、逆に「まさか持ち去られたことがあるのか」と問われて恥をかくだけだ。
(……危ないところだったわ。聞くのは止めるべきよね)
扉を閉めながらローゼはため息を吐く。
(でも今回、聖剣がどっか行ったのはあたしのせいじゃないわ。レオンのせいよ。レオンが置いて行けって言ったからだもんね)
重厚な扉を見ながらレオンへの文句で頭の中を満たす。しかしこれもほんの一時しのぎでしかない。静かな部屋に戻ればまた、巫子長の言葉がローゼを支配するはずだ。
もう一度ため息を吐いて、ローゼはちらりと背後に視線を送った。
背後にいる彼女は話し相手には向いていない気がする。黙って聞いてくれるかもしれないが、きっとそれだけだ。おそらくローゼは壁に向かって話しているのと同じ気分を味わうだろう。
(この人は護衛なんだもんね。話し相手として来たんじゃないもの。だけど、うーん……どうしよう。聞いてもらえるだけでも、ひとりで居るよりはマシになるかな……)
迷った末、ローゼは背後の騎士を振り返る。
「あの、他にも行きたい所があるんですけど」
駄目なら諦めて部屋に戻ろうと思ったのだが、問われた騎士は逡巡するような様子を見せた後に「お供します」と言って頭を下げてくれた。
* * *
外に出ると、昼よりもずっと涼しくなった風がほのかな花の香りを届けてきた。
見上げる空は淡い藍色だ。端の方にだけ、藍に抵抗するかのような茜が残っている。
城に到着したのは昼過ぎだった。着替えが済んだのは日が傾きかける頃。そしてもう日が落ちているということは、夕食までの時間はあまりなさそうだ。
(……どうしよう。やっぱり、部屋に戻ろうかな……もしかしたらもうじきアーヴィンたちも帰ってくるかもしれないし……リュシー様が呼びに来るかもしれないし、それに……)
ローゼは地面を見ながら小さくうなった。
この辺りの人通りはやはり多くないのだろう。舗装された部分もあまり綺麗とは言えない状態で、せっかく着たドレスの裾を汚してしまうかもしれない。
しばらく迷っていたローゼだったが、結局足を踏み出したのは、何もない部屋には例え短時間でもひとりで居たくなかったからだ。すぐに戻ればドレスもさほど汚れることはないだろう。
裾に気をつけながら歩くうち、やがて建物の端にあるひとつの窓が視界に入った。ローゼが何度か出入りしたこの窓のカーテンは今、ぴったりと閉じられている。
ここは、大きな城の片隅に作られた、人々の記憶から消え去りそうなほどの小さな部屋。
昨年城へ来た時のことをローゼは思い出す。アーヴィンから聞いた、過去の話も。
(……きっと、もう誰も、使わない方がいい場所よね)
胸に去来するさまざまな感情を抱きながら窓の横を通り過ぎ、目的の小さな庭の前に立ったローゼは消えかけた光で様子を窺った。
どうやらこの庭は昨年とほとんど変わっていないようだ。相変わらず人の手があまり入っていないように見える。
花と草の香りを運ぶ風が、顔の横で垂らしているローゼの髪をふわりとくすぐった。
先ほど隣室に誰もいないことを確認したローゼがまず向かったのは、3階にあるフロランの執務室だ。
ここには護衛がいたのだが、室内は無人だと彼らは言う。どうやらフロランは一度戻って来た後、またどこかへ行ってしまったらしい。フロランもリュシーも、婚礼の準備で忙しく城内を飛び回っているようだ。
「じゃあ、アーヴィン……ええと、フロラン様の兄上が一緒だったかどうかを知りませんか?」
「ご一緒にお越しでした。しかしその後、おひとりで部屋から退出なさっています」
そうですか、と呟いて頭を下げたローゼは、フロランの執務室を背にして歩きながらアーヴィンを探して城内をうろつこうかと一瞬考えた。
(でもなあ……)
リュシーがローゼの髪を隠さなかったということは昨年より余所者に対する風当たりは弱くなっているのだろうが、それでも良い感情を持たない人はいるはずだ。当て所もないまま闇雲に広大な城を歩くのは良くない気がする。
(だけど、部屋へ戻るのは嫌だし)
結果、どうせひとりになるなら部屋よりは気が紛れるだろうと思い、ローゼは多少なりとも道を知るこの庭へ向かうことにしたのだった。
庭の中央へ向かう通路へ足を踏み出す。ずっと一緒にいる騎士は庭の中へ入らず出入口に残るようだ。遠のく気配に少し安堵しながらローゼは思う。
(もしかすると、ここには精霊がいるから、あえて手を加えてないのかな?)
精霊は自然を好む。
表の広大な庭園には少ない精霊がこの小さな庭に数多くいるのは、もしかするとここが精霊のための庭だからかもしれない。
できるだけ自然に近い状態を残しながら庭としての体裁も整える、精霊と人とが互いに好むものを配置した場所。だとすればこの庭は、逆に丹精込めて作られている可能性もある。
それもまた北方の人が精霊へ向ける愛情ゆえのような気がした。
短い通路を通り、庭の中央にある円形の場所へ出たローゼはぐるりと周囲を見回すが、聖剣が手元にない今は残念ながら精霊の姿を見ることができない。
「あたし、本当にひとりなんだ……」
考えてみればローゼが『特別』なのは聖剣に選ばれたからだ。
何の力も持たず、剣技も十分と言えないローゼは、レオンの力がなければ村にいた頃と同じ無力な娘でしかない。
そのことに気が付いた途端、宵闇の中で花を揺らす風が殊更冷ややかに感じられ、ローゼは思わず身を震わせた。
「……さむ……」
昨年何度も見た庭が、まったく知らない場所のように思えてきた。
少しの間肩を抱いていたローゼは、来たばかりの方へ体を向ける。
(城に戻ろう。なんとかしてアーヴィンとレオンを探すのよ。……だって……そう、せっかくドレスを着たんだし、早く見てもらいたいもんね。ふたりとも何て言うかな。綺麗だ、って褒めてくれるかな)
怖気づいた気持ちを払うようにわざと明るく考えていると、誰かに呼ばれたような気がした。足を止めると同時に、一陣の風が吹きぬける。
顔を庇った後の開けた視界の中、ローゼの目に映ったのは高い山並みだ。
夜だと言うことを差し引いたとしても、昼よりも冷たく感じる風。
吹いてくるこの風は、もしかして雪の残る山並みから来ているのだろうか。
それとも、山並みのさらに奥。
星々の明かりを切り取ったかのように黒々と聳え立つ、あの巨大な山から届いたものだろうか。
――風が吹く。冷涼な風が枝を揺らす。
葉が揺れて爽やかな音を立てる。
高い木に咲くのは銀色の花。
これは、自分が考えたこと。
彼のように偉大なことを、この自分が成し得たのだ。
(命をかけても守りたいものができた。これほどの想いをかけることができて、私は本当に幸せ)
なんとも嬉しく、言い尽くせないほど誇らしい。
(私の姿はいかがですか。綺麗だと褒めて下さいますか?)
だが、彼女の期待は裏切られる。
落胆、悲哀。
後悔、絶望。
彼に彼女を称賛する気持ちは一欠片も見当たらなかった。
なぜ、と彼女は声を上げる。
失意に満ちたこの声は、風にのって彼の元まで届いただろうか。
――風が吹く。葉が揺れる。ざわざわと音を立てる。
ローゼは声にならない悲鳴をあげた。
(違う!)
周囲に見えるのは複雑な銀色に輝く大小の丸い光。
ざわざわという音は、それらが上げている声だ。
彼らは口々に言っている。
『おかえりなさい』
と。
「どういうこと!? これは何なの!!」
絶叫した途端に体の力が抜けた。ローゼは膝をつき、倒れ込む。
冷たい石に頬を付けたローゼは女騎士が駆け寄ってくる姿を見た。その後ろには、夜目にも白い鞘の剣を持つ青年もいたような気がする。
しかし彼女らが到着するより早く、ローゼの意識は闇へと飲み込まれてしまった。
泣いたせいでせっかくの化粧は崩れてしまった。リュシーが置いて行ってくれた道具を使って手直しを試みたのだが、やはり素人のローゼではうまくいかない。二目と見られないほどに酷いわけではないが、どことなくちぐはぐな感じがするのは否めない。おそらくこの騎士も不審に思ったのだろう。
しかし騎士はすぐに平静を取り戻し、何事もなかったかのように問いかけてくる。
「いかがなさいましたか?」
廊下までは一部屋挟んでいる。先ほどの大声は聞こえていないか、あるいは聞こえていても気にしないふりをしてくれているのかもしれない。ならば特に何も言う必要はないと考えたローゼは、なるべく自然に見えるような笑みを作って女性騎士に向けた。
「隣の部屋へ戻ろうと思って」
「隣の部屋にはどなたもいらっしゃいませんが、よろしいのでしょうか?」
「えっ!」
「中におられた方々は随分前に場所を移動なさっておいでです」
慌ててローゼが騎士の向こうを覗き込むと、確かに隣室の前は無人だ。先ほどリュシーたちと共に部屋を出たときは、廊下に護衛の騎士が立っていた記憶がある。
半ば呆然としながらローゼは口を開いた。
「……みんな、どこへ行ったんでしょうか……」
「申し訳ありませんが、私は存じません」
静かに言う彼女は表情が動かない。
少し考え、ローゼは尋ねる。
「隣の部屋の中を見てもいいですか?」
言ってから急いで付け加えた。
「あ、別にあなたのことを疑ってるんじゃないんです。ただ、ちょっと確認したいことがあるだけで」
ローゼの様子を見て口元にほんのり笑みを浮かべた騎士が「お供します」と頭を下げたので、ローゼは首を横に振る。
「すぐそこですし、ひとりで平気です」
「いいえ、いけません。私はお嬢様の身をお守りするよう、リュシー様から強く仰せつかっております。どうぞお連れ下さい」
(……お嬢様って……あたし、そんな柄じゃ)
困惑しながら、ローゼは目の前に立つ女性騎士を見た。
リュシーから言われたということは、この騎士は普段、リュシーの護衛を務めているのだろう。
ローゼはできればひとりで行動したいのだが、あまり騎士に迷惑をかけると、後で彼女はリュシーに叱られてしまうかもしれない。
そう考え、ローゼは騎士と共にわずかな距離を移動して隣室の扉を開いた。中は騎士の言った通り、誰もいない。
「レオン!」
それでも聖剣が残っている可能性を考えて名を呼んでみるが、残念ながら返事はなかった。どうやらアーヴィンは聖剣を携えて行ったようだ。
「……そうよね。レオンとアーヴィンはふたりで何かしてるみたいだったし……」
言いながらも、腹立たしさがこみ上げてくる。
聖剣の主はローゼだ。そのローゼを残して聖剣だけ勝手にどこかへ行ってしまうのはどういうことなのだろうか。
(まあ……聖剣は単独じゃ移動することはできなけど……)
今回はアーヴィンが持って行ったと当たりがつくのでまだ良い。だがもし悪意ある人物に聖剣を持ち去られた場合はどうすれば良いのだろうかと、ローゼはふと思った。
(聖剣の二家にはそんな記録もあるのかな。聖剣の盗難とか、紛失とか)
今度どちらかの家の人に会ったとき聞いてみようかと思ったが、マティアスやスティーブが聖剣を失くしたり奪い去られたりすることなど想像ができない。ふたりがそうであるのなら、今までの当主たちだって同様だろう。
だとすればきっと、聖剣が行方不明になった記録など残っているはずなどない。うっかりローゼが「聖剣を持ち去られたことがありますか?」と尋ねたのなら、逆に「まさか持ち去られたことがあるのか」と問われて恥をかくだけだ。
(……危ないところだったわ。聞くのは止めるべきよね)
扉を閉めながらローゼはため息を吐く。
(でも今回、聖剣がどっか行ったのはあたしのせいじゃないわ。レオンのせいよ。レオンが置いて行けって言ったからだもんね)
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もう一度ため息を吐いて、ローゼはちらりと背後に視線を送った。
背後にいる彼女は話し相手には向いていない気がする。黙って聞いてくれるかもしれないが、きっとそれだけだ。おそらくローゼは壁に向かって話しているのと同じ気分を味わうだろう。
(この人は護衛なんだもんね。話し相手として来たんじゃないもの。だけど、うーん……どうしよう。聞いてもらえるだけでも、ひとりで居るよりはマシになるかな……)
迷った末、ローゼは背後の騎士を振り返る。
「あの、他にも行きたい所があるんですけど」
駄目なら諦めて部屋に戻ろうと思ったのだが、問われた騎士は逡巡するような様子を見せた後に「お供します」と言って頭を下げてくれた。
* * *
外に出ると、昼よりもずっと涼しくなった風がほのかな花の香りを届けてきた。
見上げる空は淡い藍色だ。端の方にだけ、藍に抵抗するかのような茜が残っている。
城に到着したのは昼過ぎだった。着替えが済んだのは日が傾きかける頃。そしてもう日が落ちているということは、夕食までの時間はあまりなさそうだ。
(……どうしよう。やっぱり、部屋に戻ろうかな……もしかしたらもうじきアーヴィンたちも帰ってくるかもしれないし……リュシー様が呼びに来るかもしれないし、それに……)
ローゼは地面を見ながら小さくうなった。
この辺りの人通りはやはり多くないのだろう。舗装された部分もあまり綺麗とは言えない状態で、せっかく着たドレスの裾を汚してしまうかもしれない。
しばらく迷っていたローゼだったが、結局足を踏み出したのは、何もない部屋には例え短時間でもひとりで居たくなかったからだ。すぐに戻ればドレスもさほど汚れることはないだろう。
裾に気をつけながら歩くうち、やがて建物の端にあるひとつの窓が視界に入った。ローゼが何度か出入りしたこの窓のカーテンは今、ぴったりと閉じられている。
ここは、大きな城の片隅に作られた、人々の記憶から消え去りそうなほどの小さな部屋。
昨年城へ来た時のことをローゼは思い出す。アーヴィンから聞いた、過去の話も。
(……きっと、もう誰も、使わない方がいい場所よね)
胸に去来するさまざまな感情を抱きながら窓の横を通り過ぎ、目的の小さな庭の前に立ったローゼは消えかけた光で様子を窺った。
どうやらこの庭は昨年とほとんど変わっていないようだ。相変わらず人の手があまり入っていないように見える。
花と草の香りを運ぶ風が、顔の横で垂らしているローゼの髪をふわりとくすぐった。
先ほど隣室に誰もいないことを確認したローゼがまず向かったのは、3階にあるフロランの執務室だ。
ここには護衛がいたのだが、室内は無人だと彼らは言う。どうやらフロランは一度戻って来た後、またどこかへ行ってしまったらしい。フロランもリュシーも、婚礼の準備で忙しく城内を飛び回っているようだ。
「じゃあ、アーヴィン……ええと、フロラン様の兄上が一緒だったかどうかを知りませんか?」
「ご一緒にお越しでした。しかしその後、おひとりで部屋から退出なさっています」
そうですか、と呟いて頭を下げたローゼは、フロランの執務室を背にして歩きながらアーヴィンを探して城内をうろつこうかと一瞬考えた。
(でもなあ……)
リュシーがローゼの髪を隠さなかったということは昨年より余所者に対する風当たりは弱くなっているのだろうが、それでも良い感情を持たない人はいるはずだ。当て所もないまま闇雲に広大な城を歩くのは良くない気がする。
(だけど、部屋へ戻るのは嫌だし)
結果、どうせひとりになるなら部屋よりは気が紛れるだろうと思い、ローゼは多少なりとも道を知るこの庭へ向かうことにしたのだった。
庭の中央へ向かう通路へ足を踏み出す。ずっと一緒にいる騎士は庭の中へ入らず出入口に残るようだ。遠のく気配に少し安堵しながらローゼは思う。
(もしかすると、ここには精霊がいるから、あえて手を加えてないのかな?)
精霊は自然を好む。
表の広大な庭園には少ない精霊がこの小さな庭に数多くいるのは、もしかするとここが精霊のための庭だからかもしれない。
できるだけ自然に近い状態を残しながら庭としての体裁も整える、精霊と人とが互いに好むものを配置した場所。だとすればこの庭は、逆に丹精込めて作られている可能性もある。
それもまた北方の人が精霊へ向ける愛情ゆえのような気がした。
短い通路を通り、庭の中央にある円形の場所へ出たローゼはぐるりと周囲を見回すが、聖剣が手元にない今は残念ながら精霊の姿を見ることができない。
「あたし、本当にひとりなんだ……」
考えてみればローゼが『特別』なのは聖剣に選ばれたからだ。
何の力も持たず、剣技も十分と言えないローゼは、レオンの力がなければ村にいた頃と同じ無力な娘でしかない。
そのことに気が付いた途端、宵闇の中で花を揺らす風が殊更冷ややかに感じられ、ローゼは思わず身を震わせた。
「……さむ……」
昨年何度も見た庭が、まったく知らない場所のように思えてきた。
少しの間肩を抱いていたローゼは、来たばかりの方へ体を向ける。
(城に戻ろう。なんとかしてアーヴィンとレオンを探すのよ。……だって……そう、せっかくドレスを着たんだし、早く見てもらいたいもんね。ふたりとも何て言うかな。綺麗だ、って褒めてくれるかな)
怖気づいた気持ちを払うようにわざと明るく考えていると、誰かに呼ばれたような気がした。足を止めると同時に、一陣の風が吹きぬける。
顔を庇った後の開けた視界の中、ローゼの目に映ったのは高い山並みだ。
夜だと言うことを差し引いたとしても、昼よりも冷たく感じる風。
吹いてくるこの風は、もしかして雪の残る山並みから来ているのだろうか。
それとも、山並みのさらに奥。
星々の明かりを切り取ったかのように黒々と聳え立つ、あの巨大な山から届いたものだろうか。
――風が吹く。冷涼な風が枝を揺らす。
葉が揺れて爽やかな音を立てる。
高い木に咲くのは銀色の花。
これは、自分が考えたこと。
彼のように偉大なことを、この自分が成し得たのだ。
(命をかけても守りたいものができた。これほどの想いをかけることができて、私は本当に幸せ)
なんとも嬉しく、言い尽くせないほど誇らしい。
(私の姿はいかがですか。綺麗だと褒めて下さいますか?)
だが、彼女の期待は裏切られる。
落胆、悲哀。
後悔、絶望。
彼に彼女を称賛する気持ちは一欠片も見当たらなかった。
なぜ、と彼女は声を上げる。
失意に満ちたこの声は、風にのって彼の元まで届いただろうか。
――風が吹く。葉が揺れる。ざわざわと音を立てる。
ローゼは声にならない悲鳴をあげた。
(違う!)
周囲に見えるのは複雑な銀色に輝く大小の丸い光。
ざわざわという音は、それらが上げている声だ。
彼らは口々に言っている。
『おかえりなさい』
と。
「どういうこと!? これは何なの!!」
絶叫した途端に体の力が抜けた。ローゼは膝をつき、倒れ込む。
冷たい石に頬を付けたローゼは女騎士が駆け寄ってくる姿を見た。その後ろには、夜目にも白い鞘の剣を持つ青年もいたような気がする。
しかし彼女らが到着するより早く、ローゼの意識は闇へと飲み込まれてしまった。
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