【完結】村娘は聖剣の主に選ばれました ~選ばれただけの娘は、未だ謳われることなく~

杵島 灯

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第4章(後)

41.言わず、思う

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(どうしよう……)

 両手を胸の辺りで握り合わせたまま、ローゼは悩む。

 ヘルムートが心配してくれているのは分かる。しかしこれはローゼとアーヴィンの問題であり、ヘルムートには関係のないことだ。

 正直に言おうか、それとも誤魔化そうか。
 ローゼが考えているうち、先にヘルムートが口を開いた。

「あのさ、ローゼ」

 ヘルムートの声は真剣だ。
 ローゼが膝から視線を移すと、彼の横顔は声と同じく真剣だった。

「……もしかして、その、ローゼは、失……」

 しかしヘルムートはそこで黙る。

「あたしが、何?」

 ローゼは先を促すが、彼は躊躇う気配を漂わせたまま口を開く様子がない。不審に思いながらもローゼは彼の言葉を待つことにした。

 ローゼが今着ている服はラウフェルズ家が用意してくれたものだ。
 丈の長い薄紫色の服はなめらかな生地で作られており、上品な刺繍や美しいレースで飾られている。

 横に座るヘルムートが着ているのも神殿騎士の鎧ではなく、淡い灰色のシャツと黒のズボンで、上には暗い赤紫のコートを羽織っている。

 いずれの服も華美な装飾は省かれているが、それでも十分上品な装いだ。見た目はとても良いのだが、防寒という意味では少々物足りない。

 おまけに近頃のローゼは、チュニックにズボンという旅装に慣れてしまっていることもあり、久しぶりのスカートは足元の感覚が少し頼りない気がしていた。

 厚い雲に覆われているせいもあり、今日も昼だというのに気温は低い。さらに長椅子は木陰になっているため、吹く風はより冷たく感じられる。

 ローゼは小さく身を震わせてマントの前を掻き合わせるが、考え込んでいるらしいヘルムートは、両膝の上で手を組み合わせたまま微動だにしない。

(ヘルムート、寒くないのかな。……それにしても一体どうしたんだろう)

 さすがに声をかけようとしたとき、ようやくヘルムートが顔をローゼに向けた。
 彼の瞳は決意に満ちている。

「あのさ、ローゼ」
「なに?」
「俺にしないか?」

 良く分からないことを言われて、戸惑うより先にローゼは可笑しくなる。

「ヘルムートに? 何をするの?」

 ローゼは笑いを含んだ声で問うが、答えるヘルムートは至って真剣だった。

「つまり、結婚相手として俺を選ばないか? ってことだ」
「ふうん? ヘルムートと結婚ねえ? ……え?」

 ローゼが目を見開くと、ヘルムートは重ねて言う。

「俺と結婚しよう、ローゼ」

 いきなりの言葉に思考はついて行けず、ローゼは何も答えられない。
 強く吹き抜ける風が掻き合わせたマントを広げるが、衝撃が強すぎて今のローゼは寒さすら感じることがなかった。

「俺とお前は仲良くできると思う」

 ヘルムートは微笑む。 

「昨日、神殿を出た後から考えてたんだ。――いや、違うな。本当はずっと、頭のどこかにあった。ローゼは聖剣の主、俺は神殿騎士だ。俺ならお前の旅に随伴できるし、横で共に戦える」
「でも」
「それに王都から戻ってくる間、俺は楽しかった。エンフェス村の井戸で会うのだって、毎日楽しみにしてたんだ」

 ローゼの言葉より早く、ヘルムートは続ける。

「ローゼはどうだった? 俺といるのはつまらなかったか?」
「そんなことないわ。あたしも楽しかったけど、でも――」
「だろう?」

 ヘルムートは嬉しそうだ。しかし自分の望みだけを言って、聞く彼からは、どこか空虚な印象を受けた。

「俺はローゼと一緒に行く。いつも近くにいる。そうすればお前も安心だろ?」
「安心……」

 ローゼは繰り返す。
 確かにローゼはずっと不安だった。アーヴィンが遠くにいるローゼではなく、近くにいる誰かを好きになってしまったらどうしよう、と。

「近ければ、安心。……遠いと不安。……待つ方も……」

 ローゼは一度区切る。呟きながらローゼは何かを思いついたような気がした。

「……あたしも」
「そうだ」

 なんとか考えをしっかり掴みたいローゼが眉根を寄せていると、ヘルムートが顔を覗き込んでくる。

「俺は遠くへ行かない。だから、お前も。――な? ずっと一緒にいよう、ローゼ」

 その瞬間、ローゼは理解した。

(ヘルムートは)

 今までヘルムートが見せた顔。そして、見せなかった顔。

(……そっか)

 ヘルムートの心にローゼがいるのは間違いない。

(本当は)

 だが彼には、ローゼ以上に想う相手が。
 ――引き止めたいのに引き止められない相手がいるのだ。

(だから急に)

 ヘルムートの顔を見ながら、ローゼは拳を握った。

「……ねえ、ヘルムート。あたしのこと、好き?」
「もちろんだ。でなけりゃ結婚を申し込んだりしない」
「そう。じゃあ、今からあたしが言うことを繰り返してくれる? ちゃんとあたしの目を見て言うのよ」

 ヘルムートは笑みを消すと眉をひそめる。

「それは、どういう……」
「いいから」

 ローゼが重ねて言うと、ヘルムートは怪訝そうにしながらもうなずく。

「分かった」

 彼の返事を聞き、琥珀色の瞳を見つめながらローゼは口を開いた。

「あたしのことを好きって言って」
「ローゼが好きだ」
「嫌いって言って」
「ローゼが嫌いだ」

「次。フェリシアのことが嫌いって言って」

 ヘルムートは目をむく。

「なんで――」
「言って。フェリシアのことが嫌いだって」
「……フェリシア様のことは、嫌いだ」
「やり直し。あたしは『様』をつけてないわ。ただのフェリシアよ」

 ヘルムートはしばらく口を引き結ぶが、ローゼの目を見ながら諦めた様子で言う。

「……フェリシア……の、ことは、嫌い」
「しょうがないわね。まあいいわ。じゃあ次、フェリシアが好きって言って」
「フェリシア様――」
「様じゃないってば」
「……フェリシア、の……」

 そこで詰まり、ヘルムートはなかなか口を開かない。
 ローゼから視線を外して下を向き、ようやく小さな声でヘルムートは言う。

「……言えない」

 彼はのろのろと腕を上げ、そのまま両手で顔を覆う。

「……言えるはずが、ない……」

 わずかに見える口元は、悲しげに、あるいは悔しげに歪んでいる。

「なんで言えないの?」
「分かるだろう?」

 しばらく黙り、ヘルムートは消え入りそうな声で言う。

「……あの方は王女殿下だ……」

 やっぱり、とローゼは思った。

 ヘルムートはフェリシアにずっと敬称をつけていた。
 南で「名前に様をつけずに呼べばいい」と言ったローゼに対しては、すぐその通りにしたというのに。

「ずるいですわ、ローゼにだけ。わたくしだって『様』をつけるのはして下さいと、ずっと前から言っておりますのに」

 だからこそフェリシアは、ヘルムートにそう言った。

 他の神殿騎士見習いたちがフェリシアに対し、何を思って敬称をつけていたのかは分からない。

 しかしヘルムートはきっと、敬称をつけることで自分を戒めていた。
 フェリシアに想いを寄せてはいけないのだと。

 それでもフェリシアが『特別な部隊』に入らなければ、ヘルムートもほんの少しだけ希望を持つことができたのかもしれない。

(だけどフェリシアは、特別な部隊へ入ることにした。王女としての自分を受け入れた)

 そして王女フェリシアに持ち上がっているのは、トレリオ侯爵家との結婚話だ。

 やがてヘルムートは、顔を覆ったまま呟く。

「……言えるはずがないんだ……」

 ヘルムートの言葉はまるで、己に言い聞かせるようだった。
 何と言って良いのか分からず、ローゼはただ、うん、と答える。続けて

「ごめんね」

 と囁いた。

 ヘルムートと結婚はできないということ。そして、隠しておきたかった気持ちを暴いてしまったことのふたつを籠めて。

 しかしヘルムートの反応はなく、相変わらず顔を覆ったままうつむいている。その様子が今までにないほど小さく頼りなげに見え、ローゼは手を伸ばして彼の背を撫でた。撫でるたび、長い赤金の髪が手に触れる。

(きっと)

 ローゼは思う。

(ヘルムートの髪の色を褒めた『神殿騎士の同輩』は、フェリシアなんだわ……)


   *   *   *


 どれほどそうしていただろうか。
 大きく息を吐いたヘルムートが顔から手をどけたので、ローゼもまた彼の背から手を離した。

「その……悪かった。ローゼに対して失礼だったよな。ごめん」

 申し訳なさそうに言うヘルムートの目元は赤い。
 ううん、とローゼは首を横に振る。

「平気。慣れてるから」
「慣れてる?」
「結婚の申し込みをされるのも、断るのも。だから大丈夫よ」

 そう言って笑ったのはヘルムートを安心させるつもりだったのだが、彼はローゼの笑顔を見ながら不思議そうに尋ねる。

「……結婚の申し込みや、断りに慣れてる?」
「うん」
「ローゼは今までそういう事態になったことがあるってことか?」
「あるわ。申し込みをしてきた人の数なら30人を下らないと思うし、断っても申し込んできた人だっているから、回数のことを言うならもっと多い……」

 話している間にヘルムートの瞳が徐々に見開かれたので、逆にローゼは戸惑う。

「どうかした?」
「……いや……」

 ヘルムートは呆然とした様子だ。

「結婚の申し込みはそんな簡単なことだっけ、と思って……どうなってるんだグラス村ってところは」
「失礼ね」

 実を言えばグラス村というより、ローゼが少々特殊なのだが、これ以上は自慢にしかならない気がしたので、ローゼはそう答えただけで黙った。

 そのまま地面を見ながらなんとなく足をぶらぶらさせる。

 先ほど落ち込ませてしまったヘルムートに少し元気が出てきたようなので、詫びの意味も含めつつローゼは口を開いた。

「……あのね。あたしが昨日、町へ来たのは……」

 一度迷って区切るが、思い切って話を続ける。

「……村へ戻ったら、アーヴィンが結婚するんだって話を聞いたからよ。アーヴィン自身に、本当かどうかを尋ねようと思ったの」
「それは、どういう……だってあいつはその、お前の恋人なんだろ?」
「……あたしも、そう思ってたんだけど」

 銀の鎖は外した方が良いのかどうか悩んだが、結局左手首にある。ただ、袖の中にあるため今は見えない。

「多分、遠くのあたしより、近くにいる人の方が良く思えたんじゃないかな。さっき、ヘルムートもそう言ったでしょ。……それに、ティリー様だって」

 途中の町でコーデリアと共にいたマティアスの姉、ティリーの言葉を思い出しながらローゼは続ける。

「きっとアーヴィンも、色んなことが不安になったんだと思うの。……でもまあ、その辺は仕方ないわ。実際あたしは遠くに行くんだし」

 言ってヘルムートに顔を向けると、彼は厳しい表情で宙を睨んでいる。

「……結婚は本当の話なのか?」

 ヘルムートに問われ、ローゼはうつむいた。

「……本当だと思う。村へ戻ったあたしの母親が言ってたもの。あの調子だと多分、村中の人が知ってると思うわ」
「結婚相手はどんな女だ?」
「ベアトリクス・タークっていう神官補佐」
「え?」

 ヘルムートの口調は問い返すというより、意外なことを言われて思わず発した言葉のように思えた。
 事実、ローゼが視線を向けるとヘルムートは呆気にとられたような顔をしている。

「神官補佐のベアトリクス……?」
「うん。昨日、アーヴィンの後ろにいた神官補佐なんだけど。見た?」

 ああ、と呟く彼は、納得したわけではなく、ただ反射的に返事をしているだけのようにも見える。

「……もしかして、見てない?」
「いや、見た……けど、えぇ……?」

 首をかしげ、ヘルムートはさかんに瞬きをする。

「えーと、その、なんだ。ローゼが村に戻ったら、アーヴィン・レスターはあの神官補佐と結婚する、って話になってたのか?」
「そうよ」
「変だな」

 ヘルムートは腕を組み、考え込む様子を見せる。

「俺が昨日神殿に行った時、グラス村から神官と神官補佐が来てる話は聞いたんだ。その時に神官補佐は、オルセン神官の結婚相手だと言われた記憶があるが……」
「オルセン神官?」
「この町の副神官だ」

 だとすれば昨日会った中の誰かだろうが、ローゼにはどの人物だか分からなかった。
 一方、長椅子の横でヘルムートは難しい顔をしてうなる。

「……町と村で、ベアトリクスの結婚相手が違う。これはどういうことなんだ?」

 やがて彼は腕組みを解いて立ち上がり、ローゼを振り返る。

「考えてても仕方ないな。よし、神殿に行って神官たちから話を聞こう」
「え、嫌」

 ローゼの口から咄嗟に出てきたのは拒否の言葉だった。
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