【完結】村娘は聖剣の主に選ばれました ~選ばれただけの娘は、未だ謳われることなく~

杵島 灯

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第4章(後)

38.とばり 1

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 辺りはだいぶ暗くなってきた。きっと厚い雲の上では、日が沈み始めているに違いない。

(まさかこんなに早く町に着けるなんて……)

 町の大通りを歩くローゼは、傍らで荒い息をするセラータを見上げた。

 町までの道をセラータは素晴らしい速度で走り続けてくれた。
 その分ローゼは途中で、これほどの速さを出すセラータへの負担が気になり始めた。

 町へ行きたい気持ちは山々だが、セラータが倒れてしまってまで行きたいとは思わない。
 迷った末にローゼは村へ引き返そうと決めたのだが、当のセラータはローゼの意に背いて町の方へと走り続ける。何度も従わせようとしたのだがすべて徒労に終わり、ローゼは結局そのまま町へ向かったのだった。

 町中に入ってしまえばあとは神殿へ行くだけだ。門を閉める時刻まではまだあるはずなので、ローゼは今、少しでもセラータへの負担を軽くしようと下馬していた。

「……ありがとう」

 歩きながら囁くと、セラータは満足げに低く鳴いた。

 雨は小降りとなってきていたが止んだわけではない。そのためか思ったよりも人の少ない大通りを進むうち、やがて神殿が見えてきた。

 門をくぐると、すぐに男性の神官補佐が出迎えてくれる。ローゼの身分証を見て彼は驚きの声を上げ、次に恭しく頭を下げてから述べた。

「ちょうど今、グラス村の神官様方も来ておいでですよ」

 やはり、と思うと同時に、ローゼの鼓動が大きく音をたてた。

 神官補佐はローゼへ建物に行くよう示してからセラータの手綱を取る。おそらく馬屋へ連れて行ってくれるのだろう。彼にセラータのことをくれぐれもよろしくと頼み、ローゼは神殿の建物へ向けて足を踏み出した。

(中に、アーヴィンがいる)

 ごくりと唾を飲み込んだローゼは浅い息を繰り返しながら、仄暗い中でも分かる白い道を進む。

 レオンは何も言わない。そもそも村を出てから、彼はローゼが話しかけた時にしか反応しかしていなかった。おそらく、ローゼの行動に口を挟むつもりはないという意思表示なのだろう。
 それでも本当に何かあれば、彼は何かを言ってくれるはずだった。

 建物の入り口につくと、今度は女性の神官補佐が頭を下げる。
 彼女に身分証を見せて先ほどとほぼ同じやり取りをすると、神官補佐は「そういえば」と言ってにこやかに背後を振り返った。

「あちらの方は、グラス村から神官様方と一緒にいらしたんです。お知り合いでしょうか」

 示された後ろ姿には覚えがある。ローゼは眉を寄せた。

「……フォルカー……」

 声は大きいものではなかったが、入り口からさほど離れていない場所に座っていたフォルカーには届いたようだ。名前を聞いて振り返った彼は口を半開きにする。やがて驚きが去ったらしい彼はニヤリとしながら立ち上がり、ローゼの方へと歩いてきた。

「いよう、ローゼ様。なんでこんなところにいるんだ?」
「……あたしにはあたしの理由があるのよ」

 ローゼが静かにそれだけを口にしたところ、フォルカーは意外そうな面持ちを見せた。

 確かに普段のローゼならば、フォルカーに何か言われた時はこの程度で済ませない。態度や言い方などすべてが逆なでしてくる彼に対しては皮肉をいくつも並べ立てることが多く、最終的には怒鳴り合いか、下手をすると手が出ることもあった。
 だが、ここはグラス村ではないし、自分は村娘として来ているわけでもない。もちろん、アーヴィンのことが気にかかっているので今は放っておいて欲しい、という思いも強いが、そうでなくともいつも通りの態度で接するわけにはいかなかった。 

 一方でそんなローゼを見たフォルカーは、何かを思いついたように口をゆがませる。

「ああ、そうか。お前、村へ戻ったんだな?」
「だったら何」
「いやぁ? べつにぃ?」

 嫌らしい言い方をしたフォルカーは腰を折り、下からローゼの顔を覗き込む。

「お偉くなったローゼ様を、つらい話がお出迎えしたかもしれない、と思ってさ」
「……あんたが流した嘘の話なんて、あたしはほんの少しだって信じてないわ」
「へえ、本当にそうかぁ?」

 ローゼが張った精一杯の虚勢を、フォルカーは嫌な笑いで受け流した。

「この神殿から出る時に、同じことを言えたらいいな!」
「……静かにしなさい、フォルカー・ターク。ここは神殿よ」

 神殿の奥ではマント姿の人物が、若い男性の神官補佐と話をしている。

「礼儀をわきまえなさい。あんただけの場所じゃないんだから」
「すげぇな、さすがはローゼ様。神官様のようにありがたいお言葉を俺に下さるってわけだ。……この生意気な女め」
「いい加減やめて。うちの村じゃないんだから、みっともない真似をしないで」

 吐き捨てるようなフォルカーの言葉を聞き、ローゼは顔をしかめる。
 その時奥にいたマント姿の人物が立ち上がった。

 入り口に近い場所にいたとはいえ、フォルカーとローゼの声は神殿の中にも意外と響いていたに違いない。うるさくして申し訳なかった、と申し訳なく思うローゼに向けてマント姿の人は声を上げた。

「やっぱりローゼか!」

 その声にはもちろん覚えがあった。

「ヘルムート?」

 おう、と返事をするヘルムートは嬉しそうだ。
 彼は話をしていたらしい神官補佐に何事かを言うと、マントをなびかせてローゼの方へ歩いてくる。神殿の明かりに照らされる彼は朝に別れた時と同じ、白い鎧姿だった。
 
 ローゼとフォルカーの間に漂う険悪な雰囲気に困惑していた神官補佐は、ようやく離れてもよさそうだと思ったらしい。近づくヘルムートを見ながら、ほっとしたように場を離れた。

 彼女に申し訳なく思いながら、ローゼはヘルムートに視線を向ける。彼は満面の笑みを浮かべていた。

「声が似てるなとは思ったんだけど、まさかいるはずないと思ってたからさ。どうして町へ?」
「……うん、ちょっと……」

 嬉しそうに言うヘルムートに対してローゼがどう返そうか言いよどんだ時、横からへりくだったような声が聞こえた。
 
「あの、神殿騎士様。こんな女のことを知ってるんですか?」

 声の主はフォルカーだ。彼の声を聞いたヘルムートは、不快だと言いたげに眉を寄せた。

「お前か。……当たり前だろう。ローゼは南方での日々を共に過ごした戦友であり、私の敬愛する女性でもある。こんな女、などと言うんじゃない。言葉を慎め」

 強く言い切るヘルムートの声に気圧されたらしく、フォルカーは顔をこわばらせて頭を下げる。そんな彼を一瞥し、ヘルムートはローゼの背に右手を当てて軽く押した。

「入り口は風が入って寒いだろう? 向こうへ行こう」

 さあ、と促され、うなずいたローゼはヘルムートと共に歩き出した。
 歩きながらローゼがちらりと振り返ると、フォルカーは忌々しげに床を蹴った後に歩み去って行く。

「もしかしてヘルムートは、フォルカーと知り合いだったの?」
「フォルカー? ……ああ、今の男か。いや、別に知り合いというわけじゃない。神殿に来たとき声をかけられたから、少し話をした程度の仲だ」

 そう言ってヘルムートは琥珀色の瞳でローゼを見る。

「ローゼとは仲が悪いのか?」
「村の中だけで言うなら、一番の敵よ」
「それは大変だ」

 笑いながら言うヘルムートは、奥に向かって手を振る。
 そちらを見ると、先ほどまで彼と話をしていた若い神官補佐が頭を下げて立ち去るところだった。

「あたしのことなら、放っておいても平気よ?」
「もう話し終わったからいいんだ」
「そう……」

 並んで歩きながら、ローゼはヘルムートの顔を見上げる。大柄な彼の顔はローゼよりも高いところにあった。

「ねえ。ヘムルートは……」
「ん?」
「……どうしてここにいるの?」
「俺がいるのは、おかしいことじゃないだろ?」

 笑ったヘルムートは、マントを外しながら答える。

「一度家に戻ったから、今度は神殿へ挨拶に来たんだ。俺も今は神殿の関係者だし、ここには知り合いが何人もいるからな」
「そうよね。ヘルムートはこの町の出身なんだものね」
「まあな。……そんなことより、ローゼ。雨避けを取った方がいいぞ。酷い有様だ」

 ああ、と呟いてぎこちない笑みを浮かべたローゼは、言われた通り雨避けのマントを外す。
 よく見ると、マントはもちろんのこと、服までもが完全に濡れていた。

「うわ、ずぶ濡れ」

 呟いた途端、寒さが襲ってきた。
 ここまで濡れていればもっと前から寒かったはずなのに、今まで何も感じなかったのは緊張のせいだろう。
 雨避けのマントを横に置き、震えながら肩を抱いてしゃがみこむ。そんなローゼの肩にふわりとマントがかけられた。

「駄目よ、ヘルムート。濡れて使えなくなるわ」

 慌ててマントを取ろうとするローゼの手を、片膝をついたヘルムートが止める。

「別にいいさ。俺の家は町の中にある。マントがなくたって平気な距離なんだ」

 彼の声には優しさと気遣いが含まれていた。

「……ありがとう」

 少しの逡巡の後に礼を言うと、ヘルムートは小さく肩を叩いて少し後ろに座る。しゃがんだままのローゼがマントを胸元で握り締めていると、やがて遠慮がちに声をかけられた。

「……なあ、ローゼ」
「なに?」
「お前がこの町へ来たのはさ。やっぱりその……」

 躊躇う気配の後、ヘルムートの声が続く。

「アーヴィン・レスターが来てるからか?」

 ローゼはうつむいた。

「……うん。……ヘルムートもその話、知ってるんだ」
「まあな。神殿に来た後、俺が正神官へ挨拶しようとしたら――」

 彼が言いかけたその時、奥から扉の開く音がした。
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