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第4章(後)

35.鬱積

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 ローゼたちはティリーに案内されてひとつの露店へ到着した。

 露店といっても奥の建物は大きな店舗になっている。
 どうやらここは、食事や宿泊もできる店が、人の多い時間帯は露店も出している、という形のようだった。

 馬屋もあるという話だったので、ローゼは店員に声をかけてヘルムートと共に馬を預ける。
 その後、露店でいくつかの品を注文したローゼが店員の様子をぼんやり眺めていると、横に立つヘルムートがこっそり耳打ちをしてきた。

「さっきパンを買ったのに、まだ買うのか?」
「当たり前でしょ」

 店の奥にある椅子や机は、その店で買い物をした客が使用するためにある。
 ただ、自店で買った量が多ければ、他店からの持ち込みも大目に見てくれることが多かった。

「あの人たちだって注文してるはずだろ? 多くならないか?」
「ならないでしょ。だって、いつもこのくらい……」

 言いかけたローゼは小さく笑う。

「……ああ、そっか。フェリシア」

 購入する食事が多いことを何とも思わないのは、フェリシアと一緒のとき、いつもかなりの量を買っていたからだ。

 フェリシアは、その小柄な体のどこに入るのだというくらいよく食べた。

「そういえばヘルムートも結構食べるよね。神殿騎士の修行内容には、食事量を増やす、ってのもあるの?」

 冗談まじりに問いかけると、ヘルムートからは感情をのせない声で返事があった。

「体力勝負なんだから食事量は多くなる」
「確かにそうだけど――」
「ほら、できたみたいだ」

 ローゼの前に進み出たヘルムートは店主から料理を受け取ると、「行こう」と独り言のように呟いてさっさと店に入ってしまった。

「ちょっと待ってよ!」

 大股に進むヘルムートの後をローゼは小走りに追う。

 振り返らないヘルムートと共にティリーが確保した場所に到着すると、机の上には既に所狭しと料理が並んでいた。きちんと皿に盛りつけられているので、露店ではなく店内で注文したものだろう。

「お、ローゼたちもずいぶん買ったねえ。足らなかったら追加で注文しようかと思ったけど十分そうだ」

 笑いながら言うティリーの横でコーデリアが皿を動かし、机の上に空きを作ってくれる。
 横を窺うと、空いた場所に食事を置くヘルムートは嬉しそうな表情になっていた。

 彼の態度が元に戻ったらしいことにほっとしながらローゼは椅子に座る。ヘルムートもまた腰かけ、4人は祈りの言葉の後に食事を始めた。

「さて、話せるところだけでいいから聞かせてよ。南はどうだった?」

 料理を取り分けながら言うティリーに、ローゼはどこまで話して良いのかを考える。

 マティアスたちがいた以上はティリーやコーデリアにも詳しいことは伝わるだろうが、今はあまり詳しいことは明かさない方がいいかもしれない。
 同時に、『花を愛でるもの』を含む二家の知識に関しては、ヘルムートがいる以上言わない方がいいだろう。

 考えた末にローゼが語った内容はかなり短く、おまけに曖昧なものとなった。

 それでもティリーは、弟であるマティアスがローゼから頼られたということに強く感じ入ったようだ。

「……ああ、あいつは身内以外にもちゃんと認められるようになったのか」

 感慨深く呟くティリーは視線をローゼに向けた。

「私たちは基本的に身内だけで動くから、他人からの評価を直接聞く機会はほとんどなくてさ。……ありがとう、ローゼ。なんだか嬉しいよ」

 そしてコーデリアもまた、ラザレスが頑張っていた事実に瞳を輝かせていた。

「すごいわ。ラザレス。南でもちゃんとやれてた」
「あの親子は似てるからさ、息が合うんだよねえ」

 笑いあう女性たちの言葉にローゼは首をかしげる。
 確かにふたりの見た目は似ている。しかし性格は正反対のように思えた。マティアスはどちらかといえば沈着で思慮深く、好奇心旺盛なラザレスとは対照的だ。

 そう言うと、ティリーは朗らかに笑った。

「実を言えば、ラザレスは昔のマティアスにそっくりなんだ。……あの頃のマティアスも好奇心旺盛でね。興味があるものを見つけたら勝手にいなくなっちまうから、よく伯父に怒られてたよ」
「意外ですね」
「だろう?」

 飲み物のカップを手にしたティリーは笑みを浮かべて言う。

「当主になったら自覚が芽生えたんだろうね。落ち着いていい感じになってきたよ。だからラザレスだって、ひょっとするといずれ――」
「駄目」

 ティリーの言葉を遮ったのは、珍しく強い口調のコーデリアだ。

「私は、お父様から当主を受け継ぎたいの。だからラザレスは、そっちの当主になっちゃ駄目」

 内気な娘は、普段の姿に似合わぬほど確固たる意志を草色の瞳に宿している。ティリーは声を上げて笑い、カップの中身をぐいとあおった。

「確かに当主を狙ってれば譲歩なんてしたくないよなあ。頑張れよ、コーデリア。当主の座と、あとはラザレスも狙っちまえ!」
「……え……ラザレスを狙う、なんて……」
「おや、狙ってないのかい?」
「……ええと、ティリーおば様。あの、そんな言い方しちゃ嫌……」

 ティリーの揶揄を聞いたコーデリアは、つい今しがたの毅然とした様子が嘘のように狼狽え、顔を赤くしてうつむいた。

 一方でローゼはコーデリアの様子を微笑ましく見ていたが、以前から知っている『コーデリアはラザレスが好き』ということ以外は彼女たちの話す内容が分からない。

 だからといって踏み込んでも聞けず、とりあえず流して食事を続けていると、ティリーが口の端に笑みを浮かべてローゼと、そしてヘルムートを見た。

「このくらいはいいか。……二家の人間同士の結婚は禁止されてないんけどね、当主同士の結婚は禁止されてるんだよ」

「……え?」
「まあ、禁止したのは神じゃなくて人だけどね」

 言いながら、ティリーは手元に料理を引き寄せる。

「1000年も続けば、家を存続させる中で学んだことも色々あるからさ。それに従っていくつかの決まりもできたってわけよ」
「そうなんですか……」

 ローゼの言葉に、ティリーは小さく肩をすくめる。

「……って、そんなつまんないことはどうでもいいか。まだ料理はあるんだし、ほら、食べな食べな」

 明るく言うティリーは雰囲気を変えたいか、もしくは二家のことをこれ以上話したくないのかもしれない。

「そうですね」

 ローゼもまた彼女の意思に乗り、皿に料理を取り分ける。
 しばらくは全員で黙々と食べていたが、やがてティリーが口を開いた。

「ああ、昔はこんな感じだったなあ……」 
「昔?」
「そ。私が結婚する前、まだ実家にいた頃の話さ」

 懐かしそうな口ぶりでティリーは続ける。

「ほら。実家はああいう家だろ? たまに家族が揃うとさ、食卓に上る食事の量も消えていく速度もすごいんだよ。給仕の連中も慣れるまでは大変そうだったなぁ」

 ティリーの話を聞きながら、ローゼはちらりと左横のヘルムートを見る。

「今はさ。夫が文官で、3人の息子もそっち方面を目指してるんだよ。男ばっかりだからまあ食べるには食べるんだけど、体を使うわけじゃないから量も速度も控えめでねえ」

 そう言ってティリーは飲み物に口をつける。

「やっぱり勢いよく食べる姿を見るのは気持ちいいなって思ってたところなんだよ。……おや、どうしたんだい? まさかもう満腹になったわけじゃないだろ?」

 わずかに顔を赤らめたヘルムートが、はあ、と言いながらそれでも皿を手元から中央へ押しやる。
 その様子を見ながらニヤリとしたローゼは、ぽっかりと空いたヘルムートの前にこれでもかと料理を置いた。

「ほらほら。せっかくそう言って頂いてるんだから、たーくさん食べればいいじゃない。ね、ヘルムートさん」

 さらに顔を赤らめたヘルムートは無言でローゼを睨みつけるが、それでも誘惑には勝てなかったのか、結局は目の前の皿から香ばしく焼きあがっている肉を取り分けた。

【お前も意地が悪いな】

 苦笑するかのようなレオンの声に、楽しげなティリーの声が被る。

「そうそう。遠慮なんかするこたないんだよ!」

 ひとしきり笑った彼女は、ちまちまと野菜を食べているコーデリアの皿に料理を取り分けながら首をかしげた。

「ところで、今は任務中じゃないんだろ?」
「はい。休暇中です。ちょうどあたしとヘルムートの出身地が近かったので、途中まで一緒に戻ってるところなんです」 

 それでも何かあったときのために、ヘルムートは神殿騎士の白い鎧を身につけていた。

「なるほどね、ふたりとも西の出身なわけか。出身はどこだい?」

 ヘルムートが町の名を言うと、ティリーはうなずく。

「そっか、あんたは男爵家の人だったね。あの町にはうちの別邸もあるからしばらく滞在してたけど、異変の影響は特になさそうだったよ」
「そうですか、ありがとうございます」

 安堵した様子のヘルムートに次いで、ティリーはローゼへ顔を向けた。

「もちろんグラス村も普段通りだったから安心していいよ」
「ありがとうございます」

 もちろん鳥文で状況は知っているが、やはり直接教えてもらえると嬉しい。ローゼもまたほっと息をついたところで、ティリーが口角を上げた。

「コーデリアから聞いたよ? グラス村の神官、あれは確かにモテそうだねぇ」

 ローゼがぐっと詰まると同時に、「ティリーおば様!」というか細い声が上がる。
 顔を真っ赤にして慌てるコーデリアと、ゲホゲホと咳き込むローゼの様子とを見ながら含み笑いをしていたティリーは、しばらくの後に独り言めいて呟いた。

「……相手が村の神官か……」
「え?」

 咳き込みがようやく落ち着いた頃だったので、彼女の声はローゼの耳にも届いた。

「あの、神官だと何か駄目なんですか?」

 ティリーは自分が何か言ったつもりはなかったようだ。
 不思議そうにローゼを見た後、非難がましく見つめるコーデリアへ目を移して、ようやく事態を飲み込んだらしい。

 ああ、と嘆息し、ティリーは頭を掻いた。

「声に出してたか。失敗したな。……いや、駄目ってことはないんだよ。ただほら、自分だったら、と考えた時には選ばない相手だったからさ」

「選びませんか」
「選ばないね」

 ティリーはきっぱりと言い切った。

「共に行動できない相手は、若い当主の恋人に不向きだよ。なにせ一緒に居られないから、お互い不安も募る――」
「ティリーおば様」
「あ、いや」

 ぴしりとしたコーデリアの声を耳にして、ティリーは慌てて手を振る。

「あくまで私の意見さ。なにせ私は甘ったれでね、これじゃ性別関係なく当主なんて務まらなかったもんな。ほんと、神々はきちんと素質を見極めておいでだよ」

 冗談めかして笑うティリーと一緒に笑い、何事もなかったかのように食事を続けながら、ローゼは今の言葉を反芻する。

(若い聖剣の主の恋人として、村の神官は不向き。か)

 一緒にいられないとお互いが不安、とは、ローゼもずっと気がかりだった内容だ。

(……あたしだって以前は、好きな人とは別れてたいなって思ってたけど、確かに今は、不安だもの。……アーヴィンだって……)

 棘のように刺さったティリーの言葉は、ローゼの心から簡単に抜けそうにはなかった。
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