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第4章(前)
17.彼女の旅路
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ローゼは香辛料の容器を脇に置いて玄関へ向かう。
フェリシアはローゼの姿を見ると笑みを浮かべる。目は赤い気もするが、室内の光量ではさほど気にならない程度だった。
「今日の食事はわたくしの当番でしたのに。ごめんなさいね、ローゼ」
「う、うん。そのことなんだけど……」
真っ赤になった鍋を思い出しつつ、どう切り出そうかローゼが悩んでいると、フェリシアが片手をあげて言葉を遮る。
「あの、ローゼ。わたくしも少しお話がありますの」
フェリシアの言葉を聞いたローゼは、なるべく平静を装いながら尋ねた。
「んー? 何かあったの? あ、もしかして、さっきの人が関係してるのかなあ?」
そう言ってローゼが勢いよく手を叩くと、聖剣からは呆れたようなため息の後「どうしてお前はそんなに演技が下手なんだ……」と小さなボヤキが聞こえる。
ローゼ自身も今回はいつも以上にわざとらしかったような気がして冷や汗をかいたのだが、しかしフェリシアは笑顔のままで話を続けた。
「そうなんですの。わたくしからお話してもよろしいですこと? すぐに終わりますわ」
彼女の様子にはいつもと違うところや、わざとらしいところが見受けられない。
思わず瞬いたローゼの腰から、不審そうな声がする。
【まさか分かってないのか? ありえないほど下手くそな演技なのに?】
レオンの言葉に内心でむっとするが、しかしローゼも思うこところは同じだった。おそらく今のフェリシアは自分のことで頭がいっぱいなのだろう。周囲に目を向ける余裕がまったくないのだ。
「……うん、いいよ」
そのことに気付いたローゼは複雑な気持ちを抱えてうなずく。
食卓へ移動して椅子に座ると、ローゼに続いて座ったフェリシアは口を開いた。
「わたくし、ローゼとお別れすることになりましたの」
前置きもなく切り出された内容にローゼが返事をしようとする。しかしそれよりもフェリシアの方が早かった。
「せっかくここまで一緒に参りましたのに申し訳ありません。でもこの後のことはザレッタ様にお願いしましたからご安心下さいませ。お兄様やヘルムートや……きっと他の神殿騎士の皆様も協力してくださいますわ」
「……そう」
怒りも驚きもなく、ただ淡々とうなずくローゼの反応に違和感を抱いたのか、フェリシアはほんのわずか眉を寄せる。
それでも促すような視線をローゼが送ると、フェリシアは言葉を続けた。
「今後のローゼの活躍を心からお祈りしておりますわ。……きっと今後のローゼは何もかもうまく行きます」
そう言って、フェリシアは花が咲くような笑みを浮かべた。
この笑みを見るときローゼはいつも、日の下で輝く艶やかな花を思い浮かべる。しかし今の笑みは、雨にうたれて濡れそぼった花の姿が思いだされてならなかった。
「ありがとう」
机の上で手を組んで、ローゼは礼を言う。
「残念だけど、フェリシアが決めたことなら仕方ないね」
【おい、本当に何も言わないのか? お前はそれでいいのか?】
目の前のフェリシアではなく聖剣から声がかかるが、ローゼは彼を無視して続ける。
「だからフェリシアが心底お別れするって言うなら、あたしは『分かった。さようなら』って言う。……でもその前に、ちょっと話をするね」
小さく息を吐いてローゼは続けた。
「……フェリシアがいなくなっても、あたしはこのままエンフェス村に残って調べ物を続けるわ。次に会うのは……そうね、南方の異変が終わってから、大神殿でかな。その時フェリシアは……」
一度区切ってからローゼは言う。
「あたしに、なんて声をかけてくれる?」
フェリシアは何も答えず、わずかに首をかしげた。
食卓から少し離れた場所で鍋は弱火にかけられている。
しばらくはその、ことこと、という小さな音だけが部屋に響いていた。
「フェリシアにとってはさ」
やがてローゼは紫の瞳を見つめながら問いかける。
「今、あたしが置かれてる状態って、想像した通りなの?」
目の前のフェリシアがはっと息をのむのが分かった。
「考えてみれば、行く先々に神殿騎士の部隊がいるっていうのも変な話だったなあ。確かにあたしに対する不信もあるんだろうけどさ。アデクの神官だっけ? あたしは小鬼とすら戦えないだろうって思われてたもんねぇ」
「……ローゼ……ローゼ」
「まあでも大神殿はさ。一応は聖剣を持ってるあたしのために、わざわざ神殿騎士の部隊を割くなんてしないよね」
フェリシアの顔からは色が失せている。
「すべてはフェリシアのためだったわけでしょ? フェリシアを戦わせないために、大神殿は先回りして神殿騎士の部隊を配置したんだ」
途端に彼女の瞳には涙があふれてきた。
「……いつから……気づいて……」
フェリシアの問いに答えずにローゼは続ける。
「フェリシアは自分が皆からどう思われてるか、最初から分かってたんだよね? 大神殿にいるときから、出かけるとどういう状況になるのかも分かってた?」
「それは……」
「あたしが随伴者としてフェリシアを指名したの、嬉しかったでしょ? 大神殿から出られるし」
小さく笑ったところで、フェリシアが叫ぶ。
「わたくしは、ローゼと一緒に行きたかったんですの! 指名してもらえたのが嬉しくて。ローゼの役に、立ちたくて!」
「本当にそれだけ?」
【ローゼ】
咎めるような声で名を呼ばれるが、ローゼは無視してフェリシアに語りかける。
「ほんの少しくらいは思ったよね? あたしに誘われて良かったって。南方に行って強い魔物と戦うことができれば、他の人たちと同じように部隊へ編成してもらえるかもって」
ローゼの言葉を聞いたフェリシアはのろのろと両手で顔を覆う。
「……思いましたわ……」
「そっか」
いつもは紅を引かなくても赤く艶めいたフェリシアの唇だが、今は顔と同じく色を失っている。
その唇から囁くような答えが戻って、ローゼはため息をついた。
「でも、思ったより戦えなかったもんね。……残念だったでしょ」
「いいえ!」
激しく首を左右に振ったフェリシアは、手から顔を外して涙にぬれた瞳をローゼに向ける。
「残念だなんて、そんな! むしろ大神殿がここまでのことをするなんて思っていませんでしたの! ですからローゼにとても申し訳なくて、わたくし、わたくし……!」
ローゼの脳裏には「ローゼのためを思うなら、一緒に来るべきではなかったのです」との言葉や、今までフェリシアの見せた陰のある態度がよぎる。
「フェリシアは、あたしを利用したことに対して罪悪感があるんだよね。南方へ来たことも後悔してるんだ」
言って、ローゼはくすりと笑う。
「そんなこと思う必要ないのに」
【ローゼ?】
怪訝そうなレオンの声を聞きながら、腕を組んだローゼは天井を見上げた。
「友達が良い具合の立場にいるんだもん。ちょっとくらい、甘えちゃおうかな、って思うことはあると思うわ。あたしもグラス村にいるときはディアナに助けてもらったし……」
グラス村にいる村長の娘を思い浮かべながら目線を下ろすと、目の前の王女は、どう考えたら良いか分からない、という顔をしていた。
「……フェリシアにも甘えたことあるよ。ほら、あたしがブロウズ大神官から手紙をもらった時のこと覚えてる?」
ローゼが儀式を行うにあたって大神殿へ滞在していた際、王都近くの町へ呼び出されたときのことだ。
「手紙を預かってくれたら嬉しいなって思ってたの。それはフェリシアが王女様だったから。大神殿の中の誰も、フェリシアには手を出すことができないだろうし」
さらにフェリシアは町まで来てくれた。あの場でアレン大神官があっさり引き下がったのは、王女であるフェリシアが場にいたということが大きいはずだ。結果的にローゼの読みは当たったことになる。
「もしフェリシアが王女様じゃなかったら、そうね、あのときは違うことを考えたと思う。ってことはさ。やっぱり、フェリシアが王女様だってことに、あたしが甘えた結果なのよ」
「ローゼ……」
「ね。あたしズルいでしょ」
言いながら申し訳ない気分になり、ローゼは「ごめんね」と言いながら頭を下げた。
「でもひとつ間違いなく言えることはね、あたしはフェリシアが王女様だから友達になったんじゃないよ。貴族でも平民でも、フェリシアがフェリシアならやっぱり友達になったと思う」
優しく、可愛らしく、気遣い上手なこの友人がローゼは好きだった。
「それにフェリシアがあたしと友達になってくれた理由だって、あたしの『聖剣の主』っていう立場を利用するため――」
「違いますわ!」
「――じゃないよね」
話している途中に激しい否定の言葉が入ったことに笑みをもらしながらローゼは言葉を続ける。
「……だからね。あたしで役にたてるなら、ある程度は使っていいのよ。だってあたしはフェリシアの友達なんだから。でもさすがに気が引けるぞーっていうときは相談して。その時はどうすればいいのかを一緒に考えよう?」
「……わたくし」
小さく呟いた後、フェリシアはしばらく考えていたようだ。やがて瞳に涙をためたまま口を開く。
「……本当は、わたくしの成績だって、とても良いのですわ。ヘルムートにも負けませんの。実技だって、座学だって、一番を取れますのよ……」
顔をゆがめるフェリシアはの声は悔しそうだ。先日ローゼが「ヘルムートとどっちが優秀?」と聞いたとき、本当はこう答えたかったに違いない。
「でも、冬になる頃合いに、部隊配属が決まりましたの。異例の早さでしたわ」
「うん」
「あの部隊に入るには、成績なんてちっとも関係しませんのよ。一番下でも構わないんですの。ただ、必要なのは……」
「身分だけ?」
ローゼが言うと、フェリシアは視線を下に向けてうなずいた。
「……わたくし、ずっと頑張ってきましたの。……わたくし自身を見ていただきたくて、ずっと、ずっと……」
一度言葉を区切って唇を結んだフェリシアは、数回息を吸ってから言葉を紡ぐ。
「でも決まった部隊は成績が関係ない部隊で……それに……」
彼女は肩を震わせた。
「……わたくしの部隊配属が決まりましたら、皆がほっとした様子ですの……」
ああ、とローゼは心の中で呟く。
(神殿騎士たちがフェリシアを避けるのと同じ理由ね……)
おそらく見習いたちもまた、フェリシアと一緒の部隊になりたくないのだ。
彼女にうっかり傷を負わせでもしたら、上層部からどのように言われ、どのような評価を下されるのか、怖くて仕方ないのだろう。
「本当でしたらわたくしだって、ヘルムートのように神殿騎士の部隊と一緒に南へ来ることができましたわ。でも、配属が決まったから行く必要はないと言われましたの……」
そんなときにローゼから随伴者として指名が来たのだ、とフェリシアは語った。
「最初はどうしようかと思いましたのよ。他の人と一緒に行った方がローゼは戦えますもの。それに気心が知れている分、ローゼに甘えが出てしまうかもしれませんわ」
「あ、耳が痛い」
おどけてローゼが言うと、フェリシアはわずかに笑みを見せたが、すぐ寂しそうにうつむく。
「本当に、とっても悩みましたのよ。……でも結局、ローゼと一緒に来てしまいましたわ。わたくしにとっては、もしかしたら挽回できるかもしれない、最後の機会ですもの……」
しかしフェリシアは今に至るまでほとんど戦えていない。
「そんな我が儘のせいで、たくさんの方に迷惑をかけてしまいましたわ。もちろんローゼにも」
フェリシアは深くため息をついた。
「トレリオ侯爵から、ほとぼりが冷めるまで屋敷へ来るよう言われましたの。これ以上勝手なことを言って皆様を振り回すわけには参りませんわ。……わたくしの旅はここで終わりにいたします」
フェリシアはローゼの姿を見ると笑みを浮かべる。目は赤い気もするが、室内の光量ではさほど気にならない程度だった。
「今日の食事はわたくしの当番でしたのに。ごめんなさいね、ローゼ」
「う、うん。そのことなんだけど……」
真っ赤になった鍋を思い出しつつ、どう切り出そうかローゼが悩んでいると、フェリシアが片手をあげて言葉を遮る。
「あの、ローゼ。わたくしも少しお話がありますの」
フェリシアの言葉を聞いたローゼは、なるべく平静を装いながら尋ねた。
「んー? 何かあったの? あ、もしかして、さっきの人が関係してるのかなあ?」
そう言ってローゼが勢いよく手を叩くと、聖剣からは呆れたようなため息の後「どうしてお前はそんなに演技が下手なんだ……」と小さなボヤキが聞こえる。
ローゼ自身も今回はいつも以上にわざとらしかったような気がして冷や汗をかいたのだが、しかしフェリシアは笑顔のままで話を続けた。
「そうなんですの。わたくしからお話してもよろしいですこと? すぐに終わりますわ」
彼女の様子にはいつもと違うところや、わざとらしいところが見受けられない。
思わず瞬いたローゼの腰から、不審そうな声がする。
【まさか分かってないのか? ありえないほど下手くそな演技なのに?】
レオンの言葉に内心でむっとするが、しかしローゼも思うこところは同じだった。おそらく今のフェリシアは自分のことで頭がいっぱいなのだろう。周囲に目を向ける余裕がまったくないのだ。
「……うん、いいよ」
そのことに気付いたローゼは複雑な気持ちを抱えてうなずく。
食卓へ移動して椅子に座ると、ローゼに続いて座ったフェリシアは口を開いた。
「わたくし、ローゼとお別れすることになりましたの」
前置きもなく切り出された内容にローゼが返事をしようとする。しかしそれよりもフェリシアの方が早かった。
「せっかくここまで一緒に参りましたのに申し訳ありません。でもこの後のことはザレッタ様にお願いしましたからご安心下さいませ。お兄様やヘルムートや……きっと他の神殿騎士の皆様も協力してくださいますわ」
「……そう」
怒りも驚きもなく、ただ淡々とうなずくローゼの反応に違和感を抱いたのか、フェリシアはほんのわずか眉を寄せる。
それでも促すような視線をローゼが送ると、フェリシアは言葉を続けた。
「今後のローゼの活躍を心からお祈りしておりますわ。……きっと今後のローゼは何もかもうまく行きます」
そう言って、フェリシアは花が咲くような笑みを浮かべた。
この笑みを見るときローゼはいつも、日の下で輝く艶やかな花を思い浮かべる。しかし今の笑みは、雨にうたれて濡れそぼった花の姿が思いだされてならなかった。
「ありがとう」
机の上で手を組んで、ローゼは礼を言う。
「残念だけど、フェリシアが決めたことなら仕方ないね」
【おい、本当に何も言わないのか? お前はそれでいいのか?】
目の前のフェリシアではなく聖剣から声がかかるが、ローゼは彼を無視して続ける。
「だからフェリシアが心底お別れするって言うなら、あたしは『分かった。さようなら』って言う。……でもその前に、ちょっと話をするね」
小さく息を吐いてローゼは続けた。
「……フェリシアがいなくなっても、あたしはこのままエンフェス村に残って調べ物を続けるわ。次に会うのは……そうね、南方の異変が終わってから、大神殿でかな。その時フェリシアは……」
一度区切ってからローゼは言う。
「あたしに、なんて声をかけてくれる?」
フェリシアは何も答えず、わずかに首をかしげた。
食卓から少し離れた場所で鍋は弱火にかけられている。
しばらくはその、ことこと、という小さな音だけが部屋に響いていた。
「フェリシアにとってはさ」
やがてローゼは紫の瞳を見つめながら問いかける。
「今、あたしが置かれてる状態って、想像した通りなの?」
目の前のフェリシアがはっと息をのむのが分かった。
「考えてみれば、行く先々に神殿騎士の部隊がいるっていうのも変な話だったなあ。確かにあたしに対する不信もあるんだろうけどさ。アデクの神官だっけ? あたしは小鬼とすら戦えないだろうって思われてたもんねぇ」
「……ローゼ……ローゼ」
「まあでも大神殿はさ。一応は聖剣を持ってるあたしのために、わざわざ神殿騎士の部隊を割くなんてしないよね」
フェリシアの顔からは色が失せている。
「すべてはフェリシアのためだったわけでしょ? フェリシアを戦わせないために、大神殿は先回りして神殿騎士の部隊を配置したんだ」
途端に彼女の瞳には涙があふれてきた。
「……いつから……気づいて……」
フェリシアの問いに答えずにローゼは続ける。
「フェリシアは自分が皆からどう思われてるか、最初から分かってたんだよね? 大神殿にいるときから、出かけるとどういう状況になるのかも分かってた?」
「それは……」
「あたしが随伴者としてフェリシアを指名したの、嬉しかったでしょ? 大神殿から出られるし」
小さく笑ったところで、フェリシアが叫ぶ。
「わたくしは、ローゼと一緒に行きたかったんですの! 指名してもらえたのが嬉しくて。ローゼの役に、立ちたくて!」
「本当にそれだけ?」
【ローゼ】
咎めるような声で名を呼ばれるが、ローゼは無視してフェリシアに語りかける。
「ほんの少しくらいは思ったよね? あたしに誘われて良かったって。南方に行って強い魔物と戦うことができれば、他の人たちと同じように部隊へ編成してもらえるかもって」
ローゼの言葉を聞いたフェリシアはのろのろと両手で顔を覆う。
「……思いましたわ……」
「そっか」
いつもは紅を引かなくても赤く艶めいたフェリシアの唇だが、今は顔と同じく色を失っている。
その唇から囁くような答えが戻って、ローゼはため息をついた。
「でも、思ったより戦えなかったもんね。……残念だったでしょ」
「いいえ!」
激しく首を左右に振ったフェリシアは、手から顔を外して涙にぬれた瞳をローゼに向ける。
「残念だなんて、そんな! むしろ大神殿がここまでのことをするなんて思っていませんでしたの! ですからローゼにとても申し訳なくて、わたくし、わたくし……!」
ローゼの脳裏には「ローゼのためを思うなら、一緒に来るべきではなかったのです」との言葉や、今までフェリシアの見せた陰のある態度がよぎる。
「フェリシアは、あたしを利用したことに対して罪悪感があるんだよね。南方へ来たことも後悔してるんだ」
言って、ローゼはくすりと笑う。
「そんなこと思う必要ないのに」
【ローゼ?】
怪訝そうなレオンの声を聞きながら、腕を組んだローゼは天井を見上げた。
「友達が良い具合の立場にいるんだもん。ちょっとくらい、甘えちゃおうかな、って思うことはあると思うわ。あたしもグラス村にいるときはディアナに助けてもらったし……」
グラス村にいる村長の娘を思い浮かべながら目線を下ろすと、目の前の王女は、どう考えたら良いか分からない、という顔をしていた。
「……フェリシアにも甘えたことあるよ。ほら、あたしがブロウズ大神官から手紙をもらった時のこと覚えてる?」
ローゼが儀式を行うにあたって大神殿へ滞在していた際、王都近くの町へ呼び出されたときのことだ。
「手紙を預かってくれたら嬉しいなって思ってたの。それはフェリシアが王女様だったから。大神殿の中の誰も、フェリシアには手を出すことができないだろうし」
さらにフェリシアは町まで来てくれた。あの場でアレン大神官があっさり引き下がったのは、王女であるフェリシアが場にいたということが大きいはずだ。結果的にローゼの読みは当たったことになる。
「もしフェリシアが王女様じゃなかったら、そうね、あのときは違うことを考えたと思う。ってことはさ。やっぱり、フェリシアが王女様だってことに、あたしが甘えた結果なのよ」
「ローゼ……」
「ね。あたしズルいでしょ」
言いながら申し訳ない気分になり、ローゼは「ごめんね」と言いながら頭を下げた。
「でもひとつ間違いなく言えることはね、あたしはフェリシアが王女様だから友達になったんじゃないよ。貴族でも平民でも、フェリシアがフェリシアならやっぱり友達になったと思う」
優しく、可愛らしく、気遣い上手なこの友人がローゼは好きだった。
「それにフェリシアがあたしと友達になってくれた理由だって、あたしの『聖剣の主』っていう立場を利用するため――」
「違いますわ!」
「――じゃないよね」
話している途中に激しい否定の言葉が入ったことに笑みをもらしながらローゼは言葉を続ける。
「……だからね。あたしで役にたてるなら、ある程度は使っていいのよ。だってあたしはフェリシアの友達なんだから。でもさすがに気が引けるぞーっていうときは相談して。その時はどうすればいいのかを一緒に考えよう?」
「……わたくし」
小さく呟いた後、フェリシアはしばらく考えていたようだ。やがて瞳に涙をためたまま口を開く。
「……本当は、わたくしの成績だって、とても良いのですわ。ヘルムートにも負けませんの。実技だって、座学だって、一番を取れますのよ……」
顔をゆがめるフェリシアはの声は悔しそうだ。先日ローゼが「ヘルムートとどっちが優秀?」と聞いたとき、本当はこう答えたかったに違いない。
「でも、冬になる頃合いに、部隊配属が決まりましたの。異例の早さでしたわ」
「うん」
「あの部隊に入るには、成績なんてちっとも関係しませんのよ。一番下でも構わないんですの。ただ、必要なのは……」
「身分だけ?」
ローゼが言うと、フェリシアは視線を下に向けてうなずいた。
「……わたくし、ずっと頑張ってきましたの。……わたくし自身を見ていただきたくて、ずっと、ずっと……」
一度言葉を区切って唇を結んだフェリシアは、数回息を吸ってから言葉を紡ぐ。
「でも決まった部隊は成績が関係ない部隊で……それに……」
彼女は肩を震わせた。
「……わたくしの部隊配属が決まりましたら、皆がほっとした様子ですの……」
ああ、とローゼは心の中で呟く。
(神殿騎士たちがフェリシアを避けるのと同じ理由ね……)
おそらく見習いたちもまた、フェリシアと一緒の部隊になりたくないのだ。
彼女にうっかり傷を負わせでもしたら、上層部からどのように言われ、どのような評価を下されるのか、怖くて仕方ないのだろう。
「本当でしたらわたくしだって、ヘルムートのように神殿騎士の部隊と一緒に南へ来ることができましたわ。でも、配属が決まったから行く必要はないと言われましたの……」
そんなときにローゼから随伴者として指名が来たのだ、とフェリシアは語った。
「最初はどうしようかと思いましたのよ。他の人と一緒に行った方がローゼは戦えますもの。それに気心が知れている分、ローゼに甘えが出てしまうかもしれませんわ」
「あ、耳が痛い」
おどけてローゼが言うと、フェリシアはわずかに笑みを見せたが、すぐ寂しそうにうつむく。
「本当に、とっても悩みましたのよ。……でも結局、ローゼと一緒に来てしまいましたわ。わたくしにとっては、もしかしたら挽回できるかもしれない、最後の機会ですもの……」
しかしフェリシアは今に至るまでほとんど戦えていない。
「そんな我が儘のせいで、たくさんの方に迷惑をかけてしまいましたわ。もちろんローゼにも」
フェリシアは深くため息をついた。
「トレリオ侯爵から、ほとぼりが冷めるまで屋敷へ来るよう言われましたの。これ以上勝手なことを言って皆様を振り回すわけには参りませんわ。……わたくしの旅はここで終わりにいたします」
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