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第4章(前)

11.秘密

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 周囲の様子ざっと調べたローゼは、昼前にエンフェス村へと戻って馬を預けると、フェリシアと共に村の探索を始めた。レオンの言葉が気になったからだ。

「で? この村にいったい何があるのよ?」
【分からん】

 村から離れるにしたがって不快感が減ると言ったレオンは、当たり前だが村へ戻るにしたがって不快感が増したらしい。ローゼへ言葉を返すレオンの声色は、村の外にいた朝と比べて暗かった。

【分からんから困ってるんだ。俺だって本当はこんな変な場所にいたくないし、それ以上にお前をいさせたくない。……だからこそ、ずっと不快感の理由を考えているんだが……】
「そ、そう」

 さらりと何かを言われてローゼは気恥ずかしくなるのだが、レオンはまったく気にする様子もない。考えに沈んでいるからというよりは、どうやらこの考えが自然で彼自身が何とも思っていないためのようだった。

 なんとなく聖剣とは逆の方へ顔を向けると、ちょうど一軒の家からパウラが出てきた。ローゼたちに気付いた彼女は笑顔で歩み寄る。

「こんにちは、ローゼ様、フェリシア様。村を見て回っていらっしゃるところ?」
「ええ」
「人がいなくて寂しいでしょ。本来ならこの時間は、村人たちがたくさん出歩いているんですけど……」

 昨日神殿で会った時、高圧的に追い返したフェリシアはわずかに気まずそうな表情を見せるのだが、パウラの方には頓着した様子がない。ローゼにもフェリシアにも同じ視線を向けながら話を続ける。

「みんな畑の手入れなどをしたら、さっさと帰ってしまうんです。……8年前に食人鬼が出た時のことを忘れてない人も多いし……」

 パウラはそばかすの浮いた顔をわずかに曇らせた。

 食人鬼は体が大きい分、動きは遅めだが力は強い。
 おまけに名の通り、人を捕まえては耳まで裂けた大きな口と強靭な顎で人を食らう。生きながら食われる人が上げる断末魔の悲鳴は聞くに堪えないのだと本には書いてあった。

 ローゼはまだその場面に居合わせたことはないが、村の人の中にはその悲鳴を聞いた人だっているのだろう。だとすれば村人の恐怖も分かる。

 一方で、今回エンフェスの周囲に出ている幽鬼というのもまた手ごわいのだ。

 幽鬼は大人の男性ほどの人型をした魔物だが、灰色の体は半透明で向こうが透けて見える。目にあたる部分には暗い窪みがあるだけで鼻や口はなく、動きは人よりも素早い。
 しかも厄介なのはその腕だ。伸縮が可能で、背丈よりも長く伸ばせる。しかも腕全体が鋭い刃物のようで、わずかでも触れれば裂傷は免れなかった。

「だから少しでも不安を取り除けたらと思って、昼間は神官様と一緒に家を回ってるんです。うちの村には私と神官様……じゃなくて、私とナゴーレ神官のふたりしかいないから」

 言い直したパウラは肩をすくめて照れたように笑う。
 神官同士は姓で呼び合うのが普通だった。

「またやっちゃった。ナゴーレ神官は私が産まれる前からこの村の神官様だったんです。だから私、どうしても『神官様』って言っちゃうの。そのたびに神官様には訂正されるんですけど、でも神官様だって私のことを『パウラ』って呼ぶんですよ。そう考えたらおあいこだと思いません?」
「え、ええと、そうですね」

 勢いに押されながらもローゼが答えると、パウラは嬉しそうに手を叩いた。

「やっぱり! そうですよね! よーし、じゃあ次に訂正されたら『神官様が私をパウラって呼ばなくなったら考えます』って言ってやるんだから!」

 どうやらパウラはかなりお喋りな女性らしい。おまけにほぼ同じ年ごろだということもあって、ローゼたちに親しみを持ってくれているようだ。
 そんな屈託のない様子に後押しをされたのか、フェリシアがおずおずと進み出てパウラに頭を下げる。

「……あの、パウラ様。わたくし、昨日、あなたに失礼をしてしまいましたわ。どうか謝らせて下さいませ。……ごめんなさい」

 フェリシアの言葉を聞いたパウラも慌てて頭を下げた。

「あっ、そ、そんな! 私の方こそごめんなさい! 失礼をしちゃったのは本当ですし、昨日謝るのを忘れていました!」

 顔を上げてパウラの様子を見たフェリシアはまたしてもパウラに詫び始める。
 同じくパウラもまた、フェリシアに詫び始めた。

(なんだか……)

【なんだかこいつら、意外と仲良くなれそうだな】

 レオンの呟きはローゼが考えていたことと同じだった。
 彼にうなずいて見せたローゼは、ふたりに声をかける。

「えーと、そろそろいい?」
「そうですわね!」
「そ、そうですね!」

 顔を見合わせて笑うふたりの様子を微笑ましく思いながら、ローゼはパウラに視線を向けた。

「ところで、お聞きしたいことがあるんですけど」
「あっ、はいっ、なんでしょう!」
「もしかして、お家で薬草茶を作ってました?」
「ああ」

 ローゼが尋ねると、パウラは破顔する。

「引き上げたのは昨日の朝だったから、まだ香りが残ってたかしら。はい、エンフェスの神殿で売る薬草茶は、私があの家で作ってたんです」
「まあ。それなのにわたくしたちがお借りしてしまって。作業のお邪魔でしたわね……」

 再び申し訳なさそうな表情を見せるフェリシアに、パウラはぱたぱたと手を振る。

「あっ、そんなことないです! えっと、元々あれは私が趣味の一環というか、試しに作ってたからあそこで作業してただけで……」

 言いながらも、パウラの笑みには自慢げなものが混じる。

「実を言うと、周囲でもうちの薬草茶は評判になってきたし、本格的に作り始めるため神殿で作業をしようか、っていう話を神官様ともしてたんです。だからちょうどいい機会だったというか……とにかくそんな感じなので、本当に気にしないでください」

「確かにアデクの町でも『エンフェスのお茶には敵わない』みたいな話を聞いたっけ」
「やっぱり! うちのお茶を飲んだ人は絶対そう言うの!」

 ローゼの言葉を聞いたパウラの顔からは完全に『自慢』という文字が見て取れた。

「でね……」

 続けて何か言おうとするパウラの言葉を遮るかのように、神殿から昼を告げる鐘の音が響き渡る。
 途端にパウラは血相を変えた。

「いっけない、もうこんな時間! 早く神殿に戻って作業しなくちゃ! すみません、失礼しますね!」

 頭を下げたパウラは、柔らかな色合いの茶髪をなびかせて走り出す。途中で振り返ってもう一度ローゼたちへ向けて手を振ると、また神殿へ向けて走り出した。

「元気な方ですわね」
「そうね」

 フェリシアからは昨日パウラへ向けた刺々しい感じをまったく受けなくなっていた。


   *   *   *


(えっと……『そんなわけでエンフェスに来て10日以上経つのに、今日も成果はなし。レオンも未だに何が原因か良く分からないって言うの。本当に役立たずよね』っと……)

 輝石の仄かな明かりの下、フェリシアと食事をとった机の上でローゼはペンを片手に首をかしげる。

(『それから……』えーと、どうしようかな……うん、やっぱり今回も書こう。どうせ本人だって見ないし)

 書こうと決めたために熱を持った頬を押さえながら、ローゼは最後に『はやく、アーヴィンに、あいたい』と書き記してペンを置いた。

 アーヴィンへは手紙を出さないと決めたはずなのに、ローゼの心のどこかには後ろめたさのようなものがあったらしい。ある日軽い気持ちで紙に綴ってみたところ、思った以上にすっきりしたのだ。

 以降ローゼは夜に湯を使った後、部屋へ戻る前に手紙を1通書いている。

 この手紙はいつも同じ人物へ向けて書いている。しかし宛名の人物にすら見せるつもりがない秘密の手紙だ。見せることがないからこそ、ローゼは心の内を素直に書くことができた。

 手紙を書き終えたローゼは音をたてないように椅子から立ち上がり、筆記具と紙を戸棚のいつもの場所にそっとしまう。
 インクが乾くのを待ちながら、窓から空をぼんやりと見上げた。

(どうしよう。明日はアデク方面への道を行ってみようかな)

 時は経ったが、南方の状態は変わっていなかった。

 エンフェスの周囲では日々どこかに瘴穴ができている。今のところ幽鬼が出るほど大きなものは最初の1つだけだが、今後どうなるかは分からない。

 だがジェラルドはともかく、他の神殿騎士たちはローゼたちが村の外に出ることを好まなかった。自分たちが見回っているのだから、村の中でおとなしくしてくれと思っているようだ。

(だからといって村に籠ってるわけにはいかないのよね。瘴穴はあたしじゃないと消せないんだし……)

 これからもまだ軋轢あつれきはあるだろう。
 重い気持ちを抱えてローゼは机へ戻り、インクの状態を見る。乾いたことを確認してから折りたたみ、封筒にいれると着替えの下に忍ばせて部屋へ向かった。

【戻って来たか。よし、寝るぞ】
「レオンは寝ないでしょ?」

 笑いながらレオンの声に返事をしたローゼは、持っていた服をしまうふりをして荷物の底にある布をどける。現れた紙の束に新たな1通をそっと重ねた。

 ――この手紙を何通書けば、村に帰ることができるだろうか。

 荷物の口を閉じて寝台に潜り込んだローゼは、小さくため息をついた。

 ローゼが誕生日を迎えたこの月も終わる。明日からはまた新たな月――4番目の月になるというのに、南方はもちろんのこと、他の地域も異常は続いていると聞いた。

(グラス村も寒いのかな。あんまり気候がおかしいままだと、作物にも家畜にも影響を与えちゃうもんね。……明日にでも異変がおさまってくれないかなぁ……そうしたら……)

 左腕の銀鎖を見つめながら、手紙の最後に書いた文章を思い出す。

(早くアーヴィンに会いたい……)

 彼に手紙を出せなかったのは、泣き言を読んだアーヴィンに余計な不安を与えるのではないかと思ったから、という気持ちがあったのは間違いではない。
 しかし心配していないはずだと思い込みたかったのも含め、本当はローゼの方こそが、彼を思うと不安でたまらないのだ。

 北から戻る最中に彼とはたくさんの話をした。
 もちろん帰ってから村でもだ。

 中でも村祭りの後に呼び出された『一晩』では、真夜中から朝までたくさんの話をした。

 その時にアーヴィンはようやく過去の話をしてくれたのだが、彼の話を聞きながらローゼは気付いたことがある。

(アーヴィンは「大事な人が遠くへ行ったらもう二度と会えないんじゃないか」って不安を抱えて生きてる……)

 おそらくこれは、子どもの頃に両親と別れた状況が原因なのだろう。彼自身も、そのことには気付いているようだ。

 だが、聖剣の主であるローゼは彼を置いて何度も旅に出る。だとすればローゼはアーヴィンの『大事な人』になれないのだろうか。

 そう考えておずおずと口に出せば、アーヴィンはあっさり「私にとってローゼ以上に大事な人はいない」と答えた。

「ありがとう。あたしも、アーヴィンのことは大事なの。……でもね……」

 ローゼは『大事な人』と共に旅へ出たいわけではない。むしろ村でローゼのことを待っていて欲しいのだ。

 ためらいながらその旨も口にすると、アーヴィンは笑って「分かってるよ」と答えた。

「だから村の神官を辞さなかった。……アレン大神官にはひどく睨まれたけどね」

 アーヴィンはそう答えた上で「私は村で待っている。ローゼは何も心配しなくて良いから、とにかく自分のことだけを考えるんだよ」と言ってくれたのだ。

 彼の気持ちはとても嬉しい。
 しかし今回の旅に出て以降、ローゼは自分たちの選択肢が本当に正しかったのか悩むことがある。

 アーヴィンに必要なのは常に傍らにいられる人物だ。
 ローゼのように何度も村を出る人物は相応しくない。

 そしてローゼが欲しいのは、離れて待ってくれる人だ。
 アーヴィンのような人に望むのはきっと間違っている。

 それでもローゼは自分の想いに気付き、彼から特別な感情を向けてもらう幸せも知ってしまった。今はもう、アーヴィンを手放したくない。彼が許してくれる限りは、その優しさに付け込んでも構わないとすら思っていた。

(……あたし、自分のことばっかり考えてる……醜い……)

 望み通りの状況になっているローゼは幸せだ。
 しかしそのために、アーヴィンを犠牲にした。

 恋しい気持ちと後ろめたい気持ちとがないまぜになり、目頭が熱くなる。
 枕に顔を埋めたローゼは強く瞳を閉じ、嗚咽が漏れないよう唇を噛んだ。
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