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第3章(後)

余話:小さな袋

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 宿の部屋の中で、ローゼは手を叩く。

「そういえば、まだ袋を開けてなかったわ」
【袋?】
「うん」

 城を出発した最初の日、ローゼは、ずっと気持ちがふわふわしたままだった。

 帰りも話し相手はレオンだけだと思っていたのに、横を見ればアーヴィンがいる。これは夢または幻なのではないかと何度も思い、そのたびレオンに確認したので、最後にはレオンから文句を言われてしまったほどだ。

 それでも3日経ってようやく落ち着いてきた辺りで、ローゼは初日にリュシーからもらった小さな袋のことを思い出した。光沢のある赤い布で出来た袋は大きな荷物の底に入れてある。取り出してみると、大きさはローゼの手と同じくらいだった。

「何が入ってると思う?」
【そうだな……袋の大きさから考えれば、やっぱり金じゃないか?】
「やだ、レオンってば俗物」
【悪かったな】

 笑いながら袋の口を開け、手のひらの上で逆さにすると、中からは銀色に輝く指輪が出てきた。

 台座の上に浮き彫りにされているのは、木と、木の上半分を囲むように配置された5つの花だ。指にはめる輪の部分には枝葉と思しき模様がやはり浮き彫りにされていた。

【なんだか紋章のようにも見えるな。公爵家関連のものか?】
「そうかも。フロランの指輪がこんな感じだった気がするわ」

 ローゼはイリオスに到着して北方神殿へ行った際、フロランから「木を存続させる手段が見つかったら直接城へおいで」と指輪を渡されたことがあった。その時の指輪が、今持っているものとよく似ていたような気がする。

【……俺たちじゃ考えても分からん。あいつに聞いてみろ。その方が早い】
「うん」

 指輪を袋に戻したローゼは聖剣を携えて部屋を出る。隣の部屋の戸を叩いてそっと名を呼び、返事を待って中に入った。
 アーヴィンは部屋の奥、窓の側に立っていた。被り物を取っていないところを見ると、外でも眺めていたのかもしれない。

 彼もまた、ローゼ同様に髪を隠して行動していた。

 ふたりで髪を隠している姿はどうも奇異なようで、町行く人からはたまに胡乱うろんな目つきをされることもある。
 しかしアーヴィンが北方の人であることは、言葉の抑揚で分かるらしい。上手く話せないために内気なフリをし、最小限の言葉で乗り切ってきたローゼよりも交渉はずっとはかどる。おまけに女性相手ならばさらに交渉はうまくいったので、その辺りは助かっていた。

「あのね、アーヴィン……」

 すぐ自室に戻るつもりはなかったので、どこかに座ろうと考え、ローゼは室内を見回す。
 今日の町は小さかったので、宿も町に見合うような小さなものが一軒あるだけだ。部屋も同じように小さかったので、室内の家具は寝台に加え、申し訳程度の机と椅子だけだった。

 部屋を見渡すローゼの意図を察したらしいアーヴィンは被り物を取って机に置くと、椅子を寝台の側に持って行き、自身は寝台に腰かけて手招きをする。ローゼはアーヴィンが持って行った椅子に座り、彼と向かい合わせになると指輪を取り出した。

「先日リュシー様からもらった袋なんだけど、中には指輪が入ってたの。これはどういうもの?」
「公爵家の人物であることを示す指輪だよ」
「……へ?」

 間抜けな声とともにアーヴィンを見返すと、彼はいつもの穏やかな笑みでローゼを見ている。揶揄う様子は微塵も感じないので、どうやら嘘でも冗談でもないらしい。

「その指輪を持つ限り、ローゼはシャルトスの姓を名乗ることができる。北の城へも出入りが自由だし、王都にある屋敷も好きに使って構わない。財産もある程度なら――」
「ちょ、ちょっと待って!」

 ローゼは思わず立ち上がる。

「あたしはただの村人よ? 公爵家だなんてそんな――」
「大精霊がいなくなって消滅するはずだった北の守りを復活させ、名が残るかどうかすら分からなかったシャルトス家を存続させたんだ。功績としては十分すぎるくらいだと思うけどね、赤の娘?」
「その呼び方やめて。……大体あたしは、別に北方のためにやったわけでも、シャルトス家のためにやったわけでもないのに。……それに本当の功績は……」
【気にするな】

 ローゼが椅子の横にある聖剣に目を落とすと、愉快そうな声が返ってきた。

【お前は十分頑張ったんだし、そんなもの俺や狼には不要だ】
「でも」
【せっかくなんだ。もらっておけ】
「……レオンが言うなら……うん」

 それでもローゼは、次に城へ行く機会があったらリュシーに返そうと心に決める。椅子に座りなおしつつ正面に視線を向けると、アーヴィンはどこか嬉しそうにローゼを見ていた。

「もしかしてアーヴィンもこの指輪を持ってるの?」

 まさか問われるとは思わなかったのか、わずかな躊躇ためらいを見せた後、アーヴィンは黙ったまま首にかけていた銀の鎖を見せる。服の下から出てきた鎖の先には、ローゼと同じ指輪が煌めいていた。

 エリオットである証拠を持っていることが分かってしまったためか、アーヴィンは少し気まずそうだ。そんな彼の様子を見てローゼは笑った。

「いいじゃない。アーヴィンになったって、リュシー様の弟で、フロランの兄なことには変わりないんだから。……でも、この後『エリオット』が人前に出る必要がある時はどうするの?」

 アーヴィンは鎖を服の下に戻しながら答える。

「必要になることはほとんどないはずだけど、そうだね。……エリオットは褐色の髪をしている。そしてマリエラはどうやら、彼の近くにいたかったらしい」

 ローゼは目を見開いた。

「……まさか、ベルネスがエリオットの身代わりをするってことじゃないでしょうね」
「エリオットを公爵にしようと目論んでいたクラレス伯爵を許していない人は多い。……特にとある女性は絶対に許さないだろう」

 アーヴィンの言葉を聞いたローゼは「ね、それはいけないことでしょう?」という声が聞こえたような気がして思わず震えた。

「マリエラはクラレス伯爵の娘だから、父親が動けないようにするための人質として城から帰してもらえないんだ……もう少し早い時期なら、なんとか出してあげられたんだけどね」

 そういえば以前、リュシーがマリエラを逃がそうとしていたことを思い出す。結局あのまま、マリエラは城に残ったのか。

「それでも公爵家のために働いたのなら、いずれ帰してあげられるかもしれない。……フロランがこの話を持ち掛けてみると、少なくともベルネスは即座にうなずいたと聞いたな」
「……マリエラは安全なの?」
「姉が気を配っているよ。……正妃様はフロランがうまく扱っているはずだ」

 ほんの少しだけ安堵し、ローゼはうなずく。
 結局ナターシャの基準は、フロランと自分にとって良いどうかということなのだ。彼女は毒だが、味方に対しては薬として働くこともあるのかもしれなかった。

「……それなら、本当の『エリオット』はどうなったことになってるの?」

 彼が選択を後悔していたらどうしようかと思いつつローゼが尋ねると、アーヴィンは事も無げに答えた。

「エリオットはもともと跡を継ぐ気がなかったからね。クラレス伯爵の騒動を聞いて自分が新たな火種になる可能性があると分かったら、怖くなって逃げだしたよ」

 唖然とするローゼに、アーヴィンは笑って見せた。

「あるいは赤の娘が帰ると言い出したから、彼女を追いかけて行ったのかもしれないね」
「その名前はやめてったら」

 恥ずかしいような嬉しいような気持ちを抱えたローゼは、もうひとつ質問を投げてみた。

「……ねえ、そういえば先日の朝は、その……あたしをあそこで待ってたの?」
「そうだよ」

 アーヴィンは膝の上で両手を組み、ローゼの瞳を見返す。

「……どうせ近いうちに帰るつもりでいたんだろう? ローゼは思い立ったらすぐ動く方だからね。別れの挨拶代わりに手紙を書き終わったら思い残すこともないだろうし、ペンを使った翌日に帰るだろうと思ったんだ」
「なんであたしが帰るつもりだって分かったの?」
「なんで?」

 アーヴィンは小さく笑う。

「どうしてあれで分からないと思っていたのか、逆に教えて欲しいね」
「えー……」

 隠していたつもりのローゼとしては、むしろアーヴィンの言葉が意外だった。

「ずっとよそよそしかったじゃないか。……それなのに街へ行くと言い出すんだから本当に困ったよ。レオンの口添えがあったから、おそらくこの段階では帰らないんだろうと思ったけどね」

 確かに「必ず戻ってくるんだよ」と言われたが、その頃はとうに怪しまれていたということか。

「……赤の娘の話はね、ローゼにぜひ聞かせてくれとフロランがずっと言っていたんだ。もしかしたら城に残るかもしれないという期待があったらしい」
「残るわけないでしょ」
「そうだね。でもフロランはそう思わなかった。……なのになかなか時間が取れなくてね。とにかく話をしようと食事に誘ってみれば、貴族がどうこうという話を持ち出して断る。……まったく、あんな風に言われた私の気持ちも分かってもらいたいな」

 言葉は非難がましかったが、アーヴィンの口調は軽い。それでもなんだか悔しくて、ローゼは木の床を蹴りながら反論した。

「それならアーヴィンは、王都で別れた後のあたしの気持ちをもっと分かるべきだわ。本当に、ものすごく悲しかったんだからね」
「……そうか」
「ということで、話の続きを聞いてちょうだい」

 申し訳なさをにじませたアーヴィンに笑みを向けると、ローゼの笑顔を見た彼は微笑んでうなずいた。

「もちろん。……昨日は北方の関を抜けて、シャルトス領最初の町へ到着したところまでだったね」
「ちゃんと覚えててくれたのね」
「当たり前じゃないか」

 優しい声を出すアーヴィンは、穏やかに瞳を揺らめかせてローゼを見ている。そのことがとても嬉しい。
 彼が目の前にいる幸せをかみしめながら、ローゼは旅の話を始めた。
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