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第3章(後)

38.薄明りの庭 2

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 庭の中央にある円形の部分は、ふたりで立ってもまだ十分に余裕がある。小さいとはいえ、やはりここは城の庭園だ。
 そんな中でローゼは、視線を落とす貴族の青年に詰め寄って怒鳴りつける。

「そもそも、なんで勝手なことばっかり言うのよ!」

 とはいえ、ローゼが北方へ来たのも、神降ろしをするのも、別に彼が頼んだことではない。むしろ彼にしてみれば、ローゼの行動こそが勝手だと思っているのだろう。

「もしこの後あたしが、やっぱりやめたーって帰ったとしたらどうなると思う? きっと公爵やフロランだけじゃなく、分家の連中にも『できもしないことをやれると言い張り、結局できずに逃げ帰った』って思われるのよ」

 思い返せば先日の話し合いの場にフロランはいたが、目の前の青年はいなかった。名ばかりの次期公爵だということに改めて気が付き、ローゼはさらに腹立たしさを募らせる。

「そういえば知ってる? ……『あれ』が残せるのはね、20年じゃなくて1年かもしれないの」

 近くの護衛に木の話だと分からないよう配慮する余裕くらいはまだローゼにもあった。「20年」で何のことか分かるはずだが、下を向いたままでいる彼の様子に変化は見られない。おそらく昨日、公爵から木の話も聞かされているのだろう。

「たったの1年。その短い間あなたは悪く言われ続けて、いなくなった後は悪名だけが残るんでしょう?」

 大きく息を吐いて、ローゼは続けた。

「そしてあたしは生きてる間、ずっと悔いるのよ。あの時言うことを聞いて戻ったせいで、あなたを失ってしまった、って」

 叫んで唇を噛み、ローゼも視線を落とす。
 周囲はだいぶ明るくなってきた。地面にはふたり分の影ができている。

「……王都からここへ来る最中、どれだけ嫌な話を聞いたと思う? たぶん途中からは、会った人全員が喋ってたんじゃないか、って思うくらいだったのよ。でも、きっとあなたを助ける方法が見つかるって、それだけを頼りにずっと我慢して……」

 時には聞くに堪えない噂を耳にしたこともある。話している人に向かい、握り締めた拳を振り上げようとしたこともあった。それでもレオンが声をかけて気を逸らしてくれたから、なんとか握った拳を開くことができた。

「あたしひとりじゃ、絶対に無理だった。レオンと、フェリシアと。他にも助けてくれる人や……人だけじゃない。銀狼や、精霊たちだって助けてくれたから、ここまで来られたのよ」

 北方の神殿にいた神官たちや、神殿で最初に木の話をしてくれた老婆のことを思い出す。もちろん術士であるジュストには大いに助けられた。ラザレスとコーデリアは、今どうしているだろうか。

「木を残す方法は見つけた。城にも入れてもらえた。公爵も話を聞いてくれたし、約束だってしてくれたわ。あとはあたしとレオンが頑張るだけよ。ねえ、そうでしょう?」

 落としていた視線を上げれば、いつの間にか灰青の瞳はローゼへ向けられている。彼の表情は先ほどまで見せていた暗いものではないが、それでも明るくはなかった。

「あたしはあなたを助けられる方法を持ってるの。お願いだから、やめろなんて言わないで。……あたしに後悔をさせないで」

 言い終わって見上げると、黙ったままの青年はようやく口を開いた。

「……それでも私はローゼを止める。神降ろしはさせない」

 彼の言葉を聞いたローゼは笑みを浮かべた。途端に青年は眉をひそめる。

「言うと思った」

 ローゼの口から出た声は、思った以上に悪意に満ちていた。
 ならばきっと、浮かべている笑みも悪意に満ちていることだろう。

「だったらあたしはこのまま北方神殿に行って、木に火をつけてやる。あんなものがあるから悪いのよ。なくなっちゃえばいいんだわ」

 彼の表情が険しくなる。しかし先ほどとは違ってただ険しいだけではなく、どこかローゼを気遣う様子を見せていた。

「そもそも、変よね。なんでわざわざ公爵が神官になって、木を枯らしたなんて宣言をするわけ? ウォルス教の人物なら誰でもいいじゃない。誰か適当な人物を連れてきて、こいつが犯人だって言えばいいだけでしょう?」

「ローゼ」

「でもできないのよね。だって本当は木が枯れることにウォルス教は関わってないんだもの。下手にウォルス教の人物を連れてくれば、アストラン側が動いて面倒なことになっちゃうかもしれないものね」

 首をかしげてローゼは続ける。

「おまけに、どの町が余所者を入れてしまったんだーって、町同士がギスギスしちゃうわ。だからといって、どこかの町へ完全に罪を押し付けるのも難しいわねぇ。だって捏造なんだもの」

 言いながらローゼは青年の顔を覗き込む。ローゼを見返す青年はとても心配そうな様子に見えた。彼は何かを言いたげだったが、言葉を待たずにローゼは身をひるがえして話を続ける。

「その点、公爵閣下が木を枯らしたなら、領内では『神官だったせい』、アストラン側から見れば『人望のない公爵のせいで暴動が起きた』で済ませられるってこと? 完全に身内で片付けられるの? おまけに公爵家には手出し不可って不文律があるから、王家側や、他の貴族の軍隊も鎮圧に出てこないのね? よくできてるわ」

 その辺りの事情が本当かどうかは分からない。しかしおそらく、想像に近い何かではあるのだろう。

「だけどここで、あたしが北方神殿に乗り込んで、木に火をつけたらどうなるのかなー? ……んんん? でも火は無理か。大精霊が宿っていた特別な木だし、周囲には精霊がいるんだもの、きっとただの火で燃えたりなんかしないんだわ」

「ローゼ」

「仕方ないわね。それなら近くに行って『あたしはウォルス教の聖剣の主だ』って名乗りを上げた後、木に聖剣を突き刺すしかないのかな。。……ああ、この場合は心配しなくても大丈夫よ。今までだって、精霊たちを浄化するために聖剣を刺してきたの。木には何も起きないわ。でも周囲の人たちは、ウォルス教の人物であるあたしの行動をどう見ると思う?」

「ローゼ!」

 彼が腕を掴もうとするのを下がってかわし、ローゼは笑みを浮かべたまま上目遣いに灰青の瞳を見る。

「あたしはどうなっちゃうんだろうね。その場で人々から殴り殺されるのかな。あるいは城に引き渡されて、牢屋に入れられたりする? いずれにせよイリオスの広場で晒されるのは、あなたじゃなくてあたしになるわね。でもこうすれば、神降ろししなくてもあなたのことを守れるわ。どう? 素敵でしょ?」

 なんだか楽しくなって、ローゼは踊るようにくるくると回る。

「そしてあたしの記録は、きっと神殿から消されるの! すごいわ! 11振目の聖剣の主は、2代に渡って歴史から消えちゃうのよ!」

 高く笑いながら入り口へ向かおうとするローゼに、顔色を変えた青年が何かを言おうとする。

 その時、凄みのきいた低い声が響いた。

【……いったいなんだ、これは】

 張り詰めた空気があたりに満ちる。
 ローゼですら恐れを感じて立ち止まり、息をのんだ。

 声の主はレオンだ。

 しかし何かを抑えているような低い声は、今まで聞いたことがないものだった。

「……なぁに? 内に籠ってるんじゃなかったの?」

 思わず感じてしまった恐怖を払うように、ローゼはわざと明るく呼びかける。

 聖剣の内に意識を向けている時のレオンは、名を呼んだ程度では反応がない。呼び戻すには柄を強めに叩いたりする必要があるのだが、ローゼは今、聖剣に触れてもいなかった。

【お前らの様子が変だって、周りの精霊どもが聖剣にドカドカぶつかってきやがる。こんな状況なら嫌でも戻ってくるはめになるぞ。――それよりも】

 低い声のままレオンは続ける。

【おい。お前はローゼにここまで言わせるのか?】

 近くに立つ青年が体をこわばらせた。

【確かにお前は今まで大神殿で知識を得てきただろうし、その中には神降ろしの話もあったんだろうな。俺やローゼよりずっと色んなことを知ってるだろうから、危惧する気持ちも分からんでもない。だがそれでもあえて言う。ふざけるな!】

 音を立てて一陣の風が庭園を吹き抜る。ローゼは慌てて髪に巻いた布を押さえた。

【俺は聖剣だ。ローゼは聖剣の主だし、俺の娘でもある。ローゼことを誰よりも案じているのはこの俺だ。おそらくお前よりもな】

 聖剣に宿るレオンは表情が見えない。しかし、声はとても真摯しんしだった。

【俺はローゼのことが心配だ。本音を言えば俺だってローゼを止めたい。木なんて放って帰れと言いたいんだ。なのにどうして思うままにさせていると思う?】

 先ほどまでとは違い、静かにレオンは言う。

【王都でお前と別れてからのローゼをずっと見てきたからだ】

 初めから後押しをしてくれていたレオンが止めたいと思っているなどと、ローゼは考えたこともなかった。一番近くで見てくれていたレオンの心の内を知って、ローゼは感謝と同時に、申し訳なさで胸がいっぱいになる。

【でもお前は見ていない。……だからローゼを止めようとするのは仕方ないのかもしれないな】

 レオンの言葉を聞いた彼は瞳を見開き、ただうなだれた。

【そしてお前もだぞ、ローゼ】
「ふぇっ?」

 しんみりしながら物思いにふけっていたローゼは頓狂とんきょうな声を上げる。まさかレオンが自分にまで何かを言ってくるとは考えていなかった。

【こいつにはこいつの事情がある。お前だって分かってるな?】
「それはそうだけど、でも……」
【どうせ一方的な物言いしかしてないんだろ。少しはこいつのことも考えてやれ】
「だって!」
【考えてやれ】

 有無を言わさぬ調子で言われ、ローゼは小さくうなって黙る。

【もうだいぶ明るい。早めに切り上げて部屋に戻れよ】

 物憂げな調子の言葉を最後にレオンの反応はなくなる。

 場にはどこかきまり悪げなふたりが残された。
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