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第3章(後)
37.薄明りの庭 1
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ローゼはどうしようか考えたまま、庭の真ん中で動けなくなってしまった。
思いもかけずまた会えたのは嬉しい。
しかし昨日、フロランと木に関する話をしたばかりだ。『彼』がどこまで知っているのかは分からないが、もし追及されればバレてしまいそうな予感がするので、できればあまり話したくはなかった。
ローゼが悩んでいるうち、短い道を進んで貴族の青年が近くまで来る。柔らかな花の香りの中に先日と同じ甘い香りが漂い、ローゼは思わず眉を寄せた。
「……ローゼ?」
怪訝そうに問いかける声がする。ローゼは慌てて表情を戻し、なんでもない、と首を振って見せた。
「まさか会うなんて思わないから驚いちゃった。どうしたの? 散歩?」
「今日はローゼを探して来たんだ。部屋にいなかったから、もしかしたらここじゃないかと思って」
彼の言葉を聞いてローゼは目を見開く。
探してまで会いに来てくれたのだということが、ほんのり胸をあたたかくした。
「どうしてここだと思ったの?」
「先日、ローゼはこの庭へ来たんだろう?」
確かに以前、まだ夜が明けきらないうちにここへ来たことがある。
そういえば彼が訪ねてきたのはその日の深夜だったことをローゼは思い出した。
「……ねえ。前に部屋へ来てくれたでしょ? もしかしてその日の朝、この庭にも来た?」
ローゼ自身は周囲が明るくなる前に室内に戻ったのだが、その後この庭の付近で彼らしき声を聞いた気がするのだ。
まさかと思いつつ尋ねると、目の前の青年はうなずいた。
「この庭にいる精霊たちとは昔よく遊んだから、たまに会いに来るんだ。あの日も朝、ここへ来たよ。……その時、精霊たちに教えてもらったんだ。すごい精霊を連れた人が、近くの部屋にいるってね」
「そうだったの。精霊はお喋りだって聞いてたけど、本当なのね」
ローゼが笑うと、彼もわずかに笑みを浮かべて手を上げる。
少し躊躇った後、ローゼが髪に巻いた布へと触れた。
「この布を取ったローゼの姿も見た。……まさかいるはずがないと思っていたから、精霊に聞くまでは見間違いじゃないかと思っていたけどね」
ローゼは瞬いた。確かあれは、この城へ来てすぐのことだ。リュシーに庭園を案内してもらいながら、なんとなく布を取ってみたくなった時があった。
見てくれていたのかと嬉しく思った直後、微笑みを浮かべていたはずの彼の顔が、すっと険しくなる。
「さて。ローゼが城まで来てくれた理由はこの前聞かせてもらったけど、具体的にどういうことをするのかについては聞かなかったね」
「あー……うん、そうかな……」
悪い予感がする。しかし目を逸らすのはあからさまに怪しい気がしたので、ローゼはごまかすような笑みを浮かべて曖昧に返事をした。だがそんなことで引いてくれる相手ではない。事実、彼は険しい瞳でローゼを見つめたまま続けた。
「昨日、祖父から呼び出されたんだ。私が爵位を継ぐ予定だった日に違うことをするそうだよ。なんでも、余所から来た娘が大精霊の木に別の精霊――銀狼の力を宿す方法を見つけたので、その儀式を行うのだとか」
ローゼは歯噛みする。フロラン経由で公爵にも口止めをしておけば良かったと思うが、もう遅い。
「余所から来た娘というのはもちろんローゼのことだね? 銀の森の主であるはずの銀狼を大精霊の木までどうやって呼ぶのか興味がある。ぜひ方法を教えてもらえないかな」
「えーと……」
もごもごと呟きながら、彼から視線を外す。悪い予感は当たってしまった。ローゼが神降ろしをすると気付いた彼は、想像通り止めに来たのだ。
庭の入り口を見れば、若い護衛兵がひとり立っていた。おそらく、ローゼの目の前にいる青年と共に来たのだろう。助けてくれ、という思いで見つめると、目が合ったはずの護衛兵はさりげなく視線をそらす。
護衛がそんなことで良いのだろうかと苦笑したのも束の間、厳しい声が響いた。
「ローゼ」
こちらを見なさい、という意を込めた声だ。勉強の会などで上の空だった相手や、注意を聞かない子を呼ぶ時などに、アーヴィンは時々こんな声を出していた。
思わず視線を戻すと、彼は腰に両手を当ててローゼを見ている。
「あれはもう絶対やらないようにと言ったはずだね?」
果たしてどのようにして切り抜けるべきか。ローゼは焦りを覚えながら必死で考えた。
「えー、なんのことだっけ……」
「前にも言ったが、神降ろしは本当に危険なんだ。しかも……」
言いかけて、彼はふと考え込む様子を見せた。その隙に逃げてしまうつもりでゆっくり入り口側の道へ移動しようとしたローゼの手首を、気付いた彼が逃がすものかとばかりに掴む。
「神降ろしで出来るのはただ存在を降ろすことだけだ。人の身では耐え切れないから、力を降ろすことはできない。それなのに力まで扱う? どういうことだ? 何をしようとしている?」
「何をって、別に……ただあたしは、その……」
「歯切れが悪いね。もしかして、私に隠したいことでもあるのかな?」
「ま、まさか。そんなわけないでしょ」
とっさに口にした言葉は、自分の首を絞めただけだった。
「では、何をするつもりか全部言ってごらん。隠してるんじゃないなら言えるね?」
もちろん全て隠すつもりだったローゼとしては、とても困る。しかし右の手首は彼にがっちりと掴まれたままで、どう考えても逃げられそうもない。そして彼の表情は、全部話すまで絶対に手を放さない、と語っていた。
「ああもう、分かった、そんな目で見ないでよ。全部言うから」
ローゼは諦めのため息をつき、彼から視線を外してさ迷わせる。視界に入った若い護衛は、周囲に注意を払うわけでもなくまだあらぬ方を向いていた。あの人は本当に何をしに来たのだろうと思いつつローゼは口を開いた。
「銀狼を呼ぶ方法はあなたが思ってる通りだし、あたしだけじゃ力が降ろせないのもその通り。だから当日は、あたしが銀狼自体を降ろして、レオンが銀狼の力を受け持ってくれる予定なの」
近くで小さく息をのむ気配がしたが、ローゼはまだ彼を見ることができない。相変わらず周囲に視線を泳がせながら言葉を続ける。
「あたしと聖剣はお互いがお互いのものよ。もちろん聖剣に宿ってるレオンとあたしも同じことだわ。……レオンは何だか良く分からない存在だけど、精霊としての力があるのは間違いない。その精霊の力は元々銀狼のもので、今回降ろす精霊は銀狼。これだけ条件が揃ってるなら、なんとかできるだろうっていう考えよ」
そこまで言ってから恐る恐る青年に瞳を向けると、彼は話を聞きつつも自分の考えに沈んでいるようだった。
いずれにせよまだ手を放してもらえそうにないので、仕方なくローゼは言葉を重ねる。
「……銀狼自身も、自分の力は人には耐えられないぞって言ってたからね。力に関してはあたしの方へ来ないように、レオンが頑張って受けてくれるって言ってるわ。あたしはとにかく銀狼を降ろすだけ。……はい、これが今回の計画よ。全部話したわ。もういいでしょう?」
しかし、彼に力を緩める様子はない。ローゼは眉根を寄せた。
「ねえ、放してよ」
「駄目だ」
低い声で言い切った彼は、先ほどよりも険しい表情でローゼを見る。
「ただでさえ神降ろしは危険なんだ。それなのに力も共に扱う? そんな話は聞いたことがない」
「当たり前でしょ。だって今までの人たちには、レオンなんていう妙なものがいなかったんだもの」
「それにしても不確定なことが多すぎる。今からでもいい、止めるんだ」
「嫌よ」
「もしもうまく行かなくて、ローゼの身に何かあったらどうする?」
「絶対にうまく行かせる」
「うまく行くかどうかなんて、分からないだろう? 絶対に駄目だ」
「ああもう、うるさいわね」
反対され続けたローゼは完全に頭に来ているのだが、それでも彼はさらに言い募る。
「そもそも以前、もうやらないと約束をしたじゃないか。なのになぜ――」
「いい加減にして!」
我慢できなくなり、ローゼは思わず怒鳴りつけた。
――短くなった髪、見慣れない衣装、いつもとは違う香り。
「あたしはあなたなんて知らないわ! あなたとは何の約束もしてないのよ! どうしても言うことを聞かせたいなら、あたしが本当に約束した、うちの村の神官を呼んで来なさいよ!」
ローゼの言葉に、青年がたじろぐのが分かった。
「ねぇ、分かった? エリオット様!」
続いて名を叫んだ瞬間、彼の力が緩まる。その隙を逃さずにローゼは手を振り払った。
赤くなった手首をさすりながら上目遣いに見ると、彼はローゼから顔を背け、寂しさと悔しさと悲しみとがないまぜになった、なんとも言えない顔で地面に視線を落としている。
さすがに少しばかり言葉が過ぎたかという思いもあったが、それより今のローゼは怒りの感情の方が強かった。
思いもかけずまた会えたのは嬉しい。
しかし昨日、フロランと木に関する話をしたばかりだ。『彼』がどこまで知っているのかは分からないが、もし追及されればバレてしまいそうな予感がするので、できればあまり話したくはなかった。
ローゼが悩んでいるうち、短い道を進んで貴族の青年が近くまで来る。柔らかな花の香りの中に先日と同じ甘い香りが漂い、ローゼは思わず眉を寄せた。
「……ローゼ?」
怪訝そうに問いかける声がする。ローゼは慌てて表情を戻し、なんでもない、と首を振って見せた。
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「今日はローゼを探して来たんだ。部屋にいなかったから、もしかしたらここじゃないかと思って」
彼の言葉を聞いてローゼは目を見開く。
探してまで会いに来てくれたのだということが、ほんのり胸をあたたかくした。
「どうしてここだと思ったの?」
「先日、ローゼはこの庭へ来たんだろう?」
確かに以前、まだ夜が明けきらないうちにここへ来たことがある。
そういえば彼が訪ねてきたのはその日の深夜だったことをローゼは思い出した。
「……ねえ。前に部屋へ来てくれたでしょ? もしかしてその日の朝、この庭にも来た?」
ローゼ自身は周囲が明るくなる前に室内に戻ったのだが、その後この庭の付近で彼らしき声を聞いた気がするのだ。
まさかと思いつつ尋ねると、目の前の青年はうなずいた。
「この庭にいる精霊たちとは昔よく遊んだから、たまに会いに来るんだ。あの日も朝、ここへ来たよ。……その時、精霊たちに教えてもらったんだ。すごい精霊を連れた人が、近くの部屋にいるってね」
「そうだったの。精霊はお喋りだって聞いてたけど、本当なのね」
ローゼが笑うと、彼もわずかに笑みを浮かべて手を上げる。
少し躊躇った後、ローゼが髪に巻いた布へと触れた。
「この布を取ったローゼの姿も見た。……まさかいるはずがないと思っていたから、精霊に聞くまでは見間違いじゃないかと思っていたけどね」
ローゼは瞬いた。確かあれは、この城へ来てすぐのことだ。リュシーに庭園を案内してもらいながら、なんとなく布を取ってみたくなった時があった。
見てくれていたのかと嬉しく思った直後、微笑みを浮かべていたはずの彼の顔が、すっと険しくなる。
「さて。ローゼが城まで来てくれた理由はこの前聞かせてもらったけど、具体的にどういうことをするのかについては聞かなかったね」
「あー……うん、そうかな……」
悪い予感がする。しかし目を逸らすのはあからさまに怪しい気がしたので、ローゼはごまかすような笑みを浮かべて曖昧に返事をした。だがそんなことで引いてくれる相手ではない。事実、彼は険しい瞳でローゼを見つめたまま続けた。
「昨日、祖父から呼び出されたんだ。私が爵位を継ぐ予定だった日に違うことをするそうだよ。なんでも、余所から来た娘が大精霊の木に別の精霊――銀狼の力を宿す方法を見つけたので、その儀式を行うのだとか」
ローゼは歯噛みする。フロラン経由で公爵にも口止めをしておけば良かったと思うが、もう遅い。
「余所から来た娘というのはもちろんローゼのことだね? 銀の森の主であるはずの銀狼を大精霊の木までどうやって呼ぶのか興味がある。ぜひ方法を教えてもらえないかな」
「えーと……」
もごもごと呟きながら、彼から視線を外す。悪い予感は当たってしまった。ローゼが神降ろしをすると気付いた彼は、想像通り止めに来たのだ。
庭の入り口を見れば、若い護衛兵がひとり立っていた。おそらく、ローゼの目の前にいる青年と共に来たのだろう。助けてくれ、という思いで見つめると、目が合ったはずの護衛兵はさりげなく視線をそらす。
護衛がそんなことで良いのだろうかと苦笑したのも束の間、厳しい声が響いた。
「ローゼ」
こちらを見なさい、という意を込めた声だ。勉強の会などで上の空だった相手や、注意を聞かない子を呼ぶ時などに、アーヴィンは時々こんな声を出していた。
思わず視線を戻すと、彼は腰に両手を当ててローゼを見ている。
「あれはもう絶対やらないようにと言ったはずだね?」
果たしてどのようにして切り抜けるべきか。ローゼは焦りを覚えながら必死で考えた。
「えー、なんのことだっけ……」
「前にも言ったが、神降ろしは本当に危険なんだ。しかも……」
言いかけて、彼はふと考え込む様子を見せた。その隙に逃げてしまうつもりでゆっくり入り口側の道へ移動しようとしたローゼの手首を、気付いた彼が逃がすものかとばかりに掴む。
「神降ろしで出来るのはただ存在を降ろすことだけだ。人の身では耐え切れないから、力を降ろすことはできない。それなのに力まで扱う? どういうことだ? 何をしようとしている?」
「何をって、別に……ただあたしは、その……」
「歯切れが悪いね。もしかして、私に隠したいことでもあるのかな?」
「ま、まさか。そんなわけないでしょ」
とっさに口にした言葉は、自分の首を絞めただけだった。
「では、何をするつもりか全部言ってごらん。隠してるんじゃないなら言えるね?」
もちろん全て隠すつもりだったローゼとしては、とても困る。しかし右の手首は彼にがっちりと掴まれたままで、どう考えても逃げられそうもない。そして彼の表情は、全部話すまで絶対に手を放さない、と語っていた。
「ああもう、分かった、そんな目で見ないでよ。全部言うから」
ローゼは諦めのため息をつき、彼から視線を外してさ迷わせる。視界に入った若い護衛は、周囲に注意を払うわけでもなくまだあらぬ方を向いていた。あの人は本当に何をしに来たのだろうと思いつつローゼは口を開いた。
「銀狼を呼ぶ方法はあなたが思ってる通りだし、あたしだけじゃ力が降ろせないのもその通り。だから当日は、あたしが銀狼自体を降ろして、レオンが銀狼の力を受け持ってくれる予定なの」
近くで小さく息をのむ気配がしたが、ローゼはまだ彼を見ることができない。相変わらず周囲に視線を泳がせながら言葉を続ける。
「あたしと聖剣はお互いがお互いのものよ。もちろん聖剣に宿ってるレオンとあたしも同じことだわ。……レオンは何だか良く分からない存在だけど、精霊としての力があるのは間違いない。その精霊の力は元々銀狼のもので、今回降ろす精霊は銀狼。これだけ条件が揃ってるなら、なんとかできるだろうっていう考えよ」
そこまで言ってから恐る恐る青年に瞳を向けると、彼は話を聞きつつも自分の考えに沈んでいるようだった。
いずれにせよまだ手を放してもらえそうにないので、仕方なくローゼは言葉を重ねる。
「……銀狼自身も、自分の力は人には耐えられないぞって言ってたからね。力に関してはあたしの方へ来ないように、レオンが頑張って受けてくれるって言ってるわ。あたしはとにかく銀狼を降ろすだけ。……はい、これが今回の計画よ。全部話したわ。もういいでしょう?」
しかし、彼に力を緩める様子はない。ローゼは眉根を寄せた。
「ねえ、放してよ」
「駄目だ」
低い声で言い切った彼は、先ほどよりも険しい表情でローゼを見る。
「ただでさえ神降ろしは危険なんだ。それなのに力も共に扱う? そんな話は聞いたことがない」
「当たり前でしょ。だって今までの人たちには、レオンなんていう妙なものがいなかったんだもの」
「それにしても不確定なことが多すぎる。今からでもいい、止めるんだ」
「嫌よ」
「もしもうまく行かなくて、ローゼの身に何かあったらどうする?」
「絶対にうまく行かせる」
「うまく行くかどうかなんて、分からないだろう? 絶対に駄目だ」
「ああもう、うるさいわね」
反対され続けたローゼは完全に頭に来ているのだが、それでも彼はさらに言い募る。
「そもそも以前、もうやらないと約束をしたじゃないか。なのになぜ――」
「いい加減にして!」
我慢できなくなり、ローゼは思わず怒鳴りつけた。
――短くなった髪、見慣れない衣装、いつもとは違う香り。
「あたしはあなたなんて知らないわ! あなたとは何の約束もしてないのよ! どうしても言うことを聞かせたいなら、あたしが本当に約束した、うちの村の神官を呼んで来なさいよ!」
ローゼの言葉に、青年がたじろぐのが分かった。
「ねぇ、分かった? エリオット様!」
続いて名を叫んだ瞬間、彼の力が緩まる。その隙を逃さずにローゼは手を振り払った。
赤くなった手首をさすりながら上目遣いに見ると、彼はローゼから顔を背け、寂しさと悔しさと悲しみとがないまぜになった、なんとも言えない顔で地面に視線を落としている。
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