上 下
100 / 262
第3章(後)

36.黎明

しおりを挟む
 話し合いが終わり、ローゼはそのまま部屋を退出させられた。フロランを含む男性たちは話し合いを続行するようだったので、部屋へはフロランの護衛のみが送ってくれる。

 室内に入って扉を閉め、立ち去る靴音を聞いたローゼは深く息を吐き、そのまま床に座り込んだ。

【どうした、大丈夫か?】
「うん、平気。緊張が解けて力が抜けちゃっただけ」

 レオンに答えながら壁に背を預ける。
 部屋に戻るまでは護衛が明かりを持っていたのだが、ローゼには何も渡されていないため室内は暗い。それでも気持ちだけは明るかった。

「やっと公爵にも会えたね。……ここまで来たなぁ」
【そうだな。よく頑張ったぞ】
「うん、レオンも。本当にありがとう」

 安堵の笑みを浮かべた後、ローゼは床にあった聖剣を膝の上に置いた。

「それにしても、フロランはやっぱり北方が好きなんだね」
【あいつは大精霊の息子だしな。木に対しては人並み以上の思いがあるんだろう】

 フロランの、大精霊のいた木を枯らしたくない、この地を離れたくないのだ、と訴える姿からは嘘をまったく感じなかった。それでも次回会った時に彼は「演技だった」と言い訳をしそうな気がする。

 くすくすと笑ったローゼは、ふと、その場にもうひとりいたシャルトス家の人物のことを思った。

「公爵はどうなんだろう。ずっと黙ってたけど、フロランに大精霊の木のことを言われてから、答えを出したよね」
【さてな。本当に大精霊のことを思っているなら、自分の息子や孫を見殺しにはしないだろう】

 答えるレオンの声は嫌悪に満ちていた。今の彼は心が大精霊寄りなのかもしれない。
 それでもローゼは重ねて問いかけた。

「……最後はフロランの言葉にほだされたと思う?」
【俺には分からん】

 言葉は投げやりだったが、どことなくもの悲しさを感じた気がして、ローゼは膝の上に乗せた聖剣を黙って見つめる。

 しばらくして、ローゼは小さく呟いた。

「……あの公爵も、爵位を押し付けられたのかな」

 レオンからの返事はなかった。

 以前フロランからは、50年ほど前に大精霊が消滅する兆候が見られたと聞いた。それは現公爵が、爵位を継いですぐくらいだったと。
 先ほど見た公爵は60代後半くらいの年齢に見えた。だとすれば、20歳くらい、もしかすると10代の後半で公爵になったこととなる。

 もちろん先代の公爵がなんらかの事情で世を去ることはあるだろう。そうでなくとも、代替わりには複雑な事情が絡んでいたのかもしれない。

 しかし、大精霊が消滅する兆候を感じ取った先代公爵に、現公爵が無理やり代替わりさせられたのだとしたらどうだろうか。

「……なんか疲れちゃったな。衣裳を脱いだら寝るね」
【それがいい……いや、だから、箪笥に入れるな】
「もう今更でしょ」

 笑って引き出しを閉めたローゼは、そっとため息をつく。

 自分の名誉のため孫に後始末を押し付け、逆らうものには容赦がない。絶対的な権力を持つ北の独裁者。

 公爵というのはそんな人物だと思っていた。

 確かにその片鱗はある。しかし過去はともかく、現在は随分揺らいでいるようだ。ナターシャによれば城内ですら彼の権威は衰えているらしい。確かに町の噂でも公爵に対して批判的なものを多く聞いた。離れた町では批判的な意見の方が多かったくらいだ。

 人々に背かれつつあり、精霊からはとうに嫌われている。

 すべては公爵の行いのせいだ。本来ならシャルトスの家に産まれたというだけで、大精霊は無償の愛を注いでくれたはずなのに、彼はそれすらも手放した。

 しかしこのことも含めてすべてが、代替わりを強要させられたが故に彼が歪んでしまった結果だとしたらどうだろうか。もし想像が当たっているとするのならば、実は公爵も不幸な人物だったのかもしれない。

 もちろん好意的な感情を向けることはできない。

 それでもローゼは公爵に対し、ほんの少しだけ哀れみを抱いた。


   *   *   *


 翌日、朝食を持ってきたリュシーは少し疲れているようだった。
 昨日の夕食が遅くなったことを詫びるリュシーに首を横に振り、ローゼは何があったのか尋ねてみる。

「マリエラの説得をしていたのよ。クラレス伯爵のことが祖父に知られてしまったから、今のうちに家に帰るよう言ったのだけれど……」

 どうやらマリエラは自分の父が計画していることを何も知らされていなかったらしい。話を聞くと青い顔で「急に態度が変わったと思ったら、そういうこと……」と呟いたきり黙ってしまったのだと、寂しげな笑みを浮かべてリュシーはローゼに教えてくれた。

「今はクラレス伯爵の話が公になっていないから、祖父も何も知らないふりをしているし、マリエラのことも不問にしているわ。でももし、公になってしまったら……」

 憂い顔のまま、リュシーは部屋を去る。

 彼女が出て行ってから、しばらくの後にやってきたのはフロランだ。いつものように勝手に椅子へ座った彼は、前置きもなく切り出す。

「昨日のあれは演技だからね。別に私の本心ではないし、そもそも――」
「分かっています。あたしの味方をしたわけではないんですよね」
「そういうこと。大体さ、祖父だって自分の策を貫くよりも、ローゼの話に乗った方がいいと判断したから頷いただけだしねぇ」

 足を組んで手をひらひらとさせるフロランだが、昨夜の態度より今の方がよほど演技のように感じるということを、ローゼは黙っておくことにした。

「ところで、お願いがあるのですが」
「んー? 私に? 何かな?」
「あなたのお兄さんには、木に関する話の詳細をぎりぎりまで伝えずにいて欲しいんですけど」

 ローゼが言うと、フロランは難しい顔をして腕を組む。

「なかなか面倒なことを言うね。理由を聞こうか?」
「あたしが使うつもりでいる方法は、あなたのお兄さんに止められているんです」

 大精霊の木に銀狼を呼ぶときには神降ろしを使うつもりでいるが、以前グラス村でレオンのためにエルゼを呼んだ後、アーヴィンからは「今後は絶対しないように」と言われている。

 ローゼの言うことを聞いたフロランは、不思議そうに首を傾げた。

「でも、その方法を使わないと銀狼が呼べないんだよね? だったら兄だって、知ったところで何も言わないんじゃないかなぁ?」
「いいえ。あたしが何をするつもりなのか気付いたら、間違いなく止めに来ます」
「自分が助かるにはその方法しかないとしても?」
「はい」

 フロランは言い切るローゼをつまらなそうに見た後、腕組みを解いてうなずいた。

「分かった。面倒ごとは避けたいから、できるだけ黙っておくよ」

 ローゼはほっとした。これで時間の問題だとしても、ぎりぎりまで彼の邪魔は入らないだろう。

「……で、あたしの出番はいつになりそうなんですか?」
「あと23日後」

 フロランの返答を聞いてローゼは眉をひそめた。

「ずいぶん後ですね」
「そうかな。これは本来、エリオットの公爵位継承の日なんだけどねぇ」

 ニヤニヤと言うフロランを見ながらローゼはむっとする。
 とはいえそう考えるのならば、時間はあまり無いような気がした。

「……なんでそんな日にしたんですか?」
「各地の有力者たちが城へ来ることになってるからだよ。それにもしローゼが失敗したらさ、そのままエリオットが公爵位を継ぐ式典に変更できるだろ? ちょうどいいと思わない?」
「思いません。あたしは失敗しませんから」

 思わずローゼが言い切ると、フロランは楽しそうに笑った。 

「まあいいや。とにかくローゼにはこのまま滞在を続けてもらう。でも、今まで通りでなくて構わないよ」

 フロランが身振りで指示すると、護衛のひとりが部屋のカーテンを開ける。暗い部屋に光が満ち、ローゼは眩しさに目を細めた。

「どういうことですか?」
「ローゼは祖父の公認になったようなものだからね。隠す必要がないってことさ。……ああそうだ。せっかくだし、もっと大きい客間を用意してあげようか?」

 笑いながら言うフロランに向かってローゼは首を横に振る。欲がないね、と言いながら楽しげに立ち去るフロランを見送った後、ローゼは改めてカーテンを閉めた。

【どうした、ローゼ。なんで閉めるんだ? それにせっかくなんだから、部屋だって大きいところに移してもらえばいいじゃないか】
「うん……」

 怪訝そうに問いかけるレオンの言葉はもっともだ。本来ならローゼだって大きい部屋へ行きたいし、窓を開けたいし、外だってうろつきたい。

「……なんていうのかな。公爵の力は落ちてるっていう話だったでしょ? できれば今まで通り、ひっそり過ごしてる方がいいような気がして」

 言ってからローゼは少し考え、気分を変えるように聖剣に向けて笑ってみせる。

「なんてね。ずっとこんな風に過ごしてきたから、環境が変わるの怖いだけよ。本当なら明日にでも木をなんとかして、さっさと帰りたいわ。……ああ、でも、そうね」

 ローゼは小さく手をたたいた。

「あの小さい庭になら時々行ってもいいと思わない? 人もほとんど来ないし。もちろん、ちゃんと髪は隠すわ」
【そうだな。精霊もいるし、あそこはいいところだぞ】
「決まりね。明日天気が悪くなかったら、さっそく行ってみようか」

 結局その日、ローゼがカーテンを開けることはなかった。それでも夕食の後にリュシーが化粧で傷を作ろうとするのは断る。なんとなく、もう治ったことにしたかったのだ。
 リュシーもローゼの気持ちを汲み、笑顔でうなずいてくれた。

 そして翌日の夜明け前、ローゼは窓から外へ出る。
 視線を上に向けてみれば、空は夜明けまで時間があることを告げていた。まだしばらくは外に居ても平気だろう。

「外の空気はやっぱりいいわねー」
【そうだな】

 どことなく機嫌の良さそうなレオンと共に歩き出したローゼは、乱雑に刈り込まれた低い生け垣に沿って進む。やがて切れ目から庭の中央へ向かう短い道が現れた。

 道に踏み入って進んでいくと、庭の中央には円形の空間があった。中央からは、入り口方向の道も含め四方へ短い道が伸びている。
 
 道によって仕切られた4つの区画にはそれぞれ色や種類の違う花が咲いているが、ほとんどが小さな可愛い花ばかり、大輪の花は少ない。しかし小さな庭には、小さな花がよく似合った。
 どの方向へ行こうかと思いつつも、まずは中央へ向かって歩きながらローゼはレオンに呼びかける。

「そうだ、レオン。ここには精霊がいたよね? せっかくだから見せてよ」

 以前は精霊が見えていたこともあってそっと足を踏み入れたが、今回は見えていなかったので無配慮だ。寝ている精霊たちを起こしてしまったかなと思いつつ頼んでみたのだが、先ほどまで普通に話していたというのにレオンからの返事がない。

 怪訝に思いながら、ローゼは再度声をかける。

「レオン? ねえ、聞いてる?」

 しかし聖剣からは何の答えも戻らなかった。

 確かレオンは先日も呼びかけに答えなかったことがある。

 まさかと思いながら来た道を振り返ってみると、褐色の髪をさらさらと風に揺らす貴族の青年が、庭の入り口に立っていた。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

婚約破棄され、超絶位の高い人達に求婚された件

マルローネ
恋愛
侯爵家の御曹司と婚約していたテレサだったが、突然の婚約破棄にあってしまう。 悲しみに暮れる間もなく追い出された形になったが天は彼女を見放さなかった。 知り合いではあったが、第二王子、第三王子からの求婚が舞い降りて来たのだ。 「私のために争わないで……!」 と、思わず言ってしまう展開にテレサは驚くしかないのだった……。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

女性がニガテじゃダメですか?

尾藤イレット
恋愛
辺境伯のエルンスト・フォストナーは転生者だった。 前世の記憶から、女性を苦手としていたが、彼の周りに集まるのは、何故か一癖も二癖もある女性ばかり。 夢のリタイヤ生活を夢みて、今日も頑張る彼は、ある日ダンジョンで怪我をして倒れていた女性を救う。 そんな事から始まる物語です。 なろうに同時にアップしております。 楽しんでいただけたら幸いです。 みなさまの評価やブックマークが大変励みになっております。

【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

凛蓮月
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】  公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。  だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。  ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。  嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。  ──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。  王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。  カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。 (記憶を取り戻したい) (どうかこのままで……)  だが、それも長くは続かず──。 【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】 ※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。 ※中編版、短編版はpixivに移動させています。 ※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。 ※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます 修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。 その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。 彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。 ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。 一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。 必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。 なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ── そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。 これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。 ※小説家になろうが先行公開です

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

処理中です...