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第3章(後)
余話:術士未満と元侍女
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夕方、イリオスの北方神殿を退出したアメリは家路につきながらため息をつく。
毎日毎日「今日こそ言おう」と思うのだが、結局誰に言ったら良いのか分からず、誰にも話すことができない。
明日こそ、と思うが、きっと明日も同じ気持ちを抱きながら家路につくのだろう。
もう40も半ばになろうという年齢だ。まだ若いならばともかく、この年になって踏ん切りをつけることができないなど情けない。
そんなことを思いながら鬱々と歩いていると、後ろから声をかけられた。
「アメリ」
振り返ると、すらりと背の高い、理知的な女性が立っていた。
アメリの幼馴染、マルティナだ。
マルティナは10年ほど前まで、城に侍女として仕えていた。しかし辞めて数年後にイリオスを離れてしまったので、アメリも彼女にはずいぶん会っていなかった。
「マルティナ、久しぶりじゃないのぉ! 全然変わらないわねぇ。どうしたの? キーシュの町にいる娘さんのところに引っ越したんじゃなかった?」
「少しお城に用があって」
「お城に? 何の用?」
アメリが尋ねると、マルティナは不思議な雰囲気の笑みを浮かべる。
彼女が侍女をしていたころにアメリが城の中のことを尋ねると、彼女はいつもこんな笑みを浮かべた。そして言うのだ。
「……内緒」
昔と同じ笑み、そして同じ返事。
変わらないね、とアメリは笑った。
「ねえ、マルティナ。今日はどこへ泊るの?」
マルティナの両親はもういない。イリオスで住んでいた家もとっくに引き払ってしまっている。
「宿を取るつもり」
「それならうちへいらっしゃいよ。うちの亭主は先週から息子たちと行商へ行ってるからね、今は私ひとりなのさ」
アメリが誘うと、わずかに微笑んだマルティナはうなずく。
それが彼女の喜んでいる顔だということは、付き合いの長いアメリには良く分かっていた。
* * *
マルティナはあまり話す方ではないので、喋るのは主にアメリだ。
懐かしい話をしながら夕食が終わり、一息ついたところでお茶を淹れる。
話に区切りがついたとき、アメリはなんとなく、ここ何日も言えなかった話をマルティナにしてみようと思った。
「ねえ、マルティナ。私、どう考えたらいいのか分からない話を見たんだけどねぇ」
アメリが話し出すと、マルティナは先を促すように黙って首をかしげる。
「何日か前の話よ。北方神殿からイリオスの森へ向けて、何体か精霊が飛んで行ったのよ。術士曰く、瘴穴ができたって言うのさ」
アメリは精霊が見える。しかし術士ではない。なぜならアメリの精霊に関する力は弱く、見えるだけで声を聞くことはできないからだ。
会話ができなければ意思疎通ができないので、精霊の力を借りる精霊術は使えない。そのためアメリはイリオスの北方神殿で働いてはいるものの、ただの雑用係だった。
しかし精霊の姿も見えないマルティナは不思議そうに問い返す。
「……瘴穴って見えるものだった?」
「やあねぇ、人には見えないよ。でも、精霊は見えるのさ。術士は精霊から話を聞いたんだよ」
それを聞いてマルティナは納得したようにうなずいたので、アメリは先を続けた。
「でもね、北方神殿から飛んで行った精霊たちがなかなか帰ってこないからさ。術士たちが様子を見てきてくれって私に言うのよぉ。気になるけど自分で行くのは怖いってことなんでしょうけど、私なんて精霊術が使えないんですからね、もっと怖いって言うのにさぁ」
言ってアメリは目の前の茶を一口飲む。
「そんなこと言っても、私なんて結局はただの雑用係だから、術士に命令されたらしょうがないわよねぇ。だから魔物が出てこないかしらってびくびくしながら森へ瘴穴を見に行ってたんだけど、あれは……何日前だったかね」
さらにもう一口茶を飲んで唇を湿らせると、アメリは視線を落として続ける。
「精霊たちが何体も瘴気に染まってるし、ついでに瘴穴があるときの動きをしてるっていうのは遠目からでも分かったんでさ。帰ろうとしたら、変わった娘がひとり、瘴穴の方へ向かっていくのよ」
「……変わった娘?」
「剣を持ってたんだけどね、その剣には精霊がいたのよ」
「精霊がいる剣……」
「そうよ、あの剣には間違いなく精霊がいた。私にも見えたからね。……でさ。娘は誰かと話をしながら、瘴穴にの方に向かっていくわけよ。独り言みたいだったから、話し相手は剣の精霊でしょうねぇ」
自分にも精霊の声が聞こえたらよかったのにと思いつつ、アメリは続ける。
「思わず後を追ったらね。娘が言うのよ。『うわ、こんな大きな瘴穴見たことない』って」
アメリの言葉に、マルティナは眉根を寄せた。
「瘴穴は見えないんじゃなかった?」
「ね? だからおかしいのよ。見えないはずの瘴穴が見えるなんて言うんだからさぁ!」
アメリは目の前のカップを空にした。
「おかしいことは他にもあるのよ。その娘がね、剣を地面に突き刺したらさぁ、なんと精霊たちの動きが普段通りに戻ったのよ」
「……どういうこと」
「つまり、瘴穴が消えたの」
空のカップを弄びながら、アメリは続ける。
「変でしょう? 状況から考えるとさ、その娘は瘴穴が見える上に、剣を使って瘴穴まで消したってことになるの」
立ち上がったアメリはマルティナのカップも手にし、もう一度お茶を淹れる。
「さらにその娘はさ、瘴気に染まった精霊たちを空中で一列に並ばせるとね、こう、剣で突き刺したのよ!」
まるで肉や野菜を串に刺すみたいにね、と付け加えながらアメリは身振りで娘の動きを再現する。
「そしたら精霊たちはね、瘴気が浄化されて元通り。びっくりしたわよぉ」
言いながらアメリはため息をついた。
「でもさ、こんな話してもきっと誰も信じちゃくれない。結局私はそのまま北方神殿へ戻ったんだけど、術士たちには何も言えなかった。瘴穴は消えてた、ってそれだけしか伝えなかったのさ」
「そう」
「……瘴穴を消すなんてことや、瘴気に染まった精霊を元に戻せるなんてことを、私は今まで見たり聞いたりしたことなんてないよ」
アメリは茶を淹れたカップを持ち、マルティナの前と、自分の前に置く。
椅子に座りながら呟いた。
「……精霊に関することならイリオスの北方神殿で分かるはずさ。でも、あの娘がやったことは、少なくとも術士ができることの範疇にはない。だとすれば、あの娘はもしかして……」
それ以上を言うことはできない。
静かになった部屋に、今度はマルティナの声が響く。
「……アメリ。私が今回キーシュから来たのは、エリオット様に会うためなの」
「エリオット? あの、余所者混じりの元神官?」
エリオットの生母である余所者シーラは、本来なら公爵家の跡を継ぐはずだったクロードを、自分の夫を殺した悪女だ。
そんな女の息子エリオットは自身の立場に不満があり、公爵家を逆恨みして出奔した。さらに神官となって戻ってきた上でフロランを脅し、公爵の跡継ぎという立場を無理やり奪った卑劣な男だと聞いている。
アメリは思わず顔をしかめたのだが、しかしマルティナはそんなアメリを見て悲しそうに首を振った。
「違う、アメリ。違うの。エリオット様はそんな方じゃない」
「マルティナ?」
「……私が侍女を辞める前にお仕えしていた方というのは、エリオット様よ」
アメリは目を丸くした。
マルティナがエリオットに仕えていたことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは、今まで絶対「内緒」としか言わなかった彼女の口から、城で働いていた内容を具体的に聞いたためだ。
「エリオット様が10歳で城を離れる時もお見送りしたわ。……だからお戻りになったと聞いた時にどうしてもお会いしたくてイリオスまで来てしまった。仲の良かった人にこっそり城に入れてもらって、服を借りて、侍女としてほんの少しだけお話したの」
いつものマルティナは口数が少ない。それがここまで饒舌に、しかも悪人として名高いエリオットの話をするなど、アメリには信じられなかった。
「あの方は変わっておられなかった。私のことも覚えてらした。嬉しかったわ」
子の成長を喜ぶ母のような顔つきで、マルティナはアメリに笑って見せた。
マルティナがエリオットにここまで肩入れしているなんて、とアメリは呆然とする。もしかして彼女は何か妙な術にでもかかっているのではないだろうか。
そんなアメリを見ながら、マルティナはぬるくなってしまったカップを手に取った。
「話しすぎたわ。これ以上は内緒」
そう言ってマルティナはいつもの不思議な笑みを浮かべた。
* * *
以降は他愛もない話をして過ごし、翌朝アメリは、キーシュの町へ戻るというマルティナと共に北方神殿の方へと向かっていた。
「ねえ、マルティナ。私、考えたんだけどねぇ」
アメリは、密かな声で話しかける。
「私はね、あんたが仕えてたっていう……あの人のことは知らないよ。だけど、あんたのことはよく知ってるさ。幼馴染だしね。……あんたは賢いし、物事をよく見てる」
マルティナは黙って首をかしげた。
「そのあんたがあの人に好意的なんだから、私ももう少しあの人のことを……ちゃんと見てみるよ」
アメリは北方神殿に来るエリオットの姿を見たことがある。
彼が子どものころには何度も。そして、戻ってきてからは一度だけ。
今までは通説を信じていたから嫌悪の目でしか見ていなかった。しかし思い返してみれば、彼が大精霊の木や精霊たちに話しかける姿に、噂とは違うのではないかという、かすかな思いがあったのもまた事実だ。
元神官だったエリオットが悪い人ではないとすれば。
先日見た不思議な娘がウォルス教関連の人物だったとすれば。
公爵家というのは、もしかすると……。
「ああ、あんたが私に話したってことは誰にも言わない。だってお城のことは内緒だからね」
そう囁くと、マルティナは小さく笑って尋ねる。
「アメリが見た話、キーシュでしてもいい? 全部は言わないし、アメリの名前も出さない」
アメリは少し考えてうなずいた。
「いいよ。私は今日、雑用仲間にあの話をするつもりさ。何人かに話をすればきっと、どっかから噂は広がって行くだろうしね」
言ってアメリは大きく笑った。
マルティナも楽しそうにくすりと笑う。
「今度キーシュへ遊びに来て。アメリ、串焼き好きでしょう? 美味しい串焼き屋があるから案内してあげる」
「嬉しいね。絶対行くよ。楽しみにしてる」
この先は北方神殿への道、というところでふたりは別れる。
門へと歩くマルティナの姿をしばらく見送っていたアメリは、さて、と呟いた。
今日こそは謎の娘の話を雑用仲間にしてみよう。
そのあとで術士に言うかどうかを仲間たちと相談すれば良い。
小さくうなずいて、アメリは北方神殿へと向かった。
毎日毎日「今日こそ言おう」と思うのだが、結局誰に言ったら良いのか分からず、誰にも話すことができない。
明日こそ、と思うが、きっと明日も同じ気持ちを抱きながら家路につくのだろう。
もう40も半ばになろうという年齢だ。まだ若いならばともかく、この年になって踏ん切りをつけることができないなど情けない。
そんなことを思いながら鬱々と歩いていると、後ろから声をかけられた。
「アメリ」
振り返ると、すらりと背の高い、理知的な女性が立っていた。
アメリの幼馴染、マルティナだ。
マルティナは10年ほど前まで、城に侍女として仕えていた。しかし辞めて数年後にイリオスを離れてしまったので、アメリも彼女にはずいぶん会っていなかった。
「マルティナ、久しぶりじゃないのぉ! 全然変わらないわねぇ。どうしたの? キーシュの町にいる娘さんのところに引っ越したんじゃなかった?」
「少しお城に用があって」
「お城に? 何の用?」
アメリが尋ねると、マルティナは不思議な雰囲気の笑みを浮かべる。
彼女が侍女をしていたころにアメリが城の中のことを尋ねると、彼女はいつもこんな笑みを浮かべた。そして言うのだ。
「……内緒」
昔と同じ笑み、そして同じ返事。
変わらないね、とアメリは笑った。
「ねえ、マルティナ。今日はどこへ泊るの?」
マルティナの両親はもういない。イリオスで住んでいた家もとっくに引き払ってしまっている。
「宿を取るつもり」
「それならうちへいらっしゃいよ。うちの亭主は先週から息子たちと行商へ行ってるからね、今は私ひとりなのさ」
アメリが誘うと、わずかに微笑んだマルティナはうなずく。
それが彼女の喜んでいる顔だということは、付き合いの長いアメリには良く分かっていた。
* * *
マルティナはあまり話す方ではないので、喋るのは主にアメリだ。
懐かしい話をしながら夕食が終わり、一息ついたところでお茶を淹れる。
話に区切りがついたとき、アメリはなんとなく、ここ何日も言えなかった話をマルティナにしてみようと思った。
「ねえ、マルティナ。私、どう考えたらいいのか分からない話を見たんだけどねぇ」
アメリが話し出すと、マルティナは先を促すように黙って首をかしげる。
「何日か前の話よ。北方神殿からイリオスの森へ向けて、何体か精霊が飛んで行ったのよ。術士曰く、瘴穴ができたって言うのさ」
アメリは精霊が見える。しかし術士ではない。なぜならアメリの精霊に関する力は弱く、見えるだけで声を聞くことはできないからだ。
会話ができなければ意思疎通ができないので、精霊の力を借りる精霊術は使えない。そのためアメリはイリオスの北方神殿で働いてはいるものの、ただの雑用係だった。
しかし精霊の姿も見えないマルティナは不思議そうに問い返す。
「……瘴穴って見えるものだった?」
「やあねぇ、人には見えないよ。でも、精霊は見えるのさ。術士は精霊から話を聞いたんだよ」
それを聞いてマルティナは納得したようにうなずいたので、アメリは先を続けた。
「でもね、北方神殿から飛んで行った精霊たちがなかなか帰ってこないからさ。術士たちが様子を見てきてくれって私に言うのよぉ。気になるけど自分で行くのは怖いってことなんでしょうけど、私なんて精霊術が使えないんですからね、もっと怖いって言うのにさぁ」
言ってアメリは目の前の茶を一口飲む。
「そんなこと言っても、私なんて結局はただの雑用係だから、術士に命令されたらしょうがないわよねぇ。だから魔物が出てこないかしらってびくびくしながら森へ瘴穴を見に行ってたんだけど、あれは……何日前だったかね」
さらにもう一口茶を飲んで唇を湿らせると、アメリは視線を落として続ける。
「精霊たちが何体も瘴気に染まってるし、ついでに瘴穴があるときの動きをしてるっていうのは遠目からでも分かったんでさ。帰ろうとしたら、変わった娘がひとり、瘴穴の方へ向かっていくのよ」
「……変わった娘?」
「剣を持ってたんだけどね、その剣には精霊がいたのよ」
「精霊がいる剣……」
「そうよ、あの剣には間違いなく精霊がいた。私にも見えたからね。……でさ。娘は誰かと話をしながら、瘴穴にの方に向かっていくわけよ。独り言みたいだったから、話し相手は剣の精霊でしょうねぇ」
自分にも精霊の声が聞こえたらよかったのにと思いつつ、アメリは続ける。
「思わず後を追ったらね。娘が言うのよ。『うわ、こんな大きな瘴穴見たことない』って」
アメリの言葉に、マルティナは眉根を寄せた。
「瘴穴は見えないんじゃなかった?」
「ね? だからおかしいのよ。見えないはずの瘴穴が見えるなんて言うんだからさぁ!」
アメリは目の前のカップを空にした。
「おかしいことは他にもあるのよ。その娘がね、剣を地面に突き刺したらさぁ、なんと精霊たちの動きが普段通りに戻ったのよ」
「……どういうこと」
「つまり、瘴穴が消えたの」
空のカップを弄びながら、アメリは続ける。
「変でしょう? 状況から考えるとさ、その娘は瘴穴が見える上に、剣を使って瘴穴まで消したってことになるの」
立ち上がったアメリはマルティナのカップも手にし、もう一度お茶を淹れる。
「さらにその娘はさ、瘴気に染まった精霊たちを空中で一列に並ばせるとね、こう、剣で突き刺したのよ!」
まるで肉や野菜を串に刺すみたいにね、と付け加えながらアメリは身振りで娘の動きを再現する。
「そしたら精霊たちはね、瘴気が浄化されて元通り。びっくりしたわよぉ」
言いながらアメリはため息をついた。
「でもさ、こんな話してもきっと誰も信じちゃくれない。結局私はそのまま北方神殿へ戻ったんだけど、術士たちには何も言えなかった。瘴穴は消えてた、ってそれだけしか伝えなかったのさ」
「そう」
「……瘴穴を消すなんてことや、瘴気に染まった精霊を元に戻せるなんてことを、私は今まで見たり聞いたりしたことなんてないよ」
アメリは茶を淹れたカップを持ち、マルティナの前と、自分の前に置く。
椅子に座りながら呟いた。
「……精霊に関することならイリオスの北方神殿で分かるはずさ。でも、あの娘がやったことは、少なくとも術士ができることの範疇にはない。だとすれば、あの娘はもしかして……」
それ以上を言うことはできない。
静かになった部屋に、今度はマルティナの声が響く。
「……アメリ。私が今回キーシュから来たのは、エリオット様に会うためなの」
「エリオット? あの、余所者混じりの元神官?」
エリオットの生母である余所者シーラは、本来なら公爵家の跡を継ぐはずだったクロードを、自分の夫を殺した悪女だ。
そんな女の息子エリオットは自身の立場に不満があり、公爵家を逆恨みして出奔した。さらに神官となって戻ってきた上でフロランを脅し、公爵の跡継ぎという立場を無理やり奪った卑劣な男だと聞いている。
アメリは思わず顔をしかめたのだが、しかしマルティナはそんなアメリを見て悲しそうに首を振った。
「違う、アメリ。違うの。エリオット様はそんな方じゃない」
「マルティナ?」
「……私が侍女を辞める前にお仕えしていた方というのは、エリオット様よ」
アメリは目を丸くした。
マルティナがエリオットに仕えていたことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは、今まで絶対「内緒」としか言わなかった彼女の口から、城で働いていた内容を具体的に聞いたためだ。
「エリオット様が10歳で城を離れる時もお見送りしたわ。……だからお戻りになったと聞いた時にどうしてもお会いしたくてイリオスまで来てしまった。仲の良かった人にこっそり城に入れてもらって、服を借りて、侍女としてほんの少しだけお話したの」
いつものマルティナは口数が少ない。それがここまで饒舌に、しかも悪人として名高いエリオットの話をするなど、アメリには信じられなかった。
「あの方は変わっておられなかった。私のことも覚えてらした。嬉しかったわ」
子の成長を喜ぶ母のような顔つきで、マルティナはアメリに笑って見せた。
マルティナがエリオットにここまで肩入れしているなんて、とアメリは呆然とする。もしかして彼女は何か妙な術にでもかかっているのではないだろうか。
そんなアメリを見ながら、マルティナはぬるくなってしまったカップを手に取った。
「話しすぎたわ。これ以上は内緒」
そう言ってマルティナはいつもの不思議な笑みを浮かべた。
* * *
以降は他愛もない話をして過ごし、翌朝アメリは、キーシュの町へ戻るというマルティナと共に北方神殿の方へと向かっていた。
「ねえ、マルティナ。私、考えたんだけどねぇ」
アメリは、密かな声で話しかける。
「私はね、あんたが仕えてたっていう……あの人のことは知らないよ。だけど、あんたのことはよく知ってるさ。幼馴染だしね。……あんたは賢いし、物事をよく見てる」
マルティナは黙って首をかしげた。
「そのあんたがあの人に好意的なんだから、私ももう少しあの人のことを……ちゃんと見てみるよ」
アメリは北方神殿に来るエリオットの姿を見たことがある。
彼が子どものころには何度も。そして、戻ってきてからは一度だけ。
今までは通説を信じていたから嫌悪の目でしか見ていなかった。しかし思い返してみれば、彼が大精霊の木や精霊たちに話しかける姿に、噂とは違うのではないかという、かすかな思いがあったのもまた事実だ。
元神官だったエリオットが悪い人ではないとすれば。
先日見た不思議な娘がウォルス教関連の人物だったとすれば。
公爵家というのは、もしかすると……。
「ああ、あんたが私に話したってことは誰にも言わない。だってお城のことは内緒だからね」
そう囁くと、マルティナは小さく笑って尋ねる。
「アメリが見た話、キーシュでしてもいい? 全部は言わないし、アメリの名前も出さない」
アメリは少し考えてうなずいた。
「いいよ。私は今日、雑用仲間にあの話をするつもりさ。何人かに話をすればきっと、どっかから噂は広がって行くだろうしね」
言ってアメリは大きく笑った。
マルティナも楽しそうにくすりと笑う。
「今度キーシュへ遊びに来て。アメリ、串焼き好きでしょう? 美味しい串焼き屋があるから案内してあげる」
「嬉しいね。絶対行くよ。楽しみにしてる」
この先は北方神殿への道、というところでふたりは別れる。
門へと歩くマルティナの姿をしばらく見送っていたアメリは、さて、と呟いた。
今日こそは謎の娘の話を雑用仲間にしてみよう。
そのあとで術士に言うかどうかを仲間たちと相談すれば良い。
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