【完結】村娘は聖剣の主に選ばれました ~選ばれただけの娘は、未だ謳われることなく~

杵島 灯

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第3章(後)

25.影

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 ローゼは現れた人物を目にして混乱していた。そんなはずはない、と頭の中で何度も繰り返す。彼は部屋から出られないはずだ。昼も夜も見張りがいるとリュシーが言っていたのだから。

「……そっか、これは夢なのね」

 目の前の人物を見ながらローゼは思いを巡らせ、小さな声で言う。
 朝に声を聞いた気になったので、こんな夢を見ているに違いない。

 ローゼの声を聞いた青年は、密やかに笑った。

「夢だとしたら、私のだろうね。こんなところにローゼがいるはずはないのだから」

「あたしはちゃんと北の城にいるわ。いろんな人に助けてもらって、レオンと一緒にここへ来たのよ。夢なんかじゃない」

 言って、そっと彼の腕に触れた。

「……そう、きっとあなたも夢じゃないんでしょうね。今までの夢では、こんな格好してなかったもの」

 今まで夢に出てきたときはいつも神官服姿だったのに、いまの彼が身にまとっているのは見たことがないほど豪華な衣装だ。手触りの良い上着は落ち着いた緑色、首回りや裾回りには金の糸で見事な刺繍が施されている。首元に飾られている美しい赤だってきっと宝石だろう。

 確かに彼にはよく似合っているが、いかにも貴族然とした姿は、まるで自分が知らない人物のようだ。
 寂しい思いで見ていると、彼は意外だと言いたげな口調で問いかけてきた。

「夢? ……私の?」

 ローゼは思わず赤くなる。

「誰かのことを夢に見ることくらいあるでしょ?」
「そうだね」

 彼は切なそうに笑う。その笑みはどことなくリュシーを思い起こさせた。

「髪も切っちゃったのね。当たり前だけど、もったいないな。あんなに綺麗だったのに」
「ここでは受け入れられない姿だからね」
「……うん」

 続いて「でも、前の姿の方が好きだった」と言いかけ、口をつぐむ。

 何度も考えたことだった。押し付けられた生き方である神官の姿を、彼がずっと嫌っていたのだったらどうしよう、と。もしそうなら、戻ってきて欲しいなどと絶対に言えるはずがない。

 神官だったことをどう思っていたのか。聞いてみようか、どうしようか。
 ローゼがためらう一方で、彼も何か思い悩んでいるようだった。
 お互いに黙っていたが、先に青年が沈黙を破る。

「……ローゼがどうしてここまで来てくれたのか、聞いてもいいかな」
「どうしてって、決まってるでしょ。――あなたがいるからよ」

 ローゼの答えを聞いて青年は少し動揺したようだったが、すぐに何か思い当たったらしい。

「そうか。それは、申し訳ないことをしたね。……でも、その前に……」

 彼はしばらくローゼの顔を見つめている。ややあって右頬の傷近くに手を添えると顔を寄せ、ローゼの左耳にそっと囁いた

(……聖句?)

 彼の手から頬にじんわりとあたたかいものが伝わってくる。しばらくして身を離した彼はローゼの頬を見てうなずき、傷のあったところを優しく撫でた。

「魔物と戦ったんだね。まだ持っていたことが結果的に良い方へ転んでよかった」

 彼は胸元から金色味を帯びた小さな木の板を取り出す。神官の身分証だ。

 神聖術を使うときには、媒介として神木で作られたこの身分証がなければならない。そしてもちろん、大神殿の名簿に名が載っている必要もある。
 今、術が使えたということは、アーヴィン・レスターの名前は大神殿からまだ削除されていない。きっとハイドルフ大神官の計らいだろう。

「神官服をお送りするときに入れるべきなのはわかっていたけれど、どうしても手放せなくてね。こちらへ来てからも何度か送り返そうと思ったけど……結局できなかったんだ」

 そう言って彼は身分証をローゼに渡そうとする。
 怪訝に思って見上げると、彼は諦めたような微笑みを浮かべていた。

「大神殿に持ち帰って、お返しして欲しい」
「何を言ってるの?」
「ローゼはこれを取りに来たんだろう?」

 彼の言葉を聞いてローゼは目を見開く。

「……もしかして、あたしがここへ来たのは、大神殿に頼まれたからだと思ってる?」

 怒りを含んだローゼの声を聞いて、青年は視線をそらした。どうやら当たりらしい。いかにも彼らしい考え方だと思う一方で、無性に腹が立つ。

 ローゼは灰青の瞳をにらみつけた。

「いいわ。どうせ答えをもらわなくちゃ帰れないんだもの。ためらっててもしょうがないわね」
「答え?」
「そう、答え」

 乾いた唇を湿らせて、ローゼは青年に尋ねる。

「ねえ、答えて。もしも、もしもよ。大精霊の木が枯れないのだとすれば、あなたはどうしたい?」

 まさかそんな問いが来るとは思っていなかったのだろう。ローゼの言葉を聞いた青年は戸惑いの表情を浮かべた後、悲しそうに言う。

「そんなことはあるはずがないんだよ」
「いいから答えて」

 ローゼの勢いに押された青年は少し考えたようだったが、しばらく後に首を横に振った。

「……分からないな。考えたこともなかったから」
「そう。じゃあ……木が元通りになったら……」

 ローゼは少しだけ言いよどむ。それでも拒否の表情を想像すると怖くなったので、下を向いて早口で言った。

「白と青の衣装を着て、髪を長くして、あたしの故郷にまた来てくれる未来は、あなたの中にある?」

 彼の足元を見ながら答えを待っているが返事はない。

 ――やはり彼は神官を嫌っていて、あの頃のことは思い出したくないのだろうか。

 浅い呼吸をしながら下を向いていると、やがてひんやりとした手が頬に触れ、顔を上向かせる。
 瞳に飛び込んできたのが、少なくとも拒絶の表情ではなかったので、ローゼはほっとして緊張を緩めた。

「……ごめん、それにも答えられない。私の役目は公爵になることだったから、北に戻ってからはそのこと以外考えられないんだ」

「じゃあ……村にいる時はどうだった? やっぱりずっと、帰らなくちゃいけないって思ってたの?」
「あのときは……」

 呟いて青年は遠くを見る目つきをする。

「確かに最初は神官になることにも抵抗があったし、帰らなくてはいけないとずっと思っていた……でも年が経つにつれ、帰らなくてはいけない気持ちより、このままの日々が続いて欲しい気持ちの方が強くなってきたな……」

 そこまで言って彼は自嘲の笑みを漏らす。

「結局は北へ戻ってきたんだけどね」

 そこでローゼはフロランの話を思い出した。確かエリオットは役目を引き受けるにあたって、母と妹を助けてもらうことを条件にしたと言っていたはずだ。

「そうよね。だって、お母さんと妹がいるんでしょ」

 瞬間、ローゼは自分の発言が失敗だったことを悟る。
 彼はその言葉を聞いた途端、今にも泣きそうな表情になった。

「そうか……ローゼはその話を知っているんだね。……姉上? いや、フロランかな」

 彼はそう言って笑みを浮かべる。

 どうしてこんなに泣きそうなのに、無理に笑おうとするのだろう。
 ローゼは胸がふさがる思いを抱えたまま、彼の言葉を待つ。

「ふたりとも、もういないんだよ」

 ローゼは愕然とした。

「……だって、それじゃあ……」

「母はね、妹を産んで少ししてからかな。おそらく、自ら……」

 彼の言葉を聞いてローゼは思わず息をのむ。

「……周囲からはずっと何らかの話を聞かされていたらしくてね。おそらく「ふたりの命を助けるために息子は大変な役目を引き受けた」とでも言われていたのかもしれない。だからきっと、妹を産むまでは、と思って……そうだ、それなのに、せっかく産まれた妹はね」

 話しながら彼の瞳がうつろになっていくので、ローゼは慌てて止めようとする。

「ごめん、あたし、変なこと言った。もういいから」

「大精霊が聞きだした話によると、父の正妃が、クロード様の子は、これ以上、必要ないのだと言って――」

「もういい! ごめん、言わなくていいから!」

 しかしローゼの声は届いていないようだった。
 彼は視線を正面へと向け、ぼんやりと話し続ける。

「公爵閣下は、自ら手を出すことはないと約束されたよ。……確かにご自身では何もしておられないよね。ただ、周囲に情報を流し、目的の人物の耳に届くようにしただけで。……ああ、あの頃の私はとても幼くて……愚かだったな……」

 彼は小さく笑った。

「ふふふ、公爵閣下は本当にうまいことをなさる。あの方はすごいな。……母はね、しばらくイリオスの広場でさらし者になっていたらしいんだ、父を殺した重罪人として。……なのに私は、そんなこともまったく気づいていなかった」

「もうやめて、ねえ!」

 ローゼが両腕を掴んでゆすっても、彼の様子は変わらない。

「これらの話はもちろん人がしてくれたわけじゃないよ。精霊たちから聞いたんだ。精霊は好奇心旺盛だし、おまけにとてもお喋りだからね……でも、古の大精霊はずっと精霊たちに口止めをしていてくれていたんだ。彼女が眠っているとき、私が精霊たちから無理に聞きだしたんだよ。大精霊は、私がこの話を知ったと気付いたかな。私に話をした精霊たちが彼女に怒られていなければいいんだけど」

「お願いだから、もうやめてよ!」

「私もね、きっと遠くない将来、重罪人として、イリオスの広場で――」

「ねぇっ! ――アーヴィン!」

 手を振り上げて名を叫んだ瞬間、青年ははっとしたようにローゼを見る。
 しかしローゼの手は止まらず、彼の頬からは乾いた音がした。
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