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第2章
4.神木と訓練
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その日起きたローゼは、レオンに行きたいところがあるので付き合って欲しいと声をかけた。
「あー、でもね、レオンが行きたくなければ、その、あたし1人で行ってもいいんだけど……」
【なんだ、じれったい。まずはどこへ行きたいのか言ってみろ】
「うーん……」
少し言い淀んで、ローゼは聖剣を見る。
「……あのさ、行きたいところは大神殿の……えーと、まだ見てないところがあるでしょ、結構有名というか、大事なとこ」
【ああ……】
ローゼの言いたいことが伝わったのか、レオンはきっぱりと言い切った。
【あれは俺が悪い。だから気にするな。行くときは俺も一緒に行く】
「レオンがそう言うなら……じゃあ、行こうか」
聖剣を伴って部屋を出る。目的の場所はどこからでも分かりやすかったので、さほど苦労することもなく到着できた。
それは神官たちが日々祈りを捧げる場所、そして来月ローゼが儀式を行う場所の裏にある。
「これが神木なんだね……」
金色がかった大樹は朝日を浴びて、さらに美しく光り輝いているように見えた。
以前ジェラルドから「大人が10人、手をつないでも届かない幹の太さ」と聞いたが、確かにとても太く、一番下の枝ならそこまで高くはない。しかし上の方の枝はずいぶんと見上げた位置にあった。
レオンは400年前にこの枝を故郷に植えようとした。第二の神木を故郷の村に作ろうとしたのだ。そして枝を取るために1人の貴族の人生を変えてしまい、枝を手にしたことがレオンを破滅に追いやった。
【…………】
「神木はね、魔物を寄せ付けなくするものじゃなくて、力を強くするものなんだって」
大神殿に来たころ、暇にあかせて読み漁った本に書いてあった。
「魔物を寄せ付けないのは神木じゃない。神木を介して強くなった祈りの力こそが、魔物を寄せ付けなくしてるんだってさ」
ローゼは大聖堂を振り返る。神木に面しているのは大聖堂の一番奥、そこの窓が開いていた。大聖堂の中からみれば、神官たちは神木に向かって祈りを捧げていることになる。
「だからさ。どっかに枝を植えるでしょ。もし近くに瘴穴が開いて枝のところまで瘴気が届けば、闇の力が強くなって大変なことになるらしいよ」
【……そうか】
それが分かっているから、大神殿以外には神木を植えない。これだけの祈りの力が集められるのは、大勢の神官を抱えている大神殿をおいて他にないからだ。
【……俺もちゃんと知っておけば良かったな……いや、知らなくても、あの時エルゼの話を……】
レオンの声は段々と小さくなり、最後の言葉は聞こえない。
彼の心の中を思いつつ、ローゼは黙ったまま神木を見上げていた。
* * *
部屋に戻るとフェリシアからの伝言が残っていた。追加訓練も終わり、やっと時間に余裕ができたらしい。昼過ぎに遊びに来て欲しいとのことだったので、神殿騎士見習いの寮へ足を向ける。
用もなく居住区域に入るのは気が引けていたので、ローゼが寮に入るのはこれが初めてだ。
「同室の方は半年前に神殿騎士になられたので退寮なさいましたの。今はわたくし1人で使っていますのよ。ですからローゼも気兼ねなくいらしてくださいませね」
とフェリシアは言っていた。
神官も神殿騎士も見習い期間中は寮に入っての2人部屋だ。修行を終えて見習いの文字が取れれば、別の区域にある個室が割り当てられるらしい。
いずれにせよ、こんなにたくさん同じような扉が並んでて分かりにくくないのかな、と思いつつもなんとか聞いていた数字の部屋を見つける。扉を叩くと、満面の笑みでフェリシアが顔を出した。
「お待ちしていましたわ、どうぞお入りになって」
中は広い空間で、どうやらここが居間に当たるらしい。居間の左右には扉があり、そこから先がそれぞれの個人部屋ということらしかった。
フェリシアの部屋は左側の扉のようだ。そちらは開いているが、右側の扉は閉じられている。そちらが、半年前に卒業した神殿騎士がいた場所なのだろう。
それにしても、家具が色々とある中で、中央にあったと思われる机と椅子が隅へと追いやられているのはどういうことだろう。
そんなことを考えていると、左側の扉から2人の女性が出てきた。
見知らぬ人物を見て思わず立ち止まるローゼの背中を、フェリシアは優しく押す。
「大丈夫ですわ。この2人はわたくしのお母様の侍女ですのよ」
「えっ?」
どうして侍女がいるのだろうか?
「ローゼのお召し替えをお手伝いいたしますわ。残念ですけれど、わたくしだけでは無理なんですもの」
「どういうことっ?」
押されたローゼが部屋に入るのを確認すると、フェリシアは扉に鍵をかける。
「先日申し上げましたでしょう? 練習しましょうねって」
先日、とローゼは呟く。
(そういえばローブの裾を踏みそうで怖いと言ったら、フェリシアが用意しておくから練習しようって……)
ローゼは恨めしげにフェリシアを見た。
「遊びに来てって言ってたのに……騙された」
「あら、遊びみたいなものですわ。気楽にやりましょう?」
にっこりと笑うその顔が怖い。
「というか、本当にローブを用意したの? だってあたしの大きさとかそういうことは……」
「大丈夫ですわ、きっと合っていると思いますもの。それにこの方たちはお針も得意ですのよ。大きさが違っていても、多少は調節ができますわ」
じりじりと扉の方へ後退ろうとするローゼの腕を、フェリシアがしっかりと掴む。
「さあ、ローゼ。歩き方の練習をいたしましょうね。女性が着替えるのですもの、聖剣は一時お預かりして、あちらで布をかぶせておきますわ。ご安心なさって?」
これは逃げられなさそうだとため息をつき、ローゼはフェリシアと練習を開始することにした。
用意されたローブは足を完全に覆い、前よりも後ろが長くなっている。胸元はゆったりと空いているが、これは首元までの中着を合わせて着用するためらしい。さらに前が広く開いたマントは、ローブよりも長く後ろへと引いていた。
正直に言えば、初めての絹の肌触りはとても滑らかで、なんとも良い気分だった。しかし足が隠れているので予想通り歩きにくい。おまけに意外と重く、一歩を歩き出すのに手間取ってしまった。
「大きさはちょうどですわね」
額の汗をぬぐいながら満足げに言うフェリシアだが、対するローゼは情けない顔になってしまう。
「フェリシア……歩きにくい……重い……」
「ご安心くださいませ」
胸元のよれを直しながらフェリシアが言う。
「このローブは当日のものよりずっと軽いはずですから」
「えっ、えっ?」
「おそらく当日のローブは刺繍が多いと思いますわ。その分重くなるのは当たり前ですもの」
今着ているローブは飾りが何もない、あっさりとしたものだ。
「それからやっぱり飾りですわね。首飾りやマント留め、頭飾りに腕輪……全部合わせるとかなり重くなるはずですわ」
「えええええ……」
なんだか目の前が暗くなってくる。
「……やっぱり儀式は普段着にしてくれって言おうかな」
「何か言いまして?」
「いや、別に……」
深くため息をつくローゼに、フェリシアが力強く宣言する。
「平気ですわ。今から何度も練習すれば、当日は綺麗に歩けるようになります。ご安心下さいませ、今日は最初ですからこのローブだけでの練習を行いますわ」
「なんか今、気になる言葉が聞こえたような気がするんだけど」
「あら、何か気になりましたかしら」
首をかしげて覗き込んでくるフェリシアからは、悪意も意地悪さもまったく感じない。
「ご安心下さいませね。練習を重ねましたら、そのうち飾りもご用意いたしますから。――さあ、まずはこのまま歩いてみてくださいませ」
講師フェリシアによる指導は、思ったよりも厳しいものだった。
歩き方だけでなく、姿勢、止まり方、裾のさばき方などあらゆる面で叱責をもらい、彼女の「はい、駄目ですわ」が部屋に響く。
用意してあったらしいフェリシア用のローブを着て実践してみせてくれたのだが、その動きはさすが王女様とローゼがうなるほどとても美しく優雅だった。
「今日はこんなところですかしら。初日から疲れても仕方ありませんものね。また近日中に2回目を開催いたしますから、その時は改めてご連絡しますわね」
フェリシアはそう言って合図をした。すると壁際に下がっていた侍女たちがローゼに近寄り、着替えの手伝いをしてくれる。その間にフェリシアはいそいそとお茶の準備を始める。
精魂尽き果てたローゼが、記憶も曖昧なままお茶を飲んでレオンと共に部屋へ向かう頃、空は茜色に染まっていた。
「……疲れた……練習初日からすでに疲れた……」
【そうか? 案外楽しそうだったぞ】
聖剣には布をかぶせてあったので、声や音が聞こえていただけのはずだ。
「レオンは耳がわるくなったんですか」
【耳は無い】
「そういえば目だってないね。見えたり聞いたりどうやってるの」
【なんとなく】
つまり本人にもよく分からないということか。
「なるほどー。じゃあ暑さ寒さはどうなのかな。そのうち暖炉にでも突っ込んでみるね」
【やめろ】
「それとも雪に埋めてみる?」
【ふざけるな】
練習の鬱憤を晴らすかのように少しばかりレオンをいじめていると、自室の扉の前に世話係の神官がおろおろとしながら立っているのが見えた。
神官は廊下の端から現れたローゼの姿を見つけると、ほっとしたように近寄ってくる。
「良かった、ファラー様……おや、今日はお稽古の日でしたか。随分お疲れのようですね」
「あー、稽古といえば稽古……いえ、何かありましたか」
「ブロウズ大神官様がお呼びでいらっしゃいます。ご一緒にお越し願えますか」
ローゼは首をかしげた。
大神官はこのアストラン大神殿に5人いる。先月大神殿へ来た際、彼らには何度か会って聖剣の話をしたことがあった。
セルマ・ブロウズ大神官は、5人の中で唯一の女性だ。
「ブロウズ大神官様があたしに何の用でしょうか?」
「それは大神官様が直接お会いになってお話なさるとおっしゃってました」
「……なんで大神官はこうも秘密主義なのよ」
別に秘密主義というわけではないだろうが、大神官からの呼び出しというとローゼには悪い印象しかない。
グラス村で初めてアレン大神官の呼び出しを受けた時のことを思い出して、思わずぼそりと毒づくが、幸いにも神官の耳には届かなかったようだ。
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、なんでも。どうしましょう、着替えた方が良いですか」
「そのままで平気だと思います。ご案内いたしますので、参りましょう」
「あー、でもね、レオンが行きたくなければ、その、あたし1人で行ってもいいんだけど……」
【なんだ、じれったい。まずはどこへ行きたいのか言ってみろ】
「うーん……」
少し言い淀んで、ローゼは聖剣を見る。
「……あのさ、行きたいところは大神殿の……えーと、まだ見てないところがあるでしょ、結構有名というか、大事なとこ」
【ああ……】
ローゼの言いたいことが伝わったのか、レオンはきっぱりと言い切った。
【あれは俺が悪い。だから気にするな。行くときは俺も一緒に行く】
「レオンがそう言うなら……じゃあ、行こうか」
聖剣を伴って部屋を出る。目的の場所はどこからでも分かりやすかったので、さほど苦労することもなく到着できた。
それは神官たちが日々祈りを捧げる場所、そして来月ローゼが儀式を行う場所の裏にある。
「これが神木なんだね……」
金色がかった大樹は朝日を浴びて、さらに美しく光り輝いているように見えた。
以前ジェラルドから「大人が10人、手をつないでも届かない幹の太さ」と聞いたが、確かにとても太く、一番下の枝ならそこまで高くはない。しかし上の方の枝はずいぶんと見上げた位置にあった。
レオンは400年前にこの枝を故郷に植えようとした。第二の神木を故郷の村に作ろうとしたのだ。そして枝を取るために1人の貴族の人生を変えてしまい、枝を手にしたことがレオンを破滅に追いやった。
【…………】
「神木はね、魔物を寄せ付けなくするものじゃなくて、力を強くするものなんだって」
大神殿に来たころ、暇にあかせて読み漁った本に書いてあった。
「魔物を寄せ付けないのは神木じゃない。神木を介して強くなった祈りの力こそが、魔物を寄せ付けなくしてるんだってさ」
ローゼは大聖堂を振り返る。神木に面しているのは大聖堂の一番奥、そこの窓が開いていた。大聖堂の中からみれば、神官たちは神木に向かって祈りを捧げていることになる。
「だからさ。どっかに枝を植えるでしょ。もし近くに瘴穴が開いて枝のところまで瘴気が届けば、闇の力が強くなって大変なことになるらしいよ」
【……そうか】
それが分かっているから、大神殿以外には神木を植えない。これだけの祈りの力が集められるのは、大勢の神官を抱えている大神殿をおいて他にないからだ。
【……俺もちゃんと知っておけば良かったな……いや、知らなくても、あの時エルゼの話を……】
レオンの声は段々と小さくなり、最後の言葉は聞こえない。
彼の心の中を思いつつ、ローゼは黙ったまま神木を見上げていた。
* * *
部屋に戻るとフェリシアからの伝言が残っていた。追加訓練も終わり、やっと時間に余裕ができたらしい。昼過ぎに遊びに来て欲しいとのことだったので、神殿騎士見習いの寮へ足を向ける。
用もなく居住区域に入るのは気が引けていたので、ローゼが寮に入るのはこれが初めてだ。
「同室の方は半年前に神殿騎士になられたので退寮なさいましたの。今はわたくし1人で使っていますのよ。ですからローゼも気兼ねなくいらしてくださいませね」
とフェリシアは言っていた。
神官も神殿騎士も見習い期間中は寮に入っての2人部屋だ。修行を終えて見習いの文字が取れれば、別の区域にある個室が割り当てられるらしい。
いずれにせよ、こんなにたくさん同じような扉が並んでて分かりにくくないのかな、と思いつつもなんとか聞いていた数字の部屋を見つける。扉を叩くと、満面の笑みでフェリシアが顔を出した。
「お待ちしていましたわ、どうぞお入りになって」
中は広い空間で、どうやらここが居間に当たるらしい。居間の左右には扉があり、そこから先がそれぞれの個人部屋ということらしかった。
フェリシアの部屋は左側の扉のようだ。そちらは開いているが、右側の扉は閉じられている。そちらが、半年前に卒業した神殿騎士がいた場所なのだろう。
それにしても、家具が色々とある中で、中央にあったと思われる机と椅子が隅へと追いやられているのはどういうことだろう。
そんなことを考えていると、左側の扉から2人の女性が出てきた。
見知らぬ人物を見て思わず立ち止まるローゼの背中を、フェリシアは優しく押す。
「大丈夫ですわ。この2人はわたくしのお母様の侍女ですのよ」
「えっ?」
どうして侍女がいるのだろうか?
「ローゼのお召し替えをお手伝いいたしますわ。残念ですけれど、わたくしだけでは無理なんですもの」
「どういうことっ?」
押されたローゼが部屋に入るのを確認すると、フェリシアは扉に鍵をかける。
「先日申し上げましたでしょう? 練習しましょうねって」
先日、とローゼは呟く。
(そういえばローブの裾を踏みそうで怖いと言ったら、フェリシアが用意しておくから練習しようって……)
ローゼは恨めしげにフェリシアを見た。
「遊びに来てって言ってたのに……騙された」
「あら、遊びみたいなものですわ。気楽にやりましょう?」
にっこりと笑うその顔が怖い。
「というか、本当にローブを用意したの? だってあたしの大きさとかそういうことは……」
「大丈夫ですわ、きっと合っていると思いますもの。それにこの方たちはお針も得意ですのよ。大きさが違っていても、多少は調節ができますわ」
じりじりと扉の方へ後退ろうとするローゼの腕を、フェリシアがしっかりと掴む。
「さあ、ローゼ。歩き方の練習をいたしましょうね。女性が着替えるのですもの、聖剣は一時お預かりして、あちらで布をかぶせておきますわ。ご安心なさって?」
これは逃げられなさそうだとため息をつき、ローゼはフェリシアと練習を開始することにした。
用意されたローブは足を完全に覆い、前よりも後ろが長くなっている。胸元はゆったりと空いているが、これは首元までの中着を合わせて着用するためらしい。さらに前が広く開いたマントは、ローブよりも長く後ろへと引いていた。
正直に言えば、初めての絹の肌触りはとても滑らかで、なんとも良い気分だった。しかし足が隠れているので予想通り歩きにくい。おまけに意外と重く、一歩を歩き出すのに手間取ってしまった。
「大きさはちょうどですわね」
額の汗をぬぐいながら満足げに言うフェリシアだが、対するローゼは情けない顔になってしまう。
「フェリシア……歩きにくい……重い……」
「ご安心くださいませ」
胸元のよれを直しながらフェリシアが言う。
「このローブは当日のものよりずっと軽いはずですから」
「えっ、えっ?」
「おそらく当日のローブは刺繍が多いと思いますわ。その分重くなるのは当たり前ですもの」
今着ているローブは飾りが何もない、あっさりとしたものだ。
「それからやっぱり飾りですわね。首飾りやマント留め、頭飾りに腕輪……全部合わせるとかなり重くなるはずですわ」
「えええええ……」
なんだか目の前が暗くなってくる。
「……やっぱり儀式は普段着にしてくれって言おうかな」
「何か言いまして?」
「いや、別に……」
深くため息をつくローゼに、フェリシアが力強く宣言する。
「平気ですわ。今から何度も練習すれば、当日は綺麗に歩けるようになります。ご安心下さいませ、今日は最初ですからこのローブだけでの練習を行いますわ」
「なんか今、気になる言葉が聞こえたような気がするんだけど」
「あら、何か気になりましたかしら」
首をかしげて覗き込んでくるフェリシアからは、悪意も意地悪さもまったく感じない。
「ご安心下さいませね。練習を重ねましたら、そのうち飾りもご用意いたしますから。――さあ、まずはこのまま歩いてみてくださいませ」
講師フェリシアによる指導は、思ったよりも厳しいものだった。
歩き方だけでなく、姿勢、止まり方、裾のさばき方などあらゆる面で叱責をもらい、彼女の「はい、駄目ですわ」が部屋に響く。
用意してあったらしいフェリシア用のローブを着て実践してみせてくれたのだが、その動きはさすが王女様とローゼがうなるほどとても美しく優雅だった。
「今日はこんなところですかしら。初日から疲れても仕方ありませんものね。また近日中に2回目を開催いたしますから、その時は改めてご連絡しますわね」
フェリシアはそう言って合図をした。すると壁際に下がっていた侍女たちがローゼに近寄り、着替えの手伝いをしてくれる。その間にフェリシアはいそいそとお茶の準備を始める。
精魂尽き果てたローゼが、記憶も曖昧なままお茶を飲んでレオンと共に部屋へ向かう頃、空は茜色に染まっていた。
「……疲れた……練習初日からすでに疲れた……」
【そうか? 案外楽しそうだったぞ】
聖剣には布をかぶせてあったので、声や音が聞こえていただけのはずだ。
「レオンは耳がわるくなったんですか」
【耳は無い】
「そういえば目だってないね。見えたり聞いたりどうやってるの」
【なんとなく】
つまり本人にもよく分からないということか。
「なるほどー。じゃあ暑さ寒さはどうなのかな。そのうち暖炉にでも突っ込んでみるね」
【やめろ】
「それとも雪に埋めてみる?」
【ふざけるな】
練習の鬱憤を晴らすかのように少しばかりレオンをいじめていると、自室の扉の前に世話係の神官がおろおろとしながら立っているのが見えた。
神官は廊下の端から現れたローゼの姿を見つけると、ほっとしたように近寄ってくる。
「良かった、ファラー様……おや、今日はお稽古の日でしたか。随分お疲れのようですね」
「あー、稽古といえば稽古……いえ、何かありましたか」
「ブロウズ大神官様がお呼びでいらっしゃいます。ご一緒にお越し願えますか」
ローゼは首をかしげた。
大神官はこのアストラン大神殿に5人いる。先月大神殿へ来た際、彼らには何度か会って聖剣の話をしたことがあった。
セルマ・ブロウズ大神官は、5人の中で唯一の女性だ。
「ブロウズ大神官様があたしに何の用でしょうか?」
「それは大神官様が直接お会いになってお話なさるとおっしゃってました」
「……なんで大神官はこうも秘密主義なのよ」
別に秘密主義というわけではないだろうが、大神官からの呼び出しというとローゼには悪い印象しかない。
グラス村で初めてアレン大神官の呼び出しを受けた時のことを思い出して、思わずぼそりと毒づくが、幸いにも神官の耳には届かなかったようだ。
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、なんでも。どうしましょう、着替えた方が良いですか」
「そのままで平気だと思います。ご案内いたしますので、参りましょう」
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