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第1章

14.夜

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 ローゼの旅も後半に入った。
 道程の間には、多少の魔物も出てくる。
 もちろん神殿騎士たちが守りを固めているので、ローゼの出る幕などない。

 魔物が出た際は、まず各自が自己強化の神聖術を使う。
 その後に攻撃するのだが、思い切り剣を振るっても、思ったより大きな傷にはなっていないことが多い。
 それでも複数人で幾度も攻撃をしかけるのだから、魔物の殲滅は早かった。
 
 村で討伐隊を組んで戦った時と倒す速度は比較にすらならない。
 さすがは魔物退治の本職は違う、とローゼは内心舌を巻いていた。


   *   *   *


 夜はいつものようにフェリシアと一緒だ。

「神殿騎士の人たちってすごいね。あんなに強いなんて思わなかった」

 着替えながらローゼがそう言うと、同じく横で着替えていたフェリシアは微笑んだ。 

「そういう訓練を積んでいますもの」
「フェリシアもいつか神殿騎士になるんでしょ? あんな感じで戦うの?」
「はい! いずれわたくしも立派な神殿騎士になって、鮮やかに魔物を倒す! ……予定ですわ!」

 彼女は胸の前でこぶしを握る。
 頑張って、とローゼも同じようにこぶしを握った。

「そういえば、すぐに攻撃するわけじゃないんだね。神聖術で自分を強化するんだ」
「ええ。魔物は強いですもの。しかも瘴気を発していますから、その防御も必要ですし」
「瘴気」

 ローゼは呟く。

「瘴気ってさ、本や聖典で読んだことはあるけど、結局は何?」

 ローゼが知っているのは『魔物の元となる邪悪な力』程度だ。

「瘴気は、闇の王の世界に満ちている空気……のようなものですかしら。それを体内に取り込んで力とすることにより、魔物は強くなるのだそうですわ」
「へえ……」

 闇の王は地下に住んでいる。
 地下から人の世に出てきて害を及ぼすのが、闇の王の手下である魔物だった。

 魔物たちは瘴穴しょうけつと呼ばれる、地の底に繋がる穴から出てくるということになっている。
 と言っても便宜的に穴と呼んでいるだけで、人には見えないために本当に穴であるかどうかは分からない。 
 瘴穴からはその瘴気も噴き出すのだと、聖典には記されてあった。

 そこでふと気になってローゼは尋ねる。

「魔物がいるってことは……近くに瘴穴があるってこと?」
「いいえ、そうとも限りませんわ」

 人里の近くならば近くの住人たちが魔物討伐をするが、瘴穴が開くのは何も民家に近いところばかりではない。

 普通の瘴穴は1日程度で消えるが、まれに数週間も消えず、ずっと魔物が這い出し続ける大きい瘴穴もあるそうだ。
 しかも瘴穴が消えたからと言って魔物が消えるわけではないので、倒されなかった魔物が山や森の中でうろついていることもある。

 おまけに魔物は縄張りでもあるのか、他の魔物の気配がするとどちらかがその場を去るらしい。そうなると、あちこちに魔物が点在することになる。

 このような魔物たちを見つけ次第倒すのが、聖剣の主や巡回の神殿騎士たちの役目なのだと、フェリシアは教えてくれた。

「なるほどね……」

 髪をとかしていたフェリシアは、ローゼを振り返って言った。

「魔物と戦うことが多い神殿関係の者たちは、瘴気には特に気を配る必要がありますのよ」
「どうして?」
「瘴気は人を魔物に変えてしまいますもの」
「なにそれ!」

 思わず叫び声をあげたローゼに、フェリシアは神妙な面持ちで言う。

「瘴気は人の体の中に溜まって行きますの。そしてある程度溜まると、魔物になってしまうのですわ」
「ある程度……溜まったかどうかって、どうやって分かるの?」
「髪や目の色です」

 そう言ってフェリシアは梳かしていた髪を手に取る。

「瘴穴のことも、瘴気のことも、聖典には書かれていますけど、人には見えませんでしょう?」

 言われてローゼはうなずく。

「でも、瘴気に染まると髪や目が黒くなっていきますの。これは間違いありません。ですから神殿関係者は髪を伸ばしますのよ」
「そっか、短いよりも長い方が、黒くなったかどうか分かりやすいもんね」
「ええ。古い文献には精霊も染まると書かれた話もありますけれど……これも見える人がいないので分かりませんわね」
「すごーい。フェリシアは物知りだね」

 ローゼが感嘆の声を上げると、フェリシアは自慢げに胸を張る。

「勉強していますもの!」

 おおー、とローゼが拍手をする。

「はい! フェリシア先生、質問です! 瘴気に染められた人たちを、元通りにすることはできませんか?」
「できますわ」

 そう言いながらフェリシアはローゼの横に来た。

「神官の神聖術で戻せます。聖なる祈りの力で体内の瘴気を浄化させますのよ。ただしある程度染まってしまうと、もう浄化は不可能ですわね。魔物になってしまいます」
「なるほどなるほど。フェリシア先生、ありがとうございます」

 2人は顔を見合わせて笑うと、寝具に潜り込む。

「聖剣の主様は魔物を倒し続けますもの。瘴気の近くに行くことが多いのですから、黒く染まりやすいと聞きますわ……もちろん聖剣に守りの力がありますから、そう簡単には染まらないそうですけれど」
「そうなんだ」
「ですから時々、神官に瘴気を浄化してもらう必要があるそうですわよ」
「へぇ……」

 ローゼが今まで読んできた本には、そんな話はなかった気がする。
 もしかしたらもっと高度な内容の本にならないと書いてないのかもしれない。

「もう。そんな他人ごとのようにおっしゃって。ローゼ様もそうする必要があるということですのよ?」
「……うーん、本当に聖剣の主になったらね」
「きっとなりますわ」

 ふふ、と笑うフェリシアの目がとろりとしている。

「じゃあ、そろそろ明かりを消すね。おやすみなさい、フェリシア」
「おやすみなさいませ、ローゼ様」


   *   *   *


「レオン、聖剣の主様は瘴気を浴びることが多いんだから、ちゃんと定期的に神殿に行って、浄めてもらうのよ?」
 とエルゼは言ったが、俺は一度も浄めてもらったことはなかった。

 俺には聖剣がある。聖剣の守りの力は強いと聞いた。きっと瘴気なんて平気なはずだ。

 そもそも俺は神殿の連中を信用していない。欲と保身にまみれた俗な奴のくせに一体何を『浄め』られるっていうんだ。
 そんなことのために金を払ってなんかやるもんか。

 そう。神聖術をかけてもらうには金が必要なんだ。だが俺は奴らを儲けさせてやるつもりなんかこれっぽっちもない。
 ないのだが、どうしても神殿に金を払わなくてはいけないことがある。

 神官の神聖術が籠められた品々。こればかりは仕方ない。

 特に薬は絶対に必要だった。
 魔物から受ける瘴気混じりの傷は、神聖術か神聖術が籠められた薬でないと治らないのだ。

 神聖術が籠められた品を買う時だけが、神殿に行く唯一の機会だが……。
 
 俺は、大神殿にだけは絶対行かないと決めていた。
 あれからずっと、故郷にも足を向けなかった。

 だから気が付かなかった。

 大神殿からエルゼはいなくなっていたということに。


 薬を買うために立ち寄った神殿で、俺に声をかけてきた若い女の神官がいた。この娘はエルゼと同期だったらしい。
 俺は名乗っていないのだが、腰にあるのが聖剣だと彼女は知っていた。

 若い男の聖剣の主は俺だけだ。

 だからエルゼの言っていた方だとすぐに分かりました、と彼女は言う。

 続いて、エルゼは元気ですか、と問われて俺は首をかしげた。

 元気も何も、エルゼはもうとっくに神官になっているはずだ。どこに赴任しているのかなど知らない。むしろこの娘の方が知っているだろう。
 俺がそう言うと彼女は驚く。

 そこで俺は初めて、エルゼが神官になっていなかったことを知った。

「エルゼは神官見習いの中で一番の成績でした」
 話をする彼女はつらそうだった。
「それを妬んだ貴族のお嬢様が、エルゼを陥れたんです」

 貴族のお嬢様とやらは、自分が持っていた首飾りをエルゼが盗んだと訴えたのだという。
 上役の神官たちがエルゼの部屋を捜索すると、荷物の中から言う通り首飾りが出てきたそうだ。

「エルゼは当然否定しました。私たちも抗議したんです。でも、どんなに訴えても無駄でした」

 庶民のエルゼが貴族の娘の持ち物をうらやみ、盗んだのだと決めつけられた。
 結論ありきの裁判が行われ、エルゼは大神殿を追われた。神官になるまで、あと数か月という時期の出来事だったそうだ。

 彼女の話を聞きながら、俺は怒りでどうにかなってしまいそうだった。

 エルゼは子どものころ、魔物によって親を失った。俺の父親も同じ魔物に殺された。
 1人きりになったエルゼを引き取ったのは俺の母親だ。
 一緒に暮らしたのはあいつが王都の大神殿に行くまでの数年だったが、エルゼはいつも「村を守りたい、そのために魔物を退ける力を持つ神官になりたい」と言っていたんだ。
 神官になることはエルゼの夢だったのに。

 その夢をくだらない理由で潰しただと!

 許さない。
 絶対に許さない。

 俺は神官の娘から貴族の名前を聞きだすと、約8年ぶりの王都へと足を向け、そいつの屋敷に向かった。
 自分の娘がしでかしたことの不始末は親に取らせてやる。

 貴族の当主には会えたが、俺の要求を奴は断った。
 禁忌がどうとか言ってたが俺には関係ない。
 ならばお前の娘の命で償わせてやろうか、方法はいくらでもある、と言うと当主は泣き崩れ、最後には俺の要求を受け入れた。

 3日後の刻限、奴はきちんと約束の代物を持って現れた。
 神官になるというエルゼの夢は叶えられなかったが、これならば代わりとして十分だろう。
 
 故郷の村へ向かう途中、ある貴族の当主が姿を消したらしいとの噂話が耳に入ったが、俺にはどうでもいいことだった。
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