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第1章
8.答え
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朝、目覚めたローゼはよそいきの服を取り出す。
よそいきだろうといつもの服だろうと、偉い人から見ればどちらも同じく粗末な服だろう。しかしその辺りは、ローゼの気持ちの問題だった。
髪を結い、帽子をかぶり、準備を終えたローゼは深呼吸をして家を出る。行先は草原、会う人物は大神官だ。
どこか浮足立っている雰囲気の村の中を進み、いつもに比べて人の多い道を歩き、草原に到着してみれば、そこは村人でごった返していた。
ローゼの流した適当な噂を信じた村人たちは、今日も収穫物を持って押し寄せているらしい。
手前の方に天幕が張られ、数人の神官が書面を片手に対応に追われている。
よく見ればローゼの祖父母の姿もあった。畑は両親に任せて売り込みに来たのだろう。
髪を結ってきて良かった、とローゼは内心胸をなでおろした。
それでも村人に見られないよう、大きく迂回して神官たちの天幕の方へと向かう。
歩きながら草原の奥に目をやれば、天幕の中にひときわ大きく、豪華な物があった。きっと大神官の天幕に違いない。
周囲を見渡して村人たちの目が無くなったのを確認すると、ローゼは髪をほどき、風になびかせた。
赤い髪を見た周囲の神官たちが、例の娘ではないか、と言いたげな視線を向けてくる。
彼らの視線を受けたローゼは、わざとゆっくり天幕群を巡ると、ようやく目的地へ歩きだした。
「ローゼ・ファラー様でいらっしゃいますね。何か御用でしょうか」
豪華な天幕の側にいた神官が声をかけてくる。
ローゼは一礼すると、いかにも気弱げな、か細い声で神官に伝えた。
「あの……大神官様にお目にかかりに来たんです。どちらにいらっしゃいますか……」
「大神官様ですか。少々お待ちください」
神官は言いおいて天幕に入る。想像通り、この豪華な天幕はアレン大神官のものだった。
待っている間も、周囲にいる神官たちがちらちらとローゼを窺っている。
髪をなでつけるふりをして後方を確認すると、さきほどうろついているときに見かけた人物もいた。
どうやら作戦は成功したようだと分かり、ローゼはほくそ笑む。
ややあって、先ほどの神官に中へ入るように促され、天幕の中へと進んだ。
(よーし、頑張ろうっと)
思ったより広い天幕には、毛足の長い絨毯が敷かれている。中央部には椅子と机があり、大神官はゆったりと椅子に腰かけていた。
奥には間仕切りが見え、その向こう側にも十分空間があるようだ。もしかすると、寝具などが置いてあるのかもしれない。
(これ全部運んできたの? 随分と無駄な労力ね。偉い人の考えることは分からないわ)
そんなことを考えながら、ローゼはおずおずと進み出る。
あまりにも歩幅が狭すぎて演技過剰だったかとも思ったが、幸い大神官はそう思わなかったようだ。
「これはこれはローゼ様。ようこそおいで下さいました」
椅子から立ち上がり、アレン大神官は笑顔でローゼを迎える。
優しげな表情を浮かべているのだが、よく見ると目の奥は笑っていない。
なんでこんな演技に騙されそうになったのだ、と一昨日の自分を殴りつけたい気持ちを押し殺したローゼは、大神官を見ながらほっとしたような表情を浮かべた。
「あの、大神官様。突然お邪魔して本当に申し訳ありません」
「いいえ、ローゼ様でしたらいつでも歓迎いたしますよ。本日はいかがなさいましたか」
「実はあたし……いいえ、私、あの、先日のお返事をしに伺ったんです」
アレン大神官の目が一瞬嫌な風に細められ、すぐに柔和な表情に戻る。
「そうでしたか。で、お返事はいかに?」
「私、あの、考えて、それで……」
下を向き、わざとぼそぼそとした喋り方をしつつ、ローゼは言った。
「やっぱり、あの、大神官様のおっしゃることは、とても正しいと思ったんです……」
そこで一息切り、そのままぼそぼそと続けた。
「だから、わ、私、聖剣の主になる話をお受けしようと思うんです……」
「そうでしょう。やはりこのような話はただの村人には荷が重いというものです。王都に戻り次第、私の方からしかるべき方の……なんですって?」
「あ、あの、私、聖剣の主、やろうと思うんです」
言って顔を上げると、アレン大神官は口を開けたまま呆然とした顔をしている。
(あ、まずい、笑いそう)
ローゼはとっさに口を押え、顔を背ける。
「あれから家に帰って、大神官様のお言葉を考えたんです」
笑いをこらえているので声が震えているのだが、それが丁度良い具合に『おののきながら話しをする娘』を演出してくれているようだ。
「大神官様は私にやらなくても良いと言って下さいました。でも……でもそれはきっと、私に試練を課してくださったのだと思ったのです」
横目で見てみれば、大神官はまだ呆然としている。
「だからこそ逃げてはいけないと……大神官様の御心に添わなくてはいけないと……そう思ったんです」
言って、息を整える。笑いの波はなんとか去ったらしい。
衝撃から立ち直った大神官が何か言うより早く、ローゼは顔を上げ、出来る限りの大声で叫んだ。
「ですから……ですから私は、聖剣の主になる試練をお受けしようと思います!!」
(大声で叫んだから外にも聞こえてると思うわ。どうよ、大神官)
大神官からしてみれば、最初の機会は逃したものの、今回もそこまで悪くはない状況だったはずだ。
おどおどとしながらやってきた娘は、話してみれば緊張で声が小さい。
話すのは天幕の中なのだから、周囲からも見えず、ましてやこれだけ小さい声ならば外へは聞こえない。
十中八九「やらない」という返事だろうが、もしも「やる」と言い出してもまた丸め込むことが出来るだろう。
(なんて考えてたんだろうとは思うのよね。残念でしたー)
先ほど表には何人もの神官たちがいた。好奇心に勝てず集まってきた彼らは、きっと今も外で様子を窺っているだろう。そうでないと困る。ローゼは自分が来たことを知ってほしくて、わざとあちこちうろついたのだ。
天幕は薄い。ローゼが大声で宣言した内容は、周囲の野次馬たちの耳にも十分届いているはずだ。ローゼが聖剣の主を受けたという話が草原中に知れ渡るのはすぐだろう。
青い顔をしているアレン大神官に、ローゼはにっこりと笑いかける。
「それで? 私はこの後どのようにしたらよろしいですか、大神官様?」
* * *
大神官から明日の昼過ぎに出発と約束を取り付けたローゼが天幕を出ると、外にいた神官たちは想像よりも数が多かった。
何食わぬ顔で作業を始めたり、他所へ行こうとしたりしているが、どう考えてもこの天幕の周辺でこんなに人が必要だとは思えない。
(こんなに集まってくれてありがとう!)
思わず笑いそうになるのを堪えつつ、周囲にいた神官にアーヴィンの居場所を尋ねるが、戻ってきたのは「朝早くに隣の町に行くと言って出て行き、まだ帰ってきていない」という答えだった。
珍しいことではあるが、町の方で何か用事でもできたのかもしれない。
残念だが、いつ帰ってくるか分からないアーヴィンを待つつもりはない。仕方なく伝言だけを頼むと、ローゼはディアナの家へと向かった。
「待ってたわ。決めたの? 結局どうするつもり?」
ローゼを自室に通して問いかけてくるディアナには、焦りと不安が見えた。椅子に座ったローゼは、彼女に対して申し訳なさを覚えながら答える。
「明日、出かけることになっちゃった」
「……結局受けちゃったの? 本当に聖剣の主様になるつもり?」
「なるかどうかはまだ分からないよ。行く途中で何かあるかもしれないし」
「嫌なこと言わないで。……だけど行くってことは、なるつもりがあるってことでしょ?」
ローゼはどう答えて良いのかわからずに黙る。
そこへ使用人がやってきた。ディアナは彼女から茶の道具を受け取り、ため息をつく。
「……あんた、本当にやれると思ってるの?」
「さあねぇ」
実際やれるのかやらないのか、ローゼにもまったく分からなかった。
「神様とやらに会って、本当に聖剣がもらえたらやってみる」
「なによ、それ」
淹れたお茶をディアナが渡してくれる。ふんわりと良い香りがするお茶を受け取りながらローゼは言った。
「やったことないから、やれるかなんて分からないでしょ。だったらまずは、神様が本当にやらせる気があるのかどうか、確認しに行こうと思って」
「それで本当に、お前がやりなさいって神がおっしゃったらどうするの」
「しょうがないから、やるかもね」
「やっぱりやるんじゃないの」
ディアナはそう言って視線を落とすと、沈んだ表情を浮かべる。
気まずいままお茶を飲み終え、言葉少なになったディアナに別れを告げると、ローゼは村長の家を後にした。
確かに自分でも無謀だと思う。
本音を言えばまだ少し迷っている。今なら草原に戻って、先ほどの言葉を取り消すことも出来るのではないかという思いもあった。
旅は考えている以上に甘くないはずだ。ローゼ自身、世間知らずの自覚もある。
それでもやはり、自分は聖剣を受け取るための旅に出るだろうという気もしていた。
――しかし、家族にはなんと言えばいいだろうか。
よそいきだろうといつもの服だろうと、偉い人から見ればどちらも同じく粗末な服だろう。しかしその辺りは、ローゼの気持ちの問題だった。
髪を結い、帽子をかぶり、準備を終えたローゼは深呼吸をして家を出る。行先は草原、会う人物は大神官だ。
どこか浮足立っている雰囲気の村の中を進み、いつもに比べて人の多い道を歩き、草原に到着してみれば、そこは村人でごった返していた。
ローゼの流した適当な噂を信じた村人たちは、今日も収穫物を持って押し寄せているらしい。
手前の方に天幕が張られ、数人の神官が書面を片手に対応に追われている。
よく見ればローゼの祖父母の姿もあった。畑は両親に任せて売り込みに来たのだろう。
髪を結ってきて良かった、とローゼは内心胸をなでおろした。
それでも村人に見られないよう、大きく迂回して神官たちの天幕の方へと向かう。
歩きながら草原の奥に目をやれば、天幕の中にひときわ大きく、豪華な物があった。きっと大神官の天幕に違いない。
周囲を見渡して村人たちの目が無くなったのを確認すると、ローゼは髪をほどき、風になびかせた。
赤い髪を見た周囲の神官たちが、例の娘ではないか、と言いたげな視線を向けてくる。
彼らの視線を受けたローゼは、わざとゆっくり天幕群を巡ると、ようやく目的地へ歩きだした。
「ローゼ・ファラー様でいらっしゃいますね。何か御用でしょうか」
豪華な天幕の側にいた神官が声をかけてくる。
ローゼは一礼すると、いかにも気弱げな、か細い声で神官に伝えた。
「あの……大神官様にお目にかかりに来たんです。どちらにいらっしゃいますか……」
「大神官様ですか。少々お待ちください」
神官は言いおいて天幕に入る。想像通り、この豪華な天幕はアレン大神官のものだった。
待っている間も、周囲にいる神官たちがちらちらとローゼを窺っている。
髪をなでつけるふりをして後方を確認すると、さきほどうろついているときに見かけた人物もいた。
どうやら作戦は成功したようだと分かり、ローゼはほくそ笑む。
ややあって、先ほどの神官に中へ入るように促され、天幕の中へと進んだ。
(よーし、頑張ろうっと)
思ったより広い天幕には、毛足の長い絨毯が敷かれている。中央部には椅子と机があり、大神官はゆったりと椅子に腰かけていた。
奥には間仕切りが見え、その向こう側にも十分空間があるようだ。もしかすると、寝具などが置いてあるのかもしれない。
(これ全部運んできたの? 随分と無駄な労力ね。偉い人の考えることは分からないわ)
そんなことを考えながら、ローゼはおずおずと進み出る。
あまりにも歩幅が狭すぎて演技過剰だったかとも思ったが、幸い大神官はそう思わなかったようだ。
「これはこれはローゼ様。ようこそおいで下さいました」
椅子から立ち上がり、アレン大神官は笑顔でローゼを迎える。
優しげな表情を浮かべているのだが、よく見ると目の奥は笑っていない。
なんでこんな演技に騙されそうになったのだ、と一昨日の自分を殴りつけたい気持ちを押し殺したローゼは、大神官を見ながらほっとしたような表情を浮かべた。
「あの、大神官様。突然お邪魔して本当に申し訳ありません」
「いいえ、ローゼ様でしたらいつでも歓迎いたしますよ。本日はいかがなさいましたか」
「実はあたし……いいえ、私、あの、先日のお返事をしに伺ったんです」
アレン大神官の目が一瞬嫌な風に細められ、すぐに柔和な表情に戻る。
「そうでしたか。で、お返事はいかに?」
「私、あの、考えて、それで……」
下を向き、わざとぼそぼそとした喋り方をしつつ、ローゼは言った。
「やっぱり、あの、大神官様のおっしゃることは、とても正しいと思ったんです……」
そこで一息切り、そのままぼそぼそと続けた。
「だから、わ、私、聖剣の主になる話をお受けしようと思うんです……」
「そうでしょう。やはりこのような話はただの村人には荷が重いというものです。王都に戻り次第、私の方からしかるべき方の……なんですって?」
「あ、あの、私、聖剣の主、やろうと思うんです」
言って顔を上げると、アレン大神官は口を開けたまま呆然とした顔をしている。
(あ、まずい、笑いそう)
ローゼはとっさに口を押え、顔を背ける。
「あれから家に帰って、大神官様のお言葉を考えたんです」
笑いをこらえているので声が震えているのだが、それが丁度良い具合に『おののきながら話しをする娘』を演出してくれているようだ。
「大神官様は私にやらなくても良いと言って下さいました。でも……でもそれはきっと、私に試練を課してくださったのだと思ったのです」
横目で見てみれば、大神官はまだ呆然としている。
「だからこそ逃げてはいけないと……大神官様の御心に添わなくてはいけないと……そう思ったんです」
言って、息を整える。笑いの波はなんとか去ったらしい。
衝撃から立ち直った大神官が何か言うより早く、ローゼは顔を上げ、出来る限りの大声で叫んだ。
「ですから……ですから私は、聖剣の主になる試練をお受けしようと思います!!」
(大声で叫んだから外にも聞こえてると思うわ。どうよ、大神官)
大神官からしてみれば、最初の機会は逃したものの、今回もそこまで悪くはない状況だったはずだ。
おどおどとしながらやってきた娘は、話してみれば緊張で声が小さい。
話すのは天幕の中なのだから、周囲からも見えず、ましてやこれだけ小さい声ならば外へは聞こえない。
十中八九「やらない」という返事だろうが、もしも「やる」と言い出してもまた丸め込むことが出来るだろう。
(なんて考えてたんだろうとは思うのよね。残念でしたー)
先ほど表には何人もの神官たちがいた。好奇心に勝てず集まってきた彼らは、きっと今も外で様子を窺っているだろう。そうでないと困る。ローゼは自分が来たことを知ってほしくて、わざとあちこちうろついたのだ。
天幕は薄い。ローゼが大声で宣言した内容は、周囲の野次馬たちの耳にも十分届いているはずだ。ローゼが聖剣の主を受けたという話が草原中に知れ渡るのはすぐだろう。
青い顔をしているアレン大神官に、ローゼはにっこりと笑いかける。
「それで? 私はこの後どのようにしたらよろしいですか、大神官様?」
* * *
大神官から明日の昼過ぎに出発と約束を取り付けたローゼが天幕を出ると、外にいた神官たちは想像よりも数が多かった。
何食わぬ顔で作業を始めたり、他所へ行こうとしたりしているが、どう考えてもこの天幕の周辺でこんなに人が必要だとは思えない。
(こんなに集まってくれてありがとう!)
思わず笑いそうになるのを堪えつつ、周囲にいた神官にアーヴィンの居場所を尋ねるが、戻ってきたのは「朝早くに隣の町に行くと言って出て行き、まだ帰ってきていない」という答えだった。
珍しいことではあるが、町の方で何か用事でもできたのかもしれない。
残念だが、いつ帰ってくるか分からないアーヴィンを待つつもりはない。仕方なく伝言だけを頼むと、ローゼはディアナの家へと向かった。
「待ってたわ。決めたの? 結局どうするつもり?」
ローゼを自室に通して問いかけてくるディアナには、焦りと不安が見えた。椅子に座ったローゼは、彼女に対して申し訳なさを覚えながら答える。
「明日、出かけることになっちゃった」
「……結局受けちゃったの? 本当に聖剣の主様になるつもり?」
「なるかどうかはまだ分からないよ。行く途中で何かあるかもしれないし」
「嫌なこと言わないで。……だけど行くってことは、なるつもりがあるってことでしょ?」
ローゼはどう答えて良いのかわからずに黙る。
そこへ使用人がやってきた。ディアナは彼女から茶の道具を受け取り、ため息をつく。
「……あんた、本当にやれると思ってるの?」
「さあねぇ」
実際やれるのかやらないのか、ローゼにもまったく分からなかった。
「神様とやらに会って、本当に聖剣がもらえたらやってみる」
「なによ、それ」
淹れたお茶をディアナが渡してくれる。ふんわりと良い香りがするお茶を受け取りながらローゼは言った。
「やったことないから、やれるかなんて分からないでしょ。だったらまずは、神様が本当にやらせる気があるのかどうか、確認しに行こうと思って」
「それで本当に、お前がやりなさいって神がおっしゃったらどうするの」
「しょうがないから、やるかもね」
「やっぱりやるんじゃないの」
ディアナはそう言って視線を落とすと、沈んだ表情を浮かべる。
気まずいままお茶を飲み終え、言葉少なになったディアナに別れを告げると、ローゼは村長の家を後にした。
確かに自分でも無謀だと思う。
本音を言えばまだ少し迷っている。今なら草原に戻って、先ほどの言葉を取り消すことも出来るのではないかという思いもあった。
旅は考えている以上に甘くないはずだ。ローゼ自身、世間知らずの自覚もある。
それでもやはり、自分は聖剣を受け取るための旅に出るだろうという気もしていた。
――しかし、家族にはなんと言えばいいだろうか。
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