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10.陽気、正義感、しかしながら、現実感

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この彼とは、その所在の物理的近さも相まって、古くから知っている。だから、彼の今の姿、素振りを見ていると「変わったなぁ」と感慨深い心情にさせられる。(かく言う私自身も、幼少期の素行からは現在の姿、性格が考えられないとよく言われる。)

彼の容姿は昔から、「背が高い」という印象のみに支配されていた。今でこそ、周りの成長のせいで彼の身長は並であるが、ひと昔前までは彼の身長は大木のように巨大なイメージであった。
大木のように、というとそれは横幅の面でも通ずるかもしれない。これは幼少期はもっともよくはっきり太い大木だったが、現時点においては、背の高さと成長の比例関数の観点において一般的な横幅、太さのように目測できる。(むしろ、私なんかのような今にも折れそうな流木からすると、いかにも健康的なシルエットではある。)

次に体全体ではなく、頭部、上部に着目してみる。そうすると、やはり彼の頭部を象徴するのはあの「天然パーマ」であろう。クルックル、フワッフワの天パは彼の陽気な面をよく醸し出している。

顔のなかで、私は気づいたことがある。
それは眉の太さ濃さである。西郷隆盛の肖像のように(いや、これは不適格かもしれない。)彼の眉は存在感を放っている。その下の目も二重で中々、大きく、
明瞭な形、大きさをしている。鼻も少々高い方だと感じる。

服装は、私の中では、昔の彼はお世辞にも洒落ているとは言えないものだった。
しかしながら、この数年間の彼の服の着こなしというのは、年相応ながらも、自身の個性感を埋没させない、上手いものであるように感嘆させられる。


さて、彼の容姿というのは総じて、大木のような安定感と、天パ、服装から感じられる、明るみというところだ。

さて、彼の「明るみ」とはいかでかであるか。ここについて述べよう。

彼の明るみというのは第一にその笑い声と声の大きさが作用していると思われる。大昔に田中角栄という総理大臣がいたが、この総理も日常からとてつもなく声の大きい人だった。角栄のような気さくで、人を緊張から柔化させるような明るみを持っていると感じる。

さらに、あげるとすればいかにも北海道人と言わんばかりの多用される北海道弁である。文末を強調したい時にはことごとく「だべや」、「だべ」が多用されるのは彼の大きな特徴だ。(ちなみに私はあまり北海道弁に慣れていない。)この「だべや」こそ彼のコミュ力の増強に一役買っているように思える。


この彼はおそらく、世間世論一般から言うと、チャランポランな陽キャという評価が多いだろう。学級では常に存在感を放ち、クラスの笑いを積極的に扇動していくようなタイプの。

しかしながら、ただのチャランポランではないと私は断言できる。

以前、彼とともに、仕事をする機会があったのだが、その時はチャランポランな部分を少々心配していたものの仕事となると彼は変様を見せた。
議論をまとめあげ、プロセスをはっきりさせた上で物事を処理していく論理的なリーダーシップはそこらへんの脳筋野郎(主にサッカーやら野球やらをやる第1種脳筋族ども)なんかよりは確実にあるだろう。ここに彼のしっかりとした現実感がある。


本を表紙で判断することは
必要だし、できなければいけない。

しかしながら、読むことを拒んではいけない。

読めば読むほど、その変化や新たな魅力に気づくかもしれないのだから。




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